十九歳男子と十二歳少女
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なお、この作品には反社会的描写が多数ありますのでご注意ください。
都会の喧騒から少し外れた住宅街にある、特に豪華でも質素でもない新しくも古くもない六階建てのマンション。その六階の2LDKの一室には現在、十九歳の未成年男子と十二歳の女子小学生が暮らしている。
三嶌崎襲が遅い朝を迎えてリビングへと顔を出すと、ソファに座ってタブレット端末を目にしていた小柄な少女が顔を上げた。
「おはようございます、襲くん」
「おはよう、はーちゃん」
答えながらもまだ半分しか開いていない目をこすっていると、少女は見かねたように言った。
「眠そうですね。コーヒーでも淹れましょうか?」
「あー……そうしてくれたら嬉しい」
「ではちょっと待っていて下さい」
少女はタブレットをガラステーブルに置き、対面式キッチンへと向かって行った。
眉のあたりと肩にかかるくらいできれいに切り揃えられた髪に大きな目が印象的な彼女の名前は藤堂葉月。現役小学六年生。ただし一身上の都合で休学中。だが休学中とはいえ彼女は毎日の勉強を欠かさない。休学するに当たり事前に学校の教師や家庭教師から与えられた課題をこなし、さらに自主的に教科書を読み進める。襲の子供の頃とは比較することすらおこがましいほどに真面目で模範的優等生だ。子供の頃どころか現在の自分と比較されたってそうだ。
一応襲も大学生という肩書を持っている。それも本来なら基礎科目や一般教養科目で時間割が埋まりなかなか呑気に過ごしてもいられないはずの一年生なのだが、半年ほど前に入学した大学に足を運んだ回数は決して多くない。基本的に一ヶ月の半分くらいは自主休講だ。その上一ヶ月前、このマンションで葉月との同居を始めてからは一度も大学へは行っていない。
本来なら学業を優先すべきなのだろうが襲の場合、優先すべきなのは学業よりも現在の葉月との生活だ。だから進級できなくても仕方ないことだと割り切っているし、さすがにそれはないだろうが退学処分等を受けたとしても構わないとは思っている。せっかく入学した大学だが、自分にとってそこはそれほど意味のある場所ではない。
まだ今一つ目覚めきらない頭でそんなことを考えながら先程まで葉月が座っていたソファに腰を降ろした。
目の前にある真新しいガラステーブルの上には葉月の私物であるタブレットが置かれている。この家では新聞は取っていないので、情報はテレビかイインターネットで仕入れるしかない。最近はそういう家も多いらしいが、襲の実家では今も複数の新聞を取っている。子供の頃から他の家族に倣うように朝は新聞に目を通して主要なニュースを仕入れる習慣があったので、ノートくらいのサイズの端末を操作して情報を仕入れるというのにはどうにも落ち着かないというか慣れない。むしろ持ち運びにも便利だと思うし、見たい情報も探しやすいだろうとは思うのだが、習慣は合理性だけでは変えられないらしい。
「やっぱ新聞も取るかなぁ」
「慣れればネットでニュースを仕入れるのも楽でいいですよ。資源の無駄を減らせますし」
襲の独り言に答えながら、葉月は湯気の立つマグカップをガラステーブルに置いた。
「どうぞ」
そう言って葉月は襲の向かいに置かれたソファに座った。
「悪いね、ありがとう」
口にしたコーヒーはミルクも砂糖もたっぷり入った、どちらかと言えば子供向けの味だった。
だがこれは入れてくれた葉月が子供だから自分を基準にして襲の分まで甘い仕様にしたのではなく、甘党の襲を気遣ってくれてのことだ。むしろ葉月が自分の基準でコーヒーを淹れたのならミルクなしで砂糖を少し入れただけの、まぁ大人も普通に飲むような物が出てきたはずだ。葉月はまだ十二歳だが、実に気の付く少女なのだ。
葉月からすれば甘すぎて異常だというコーヒーを口にしながら、襲は再びタブレットを落としていた彼女に話しかけた。
