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第二話 ショットガン・ハウスでの『錬金術』スキルの発動

 父を運ぶ道すがら、点在するショットガン・ハウスから顔を出した日系移民たちが、葬儀の手伝いを申し出てくれた。


 どの家も、東の表口から西の裏口まで一直線に部屋が並ぶ、風の通り道だけが救いの縦長の簡易住宅だ。風の代わりに散弾も一直線に飛ぶことからショットガン・ハウスの異名がある。


 一太郎は彼らの厚意に低く礼を述べ、我が家へと辿り着いた。



 玄関の扉を開ければ、踏み固められただけの土間が広がる。そこには収穫用の籠や農具が、(あるじ)を失った脱殻(ぬけがら)のように静まり返っていた。


 作蔵を背負い土間から一段上がると、松材の節が目立つ荒い板の間の一角に、半分だけ残った畳まで西陽が差していた。


 作蔵の遺体を飴色に焼けた畳の上に横たえ、南北に敷いた布団の、北を枕に白布を被せる。そして、一太郎はふらつく足取りで、作蔵の右側にある西向きの自分の机に向かった。


 西日はすでに裏口から差し込み、東側の入り口の板間まで長く伸びていた。窓の向こうには父が(たお)れた『サン・ガブリエル・リバー・ランチ』が広がっていた。


 一太郎は震えるような長い息を吐いた。



 部屋に半分だけ残っていた畳。それはかつて、リトル東京の商店を通じて輸入した伊藤家最高の贅沢品だった。


 いつまでもキヨが拭いているのを「畳が擦り切れちまうぞ」と父が笑って眺めていた――。それが、この家の一番幸福だった時代の記憶だ。


 それが、わずか二週間の間に母が結核で逝き、二度目の葬儀を出すことになるとは、一太郎には到底信じられなかった。


 日系コミュニティにおける葬儀は「相互扶助」の精神が非常に強く、近隣の者が「供出(きょうしゅつ)」と呼ばれる持ち寄りで執り行われるが、「亡国病」の結核の前では無力だった。


