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現状確認

 夕食を終えて葉月が淹れてくれた緑茶を飲みながら取りとめもない会話をしていた時、ふいに思い出して襲は言った。

「そう言えば今さらだけど、本を探すなら図書館とか行かなくても大丈夫か?」

「はい。それには及びません。読書感想文の本は著作権が切れた作品などを無料で読めるアプリを使って読むつもりでしたし、太宰治もそのアプリで読めるようですから」

「そっか。けどもし気を遣っているなら別に遠慮しなくていいからな。ちゃんと俺もついて行くから」

「ありがとうございます」

 この部屋での同居生活を始めて以来、葉月の生活はかなり制限されている。

 可能な限り外出はしないようにと厳命され、実際に葉月はこの2LDKの部屋から一度も出ないまま日々を過ごしている。

 それは葉月と生活を共にする襲も同様で、この一ヶ月は大学やコンビニに行くどころか一番の遠出はマンションの共用スペースにあるゴミ捨て場だという始末だ。

 日用品や食料はインターネットで購入することが出来るし、毎日の食事は襲の身内の者が届けてくれる。生活に不便はない。とは言え、引きこもり生活も一ヶ月に及ぶとさすがに外の空気が懐かしくなる。普段は鬱陶しいばかりの満員電車やたまにしか顔を出さない大学すら恋しい気がしてくるから不思議だ。

 葉月は元からインドア派だからあまり気にならないとは言っているものの、時折窓の外をぼんやり眺めている姿を見かけるとやはりたまには外の空気を吸いに出かけるのもいいのではないかと思ってしまう。

だが葉月の置かれた状況を鑑みれば、軽々しく外出など出来ようはずもない。今のところ襲と葉月は一蓮托生。そうなれば必然的に襲も彼女と共にこの部屋に引きこもっているしかない。

 実際、この生活が始まってから葉月の生活の安全度は格段に増したのだから。

「いくら安全とは言え、十代の若者二人が引きこもり生活なんて不健康にも程があるよな」

 襲の独り言のような呟きに、葉月は湯呑みをテーブルに置いて頭を下げた。

「……すみません。襲くんにまでこんな生活を強いてしまって」

 予想外の謝罪に襲は慌てて声を上げた。

「はーちゃんが謝ることじゃねーって。つーか俺よりはーちゃんのこんな生活うんざりだろ?」

 ゆっくりと頭を上げた葉月は諦めたように答えた。

「私の場合は半ば自業自得のようなものですし」

「そんな弱気になるなよ。むしろはーちゃんは被害者なんだから、堂々と相手を糾弾して呪うくらいしてやればいいんだよ。何だったら俺が代わりに殴って蹴って砕いて拷問してやろうか? てめーらのせいで俺達の貴重な十代の時間を消費したーっつって。ましてやこんないたいけな女の子を引きこもらせた挙句に殺伐とした生活を送らせやがってさぁ。とんでもねー大罪だよ」

 そんな襲のふざけた調子の言葉にも葉月は顔を曇らせたままだ。

 襲にとっては何の気ない一言だったが、まさかこんなに気にさせてしまうとは迂闊だった。こういう空気は一番苦手だというのに、よりにもよって自分でこんな空気を招きよるようなことをしてしまうとは。

 内心で襲が頭を抱えていると、葉月は俯いたまま蚊の鳴くような声を発した。

「……でも、私の生活は随分良くなりました。以前だったら自分の部屋でも熟睡することもできませんでした。食事を口にすることすら、学校にいる時ですら不安でした……。ここで暮らすようになって、本当に久しぶりに私は命の危険を感じる機会がほとんどなくなりました」

 そして改めて頭を下げた。

「襲くんのおかげです。ありがとうございます」

「や、別にそんな礼を言われるようなことじゃ……とりあえず、ほら! 頭を上げようぜ、な?」

 面と向かって礼を言われるとどうにも面映(おもは)ゆい。まして自分よりずっと小さな女の子に頭を下げられている状況ともなると余計に。

 葉月が頭を上げてくれるのを見て、安堵の息を吐いた。

「はーちゃんは本当に礼儀正しいよな」

「私は礼を尽くすべき相手には尽くす主義なんです」

 葉月はきっぱりと言い切ったが、その後に小声で付け加えた。

「……正直なところ、ここに来た当初は襲くんがここまで確かなボディガードだとは思いませんでしたけど」

「ははっ。ボディガードっつーと黒いスーツにサングラスで筋骨隆々なオッサンでも想像してたか?」

「資料を頂くまでは。写真を見ても随分若いようだと思いましたし、実際にまだ十九歳だと聞いた時はバカにされているのかと思いました」

 けど、と葉月は言葉を続けた。

「いくら部屋にこもりきりとは言えこの一ヶ月の間、一度として危険な目に遭っていません。当初は私が藤堂の家を出たのをいいことに、この部屋にまで私の命を狙う人達が押し入ってくるのではとも思っていましたが……」

