第四話 詐欺師の帰還と疑念
帝国軍が国境を越えて退いたという報せは、レギウム王国に嵐のような熱狂をもたらした。
城門へと続く大通りは人で埋め尽くされ、旗が振られ、花弁が撒かれる。兵の列が見えるや否や、歓声が爆ぜた。
「レギウム王国万歳!」
「カイル様!我らに奇跡をもたらしたお方だ!」
先頭を歩くカイル・フォン・ロードは、歓呼の波を浴びながらも表情を崩さなかった。歓声は耳に届いている。だが彼の目は群衆を一人一人を駒としか見ていない。
――ここまでは予定通りだ。もっと、もっと俺を讃え崇めろ。
後方では、ロルフが涙を滲ませながら胸を張って歩いていた。バドラス将軍は彼らを救うために散った英雄だ。そう信じ切った瞳は、もはや揺らがない。
城門をくぐると、貴族たちが整然と並び出迎えていた。だが、その視線のすべてが賞賛ではない。拍手の中に、冷たい観察の眼差しが混じっているのを、カイルは見逃さなかった。
謁見の間。
玉座に座す国王は、静かにカイルを見下ろしていた。老いてはいるが、眼光は鋭い。
「よく戻った、カイル」
「はっ。陛下の御威光の賜物にございます」
形式的な言葉を交わした後、カイルは戦の顛末を簡潔に報告した。帝国軍の動き、バドラスの最期、そして交渉による撤退。
「……金貨一万枚の慰撫金と、謝罪文を取り付けたと申したな」
「左様にございます。帝国は、自らの行為が多くの国から非難を招くことを恐れております。今は攻め込めば大義名分を失っておりますゆえ、当面の再侵攻はございません」
王はしばし沈黙した。
「だが、金を要求した。屈辱を与えたのだ。帝国が黙っておる保証はあるまい」
「保証はございません。しかし、今攻めれば帝国は侵略者となる。彼らが失ったのは兵ではなく、正義の名目です。名分なき戦は、国内を揺らします」
王の指が玉座の肘掛を叩く。
「……お前は誰だ?」
静かな声が落ちた。
「計算した者の目だ。戦場に赴く前と、随分と変わった」
わずかに空気が張り詰める。
カイルは一瞬だけ視線を伏せ、そして穏やかに微笑んだ。
「戦とは、人を変えるものにございます。陛下もまた、幾度もご覧になったはず。私はただ、生き延びる為に最善の策を取ったまでです」
「バドラスの死についてもか?」
探るような問い。
「将軍は自ら囮となり、我らを救われました。兵百名がそれを見ております。民もまた、それを望んでおります」
王の瞳が細められる。
「……民が望むか」
「民は希望を必要とします。英雄とは象徴にございます。今、王国が必要としているのはその英雄であり、我々と民との団結です」
論理は通っている。だが、どこか冷たい。
やがて王は小さく息を吐いた。
「よかろう。金貨は国庫へ納めよ。葬儀は盛大に執り行う。帝国への抗議文も用意しよう」
「はっ」
深く一礼し、カイルは謁見の間を辞した。
扉が閉まる。
王は側近の老宰相へと目を向けた。
「……どう見る」
「危険な男にございます」
「利口すぎる。国を救っただが、だが、今までとはまるで別人だ」
王は低く続けた。
「目が違う。あれはいつかこの国すら破滅に追い込むかもしれん」
「監視をお付けになりますか」
「ああ。目立たぬ者を。近づきすぎず、遠すぎぬ距離でな」
「承知いたしました」
一方、城の回廊を歩くカイルは、窓の外に広がる歓喜の波を眺めていた。
――王は俺がカイルじゃないと気付いたか?
だが問題はない。王が自分にまだ利用価値があれば使いたい続けるだろう。その時が来たら、俺が…。
背後からロルフが駆け寄る。
「カイル様! 陛下もお認めくださったのですね!」
「ああ。これで葬儀は盛大にしてくれる」
ロルフの顔が輝く。
「将軍は本物の英雄になります!」
カイルはわずかに口角を上げた。
「そうだ。バドラス将軍も喜ばれるだろう」
回廊の奥で、ひとりの侍従が静かに彼らを見つめていることに、ロルフは気づかない。
だがカイルは、視線の存在だけは察していた。
――監視か。まぁいい。
王も駒を動かしたということだ。
ならばこちらも、次の一手を打つまで。
歓声はまだ城壁の外で鳴り止まない。
その熱を、どこまで膨らませられるか。
美しい嘘は、今まさに芽吹き始めていた。




