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とある親子の喧嘩 ~ 昔の話

 これは昔話である。


 とある大安吉日の良き日に婚外子として男の子がこの世に生を受けた。

 グラマラスな美人ホステスの母親に似たとても美しい子だった。

 父親は妻子の居る会社の社長である。

 認知され、養育費として十分な金を振り込まれていたので、母子家庭ながら何にも困る事無く裕福な暮らしが出来ていた。

 しかしある時、本妻にバレて乗り込まれる。

 息子、この時小学三年生。

 正妻と愛人である母親のバトルが勃発した瞬間を目撃する。

 以来、女の醜い争いを見て育った。

 長年続く嫌がらせが愛人の息子にまで及び、息子は父親から金をたんまりとふんだくって寮のある高校に逃走。

 本妻との間には娘しかいなかったので、父親は息子をゆくゆくは後継者にと望んでいた。

 正妻との離婚は成立していない。

 愛人との関係も未だ続いている。

 正妻と愛人のバトルも未だ続いて治まる様子は見られない。

 問題だったのは、一人の男を巡って対立した二人の女が、男の持つ“金”ではなく“才能”を愛していたという事だ。

 裁判沙汰にならないのは幸いだが、事実上解決の見通しは立っておらず、後を継がせたい一人息子は逃走したまま音信不通。

 帰って来る様子はない。

 息子の口癖は『面倒くせぇ』である。




 ガラが悪い上に愛想も無いがやる気も無い購買の主任の渾名は“おっさん”である。


 この私立高の職員という事は、ここの卒業生であるという事だ。

 彼だけではなく、ここの教職員は全てこの私立高の卒業生である。

 理事を務める面々も頭脳派というより、筋肉自慢の体力派だ。


 そもそもおっさんは全国トップ又は世界のトッププレイヤーを目指してスポーツをしていたからここに入学した訳ではなく、ただ単に寮があったからここに進学を決めただけの事だ。

 そこには言うに止まれぬ家庭の事情があったからである。

 二年の弁当ともいえない弁当を持ってくる生徒とは違い、しっかりとここの特性を認識した上で入学した。

 ただ、聞くのと体験する事がここまでかけ離れている学校だとは思わず、入学から一週間と経たず後悔したのは当然の事。


 見かけによらず常識人だった。

 元来の面倒臭がりがそれを覆い隠していても。


 在学時には生徒会長まで務めた人物であるが、ここの非常識具合には当時から手を焼いたようだ。

 この学校にコンビニ並みの品揃えを誇る購買を設置したのは彼が生徒会長を務めている時である。

 それまで購買ではパンや文具などを売ってる程度で飲料は自販機に頼っていた。部活で使用する氷などは置いてない。

 購買で手に入らない物は学校の敷地を出て買出しに行っていて、大変な手間と労力が掛かっていた。

 学校の敷地を出るのだから外出届けも当然必要で教師または生徒会長がその許可証を出していた。

 そこで生徒会長に就任した彼が一々許可を出すのにうんざりし、『面倒くせぇ』と零して学校側を説得して作ったのが現在の購買であった。

 生徒が買い出しに行っていた商品のリストの他に弁当も新たに販売を始めたのは、偏に彼が食べたかったからである。


 何気に、この学校の非常識具合に拍車を掛けているが、指摘するのは当時から誰もいなかった。


 彼が行なった改革はこれだけに止まらない、学食である。

 実は現在のファミレス様式になったのは彼が学校側に要求し、梃入れを行なったからだ。

 それまでは寮食と同じ、“下町の定食スタイル大盛り当たり前”が提供されていた。


 改革の切っ掛けは「朝も昼も晩もこんなに食えっか!!」とキレたのが真相だ。

 

 古株の教職員より態度はデカイが、これでも彼は現在二十代である。

 この学校には学生用だけでなく、職員の為の設備の整った寮も用意されていて、既婚者以外はほぼ全員が寮住まいだ。その例外がおっさんである。彼は煙草を吸いたいが為に外にアパートを借りて住んでいた。

