絡みません 上
「腹減ったー」
「早く行こうぜ、席なくなるぞ」
午前中最後の授業の終了と昼休みを告げるチャイムが鳴ると、終わりの挨拶もそこそこに生徒達は教室を飛び出してゆく。
この高校は学食もあるが購買も充実していて人気が高い、利用者が一斉に押しかけるこの時間はどちらも待たされる場合もあって皆我先にと急ぐ。
教師達も成長期にある彼らの腹の事情を理解しているので、この時だけは大目にみていた。
そんな彼らを横目に見送り誰もいなくなった教室を一番最後にのんびりと出る生徒がいる。
家から学校までは徒歩5分の距離で、部活にも入ってない生徒だ。
志望動機は『近い』という単純な理由しかない。
その彼はそのどちらも利用しない弁当持参者だった。
この生徒、容姿は人混みに埋もれてしまう程目立たない平凡さを誇るが、とある理由で全校生徒はおろか教職員にまで存在の知れ渡る有名な生徒である。
有名なエピソードは、入学して一番楽しみにしていた学食は母親の「弁当箱買ってきたわよ」の一言で夢となって散った、というものだ。無念極まりない。
これが一年前の事、後にこの生徒の存在を校内に知らしめる事になる序章だった。
今年の桜も既に散って新緑の季節を迎えようとしている。
これから彼が向かう先は急いだところで直ぐに食べられる状況ではないので、歩む速度ものんびりとゆっくりとしたものだ、外を眺めながら歩を進める様はこの生徒の人柄をも表している。
「それにしても今日の弁当重いな・・・」
誰にも聞かれることのない呟きは遠くから伝わってくる喧騒に紛れた。時折耳障りなほど大きくなるざわめきにも一向に関心を示さず、彼の意識の先は手に持った弁当に向けられていた。
その重さから中身を予想しているようだ。
この学校は半寮制の私立男子高だ。
レベルはそこそこ高く、『近い』という理由だけで志望した彼も勉強についていくだけで精一杯だったりする。
受験当時の受け持ちの担任からは「やめておけ!」と、目を血走らせて言われたり、塾の先生の反応も首を傾げて「…………」と沈黙が下りる成績の振るわない生徒である。
当時を思い返しても一番酷い対応をしたのは彼の母親だった。
「(受験代もったいないから)一発勝負でよろしくー。あら大丈夫よ、受かればいいのよ、受かれば。」
彼の決意を『あはははは』と笑って流した。通訳すると、合格する学校を受験しろという事だ。たとえ受かったとしても彼の頭ではついていくだけで大変だからという親心もあったのだが、単純な彼は気付かないばかりか逆にこの台詞でやる気を見せた。結果として二年になった今も平均を下回るとはいえ下流と中流の境目あたりで踏ん張っているのだからまずまずといえよう。
テストの度に『あぁ、頑張ったさ!俺は頑張った!だから今ここに居る!!』と叫んで奮起する姿は鬱陶しいものでしかないが。
しかしこの私立男子高はそこそこレベルが高いとはいうものの、スポーツ高として有名な高校である。
入学を希望する生徒だったら常識ともいえる事だが、国体にも出場する学校だと知らなかったのは弁当に意識を向けるこの生徒ぐらいなものだろう。
この学校でスポーツ系の部活に入部してる生徒は暗黙の了解や各部の規則でほぼ全員が寮生活を送っている。
練習設備も整っている上に寮があるのもそれだけ学校側が部活動に力を入れているからだが、学食や購買が充実しているのもその為だ。
寮も然り。メニュー豊富がウリの学食と比べ、寮で提供される食事は栄養バランス重視。それも大盛りが当たり前の定食が朝夕出される。その落差はファミレスの定食と下町のおばちゃんが作る定食という具合だ、同じ学校内だというのにここまで共通点が無いのも珍しかった。
彼の寮生の友達の評価は上々で話を振れば「家庭料理って感じですげー旨いんだぜ」と力説する。
「朝から定食はなぁ……」
どう説明されても彼にはこう返すのが精一杯だった。
