似たもの
銃口が襲の顔面に向けられる。
少女は笑顔のまま、その引き金を引いた。
「襲くんっ!」
背後で葉月の悲鳴のような声が上がると同時、顔面に冷たい衝撃を受けた。その衝撃と共にバシャリと派手な水音が辺りに響く。銃口から発せられた水は襲の顔面を直撃し、この寒い時節に顔だけでなく髪まで濡らしてくれた。
濡れた顔を拭わないまま、襲は大きく息を吐いた。
「……冷てぇんだけど」
そう呟くと、目の前で大ぶりの銃を持った少女はおかしそうに笑い出した。
「あっはははは! 目が覚めたでしょ?」
「元から覚めてるっつの。つーか何の真似だよ? 殺気まで撒き散らしてインターホンも押さずにって。随分タチの悪い嫌がらせじゃねぇの」
軽く睨むと少女は満面の笑みで答えた。
「やだなぁ、嫌がらせだなんて。ちょっとした冗談じゃない。襲くんの危機管理はどの程度か確かめておこうと思って」
そして少女は随分大きな拳銃……にしか見えない精巧な作りの水鉄砲を床に置いていたスクールバッグにしまった。
「この水鉄砲、よくできてるでしょ? 私が改造したんだよ。外観だけでもちょっとは格好よくならないかなーと思ってMK23をモデルにカスタムしたんだ」
「水鉄砲……?」
背後でした怪訝な声に振り返ると、いつの間にか葉月が丸くしながら襲のそばまで来ていた。
「はーちゃん。動くなっつったろ?」
襲が呆れ半分に言うと葉月は襲ではなく、襲の向こうの少女を凝視しながら答えた。
「すみません。何だかよくわからない事態になっていたのでつい」
その視線を受け、少女は元から大きな目をさらに大きく見開いた。
「わ、かわいい! 聞いてはいたけど本当に美少女だ!」
少女は襲を押しのけるようにして玄関に入ってきて、葉月の前に立った。
「はじめましてー私は朝比奈。戸倉朝比奈だよ。今中三。襲くんの親戚だよ」
「ご親戚、ですか?」
葉月は少女の勢いに気圧されるように若干引いている。
そんなことは気に留める様子もなく少女、朝比奈は笑顔で首を縦に振った。
「うん、そう。遠縁だけど付き合いは長いんだよー。で、君が葉月ちゃん?」
「あ、はい……私が藤堂葉月です。はじめまして。いつも襲くんにはお世話になっております」
ぺこりと頭を下げた葉月に朝比奈はますます歓喜する。
「うわぁ礼儀正しい! どうしよう! 本当にかわいいよ!? 甘いの好き? 飴あげる!」
朝比奈はセーラー服の上に着ているカーディガンのポケットから飴を取り出した。
「あ、ありがとうございます……」
困惑しながらも受け取った葉月に朝比奈はまだかわいいかわいいと連呼していた。
そのそばで襲は玄関前の廊下に置かれた、カーディガンと同じく自由の女神のロゴが入ったスクールバッグと大きな紙袋を室内に運び入れ、改めて扉に施錠した。
「おい、比奈ちゃん。飴もいいけどよ、これは今日の俺らの夕食でいいのか?」
紙袋の中を覗き込むとタッパーやら魔法瓶やらが入っている。
朝比奈は顔だけ襲に向けて答えた。
「そうだよ。本当はうちのお兄サマが持ってくる予定だったんだけどね、ご近所に不幸があって手伝いに行くことになったから、代わりに私が持って来たの」
「本っ当に立派に主夫してるよなぁ、あいつ。近所づきあいも完璧かよ」
呆れ混じりに言うと朝比奈はにんまりと笑った。
「主夫業は趣味だもん、あの人。ま、おかげで私はおいしいご飯が毎日食べられて大満足だけど」
「もしかしてお姉さんはいつも夕食を届けてくれるお兄さんのお身内の方ですか?」
遠慮がちな葉月の言葉に朝比奈は大きく頷く。
「うん、家族だよー」
「前に言ったろ? あいつは家で育ち盛りの兄弟が待ってるって。その一人がこの子なわけだ。……あれ。何か今日の夕飯、量が多くね? 明日の分でも入ってるのか」
「違うよ、それは私の分」
「比奈ちゃんの?」
「うん。今日は家に誰もいないし、襲くんたちと一緒に食べてきたらいいよって私の分も持たせてくれたの」
「誰もいないって珍しいな。比奈ちゃんの大好きな下のお兄ちゃんはどうしたよ? いつもべったりくっついて回っているくせに」
そう言うと朝比奈の笑顔が凍りつく。そして地を這うような低い声で言った。
「……下のお兄様は今日は彼女の家でごちそうになるんだって」
