第三話 死人に口なし詐欺師に版図あり
ぐちゃり、と嫌な音がした。
帝国軍の槍兵たちが、寄ってたかってバドラス将軍の肥満体を突き崩す音だ。かつて美食と賄賂で膨らんだその腹からは、英雄の血というにはあまりにどす黒い液体が溢れ、泥濘を汚していく。
「ひっ、ひいいいっ! 助け……っ、私は、レギウム王国の、ごふっ!」
バドラスが最期に何を言おうとしたのか、俺以外に知る者はいない。
数秒後、彼の首は帝国の若き騎士の手によって無造作に跳ね飛ばされた。かつて無能と蔑んだ部下たちの目の前で、彼は一塊の肉塊へと成り下がったのだ。
「……ふむ。いい死に顔だ。私のシナリオ通り、最高に無様で、最高に利用価値のある死になったな」
俺――カイル・フォン・ロードは、戦場の喧騒から少し離れた高台で、冷ややかにその光景を見届けていた。
隣では、少年兵ロルフがガタガタと震えながら、血の気の引いた顔で俺を見ている。
「カ、カイル様……将軍が、殺されました。僕が嘘をついたから……僕が黄金があるなんて言ったから、将軍は……」
「何を言っている、ロルフ」
俺は冷徹な眼差しをロルフに向けた。
その声は、凍てつく冬の夜のようでありながら、どこか抗いがたい慈愛に満ちていた。
「バドラス将軍は、我ら百名の捨て駒部隊を救うため、自ら囮となって敵陣に突っ込まれたのだ。彼は、己の命を賭して帝国の包囲網を切り裂いた。……そうだろう?」
「えっ……? で、でも、将軍は逃げようとして……」
「いいか、ロルフ。真実なんてものは、観客が納得しなければただのゴミだ。だが、美しい嘘は、数千人を動かす神託になる。……将軍の死を無駄死ににするか、聖戦の礎にするか。選ぶのは君じゃない。私だ」
俺はロルフの肩を強く掴み、その瞳の奥に嘘の毒を流し込む。
ロルフの瞳から、次第に罪悪感が消え、代わりに狂信的な熱が宿り始める。これが宗教ビジネスで培ったマインドコントロールの初歩だ。
「……はい。バドラス将軍は、僕たちのために戦って死んだ……英雄です」
「よろしい。では、リターンを回収しに行こうか」
俺は白旗を掲げ、たった一人で帝国軍の陣地へと歩き出した。
***
帝国軍の前線キャンプ。
指揮官であるヴィクトール子爵は、返り血に濡れた剣を拭いながら、苛立ちを隠せずにいた。
「馬鹿な……バドラスの奴、なぜ剣を抜いた。亡命の密約はどうなったのだ! これではただの軍使殺しではないか!」
帝国軍にとって、この戦いは無血開城が目的だった。だが、バドラスを殺してしまった今、国際的な不名誉というリスクが彼らにのしかかる。
そこへ、優雅に歩み寄ってくる一人の青年。
「やあ、ヴィクトール子爵。……凄惨な光景だね。我が国の至宝、バドラス将軍をここまで無残に切り刻むとは。国際法という言葉をご存知かな?」
「貴様……カイルか! これはバドラスが先に仕掛けてきたことだ! 我々は正当防衛を――」
「おっと、声が大きいよ。証拠はあるのかい?」
俺は楽しげに指を振り、彼を制した。
「我が軍の百名は、バドラス将軍が平和の使者として歩み寄る姿を見ている。そして、君たちが彼を囲み、なぶり殺す様もね。……さて、この話が周辺諸国に広まったらどうなるかな? 『帝国軍は、降伏を装った者を虐殺し、その死体を弄ぶ野蛮人の集まりだ』と。君の主は、その不名誉を喜ぶだろうか?」
ヴィクトールの顔から血の気が引いていくのがわかった。
詐欺師の基本その二。相手の弱点を突くのではない。相手が失いたくないものを人質に取るのだ。
「……貴様、何を望んでいる」
「交渉の話ができる男で助かるよ」
俺は懐から、あらかじめ用意していた一枚の書面を取り出した。
それは、この地獄のような状況下で、俺がわずか数分で書き上げた請求書だ。
「三つ提案しよう。
一つ、帝国軍の即時撤退。
二つ、バドラス将軍を殺害したことへの公式な謝罪と、遺族への慰撫金として金貨一万枚。
三つ、この戦場における全権を私に譲渡する契約書への署名だ」
「なっ……ふざけるな! 我々がなぜ敗残兵の分際に金を払わねばならん! そもそも、我々は数で勝っているのだぞ!」
「払いたくないなら戦えばいい。だが、見てごらん。我が軍の兵士たちを」
俺が後ろを指さす。
そこには、俺の嘘によって、復讐心と英雄願望を極限まで高められた百名の兵士たちが、獣のような咆哮を上げて今にも突撃せんとしていた。
彼らは今、自分が正義であり、死んでも神に救われると信じ込んでいる。狂信者は、精鋭騎士よりも遥かに始末に負えない。
さらに、俺は密かにロルフたちに命じ、森の奥で大量の松明を焚かせていた。
「あの灯りが見えるか? 我が国の本隊……援軍が到着したようだ。彼らは、英雄バドラスの仇を討つために、一兵たりとも生かして帰さないと息巻いているよ。……君の命と、金貨一万枚。どちらが安いかな?」
ヴィクトールは震える手で、俺が差し出したペンを取った。
森の奥の灯りは、ただの焚き火だ。援軍などどこにもいない。だが、俺が演出した気味な静寂」と兵士の咆哮が、彼の冷静な判断力を奪い去った。
「……書いたぞ。これで満足か」
「ああ、素晴らしい。……ちなみに、金貨は一週間以内に、私の指定する領地の蔵に届けてくれ。もし遅れたら、この虐殺の記録をこの世界中にバラ撒くことになる。気をつけてくれよ?」
***
帝国軍は、這々の体で国境へと引き揚げていった。
残されたのは、静まり返った戦場と、帝国から毟り取った膨大な軍資金。そして、自国の上官を英雄になりそこね、ハメ殺し、その死骸すらも外交の道具として使い倒した、史上最低の救世主だ。
「カイル様……勝ちました! 僕たち、本当に勝ったんですね!」
ロルフたちが駆け寄ってくる。
俺は彼らの歓喜を浴びながら、冷めた目で泥の中のバドラスの死体を見下ろした。
「勝ったんじゃない。商品を高く売りつけただけだよ」
俺はバドラスの死体のそばに落ちていた、豪華なマントを拾い上げた。
泥と血を払い、それを自分の肩にかける。
「さて、ロルフ。バドラス将軍の死体を一番立派な棺に入れろ。彼は今日から、この国を団結させるための偶像になってもらう。……葬儀は盛大にやろう。民から寄付金を募るには、最高のイベントになるからな」
俺の言葉に、ロルフは一瞬だけ戸惑いの表情を見せたが、すぐに流石はカイル様だと心酔した顔に戻った。
人を騙すのは、実に気分がいい。
特に、それが救済という名の嘘を被っている時は、なおさらだ。
「真実は退屈だ。だが、これからの世界はもっと面白くなるよ。……私がそう演出するからね」
九条――いや、カイル・フォン・ロード。
彼の手には、帝国から奪い取った金貨一万枚の借用書と、英雄バドラスという名の偽りの神が握られていた。
この汚い世界を、次はどんな「美しい嘘」で支配してやろうか。