想像しただけで腹いっぱいになってしまった彼は、毎回げんなりと肩を落とし胃のあたりを手の平で押さえている。
寮生の中には遠方からの入学ということで寮に入る生徒も居たり、家庭の事情で入寮を余儀なくされるのも居り、案外寮生活をしている生徒は多い。
話は後戻りしてまた食べることだが、驚くことに寮で用意される一食分の食事の量はどの生徒も同じだった。
本来、部活動に励む生徒の為に作られた寮は彼らに優しく出来ている、言い換えればそれ以外の生徒には“融通が利かない”という事だ。
部活目的の為に入学した新入生でさえ入寮当初は戸惑うボリュームだという噂の寮の食事は毎年三月から四月の時期になると必ず問題提起されている。だが毎年改善には至らない。何故なら、それで満足している生徒が多数だからだ。圧倒的多数の支持者の前に極少数の改善を求める生徒は屈服せざるをえない。民主主義においては仕方のない事だが、些か常識から外れてる事には揃って目を瞑っている。密かに先輩になる生徒達の間で新入生の驚き戸惑う姿を見るのが楽しみで快感なんだと囁かれているのは隠された事実だ。
スポーツ選手を対象としている寮の食事は部活をやってる生徒が満足する量なだけあって、空きっ腹を抱えずに済んでいると休み時間にパンを4口で食べ終えた寮生は言う。件の弁当持参の生徒の友人だ。
問題なのは部活に所属しない他の寮生だろう。これが極少数の改善を求める者達だったりする。
当たり前だが部活している生徒と同じ量を体育の授業でしか運動をしない生徒が食べきれるはずが無く、かといってその寮生達の分だけを少なめ(普通サイズ)に用意するような配慮がこの学校の職員に出来るはずもなかった。
何故かというと……。
生徒だけでなくこの学校には教職員も全員男だからだ。事務員や寮の厨房に至るまで男の姿しかなく、出身高はここという無限ループが存在する。その上、寮の飯をつくっているのは暑苦しい筋肉ムキムキのガタイのいいおっさん!
豪快で適当なのは標準装備、緻密なのは筋肉と味付けがスローガン。
日々生徒達の為に体を鍛え体力の維持に励み、生徒と同じ食事の量をぺろりと平らげる方々だ。
一体どこの親父アスリートだよっ! と誰もが言いたいはずだ。
弁当持参の彼も寮生活をしている友人から日々面白可笑しく聞かされている。
その為に、以前怖いもの見たさに彼は厨房を覗いたことがある、叫んだ。
筋肉ムキムキのおっさんが白いコックコート着て包丁持ったり、でかい鍋の前に仁王立ちする姿は一種のホラーだ。今から何やるつもりだと体に震えがはしる。今まで一度も“いちいちぜろ”に通報されなかったのはこの学校の七不思議のひとつだ。
ま、それはともかく、味付けが大雑把じゃないのは良かったんじゃないかと彼は言う。
因みに寮費は皆一緒で、食えなきゃ損。飽食の時代にあっても生徒の“もったいない”という意識を刺激する。
残すのも勿体無い、だが食えないのはしょうがない。そんな生徒の為に救済法も用意されている。
この寮独自の裏マニュアルという訳だ。これは入寮時に寮長から規則の説明と一緒に授けてくれる有り難い知恵だ。といっても、部活やってる大飯食らいの腹に収まるだけなんだが……。
少食の人には辛い事この上ない、その持て余す生徒の食事を狙う『禿げ鷹』ならぬ追剥をする『剥げ鷹』がいる訳だ、まぁ多い分を引き受けてくれるのだから当人にとっては救世主だが……。
『剥げ鷹』は腹を満たすためにその生徒に合わせて食堂に行く程のブラックホールの胃袋の持ち主で極少数派の憧れないヒーローだ。多少、暑苦しいが。それでも寮費は一緒。やっぱり部活生に優しい寮だった。
一年経つ頃には極少数派の寮生も不満を唱えなくなっている、こうしてこの学校の歴史は作られていた。
弁当持参の彼に日々情報を齎す寮生の友人ももちろん、サッカー部所属の剥げ鷹だった……。
プロローグ的な話になります。話の中心にいるのが弁当持参の彼ですが、話は周囲の登場人物が流していきます。