「あー……それはそれは……えーとそうだ、とりあえず飯を運ぼうぜ。温めてさっさと食おう! ほら、キッチンは廊下の突き当たりのリビングの横だから持ってってくれ!」
強引に紙袋を持たせると、朝比奈は凍りついた顔のまま頷き、小さく「おじゃまします」と言ってスニーカーを脱いで廊下の向こうに消えて行った。
後に残された襲と葉月は顔を見合わせた。
「あの。お姉さんは何だかとても気を悪くされたように見えましたが……」
「悪い。あの子、ブラコンこじらせて末期だから。大好きな兄貴に彼女ができてヤキモチって程度をとっくに越した嫉妬してんだよ。身内としてはいずれ事件を起こさないか心配なレベル」
襲は玄関に揃えられたコンバースのスニーカーを見下ろしながら頭をかいた。
「下のお兄さんと言っていましたが、いつものご飯を作ってくれるお兄さんとは別の方ですか?」
「そうそう。あの料理の上手い兄ちゃんの下にもう一人いるんだよ。んで比奈ちゃんは特にその下の兄貴に昔からべったりでさ。そいつに彼女ができたりとかするとすっげー機嫌が最悪になるんだよ」
「よほど仲のよい兄妹なんですね」
少し感心したように言う葉月に襲は苦笑交じりに答える。
「仲がよすぎてこっちは心配になってくるけどな」
先に洗面所からタオルを持って来て、濡れた顔と髪をふきながらキッチンに行くと、朝比奈がダイニングテーブルの上にタッパーを出していた。
「手伝います」
いち早く葉月が朝比奈のもとへ行く。
「ありがとう。あ、襲くんはお皿出して」
「へいへい。今日は何だって?」
「ミートローフとミネストローネ。それにポテトサラダとパン。パンはさっき焼き上がったばっかりの手作り。あとデザートにチーズケーキ。それから頂き物の柿もおすそわけに持ってきたよ」
「チーズケーキですか」
葉月の目が輝いた。
朝比奈はにこにこと葉月を見下ろす。
「うん。葉月ちゃん、チーズケーキ好き?」
「はい。好きです」
「よかった。たくさん食べてねーってうちのお兄ちゃんが」
葉月は照れたように俯きながら、ありがとうございますと言った。
意外とこの二人は相性がいいらしい。
「あ、お鍋借りたいんだけどいい? ミネストローネをちょっと温め直したいんだけど」
朝比奈は肩より少し長い髪を一つにまとめながら辺りを見回した。
「お鍋でしたらここに。この大きさでいいですか?」
「うん、十分十分。ありがとうね」
「では私は他のお料理を温め直しています。電子レンジで大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。よろしくね」
二人はその間にもてきぱきと夕食の準備を進めて行く。
気付けば襲の出る間はほとんどなく、ダイニングテーブルの上には夕食の支度が整っていた。
この部屋の備え付けの家具だったダイニングテーブルは椅子四つがセットになっている。基本的に食事は襲と葉月の二人きりなのでいつも椅子は二つ余ってしまうのだが、今日はその一つに朝比奈が座っている。襲と葉月がいつも通り向かい合う形で座り、襲の隣が朝比奈だ。
食事をしながらも朝比奈は葉月に色々話しかけている。
「襲くんはちゃんと役に立ってる?」
「はい。いつも家事も率先してやってくれています。課題も手伝ってくれました」
「え、襲くんが勉強を見てあげたの?」
朝比奈が目を丸くして、意外そうに声を上げた。それから不安そうに襲を見る。
「襲くん……間違ったこと教えてないよね? 多角形の内角の和の公式、覚えてる? 現在進行形にはbe動詞がつくよ?」
「おいこら。いくら俺だって小学生の勉強くらい見れるっての」
「えー本当にぃ? 襲くん、試験前だってまともに勉強しない人なのに」
疑わしげな態度を崩さない朝比奈に葉月が付け足した。
「大丈夫です。襲くんが見てくれたのは読書感想文ですし。どんなことを書けばいいのか迷っていたところでアイディアを出してくれたんです」
「あ、そうなの? 襲くんはうそつきだから思ってもないけど無難な感想を書くのが上手だったもんね。なら大丈夫か」
「おい、比奈ちゃん。少しは目上を立ててくれや。さっきからお前、俺の株が失墜するような発言しかしてねぇぞ」
「襲くんの株なんて最初から底辺でしょ? これ以上下がる余地なんてないから別に心配いらないよ」