「ところではーちゃん。本日のご予定は?」
「午前中は算数と漢字と英語のドリルをやろうと思います。午後は読書感想文を書くための本をネットで探す予定です」
葉月は律義に顔を上げ、しっかりと襲の目を見て答えてくれた。
こういうところ、彼女は実に躾がよく行き届いていると思う。聞いてはいたが、本当に良くも悪くも厳しく育てられたのだと実感させられる。
「襲くんは今日はどうするんですか?」
「俺はどうしようかな。掃除と洗濯が終わったらゲームでもしようかと思っているけど」
「たまには私も手伝いますよ。いつも襲くんにばかり任せてしまっていますし」
申し訳なさそうに眉を下げる葉月に襲は顔の前で手を振って苦笑した。
「いいって。はーちゃんは勉強しなきゃならないんだろ? 俺は申し訳ないくらいヒマだからさ」
この家の家事全般は基本的に襲が担っている。
同居を始めた当初は葉月も手伝いを申し出てくれたのだが、彼女に課されたあまりに多すぎる課題を目の当たりにして、家事は襲の担当ということにほぼ一方的に決めた。
だからと言って襲が家事を得意とするとかそういうわけではなく、むしろ苦手な部類に入る。生まれてからずっと呑気に実家暮らしをしていた十九歳男子は残念ながらそれほど真面目に家事に取り組んだことはなかった。
一応手伝いくらいは子供の頃からさせられてきたが、本当に一応だ。掃除洗濯くらいは何とかなるが、料理は調理実習で作る程度のものなら何とかなるというレベル。栄養バランスなど一体どうやって考えればいいのかなど見当もつかない。自分一人ならともかく、育ち盛りの葉月に食べさせる料理だ。あまり栄養の偏ったものや店屋物ばかりというわけにもいかないだろう。
初心者向けの料理本を読んで試してみたりもしたが、それにも限界があった。
そして散々頭を抱えた末、できないのならできる人間に頼めばいいという結論に達した。
「昼飯はいつも簡単なもので悪いけどパスタな。夕飯はちゃんとした食事が届くから勘弁してくれ」
「ああ、襲くんのご親戚だといういつものお兄さんですね。少しお話ししただけですが、優しそうな方ですよね」
「んー優しい……なぁ」
襲は飲みほしたマグカップを片手に顔をしかめた。
「確かに女子供には優しいか? けどあんな奴だって俺の家族だぜ? 本性はけっこうえげつないって」
「そんな風には見えませんが、襲くんがそう言うならそうなんでしょうね」
「そうそ。第一あいつ、俺にはけっこう手厳しいんだぜ? 俺がちょっと学校サボったくらいですっげぇ怒るし、新しいピアスを開ける度にしつこく説教してくるしさぁ」
うんざりと溜息を吐くと、葉月は至極冷静にこう言った。
「それは襲くんの両耳のピアスがあまりにも多すぎるからではありませんか?」
「えー今時これくらい普通だろ?」
「少なくとも私は今まで、襲くんほど耳が穴だらけの方にはお目にかかったことはありません」
真顔でそう言われ、襲は右耳に手をやった。
そこにはひやりとした金属の感触が無数。確かこの間数えた時は既に穴が塞がったものを除けば、右耳だけで合計七つのピアスホールを開けていたはずだ。そして反対側の左耳には八つのピアスホールが開いている。今、襲の両耳には左右合計十五個のピアスがつけられている。
「……多いか?」
「多いです。今だから言いますが、私は初対面の際に襲くんのピアスを見て、不良が来たと思いました」
「ピアスをしてたら不良って考えはいくらなんでも古くね?」
襲の言葉にも葉月は真剣な表情できっぱりと言い切る。
「二個、三個ならともかく、一目で数を把握できないほどピアスをしている男性なんて怖いです。私はそんな人、テレビでしか見たことないです」
小さなこぶしを握り締め、葉月は力説した。
「あー……はーちゃんはお嬢だからなぁ。けど俺、ボディピアスには興味ないから顔面やら舌やらにはつけてないぜ? 拡張もしてないし」
「両耳にそれだけ穴が開いている上に顔や舌にまでピアスがついていたら、私は襲くんを見た瞬間に今回の同居生活は辞退させていただきました」