 湯呑みを両手で包むようにしながら葉月は重い息を吐いた。

 襲と出会った当初から、葉月は溜息の多い子供だった。子供らしい無邪気さも明るさも、これっぽちも感じ取れなかった。その顔には表情らしい表情もなく、常に警戒心を剥き出しにしているような、そんな子供だった。

 だが、そうならざるを得ないような環境に葉月は置かれていた。まだ十二歳の少女は、明らかに複数の人間から害意を向けられていた。

 罵詈雑言を浴びせられ、手を上げられ、階段から突き落とされ。

 十歳の時から葉月はそんな環境下で育ったそうだ。

 そんな環境がさらに悪辣なものとなったのは二ヶ月ほど前のことだったという。害意が明らかな殺意となって葉月へ向けられ始めたのだ。

 頭上目がけてコンクリートの塊が落下してきた。

 歩道で信号待ちをしていると、車が行き交う道路へ後ろから突き飛ばされた。

 見知らぬ男達に車に押し込められそうになった。

 そんなことが幾度も幾度も、偶然では済ませられないほど繰り返されるようになり、葉月の味方と言えるごく僅かな大人が示した打開案が襲との同居生活だった。

 藤堂家を出て、三嶌崎襲と生活を共にする。

 それが一番安全だから、と大人に言われたところでただでさえ周囲への猜疑心で凝り固まっていた葉月が信用できたかどうかは疑問だが、結局のところ大人に従うしかない彼女は今、こうして襲と暮らしている。家から出ないということもあるが、葉月が命を脅かされる機会に遭遇することはほぼゼロになった。

もっとも葉月自身が知らないところでやはり彼女は命を狙われ、気付かない所で命の危機に遭遇してはいたわけだが、そこは彼女に無用な心配をかけることもないだろうと処理してきた。

 プロだけで一ヶ月に三人。アマチュアやもどきを含めればその数は二桁。さすがに最近はそれも減ってきたが、それでも完全にゼロとは言えない。襲自身は正確な数までは覚えていないが報告は欠かさずしているので、どこの所属の誰それが襲撃してきて、どういう対処をしたかくらいは誰かしらが把握しているだろう。

 襲は別にそんなこと知らなくてもいい。興味もないし、それはそういう役割の者がすればいいだけだ。

 今現在の襲の役割は葉月の身辺の安全の確保と、彼女が少しでも穏やかに日々を過ごせるよう努めること。他に負うべき責務はない。

「――それにしても」

 葉月はじっと襲を見上げてきた。

「襲くんはSPではないのですよね?」

「SPは警察だからな、セキュリティポリス。俺は違うよ。公務員試験なんて受けたこともねーもん」

「そうですよね。そんな茶髪にピアスだらけの警察官なんて嫌です」

「おいおい。とうとうピアスだけでなく髪まで言われるようになったか。俺の茶髪なんて控えめなもんじゃん。むしろ暗めなほうだろ」

 以前金に近い色まで脱色したことがあるが、「似合わなすぎていっそかわいそう」だの「それ以上軽薄そうな外見にしてヤンキーでも目指すのか」だのと散々に言われたため、以来髪色はそれほど明るい色にはしないことにしている。

 おかげで大学では特に派手でも地味でもない、ごく普通の髪色のはずなのだがそれでも葉月のお気には召さないらしい。

「警察の方は黒髪のイメージです」

「ドラマじゃけっこう明るい髪の警官もいるぞ」

「ドラマはフィクションじゃないですか」

「もしかしたら全国探せばいるかもしれないだろ」

「知りませんよ。あくまで私のイメージの警察官の話です。とりあえずこの話はもういいです。話を戻しましょう」

「はーちゃんがこの話を振ったんじゃんか」

「襲くんが勝手に広げ出したんです」

 ぴしゃりと葉月は言い捨てた。そして襲に口を挟ませる隙もなく話し出した。

「よく考えたら襲くんがSPかと予想するのは早計でした」

「そりゃどういう意味で?」

「だって私、襲くんに護身術や格闘技の心得があるところなんて見ていませんから。襲くんと暮らせば安全だとは言われましたし実際その通りでしたけど。でもSPの人は体を張って守ってくれるイメージです。だけど襲くんは別に不審者を撃退している様子はないじゃないですか。だったら襲くんはSPではないのだろうなと思います」

