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第二話 英雄の作り方と無能の削り方


「カイル様……本当に、バドラス将軍が戻ってきてくれるんですか?」

 少年兵ロルフが、不安げに俺を見上げてくる。

 俺は彼の泥に汚れた頬を優しく叩き、詐欺師特有の、相手の脳を痺れさせるような甘い声音で囁いた。

「ああ。将軍は強欲だ。そして強欲な人間というのは、目の前にぶら下げられた黄金チャンスを見過ごすことができない。……ロルフ、君は今から幸運の女神を演じるんだ。いいかい?」

 俺はロルフの耳元で、彼にしか聞こえない極めて重要な嘘を。

 それは、後方の本陣で高みの見物を決め込んでいるバドラス将軍を、この地獄の最前線へ引きずり出すための死の招待状だ。

 ロルフは目を見開いたが、俺の確信に満ちた眼差しに圧され、弾かれたように走り出した。

 ***

 レギウム王国軍、後方本陣。

 バドラス将軍は、贅沢にも運び込ませたワインを煽りながら、苛立たしげに戦場を眺めていた。

「ちっ、カイルの小僧め。まだ全滅せんのか。さっさと全滅してくれれば、帝国側に『最善は尽くしたが、捨て駒が脆すぎた』と言い訳して亡命できるものを……」

 彼にとって、自国の兵士は自分の安全を確保するための「盾」に過ぎない。

 そこへ、息を切らしたロルフが飛び込んできた。

「しょ、将軍! カイル様より伝言です! 敵の……帝国軍の指揮官を、カイル様が狙撃魔法で暗殺しました! 現在、帝国軍はパニックに陥り、退却を始めています!」

「……何だと?」

 バドラスが身を乗り出す。

 ロルフは、俺が教えた通りの最高に魅力的な嘘を続けた。

「敵の本陣には、帝国が周辺諸国から略奪した黄金が山積みです。カイル様は『自分は没落貴族だから、この手柄はすべてバドラス将軍に献上し、家門の再興だけを許してほしい』と言っております。今すぐ突撃すれば、五百年は語り継がれる聖戦の英雄になれますぞ!」

「黄金……。英雄……」

 バドラスの瞳に、濁った欲の火が灯る。

 彼は無能だが、自分の利益に関しては驚くほど決断が早かった。カイルが裏切る可能性など微塵も考えない。なぜなら、彼にとってカイルは自分に逆らえない「臆病な無能」だと思い込んでいるからだ。

「よし、全軍反転! カイルに遅れるな! 黄金を、いや、聖戦の栄光を掴み取るのだ!」

 バドラスが私兵を率いて前進を始めた。

 これこそが、詐欺の基本――『ベネフィットの提示』だ。相手が最も欲しがるものを餌に、崖っぷちまで誘導する。

 ***

 一方、俺は最前線で別の舞台を整えていた。

 俺はあえて、数名の足の早い兵士を選び出し、彼らに帝国軍の陣地へと向かって脱走させた。

 もちろん、すぐに捕まるように仕向けてだ。

 帝国軍、前線キャンプ。

 捕らえられた脱走兵たちは、帝国軍の尋問に対し、震えながら俺の書いた脚本を口にした。

「た、助けてくれ! 俺たちのバドラス将軍が、貴国への亡命を望んでいるんだ! 今、将軍自ら誠意の証として、反対派の指揮官カイルの首を持って、そちらの陣地へ向かっている!」

 帝国軍の将校たちは顔を見合わせた。

 バドラスが内通したがっていたのは既知の事実だ。それが今、自らやってくるという。

 将校たちはほくそ笑んだ。

「なるほど、バドラスが自ら投降してくるか。ならば、無駄な戦いは不要だ。奴を迎え入れ、そのまま捕虜として利用してやれ。全軍、攻撃を一時停止。バドラスを中央まで通せ」

 ――情報の非対称性。

 俺だけが、バドラスが攻撃に来ることを知り、帝国軍が歓迎を準備していることを知っている。

 両者の期待は、この瞬間に完璧に食い違った。

 ***

 泥濘の戦場、中央部。

 「英雄」になることを確信したバドラス将軍が、意気揚々と馬を走らせてくる。

 彼の目には、武器を収めて整列する帝国軍が恐怖して戦意を失った敗残兵に見えていた。

「ははは! 見ろ、帝国の精鋭が怯えているぞ! 突き進め! 一人残らずなぶり殺しにして、黄金を奪え!」

 バドラスが剣を抜き、先頭にいた無防備な帝国軍の兵士を斬り捨てた。

 帝国軍側の空気は、一瞬で凍りついた。

「なっ……!? 裏切りか! 投降と見せかけての奇襲か!」

 帝国軍の将校が叫ぶ。

「騙されるな! バドラスを殺せ! 全員殺せぇ!」

 瞬間、平和な亡命予定地は、血みどろの処刑場へと変貌した。

 包囲されたバドラスは、わけもわからず叫び声を上げる。

「何だ!? なぜ向かってくる! 俺は英雄だぞ! 黄金はどこだ! 待て、やめろ、私は将軍だ……ぎゃああああああっ!」

 泥の中で転げ回り、命乞いをするバドラス。

 だが、怒り狂った帝国軍の槍が、容赦なく彼の肥満体を貫いていく。

 それを遠くから眺めながら、俺は自軍の兵士たちに向かって、目一杯の悲哀を込めて叫んだ。

「見ろ! バドラス将軍が、我々を逃がすために自ら囮となって敵陣に突っ込まれたぞ! なんという高潔! なんという勇気か!」

 俺の言葉に、兵士たちがどよめく。

 彼らには、バドラスが敵軍の中央で孤軍奮闘し、最期まで剣を振るっているような姿しか見えていない。

 絶望していた兵士たちの心に、熱い火が灯る。

「将軍……俺たちのために……」

「無能だなんて思ってすみませんでした! 敵を討ちましょう、カイル様!」

 脳内では、次の計画を組み立てている。

「ああ、行こう。将軍が命を賭して作ってくれた道だ。……さて、帝国軍。君たちが殺したのは、我が国の至宝にして『国民的英雄』だ。その代償は、高くつくぞ?」

 死人に口なし。

 バドラス将軍。君は今日、最も無様に死んでくれた。最も美しく歴史に刻まれるだろう。

 この戦いが終わった後に、兵士達の士気を上げてくれありがとう。

 私のつく嘘という名の葬送曲、気に入ってくれたかな?

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