窃盗団の親分
気温がぐんぐん上昇して、茹だるような季節を迎えた頃、体感温度は温度計で計測された気温を遥かに超えているように感じる。
室内は冷暖房完備なので外のうんざりする暑さもだらける湿度も関係ない、はずだが……新陳代謝が活発な青少年達にとって内も外も変わらず暑いものは暑い、それが「夏」だった。
昼休みの学食では冷やし中華やざる蕎麦、ざるうどんが大人気で平常時なら日替わり定食がダントツ一番人気だがこの季節に限り、その日替わり定食に迫る勢いだ。
購買でも顕著で、冷たいものが冷える側から売れていく。
飲料水は切らさないようにストックは全部冷やしてある、最も気を付けなければならないのが氷とアイスである。
氷は部活で生徒達がスポーツドリンクを作ったり冷やしたりするのに使用する、アイスは昼休みや放課後に生徒だけでなく教職員も買いに来るので、氷同様この時期は発注が重要な品だ。
尚且つ、アイスにおいては生徒達からのリクエストが寄せられるので、学校の購買とは思えない品揃えを誇る。
唯一謎なのは生徒達がアイスを食べる場所だった。
口癖のように暑い暑いと言いながら、よりによって茹だるような暑さの野外で木陰となる庇の下にひしめき合うように並んで食べている。
暑さに耐えられないおっさんには理解できない現象だ。
「やだなー。暑いからアイスが美味しいんですよ! 外で食べるアイスは別格なんです!」
購買担当の青年Aがガラが悪い上に愛想も無いがやる気も無い購買の親父に力説するも、全く理解を深めるには至らなかった。
「阿呆か、暑かったら外に出なけりゃいいじゃねえか」
「寂しい青春を送ってたんですねー」
決して悪気は無い、が、心臓に毛が生えてるのは間違いない。
「ああぁっ!?」
「あ、いらっしゃーい」
爽やかな笑顔で生徒を出迎える青年A、この夏新たに氷やアイスの発注を任される。
だが、ガラが悪い上に愛想も無いがやる気も無い購買の親父ではあるけれどこの学校の運営には大いに貢献していた。どんなに面倒でも新人君の仕事の確認と指導は怠らない。こうして神がかり的な発注で売り上げは右肩上がりのままキープされ、この学校の運営に大いに貢献している訳である。
で、話が反れた。
これから真夏を迎えるというのに、体が暑さに耐え切れなくて冷たいものばかりを欲しがるのもこの時期だ。
そうなると今度は食欲不振でバテる。
少なからず、部活に所属する生徒にもその現象は見られた。
寮の食堂のおっさん達も冷たいものばかり摂らないよう注意を促すけれど、近年の温暖化現象で不快指数もうなぎのぼりでは冷たいものの摂取し過ぎでなくともバテる始末だ。
そんな頃、飲食スペースでまた一騒動起こる。
それは静かな始まりだった。
弁当だが弁当ともいえない昼食を持参する二年のアノ生徒、彼が新メニューを無言で披露した。
「つけ麺」である。
つけダレは和風、中華風、洋風とあって、レンジで温めて食べている。
ずるずる、ちゅるんと軽快な音を立てながら食べる様は暑さで食欲不振気味な生徒達に衝撃を与えた。
しかも、どのつけダレも美味しそうな香りを漂わせている。
細すぎず太すぎないコシの強そうな黄味を帯びた縮れ麺はタレと絡みやすそうだ。
「……うまそー」
羨ましそうに渇望する視線に晒されながらも、一向に気付く様子は無い。
友人の剥げ鷹が大騒ぎしようとも視線すら向けなかった。
だがある日、飲食スペースを利用する生徒達に更なる衝撃を与える。
チーンと温め終了を知らせてくれる音が鳴った直後の事。レンジの扉を開ける前から漂う、何やら食欲をそそるスパイシーな香り。
しかもレンジの前に立っているのは例の生徒だ。
居合わせた生徒達が注目する中レンジから取り出されたのは色とりどりの野菜の入った真っ赤なつけダレ。
「あー、にんにく臭い」
ポツリと呟かれた声はこの室内に予想外なほど響いた。
真っ赤なのは辛い所為か。それにしても狭くもない室内に充満する程の香辛料のスパイシーな香りは、それだけで食欲も増すというものだ。
誰もがごくりと唾を飲み込む、視線はつけ麺から反れることはない。