「もしかしたら俺だって格闘技の世界チャンピオンとかかもしれねーよ?」

「オリンピック選手などと比べたら襲くんはそれほど筋肉が発達しているようには見えませんし、どちらかと言えば細身で華奢なほうじゃないですか。言ってしまうなら、襲くんは全く強そうに見えません」

「……そうはっきり言われるとさすがの俺も傷つくわ。これでも俺、あんまり筋肉ないとことか気にしてんだぜ?」

 襲の乾いた笑いにも葉月は一切動じず話を続ける。

「とにかく、だから不思議です。なぜ襲くんと暮らすことで私の安全が保証されるのか。ただ一緒に暮らしただけで、なぜ私を殺そうとする人達が手出ししてこなくなったのか」

 葉月は襲の素性を知らない。もしかしたら先方が伝えているかとも思ったのだが、話してみるとほとんど何も聞かされていないらしいことがわかった。先方に確認してみると、葉月には可能な限り余計なことは話してくれるなと言われた。これ以上、彼女を血生臭い世界に近づけるなと。

 となれば、襲がどういう所属のどういう生物なのかなど話せるはずもない。まして先方……葉月の身辺警護を依頼してきた人間が、襲の属するコミュニティーにとっても無下にはできない程の大物なのだから尚更だ。

 そんな襲の事情など知る由もない葉月は尚も首を傾げている。

「一体襲くんは何者なんですか?」

「何者ってなぁ……はーちゃんも知っての通り、俺は一応学生でちょっくら荒事にも足を突っ込んでいるだけだよ」

「大半の学生は荒事に片足でも突っ込んだりはしていないと思うのですが」

「その辺は俺にも事情があるんだよ。ま、聞いたって別に面白おかしい話でもないことだ。はーちゃんが気にするまでのことじゃないさ」

「気にすべきか否かは私が決めます。襲くんが勝手に決めないで下さい」

 葉月は不満げに声を上げた。

 さて、葉月は幼く可愛らしい外見とは裏腹に意外と頑固だ。納得できなければいつまででもこの話題から離れる気はないだろう。このままのらりくらりとかわし続けるのは骨が折れるに違いない。面倒臭いことも疲れることも、襲の好みではない。かと言って、先方の命令を無視すれば後々が面倒臭くなる。

 どちらにしても面倒臭いこの状況。

 少し考えた後、襲は一言口にした。

「人でなしだよ」

「は?」

 葉月は訝しげに襲を見上げた。

「だから俺が何者かって話だろ? 俺は人でなし。その認識さえあればなぁんの問題もない。あちらさんもそうと承知で俺にはーちゃんの身辺警護を頼んで来たんだからさ」

「人でなし……ですか?」

「うん、そう。俺は人でなしだから、はーちゃんの命を狙うようなろくでもない稼業の連中だって俺に関わりたいなんて思わないんだ」

 まるで真剣みのない調子に葉月は不快そうに眉を顰めた。

「……少なくとも、私には襲くんが人でなしには見えません」

「そりゃあ見えないように気を遣っているからさ。露骨に人でなしだと日常生活に支障が出ちゃうだろ? 俺はこう見えて平和主義者だからな、平平凡凡で穏やかな毎日を送りたいと願ってやまないのさ」

 襲のふざけた調子に葉月は渋面で黙ってしまった。

 納得したわけではないだろうが、これ以上この話題を長引かせることもないだろう。

「さ、それじゃあ俺は食器の片付けでもするからこの話はおしまいだ」

 そう言って椅子から立ち上がった時、刺々しい声がした。

「結局意味がわかりません……人でなしってどういう意味でなんです?」

 不満を隠そうともしない様子の葉月を見て襲は笑う。

 笑って明るく答える。

「そんなの簡単だ。そのままの意味だよ」

 そう言って、自称人でなしは朗らかに笑った。


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