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04



「癪ではあるが、あのうさん臭い記者の言うことに従ってみようと思う」


「円仮説だっけ?」


 そう、と言いながら、テーブルの端の紙ナプキンをとり広げる。

 記憶を頼りに地図を再度描くためだ。アミが描いていた地図はアミが持ち帰ってしまった。


 アミのそれより随分簡素な地図を――繁華街だけを切り取った地図を描く。


「円仮説って……なに?」


「俺もうろ覚えだが、たしか、連続犯罪の犯行地点のうち最も長い離れた二点を直径として円を描いたとき、その円の中に犯人の拠点が存在する、という仮説だったかな」


 地図を描きながら、これまでの犯行地点にバツ印を打つ。


「こう見ると、北六条通と東七丁目通の放火と、ウチが最も遠いかな?」


「それか、北六条通と東七丁目通の放火と北一条通と東六丁目通の暴行かな。いずれの場合の円でも、中心は北四条通りと東六丁目通りの交差点あたりが中心だな。まずはそこに向かおう」




   *




 未だ熱を持ったアスファルトからの輻射熱、じめじめとまとわりつくような湿気のなか、二区画ほど北に歩いた。それほど遠い距離でもないのに、身体はすっかり発熱し、じっとりと汗ばんでいる。


 目的の交差点についたところで、縁石に腰かけ、煙草に火をつける。

 マドイは角地に設置されていた自販機から水を買ってきてくれた。一本もらう。


「夜なのにあっついね。本当に厚手の服なのに汗一つかかない人なんているのかな」


「それな。けど、実際マドイの店に来た奴もそうだったし」


「それはそうなんだけど……人間の生理現象的にそんなこと可能なのかなって」


 その点は確かに疑問である。


「誰かが犯行現場まで送ってきていたりしないのかな。冷房の効いた車で」


「だとしたら目撃証言があるだろう。犯行の直前に車が止まっていた、とか。狭い路地の多いこの繁華街で車は目立つ」


「たしかに不審者の目撃情報はないって刑事さん言ってたね」


「そう。それを真とするなら、実行犯は自力で犯行現場まで来たってことだ」

 

「犯行の直前に着たとか」


「その可能性を否定はできないが……あのような精神状態の人間が、犯行直前に意図的に厚手の服を着ることが可能だろうか」


「たしかに。じゃあ、やっぱり厚手の服は最初から着た状態で、犯行拠点から犯行現場に来たってこと?」


「そうなるんだが……腑に落ちないよなぁ」


 汗を抑える方法はそれなりにあるだろう。制汗剤とか。

 だが、制汗剤をいくら使ったところで、この暑さの中で一滴も汗をかかないことなど可能なのだろうか。ましてや、自力で移動してきているのなら、歩くか走るかしているはずなのに。


「うーん。難しいね。実際にそういう人を見つけるしかない?」


「それが早いかもしれない。索敵結界、頼む」


 マドイは頷いて、印を結ぶ。

 仄かに感じる、マドイの気。それが徐々に広がっていく。


「展開完了。さっきの円の範囲にまで広げた。けど、案の定そんな人いな……あっ」


「いたのか」


「西から北四条通りをまっすぐこっちに向かってくる人が一人」


「迎え撃つぞ」


 煙草を足でもみ消してマドイと一緒に走り出した。




  *




 目的の人物はすぐに見つかった。パンツスーツスタイルの女性だった。この暑さにも関わらず、薄手のウインドブレーカーまで羽織っている。

 栗色の長髪をなびかせ、淡々と一定のリズムでこちらに向かって歩を進めている。

 すれ違いざまに声をかけた。


「よう、こんな暑い日になんて格好だい」


「……」


 女は無言でこちらに振り返った。

 冷淡な視線が突き刺さる。


「日焼け対策か?」


「……」


「……しゃべれない? アンタもそうなのか? これまでに捕まった実行犯はまともな精神状態にないと聞いてはいるが……こうも続くと偶然では片付けらないな」


「……」


 一切の反応がない。

 マドイに目配せをする。目の前の女が間違いなく索敵していた女か確認するためだ。マドイは静かに頷いた。


「洗脳か薬かそれに代わる何かか……まぁ、いい。なぁ、アンタ。これから何をするつもりか知らないが、少し話を聞かせてくれないか。俺はこういうもんだ」


 使いまわしている名刺を女に差し出す。

 マドイの索敵を疑っているわけではないが、こちらの勘違いの可能性を否定できない。

 こちらの勘違いで実行犯と思い込んでいるだけで、万が一ただの一般人だったらコトだ。

 一般人に接する前提で臨み、本性を表したら、それなりの対処をすればよい。


 このやり方は夢喰いによる情報収集をする際の常套手段だ。

 相手がこれに手を出したとき、指先に少し触れることで夢喰いを発動する。

 この前のヤクザや実行犯にしたような荒業を常にしているわけではない。

 