そんなことをほざいて笑うものだからもはや溜め息しか出ない。なまじかわいらしい外見をしているものだから尚さらだ。
「ったく。比奈ちゃんは年々性格が悪くなってくよなぁ」
「その言葉、そっくりそのまま襲くんに返すよ。葉月ちゃんはこんな人の影響受けちゃダメだよーダメ人間になっちゃうからねー」
突然話を振られた葉月はフォークを片手に戸惑ったように頷いた。
「えっ……は、はい」
「……『はい』って何だよ、はーちゃん。いくら俺でも傷つくわ」
「す、すみません」
「ほら、比奈ちゃんは無駄口ばっか叩いてないでさっさと食ってさっさと帰れ。悪いけど送ってやれねぇからな。あんまり遅くならないうちに帰れよ」
「うっわ、ひどい言い草。別にいいけどね。襲くんなんかに送ってもらおうなんて思ってないもんね」
拗ねたように横を向く朝比奈を見て葉月は控えめに、だけどおかしそうに笑っていた。
こんな風に笑っている葉月を見るのは初めてかもしれない。ここ最近は笑うことはあってももっと控えめで、どこか大人びた笑い方をしていたのに。
その葉月が朝比奈を見上げて言った。
「お姉さんもピアス穴を開けているんですか?」
「お姉さんなんて他人行儀でなく朝比奈でいいよー」
横を向いていた朝比奈は葉月の方へ向き直り、髪を耳の後ろにかけて両耳をよく見えるようにした。両耳の耳たぶには小さな穴が三つばかり空いている。
「右に二つ、左に一つ開けてるんだ。学校ではさすがに校則違反になるし、ピアスは外して行くから今は何もつけてないけど」
「フツーはピアス穴だけでも校則違反じゃね?」
「いいじゃないよう。普段は髪で隠れているしさ。近くで見なきゃわからない程度なんだしさ。注意されたって今さら塞がりませんって言い張るし」
襲はそんな朝比奈を指差して葉月を見た。
「見ろ、はーちゃん。これが本当の不良だ。この反抗的な態度こそが不良だろ」
「ちょっと、指差さないでよ。で、不良って何?」
「はーちゃんの中ではピアスは不良なんだよ。義務教育の分際で三個もピアスとかないわぁ」
「襲くんだって中学の時にはすでにばかすか開けてたじゃん! 私がピアスを開けたのは襲くんの真似だったんだからね! 今となっては若気の至りはなはだしいけど!」
「襲くんも中学生の頃からピアスだったんですか?」
葉月の言葉に朝比奈はここぞとばかりに言った。
「そうだよー中一くらいの時にはもう十個くらい開いてたんだよ。どこのヤンキー?」
「十個はねぇよ。せいぜい八個だって」
「大して変わらないし。両耳穴だらけって最初は怖い人かと思ったもん」
「ああ、それは私も思いました」
葉月が深く頷いて同意する。
「はーちゃん……何で俺のピアスは非難されて比奈ちゃんはいいんだ? いいんだぜ? 初対面なんてことは気にしないで中坊が生意気にピアス開けて、って責めても」
「襲くんに比べたら朝比奈さんのピアス穴は目立たないし、かわいいものかと。それに女性がアクセサリーをつけることは珍しくないですが、男性の過度なアクセサリーは正直引きます」
真顔で言う葉月に朝比奈が勝ち誇った顔で笑った。
「ほぉら。さすが葉月ちゃんは物事の本質をわかってるよ。だよねー男がピアスだらけだと怖いよねー?」
「どちらかと言えば怖いですね。襲くんの場合はいい加減見慣れてしまいましたが、正直赤の他人でピアスまみれの男性がいたら怖いです」
女二人はだよねーと同意しながら頷き合っている。こうなると襲は孤立無援だ。
これ以上の反論を諦め、黙って食事に集中することにした。そうして今日四個目のロールパンに手を伸ばした時、朝比奈がナイフとフォークを置いて両手を合わせた。
「ごちそうさまでした! さ、そろそろデザートも出そうよ。チーズケーキと柿!」
「待て、俺はまだ食ってるって」
「襲くん、食べるの遅すぎ。って言うか食べすぎ。そのロールパン、何個目? そんなに延々と食べられたら私と葉月ちゃんはいつまでたってもデザートにありつけないじゃん」
見れば朝比奈と葉月の皿はすでに空だ。二人で散々襲を責め立てながらもしっかり食事はしていたらしい。
「あー最近腹が減ってしょうがないんだよな。何かいくらでも食える」
「まだケーキと柿が残っているんだからもう夕食はいいでしょー? そろそろデザート食べようよ。襲くんが食べ終わってからデザートじゃ私はいつまでたっても帰れないよ」