 キヨの死後、彼女が触れた畳も布団も衣服も、すべてが忌まわしい記憶として焼き払われた。


 家全体に消毒液の石炭酸が散布されて、その強い匂いがいまでも少し残っている。



 その殺風景な部屋で、一太郎は独り、沈みゆく太陽を見つめていた。


 視界が、また激しく歪む。


 脳の奥底で、身に覚えのない記憶が爆ぜ続けていた。


 スマートフォンの放つ青白い光。空を裂いて飛ぶ、青黒い龍の影。そして――魔力を練り上げ、指先から物質の(ことわり)を書き換えていく、あの不気味で万能な感覚。


 一太郎は割れるような頭を両手で抱え込んだ。


 目の前には、場違いな小物が一つ。今年二月に同じ大学に入学した白人の高校時代の同級生に奢ってもらったペプシ・コーラの瓶の王冠だ。


 幼い頃、母・キヨからは「ハッチンソン式の瓶は不衛生だから飲んではいけない」と厳しく言われていた。


 だからこそ、最新の王冠式で封をされたコーラを、おっかなびっくり飲み干して大いに笑われたものだ。


 当時はまだ珍しかったそのロゴ入りの王冠が、記念に置いてあった。



 だが、今のその王冠は、見るも無惨な姿だった。


 一九〇九年のブリキ (錫メッキ鋼板)で作られたそれは、カリフォルニアの湿気に耐えきれず、剥がれた錫の隙間から、粗悪な軟鋼の地金が酸化を始めていた。


 鮮やかだった赤と青の筆記体。トゲトゲとしたそのスクリプトロゴは、腐食が王冠の天面まで這い上がって、かつての輝きを無惨なものへと変えていた。


 ――今の自分と同じだ。


 抗う術もなく、時代の不条理という錆に食い尽くされるのを待つだけの、名もなき消耗品。


 その時。絶望に震える指先が、無意識にその錆びた縁へと触れた。



 指先から「それ」が流れ込む。


 二〇二六年の精密な金属工学の知識と、異世界の錬金術が、錆びついた鉄の原子配列を強引に組み替え始めた。


「――構成、置換。不動態皮膜、展開」


 唇から漏れたのは、英語でも日本語でもない。物質の核へと直接干渉する、峻烈な『異世界の言語』だった。



 瞬間、指先から微かな青白い閃光(アーク)が爆ぜる。


 チリチリと空気が焼ける、硬質な音が静寂を切り裂いた。


 王冠の上で、奇跡が胎動を始める。


 這い上がっていた醜い赤錆が、引き潮のように霧散していく。安っぽいブリキの分子構造は、一太郎の脳裏に刻まれた「二〇二六年の精密工学」に従い再配列された。


 表面が原子レベルで平滑化され、析出硬化(せきしゅつこうか)により硬度と強度が飛躍的に向上してゆく。


 それは、一秒にも満たない瞬きの間の出来事だった。



 指を離したとき、そこにあったのは錆びたペプシの王冠ではなかった。


 窓から漏れるサンタアナの夕陽に輝き、壁の(すす)まで鮮明に映し出す完璧な鏡面の円盤。


 ペプシの鋭利なロゴが、磨き抜かれた銀色を背景に、まるで宝石の象嵌(ぞうがん)のように浮き彫りになっている。指で弾けば、従来の軟鋼ではあり得ない、高純度のクリスタルのような澄んだ硬質な音が響いた。


 特筆すべきは、その「色」だった。



 赤と青のロゴの色は、どこか金属が透けているような、光の当たり具合によって表情を変える鮮やかな「キャンディーカラー」へと変わった。


 一九〇九年の世界には存在し得ない、金属の地を透かしつつ、光の角度で表情を変える深紅。発光しているような青。


 二〇二六年の世界で、名車のボディやギターを彩っていたあの「キャンディレッド」「マリーナブルー」が、百年前のアメリカの片隅で、異様な輝きを放っている。


 鏡の中に浮かび上がる、半透明の赤いロゴと青いロゴ。それは赤と青のサファイヤのようだ。



「……夢じゃない。これなら、やれる」


 一太郎は、鏡のようになった王冠に映る、自分の熱に浮かされたような瞳を見つめた。


 手に取った王冠には、西日の中で白い布に包まれた父の姿が映った。


 この小さな「鏡の王冠」こそが、銀よりも明るく、決して曇ることのない、世界を貫く弾丸になる――。その確信が、彼の胸を衝いた。




 一九〇九年、十二月中旬。カリフォルニアの空は、父を死に追いやったあの残酷なまでの青さを失っていた。低く垂れ込めた冬の雲が、ボイルハイツの丘を重苦しい灰色に塗りつぶしている。


 ロサンゼルス市街の東、エバーグリーン墓地。そこには人種隔離という見えない壁が厳然と存在し、日本人区画は白人たちの豪奢な石碑から遠く引き離された、乾いた赤土の荒野にあった。