「マジで? そしたら俺、ピアスを増やしたわけでもないのにまた説教くらうところだったわ」
「それは知りませんが。しかし話を聞いていると、何だかあのお兄さんはまるで襲くんのお母さんか何かのようですね」
葉月の何気ない言葉に襲は思い切り顔をしかめた。
「やめてくれよ。あんな小うるさくて過保護な母ちゃんがいたらグレるって。まぁあの料理を毎食食えるのは悪くないけどな」
「あの方のお料理は確かに美味しいですね。いつも料理を届けてくれたらすぐに帰ってしまわれるので、ろくにお礼を言えないのが残念です」
「あいつ主夫だからさ。家で育ち盛りの兄弟が待っているし、家事に忙しいんだよ」
「そうなんですか? でしたら私達の食事はやはり自分達で何とかしたほうがよくないですか? 多忙な方に無理を言っては申し訳ないです」
「けど俺、本当に料理なんて満足にできないしなぁ。毎食カレーになっちまうよ」
「いつも言っていますけど、別に私は空腹が満たせれば何でもいいですよ。栄養はサプリで補えますし」
あっさりとした調子で言う小学生に襲は仰々しく溜息を吐いた。
「おいおい。育ち盛り十二歳が何てことを言っているんだよ。成長期なんだからちゃんと栄養バランスが取れた食事をしなさい。そのまま背が伸びなくなっちゃったらどうするんだよ」
すると葉月は上目づかいに襲を睨み、口を尖らせた。
「私の背が低いのは遺伝です。母も決して背の高い人ではなかったですし、実父もそうです。だから仕方ないんです。それに私、別に身長が高くなりたいなんて思っていませんし」
少し早口に、そして最後を特に強調するように葉月は言った。いつも子供らしからぬ落ち着いた話し方をする彼女らしからぬ話し方だ。
それだけでも分かる。身長は葉月のコンプレックスらしい。
小学六年生女子の平均身長がいくつくらいなのかは知らないが、少なくとも葉月の身長がその平均を大きく下回っていることだけは襲にもわかる。正確な数値は聞いたことはないが、おそらく百四十センチに届いていないだろう。
そんなことをつらつらと考えていると葉月はまだ話していた。
「そもそもですね、襲くんだって決して背が高くないじゃないですか。むしろ低いほうじゃないですか?」
十二歳女子のストレートすぎる言葉は、精神にざっくりと突き刺さった。
その上葉月はさらに追い打ちをかけてくる。
「私のクラスにどう見ても襲くんより背の高い女子がいますよ」
「さ、最近の小学生が発育よすぎるだけだし! そして俺は別に背が低いわけじゃねえし! 確かに高くもないけど低くはないんだ!」
むきになって言い返すと葉月は冷ややかな目を向けてきた。
「クラスの女子が言っていました。『男で身長が百七十以下はありえない、無理』と」
「おっ、男の価値は身長じゃないだろ!? 何だ、そのませた小学生は!? ……あ、いや。俺は別に百七十あるし? だから別にいいんだけど、いいんだけどでも人を外見で判断するのはよくないからなっ」
「……見栄を張らないで下さい」
今度は憐れみのような目を向けられた。
「事前に聞いていた襲くんの情報の中には身長もありましたから。百六十九、五センチって」
葉月の言葉に襲は項垂れた。
「五ミリじゃん! て言うか個人情報保護法は何をしているんだ!? 身長なんて情報としていらなくね!?」
「一応どのような外見なのか気になりますから、身長や顔写真などはありがたかったです。もっとも写真では髪に隠れてその両耳いっぱいのピアスまではわかりませんでしたが」
そんなにピアスが気に入らないのか、やけにそこにこだわる。
「何だよ、はーちゃんは俺のピアスがそんなに不満か? だからそんなに言葉で俺をいたぶるのか?」
「この程度、いたぶるなどとは言いませんよ。何を生温いことを言っているんです?」
最近の小学生は随分と厳しい世界を生きているらしい。
そう思いながら襲はそれ以上この話題を広げることをやめ、残っていた以上に甘いコーヒーを飲みほした。