「…………」
ずるずる、ちゅるん。
真っ赤なタレと絡まった麺が口の中へ吸い込まれ、咽を通っていく。
「うまー。はー、俺午後の授業にんにく臭いって言われるかも。……いっか。うん」
ずるずる、ちゅるん。
「…………」
飲食スペースは静かだった。
いつもは騒がしい剥げ鷹達も居ないのでは?と思うほど静かで、弁当だが弁当ともいえない昼食を持参する二年のこの生徒と友人関係にある剥げ鷹は、彼の目の前で真っ白に燃え尽きていた。
「ごちそうさま」
いつものように両手を合わせて感謝の言葉を音に乗せると、何事もなかったように生徒は出て行った。
確かに、何事もなかったが。
これがすべての発端。
学食にも購買にもつけ麺は置いてない。
しかも、にんにくなどといった香りの強い物もない。
理由は、臭うからだ。
集団生活を送るうえでは控えるのがマナーだ。
そこに一石を投じたのが、弁当だが弁当ともいえない昼食を持参する二年のアノ生徒。
この日を境に生徒達から学食や購買にメニューの追加リクエストを多数寄せられる事となる。
訳がわからないのは職員達だ。
購買はともかく、学食の新メニューとなると全職員を集めての会議に掛けなければならない。
当然、会議は紛糾した。
必要ないとの意見が多数で賛成に回ったのは極わずか。
その上、新メニューの開発に掛かるコストや人気のないメニューの廃止に意見が集中し、生徒からの
要求をどうするかまで話が纏まらない。
「……でも、何故つけ麺なんですかね? しかも香辛料の効いたスパイシーなつけダレってピンポイントですよ?」
「……それも……そうですねぇ。流行なんですか?」
「さあ……」
食べる事に異常な執念を燃やすのがこの学校の生徒の特性とはいえ、教職員は揃って首をひねった。
「……そりゃアレだ」
このまま話も纏まらずに雑談で終了かと、そんな空気まで流れ始めた時だ。徐に話しに口を挟んだガラが悪い上に愛想も無いがやる気も無い購買の主任は心当りのありそうな顔だ。
タバコが吸えない為に苛立だしげに、しきりに足を貧乏ゆすりしている。
「二年の母親が変な弁当作るってんで有名な生徒、大方アレが発端だろ。購買にもつけ麺はないか、無いなら業者に作らせろって、飲食スペースの常連がしつけえんだよ」
「は、……はあああぁぁぁ!?」
大の大人がそろいにも揃って間抜けな面を晒した。
学食部門担当の職員は絶句したまま、購買部主任を見つめる。
「まさか、たった一人の生徒が……」
そんな中、空気も読めないのかっ、と言いたくなるような暢気な声が末席からあがる。
「あー、あの生徒ですねー」
言わずと知れた、購買部担当新人A。
「カレーの時もお世話になりましたよね。今度はつけ麺ですか、……じゃあこっそり味見させてもらってはいかがですか?」
「……君、正気かね?」
眉間に皺を寄せて厳しい声を出すのは校長だ。
「ははっ失礼ですよ。検討しなければメニューに加わえるかどうか判らないから大っぴらに動けない、それならその飲食スペースの常連にこっそり持ち出してもらったらいいんですよー。代わりに購買の弁当か食券を置いてきてもらえば問題ないでしょー?」
「問題だらけだよ!」とは一人を除いた全職員の意見だ。
そもそも反対意見が多かったはずだが、この青年A、是が非でも推し進めようとしている。
「イケると思ったらまたお母さんにお願いすればいいんです、レシピ教えてくださいって。これで開発にかかる費用も要らなくなりますよ? 後はー、生徒を買収する食券ぐらいですかね? 食器もあるものを利用できそうですしね。」
残念ながら青年Aは正気だった。
傍目にはここの卒業生とは思えない優男だが、中身は立派に剥げ鷹ナイズされている。
何を隠そう、この青年Aが新メニューを一番楽しみにしているだけの事だ。
こうして弁当消失事件から一ヶ月も経たない内に学食の新メニューにつけ麺シリーズが加わることとなった。
弁当の消失事件は今だ解決されないままだ。
「はあ~、学食美味しかったな……」
彼は学食の新メニューを知らない……。