 女は視線を落とし名刺を見つめる、その後、こちらの顔を覗き見た。

 にやりと口元が歪んだ。


「……なるほど。貴様が例の探偵か。手段を問わないのはあまりよろしくないが、行動力は評価に値する。南雲が目を掛けるだけのことはあるな。だが――」


 女は俺の右手首を握った。白い手袋をしている。

 頭の中で警報がけたたましく鳴り響いている。


「スイちゃん!」


 マドイの叫び声が耳を刺す。

 女を振りほどこうとするが、すごい力でなかなか振りほどけない。


 女は左手の人差し指で、俺の右腕をとんと小突いた。直後、右腕に刺されたような激痛が走る。

 ぶんと、唸るような重低音が聞こえた気がした。


「……ぐッ……お前……」


 女の腹に前蹴りを入れて、なんとか距離を取った。

 右腕の激痛は続いている。痺れまで出てきて、力が入らない。


「若さゆえか不用心が過ぎるな。いくらならず者といえど、我々の捜査に関わるのであれば問題を起こされては困る。教育してやろう」


 女はゆっくりと立ち上がり、土埃を払う。

 極めて淡々とした口調で諭すようにこちらに語り掛けながらゆっくりと歩み寄ってくる。


「マドイ! 索敵条件を初期化して目の前のあの女に絞れ! 何か持っている! 気の流れを探れ!」


「わかった! ……な、なにあれ」


「可視化してくれ!」


 黄緑色のオーラが女の周囲を取り巻き、徐々に形を成していく。

 西洋のランスを小型化したような針が、無数に浮いていた。


 女の能力は未だよく掴めないが、状況を見るに俺はアレに刺されたと考えるのが妥当だろう。激痛の後の痺れをみれば、あの槍に毒が仕込まれているのは明らかだ。


 ……どうする。少しでも触れられればこちらのものだが、しかしあの数だ。下手に近づけばまた刺される。もし全身刺されてしまえば毒で動けなくなるだろう。


「……ほう。結界術を使えるのか。私の針を形どるほどの精密制御とは、なかなかの手練れだな。興味深い。どうだね、うちで働かないか。沢山稼げるぞ。寝る間もないほど」


 女はなお淡々とした口調で近づいてくる。


 どうする!

 このままでは為す術もなくやられてしまう。


 ここは一度逃げるか。いや、あの槍の動作速度がわからない。

 こちらの足より速ければ、無防備な背中を晒すだけになる。


 ――遠隔法しかない。

 幸い刺されたのは腕だけだ。口は動く。


「もし断るなら公務執行妨害として処理する」


 肺に息をためる。

 ……ん? 公務執行妨害?

 

 直後、聞きなれた声が響いた。


「ちょっとちょっと! 待ってください! ストップ!」


 女の後方の辻から、小柄な女――アミが現れた。

 慌てた様子でこちらに駆け寄ると、女と俺の間に割って入った。


「なかなか来ないと思ったらこんなところで何をされているのですか、待ってたんですよ、蜂須賀ハチスカ警部」


「現場に向かってたんだが、活きの良いのに絡まれたものでな。待たせて悪かった。あぁ、良い、気にするな。久々に遊べて楽しかったから。お前はそいつを解毒してやってから来い」


 女――蜂須賀は襟元を正すと、アミにペン状の棒を手渡して颯爽と去っていった。


「……承知しました。おいバク屋。大丈夫か」


「随分おっかない上司だな」


「本気を出したあの人はもっと怖いよ。まだ良かった方だ。蜂の巣にならなくて」


 たしかにあれだけの針を一度に向けられればひとたまりもないだろう。


「ところでバク屋、遠隔法を使おうとしただろう。困るよ、捜査に協力してもらう手前、能力も含めてある程度お前のことは警部に報告してはあるが、それは話してないんだ」


「知ってもらういい機会だったかもな」


「やめてちょうだい。そんな能力知られたらマークされて自由に身動きできなくなるよ。挙句、使い潰される」


 確かに遠隔法は警察にマークされかねない。

 目の前の人間を手を触れず眠らせ、夢を喰うだけにとどまらない使い方がある。


 アミはこちらに向き直りながら、先に受け取ったペン状の棒の蓋を取り外した。

 注射器だった。解毒剤とはこれのことのようだ。


「よし、暫くは少し痺れが残るかもしれないがそのうち治る。私も現場に向かうが、バク屋も来てくれ。次の事件が起きたんだよ、すぐそこで」




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