「比奈ちゃんはいつでも主夫兄貴が作ってくれるんだからうちで食ってかなくてもいいだろよ」
すると朝比奈は胸を張って言った。
「だって今食べたいんだもん。明日やあさってじゃ意味ないの。だから今日食べて帰る。襲くんの分も私に寄越せばいいよ。ついでにケーキと柿を切ってきて」
よくもここまで身勝手をそうも胸を張って言えるものだ。いっそ感心しそうにもなるが、わがままな年下女子よりは我が身の食事のほうが大事だ。襲はバターをパンに塗りながら努めて静かに答える。
「俺はまだ食ってるの。ワガママばっか言うんじゃありません」
「えぇー」
朝比奈が不満たらたらな声を上げると、葉月が控えめに言った・
「あの、私が切ってきます」
「はーちゃん、甘やかさなくていいって。おら、比奈ちゃんもはーちゃんを見習え……」
その襲の言葉を遮るように、電話が鳴りだした。それは誰の携帯電話でもなく、この家の固定電話のものだ。
一番電話の近くにいた葉月がディスプレイに表示された名前を見て「田嶋さん?」と小さく呟いた。
「田嶋さん? 電話したばっかだよな?」
「ええ。何か言い忘れでもあったのかもしれないですし、私が出ますね」
葉月は受話器を取り上げた。
「もしもし、葉月です」
少し離れた場所にいる襲にも、電話の向こうの田嶋が何やら急いた様子なのが伝わってくる。
「……はい。……はい。え? ……そうですか……ですが今からと言うのは……」
葉月は窺うように襲へと視線を向けてきた。
「どうした?」
襲が聞くと、葉月は一度受話器を耳から離して送話口を手で押さえながら言った。
「父親がいよいよ危険な状態になったそうです。医師の話では今日明日が峠となるとか。それでできるだけ早く病院へ来てほしいと……」
襲は自分の携帯を取り出し、画面を見下ろした。
「……まだ整備が終わったって連絡はねぇな。最悪、装備が今一つな車になるけど田嶋さんに聞いてみてくれるか?」
「わかりました」
葉月は頷き、受話器に向かった。
「田嶋さん。車がまだ用意できないそうで、もしそちらに行くなら普通の車に……はい。……ちょっとまだわかりませんが……はい。……わかりました。では、何とか明日までにはそちらに行けるように努力します。……はい。失礼します」
通話を切り、受話器を置いてから葉月は襲を見た。
「すみません。可能な限り早く病院へ来てほしいそうです。車は用意できなくてもかまわいませんので、襲くんにご一緒してもらってもかまわないでしょうか?」
「ああ、そりゃあかまわないけど」
「ご迷惑をおかけしてすみません」
葉月は深々と頭を下げてから「ケーキと柿を切ってきますね」と言ってダイニングを横切り、キッチンへと向かった。
その後ろ姿を見送りながら朝比奈が小さく呟いた。
「……聞いてはいたけど、苦労してるっぽい子だね」
「楽な人生ではなさげだな」
襲も声を抑えて相槌を打つと、朝比奈はじっと襲を見上げてきた。
「そうそう他人とまともな関係なんて築けない襲くんがこんなに長く同居生活が続くなんて、知らないうちに襲くんてばよっぽど大人になったのかなーとか思ってたんだけど、そうじゃなかったね。葉月ちゃんは特別だ」
そして朝比奈は壁に隔てられたキッチンへと視線を向けた。
「あの子は何となく近い感じがするもん。私や襲くんみたいな人でなしと近いなんて言われたら嫌だろうけどさ。でも多分あの子も異物なんだろうなって思った」
決して同情でも憐れみでも嫌悪でもなく、ただ淡々と朝比奈はそう言った。
葉月の置かれた状況は一般的に見れば気の毒でかわいそうな、悲劇名詞的なものだ。もっともついさっき、朝比奈が来る直前までの取り留めのない会話で葉月は、自分の置かれた状況こそが喜劇名詞だと自嘲気味に言っていたが。
周囲に受け入れられない愛人の子。
愛がわからない子。
命を狙われる子。
人から見ればかわいそうな、当人からすれば喜劇的な、そんな子供。
何にしても十二分に『当たり前』から外れた、異物ではある。だからこそ襲と二ヶ月以上も共同生活を送れたのだろうし、朝比奈が好意的に接するのだろう。もし葉月が普通の子供だったのなら襲と過ごすことになど耐えきれず、とっくにこの生活は破綻していたはずだ。異物同士だからこそ、この生活は成り立っている。