 理由はスポーツ校と名高いこの学校の敷地内が全面喫煙禁止となっているからだ。

 それが昨年度までのこと。


 新年度から彼の姿は職員寮にあった。敷地内全面喫煙禁止令は解かれていない。

 職員寮に住んでいれば食事も筋肉ムキムキなおっさん達が作る“下町の定食大盛りは当たり前”が出てくるが仕方がない、背に腹は変えられぬとおっさんは似合わぬ我慢をして現状に慣れようとしていた。

 因みに、寮の食堂に居る筋肉ムキムキなおっさん達は、正真正銘のおっさんである。

 購買の主任を務めるおっさんにとって煙草を吸えない時点で住むに値しない職員寮であるが、新年度から引っ越してきたのには言うに止まれぬ理由があったからだ。


 すべては『面倒くせぇ』と思ったが故である。


 その面倒臭い理由とは、彼がこの学校に入学した事情と同じであった。


「まぁーだ諦めてねぇのかよ……。あんのクソ親父……」

 

 一通の手紙が学校を通して届けられ、口数の多くないおっさんが差出人を見ることなく苦く呟いた。


 

 彼がこの私立校を卒業し、大学へ進学した時に進んだのは教育学部だ。

 この裏には再三言っている“言うに止まれぬ事情”も係わっていた。考慮した結果、面倒臭がりの彼ではあるが子供は存外嫌いではなかった為に教育者という道を選んだ。

 元々勉強も出来た彼は優秀な成績で大学を卒業し、その後は高校教師として赴任した。担当教科は英語である。

 小学校は子供の無邪気さについていけないので却下。中学校は反抗期真っ只中の子供の相手をするのが面倒だから却下。残ったのは高校だった。

 高校生ならば分別もつくだろうし、早々と面倒事も起こらないと判断した。

 だがこの男、ぬるま湯に浸かりすぎて忘れていた。何事にも常識の範囲外のことが起こりうる事を。あの学校の卒業生にあるまじきミスだ。

 さてさて、若葉マークをつけた先生に成り立ての年、おっさんはベテランの先輩先生が担任を務めるクラスの副担任になった。

 翌年には担任をしてもらうと初対面で告げられれば、面倒臭がりの悪い癖が出てやる気が失せそうになる。

 面倒くせぇと思いつつ、翌年には培った飴と鞭で多感で扱いの難しい年頃の子供たちと信頼関係を築いていった。同僚の先生方ともまずまずの関係だったろう、だが生徒達には面倒臭がりだと早々にバレてしまっていた。それでも慕ってくれる気を遣ってくれる良い子達ばかりだったのは、人徳というよりも持って生まれた運が良かったのだろう。

 

 順調かと思われた教師生活に思わぬ壁が立ちはだかる。

 

