43.髪飾り
滴る雨が、温かく彼女の体を覆っていた。
彼女の身体の疲労を洗い流してくれるような、そんな場所であった。
白い煙が立ちこみ、それもまた、彼女を優しく包む。
彼女は、その長くて白い髪に触れる。
いつもはするりと指が通るのだが、今日はうまくいかない。
そして、白い泡のついた手で、腕からはじめ、体全体に触れていく。
生活には注意をはらい、美しさを保っていた彼女の自慢の肌も、いつしか疲れが垣間見える状態になっていた。
それもそうだ。 この数か月で、色々なことがありすぎた。
歴史でしか存在しえなかった物が……現れて。
それで――
そう思い返しながら、疲れきった髪を思い切り洗い流した。
目の前の鏡を見る。そこにはシルク=ホワイタビーという女性が写っていた。
緑色の澄んだまっすぐな瞳と、水が滴る白い髪。彼女自身、この自分の姿は気に入っていた。
だが、今日の自分はどうも悲しそうな顔をしていた。
そして、いつの間にか、愛する人の名前をつぶやいていた。
「レックス……」
*
シャワー室から出て、洗面台に置いてある"それ"に手をとった。
それは、羽の形をした髪飾りであった。
シルクの特徴ともいえるそれは、ただのアクセサリーなどではなかった。
彼女はバスローブを纏った後、その特別な髪飾りを自分の髪の分け目に差した。
ドアを開けると、二人の少女が出迎えてくれた。
フリルのついたカチューシャを付け、大きなリボンを胸につけている。
メイド服に近いこれは隊員服であり、「医療班」のコスチュームでもある。
ちなみにデザインしたのはシルクである。
「おつかれさまでした、シルクさま」
少女の一人が、なんとも舌足らずにも懸命に申し上げた。
「ありがとう、ラメルちゃん」
シルクは答えた。
ラメル=アルフォートは成績優秀で、シルクからの評価も高く、よく可愛がられている。
「シルクさまー、お疲れのようデスが、大丈夫デスカー?」
もうひとりの少女は、独特のイントネーションで彼女を心配していた。
金髪で、髪を一つに結んでいた。
「ありがとう、シンディ」
シルクは答えた。
「なら良かったデス! ワタシ、元気な人が好きデス」
この少女の名前はシンディ=クローズ。こんな調子だが、医療班に首席で入隊している。
「さぁ、服はご用意してあります。もう冬も近いことですし、早く着てください」
そう言うとラメルは、シルクの替えの隊員服を持ち、差し出そうとした。
シルクは断った。
「もう少し、このままがいいかな」
「なんでですか、風邪ひいちゃいますよ!」
「あっはは、大丈夫だよ。医療班長がこんなことで風邪ひくと思いますか?」
「いえ……そうは思いませんが、でも寒いでしょうに」
「こんなに暖かくしてくれてるじゃない。大丈夫よ」
「うーん」
ラメルは上司に逆らえなかった。
「"医者の不養生"、にはならないでくださいネ」
シンディが笑いながら言った。
その時――
「あっ」
「あっ」
「あッ」
シルクの髪飾りが、床に落ちてしまった。
「落ちましたよ、シルク様」
ラメルが拾おうと手を伸ばす――
「駄目!!」
シルクは叫んだ。
「え?」
すると、髪飾りから水しぶきが飛んだ。
「うわっ!」
そして水しぶきはやがて集結して手の形になりラメルの腕にからみついた。
水の腕は、ラメルを思い切り引っ張っている。
「い、痛いっ!」
乾いた声で、ラメルは叫んだ。
「鎮まれ、激流よ!」
シルクが叫んだ。
すると、水の手は崩れ落ち、ラメルの腕は解放された。
シルクの部屋の周りは水浸しになっていた。
「オーマイガー……な、なんなんデスか、これ?」
シンディは立ち尽くしていた。
「ここまできたら仕方がないわね……特別に教えてあげるわ」
シルクは髪飾りを拾った。
「これは、ただの髪飾りじゃないのよ。これの名前は――」
人々は、それをこう呼んだ。
「"心器 激流"よ」