50.約束
「ブラッキイ、こっちだよ」
元気で、それでいて優しさを感じる声に導かれ、俺は走り回った。
「まって、リーナ」
リーナに助けられてから半年ほど経過し、俺は片言ながら言葉を話せるようになっていた。
リーナは10歳だった。俺も同じぐらいの年齢なのだろうか。それははっきりしていない。
細い、石畳の街路を俺たちは走りまわる。
教会、レンガの建築物、赤や黄色の色とりどりの家屋――
俺たちの住む街「希望の街:スペランツァ」は、そういうところだった。
「こーら、そんなに走り回っちゃだめですよ、二人とも」
ふと、大人の女性に優しく諭される。
背の小さかった俺は、そのまま服の襟元を摘ままれてしまった。
「ごめんなさい、お母さん」リーナは言った。
マリア=サンセット。それが彼女の母親の名前だった。
彼女は娘とは違い、金色の髪だった。父親が赤い髪なのだろうか。
「まったく、服が汚れるじゃないですか。 洗濯する身にもなってくださいよ。分かりましたね、ブラッキイ」
「ごめんなさい、マリアさん」俺は謝った。
「もう、"おかあさん"で良いって言っているじゃない」
「……」
口うるさいと思うときもあったが、マリアは俺に対して自分の子供同然に接してくれた。
勿論俺も、彼女のことは母親同然に思っていたのだが、何故かそう呼ぶ気が起きなかった。
「でもおかあさん、ダメだよそんなに動いちゃ!お腹に赤ちゃんがいるんだよ!」リーナは母親に抱き着いた。
彼女は、俺が会った時には既に身籠っていた。
「少しは動いた方が、子供のためにもなるんですよ。でも、心配してくれるなら、お母さんに迷惑かけないようにしなさいね」
マリアは、リーナと俺の頭を撫でた。
「はーい!」リーナは笑顔で返事した。
マリアも微笑んだ。
*
沢山遊んだ、その日の夜だった。
俺はリーナと、グローリア塔という場所に来ていた。
この街の最も高所に位置する塔で、展望台から街を一望することができた。
時計塔、寺院の鐘楼、商店街――街頭が照らし出すこの街並みは、夜でも生きているようであった。
「ここは何度来ても良いね」リーナは言う。
「うん」俺は頷く。
満月の夜。この日は雲一つない空で、星々が良く見えた。風が心地良い。
「ねぇ」リーナは言う。
「なに?」
「ブラッキイは、わたしとずっと一緒にいてくれる?」
「!」
俺は言葉に迷った。
リーナは続ける。
「お母さんはね、お父さんのことが大好きなの。でもね、中々会えないの」
リーナが父親のことに言及するのは初めてだった。
「……リーナのおとうさん、どんな人?」俺は尋ねた。
「お父さんはね、凄く強いんだよ。勇者なんだ」
「ブレイバー?」
「うん。この世界にやってくる、わるーい奴と戦うんだよ。すっごく強いの」
「すごく、つよい」
「うん!本当に!」
リーナは歯を見せて笑った。
「強い、本当に……だから、戦い続けなければならないの」
しかし、すぐにうなだれてしまった。
「お父さんに、会えない……ずっと一緒にいたいのに……」
「……」
俺は黙って聞いているしかなかった。
「だから、ブラッキイは、一緒にいてくれる?」
その時の俺は少し考えて、こう言った。
「リーナとずっと一緒にいる。でも、一緒にいるには、戦う、べき」
「え?」
「一緒にいるために、戦う。強い、必要」
「……そっか、そうだね。一緒にいるためには、強くなって、強くなるために戦い続けなければならないのね」
俺は頷いた。
「だから、オレ、いちばん、強い人に、なる。いちばん強いブレイバーに、なる」
「うふっ、ブレイバーに? あはは!」
落ち込んでいた顔をしていた彼女は、突然笑い出した。
「なんで、笑うの?」
「ブレイバーは、まだ職業じゃないの。お父さんが勝手に名乗ってるだけなのよ」
「そうなの?」
「うん。ずうっと昔にあった話に憧れて、ね」
「じゃあ……」
「?」
「じゃあ、いちばん強い人、だれ?」
「えぇ?そうだなー……王様、かな?」
「じゃあ、そうなる」
「え?」
「オレ、おうさまになる。 そして、リーナと一緒にいる」
「あははははっ!」
リーナは大笑いした。
「ありがとう、ブラッキイ。ずっと一緒にいてね」
「うん、ずっと、リーナと、一緒にいる!」
俺はリーナとずっと一緒にいる。
その願いが、叶うことはなかった。