 父兄だ。

 生徒達はいい、実に向上心があって学ぶ事に貪欲な子ばかりだったし、同僚との付き合いは面倒だが先輩教師の体験談は勉強にもなる。

 問題だったのは、良く耳に入る“モンスターペアレント”という存在だった。

 この男は、そんなもん精々小学生の子を持つ親ばかりだろうと考えていた。どちらかというといじめ問題の方を心配していた。

 モンスターペアレントという輩は、反抗期のガキんちょや斜に構えて大人ぶるガキより上を行く物分りの悪さだ。

 ねちねちと文句を並べ立てる父兄の前で口癖の『面倒くせぇ』が口から零れそうになったのは一度や二度ではない。

 対話を心掛け、無茶を要求する父兄にはきっぱりと出来ないと言った。

 一方的にがなり立てる父兄もいるが何に腹を立てているのか要点を分析するので然程腹は立たない。

 下手に出れば舐められる、上からの物言いは反発される。何事にも動じず毅然とした態度が一番いい。

 心頭を滅却すれば火もまた涼しと戒め、うろ覚えのお経を唱えながら堪忍袋の緒を強化する。何だか目指していたものが違うと心を過ぎったが、知らぬ振りでやり過ごした。

 煙草を吸う本数が増えてヘビースモーカーになったのはこの頃の事。


「やってらんねぇ」


 強化した堪忍袋の緒があっさりと切れ、この一言が出るまで時間は掛からなかった。

 母校で職員の空きが出たと耳に挟んだのも切っ掛けの一つだ。日頃から情報収集を怠らなかったのが幸いした。


 今でこそ黒のスラックスに白シャツという清涼感溢れる小奇麗な格好だが、社会人になって再びこの学校に足を踏み入れた時には上下のジャージに足元は雪駄、髭は伸びて頭髪はセットされない洗いざらしのまま。顔面や鋭角的なラインをを描く輪郭を髪が覆い隠し、一見しただけでは鼻や口元しか見えない。

 しかし、風に吹かれて時折覗く切れ長の涼しげな目元から予想外に整った顔立ちを認識させられる、だが荒んだ目は裏街道を行く危ない男達も斯くやといった所だ。

 それを裏付けるように、学校へ到着するまでにタクシーには乗車拒否され、お巡りさんには職質を受け、漸くたどり着いた学校では野太い悲鳴を上げられた。

 その時目撃された姿が実年齢以上に見えた為に、そのまま『おっさん』という渾名で呼ばれるに至る。

 全校生徒の前で身嗜みを整えた姿で紹介をされた為に第一印象は覆されたものの、一度定着した通称は払拭できず、それ以降も不本意な呼ばれ方をされ続けている。

 尤も、一々訂正するのも面倒臭がるこの男がするはずもなく、中身も伴って生徒達には自業自得の認識をされている。


 そうして教職を躊躇いもなく捨てた男は、現在は購買の主任として母校に居座っていた。


 居心地が良いのか伸び伸びと日々過ごすおっさんだが、今年になって身の回りで面倒臭いことが頻発していた。

 暫く大人しかった、戸籍上と遺伝子上とで父親と証明されてる男が頻繁に手紙を寄越すようになったのだ。文面は煙草の吸い過ぎや痩せすぎを心配する親らしい内容や新しい同僚についてなど。何でお前が知ってんだと突っ込みを入れてやりたいが、おっさんは必死に我慢している。ここで連絡の一本でも入れていれば、彼の父親はあの手この手で日に何度も電話するようになっただろう。

 それでなくとも周囲を飛び回る蝿にはうんざりとしていたおっさんだ、そろそろぶちキレるかもしれないという自覚もあった。やたらと声を掛けてくる鬱陶しい業者に鋭い一瞥をくれてやって黙らせたのは両手両足では足りない回数に上る。挙句、聞き覚えのある企業からはスカウトまでされる始末だ。どうやら彼らの中に父親の息の掛かったのも混じっているらしいとおっさんが気付いたのは去年の事。

 父親からは電話連絡もあっている筈なのだが、戸籍上と遺伝子上とで息子と証明されてしまっっている彼は随分昔に着信拒否にしてしまっている。

 学校側にも取り次がないようお願いという脅迫をするといった念の入れようだ。


 

 強制的に禁煙させられてる事に慣れてきた頃、夏休みに入っても購買は大忙しだった。

 気温は鰻上りで体感温度は実際の気温以上に感じるこの炎天下の中、部活動に励む生徒達のために教職員達も指導に熱が入る。


「おーい! 午前の練習は終わりだ! 水分はしっかり取れよ!」


 グラウンドの端から端にまで届く程大きな声が購買にも聞こえてきた。

 この時期に怖いのは熱中症だ。

 筋肉馬鹿だとしても人の子だ、部活も気温の高い時間帯は避けて行なわれる。

 この後生徒達は、寮に戻る前にアイスや清涼飲料水などを求めて購買に押し掛て来る。

 外から聞こえる声や足音に、おっさんはうんざりとした表情を隠しもしない。


「……うっぜぇ……」


 手に持った手紙は読まずに握りつぶされた。

 無造作にゴミ箱に投げ入れると、中断していた仕事の続きに取り掛かる。

 

 今日も今日とて、生徒達から要求された本や教職員から頼まれた成人向け雑誌を発注する彼の知らぬ所で事態は動いていた。


 つづく……。




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