「友達になれたらいいのになぁ」
ぽつりと朝比奈がそんな呟きを漏らした。
「はぁ? 何言ってんだ?」
まったく予想外の言葉に盛大に声が裏返ってしまった。そんな襲の態度に朝比奈は不満げな顔をした。
「何よぅ。だぁって私もなかなか他人とまともな関係なんて築けないしさ。一応友達はいるけど、表面上だけの付き合いだし。本当の意味で関わっているなんて言えるのは家族くらいなんだもん」
「それは俺だってよーくわかってるけどよ。しょうがねぇじゃん。俺らは人でなしだぜ? まともに人と関われるわけがねぇよ」
「でも寂しいじゃん」
間髪入れず返って来た答えに口を開けて固まってしまった。
朝比奈は襲と同じだ。
人でなし集団の中の人でなし。
人ではない別の何か。
人とカテゴライズするには無理がある生き物。
それがまともに人と関係を築くなんて簡単なことじゃない。朝比奈より四年長く生きている分だけ襲はそれをよく知っている。違う生き物同士が親しくなることは、同じ生き物同士が親しくなるよりずっと難しいのだから。そんなことは朝比奈だって百も承知のはずなのに。
すると朝比奈は拗ねたように小さく言った。
「葉月ちゃんは何となく襲くんと似た感じがするし、仲良くなれるかなぁと思ったの」
「似てる? 俺とはーちゃんが?」
愉快犯的な襲と年齢にそぐわないほど生真面目な葉月。むしろ百八十度近く違うだろう。
「多分今までもこれからも、そんな面白いこと言うのは比奈ちゃんぐらいだと思うぜ?」
「私だってバカなこと思っているなぁとは思うよ? でも何となく。自分でもよくわかんないけどこう……何て言ったらいいのかな。根本的なところが近いような気がするって言うか……」
朝比奈は頭を抱えて言葉を探しているようだったが、いつまだえもうんうん唸っているだけだった。
「あーあーもういいから。似てても似てなくてももういいから。そりゃあそこらへんの子よりははーちゃんのほうが仲良くなれるかもしれないけど」
「けど何?」
「何つーか、比奈ちゃんは兄貴以外あんま興味ない感じだったろ? それがどうしたよ? とうとうブラコン卒業か?」
「はぁ?」
朝比奈は思い切り顔をしかめたかと思えば冷ややかな眼差しを向けてきた。
「私はブラコンと言われるほど兄命な自分に心底満足しているのに、何で卒業するわけ?」
堂々と言ってのける朝比奈に、最早ため息しか出ない。
「……事件、起こすなよ」
朝比奈はムッとしたように軽く睨んできた。
「襲くんこそ。はーちゃんなんて親しげに呼んじゃって、ハンバートにならないでよー?」
「だから俺にロリコン趣味はねぇよ。じいちゃんといい比奈ちゃんといい人を揃ってロリコン呼ばわりするなよ」
「あ、おじいちゃんと言えばそうそう。これ、預かってきたよ」
はい、と朝比奈はスクールバッグの中から白い封筒を差し出した。
受け取って見てみると、宛名や差出人は特に書かれていない。
「何だ、これ?」
「おじいちゃんが襲くんに渡してくれって。詳細は知らない」
「じいちゃんが? 小遣いって感じではないな」
封を切り、中に入っていた便箋を取り出した。そこにはやけに読みにくい字が並んでいた。
「何か俺より汚い字だな……読みにくいったらねぇよ」
「読んだら処分するようにっておじいちゃんが言ってた」
「へいへい。了解了解。えーっと……」
しばらく便箋の読みにくい字と格闘していると、台所から葉月が顔をのぞかせた。
「あの、襲くん。果物ナイフが見当たらないのですが知りませんか?」
「果物ナイフ? あ、もしかしたら食洗機に入れっぱかも。そうじゃなかったら……」
「あ、いいです。ないならないで包丁を使いますから」
そう言って葉月は台所へ戻って行った。
襲も便箋に意識を戻し、何とか読み終えてポケットにしまった頃に葉月が切り分けられたチーズケーキと柿をトレイに乗せて運んできた。
「すみません。お待たせしました」
「わ、ありがとう。きれいに切れてるねー」
朝比奈が椅子から立って葉月からトレイを受け取り、テーブルの上に皿を並べていた時。
襲と朝比奈はほぼ同時に顔を上げた。
そして遠くで爆音が鳴り響き、室内が大きく揺れた。
マンション内に侵入者ありと内線が鳴ったのはその数秒後のことだ。