 そこへモンテベロを発った黒塗りの葬儀用馬車が、僧侶の馬車を先頭に、農夫たちの馬車が連なり、ホイッティア街道を西へ進んできた。


 墓地の入り口で葬列を待ち受けていたリトル東京組も、その葬列の一隊に加わっていく。


 数日前、父の(むくろ)を肥料まみれの一輪車で運んだあの屈辱を、イチタロウは片時も忘れていない。


 だからこそ、彼は手にした四千二百五十 (ダラー)のうち、二百五十弗という大金をこの数時間の儀式のためだけに投じたのだ。



 「……一太郎、本当にいいのか。マホガニーの棺なんて、白人の金持ちが使うもんだぞ」


 参列した近隣の農夫が、場違いなほど美しい赤褐色の棺を仰ぎ見て、声を潜めた。


 葬儀の内訳は、当時の日系移民の常識を遥かに逸脱していた。


 母・キヨの隣、そのわずかな土を確保するための裏金を含めた永代使用料に百弗。


 泥にまみれ続けた父の背を、最後は絹の裏地が張られたマホガニーで包むために六十弗。西本願寺から僧侶を招く布施に三十弗。


 そして、あの一輪車を二度と見たくないという呪いのような執念で手配した、黒塗りの馬車に二十弗。



 二週間前に掘り返されたばかりの母の墓の隣には、同じ深さの暗い穴が、静かに口を開けていた。


 参列したのは、モンテベロの畑で共に泥を啜った仲間たちや、リトル東京の商店主、そして町工場の佐藤実だった。


 彼らは一様に、日頃の泥にまみれた作業着を脱ぎ捨て、大切に保管していた唯一の「一張羅」である黒いスーツやフロックコートに身を包んでいた。


 潮風と日差しで赤茶けた襟、防虫剤(モスボール)の匂いがきつく染み付いた古い上着、あるいはサイズすら合わぬ借り物の礼服。


 だが、その着古された黒い布地には、「ジャップ」と蔑まれながらも同胞の死に礼節を尽くそうとする、一世たちの凄絶なまでのプライドが刻まれていた。


 寒風の中、彼らは黒い帽子を胸に当て、うなだれて立ち尽くす。その整然とした列は、荒れ果てた赤土の墓地において、そこだけが厳かな日本の一角であるかのような錯覚を抱かせた。


「南無阿弥陀仏……」


 読経の声が、サンタアナの熱風の残滓ざんしを孕んだ乾いた風に霧散していく。



……かわいそうにな。立て続けに親を亡くして、気が触れちまったんだ」


「畑を叩き売り、その金でこんな贅沢か。親が命懸けで遺した財産を一日で使い果たすとはな。大学などへ行くから、世間の道理が分からなくなる」


 参列者たちの囁き声は、一太郎の耳には届いていない。


 彼はただ一滴の涙も見せず、冷徹な機械のような無表情で、母と同じ赤土が父の棺を覆い隠していく様を見つめていた。


 そのポケットの中で、指先は「鏡面」に書き換えられたあのペプシの王冠に触れていた。指先に伝わるその硬質で冷たい感触だけが、彼にとっての現実だった。


 埋葬が終わると、一太郎はリトル東京から取り寄せた高級な精進料理を参列者全員に振る舞った。その仕出しの折詰に、さらに四十弗。


 日本人区画の密集した墓標の前に敷かれた(ござ)には、香龍亭の奉公人が三名ばかり七輪で沸かした湯気の立つ湯呑みを配り、参列者が厚みのあるどんこ椎茸や紀州の梅干しに舌鼓を打つ。


 杉の香りがする新しい折箱の蓋が飛ばないようにしても、海からの冬の風が丘を吹き抜けては、舞い上がった赤土が、サクラメント川で獲れた川魚の甘露煮に薄く降り積もってゆく。


 一等品の玉露が放つ芳醇な香りも、吹き抜ける風にあっけなくかき消されていった。



「皆さん、父の最期を看取っていただき、ありがとうございました。これで、伊藤家の借りはすべて返しました」


 深々と頭を下げた一太郎の姿に、佐藤は言いようのない不気味さを感じていた。


 それは悲しみに暮れる天涯孤独の男ではない。不必要な過去という重荷をすべて投げ捨て、今まさに獲物へ向かって駆け出さんとする、飢えた獣の姿だった。


 葬儀が終わり、人々が去った後の墓地には、二つの新しい盛り土だけが静かに残された。


 一太郎は一度も振り返ることなく、去りゆく黒塗りの馬車を見送り、自らの足でリトル東京へと続く道を歩き始めた。背後では冬の風が吹き荒れ、乾いた赤土を巻き上げて、彼の足跡を消し去っていく。


 一九〇九年、十二月。


 伊藤一太郎という「孝行息子」は、今、この丘で死んだのだ。


 今、この丘に立っているのは――二つの世界を生き、一度は死に、そして三つ目の世界で二度目の人生を自らの力でむしり取ろうとする、一人の男だった。








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