03
「お待たせしました、アイスコーヒーをご注文のお客様」
白いブラウスに黒いエプロンを身に着けたウェイトレスが、グラスを乗せたトレーを持っているとは思えない程軽やかな身のこなしでやってきた。
「あ、ガムシロップは結構です」
「あ、俺は要る。マドイは?」
「私もほしい」
こちらの応答を待たずして、そのウェイトレスはテキパキと注文の品をテーブルに並べていく。相当忙しいのだろう。まるでこちらの答えなど端から聞く気などなかったのではと邪推する。
終始不愛想なまま、ウェイトレスは去っていった。去り際にちらりと目が合った。訝しげな、冷たい視線が突き刺さった。
ここは、マドイの店から二区画ほど離れた喫茶店ルノワール。馴染みの店だ。マドイともよく来る。
また来たかと思えば、マドイのほかにもう一人――それなりに顔が整い身なりもパリッとした小柄な女性を連れていたのだから、怪訝に思うのも無理はない。男の方が、よれよれのTシャツとジーンズ、つっかけのように履き潰したスニーカーととてもだらしのない格好で、おまけにその頭には未だ寝ぐせがついている始末だから、怪しさに拍車がかかっている。
「煙草吸っていいか」
ついでにヤニカスと来た。自分でも呆れる。
二人の返事を聞かずして、火をつけた。この二人が煙草に嫌悪感を抱いていないことを知っている。口には出さないが非常にありがたいと内心思っている。
アミはアイスコーヒーに口を付けた後で、カバンからノートとペンを取り出し、何か描き始めた。
「広報からまだ出していない情報も含むから、他言無用でお願いするよ」
「なんだかドキドキするね」
罫線の引かれた白いノートの上、縦に横に線が引かれていく。まっすぐ水平に引かれた並行の二本の線。それと直角に交差する縦の平行な二本線。その縦の二本線から少しスペースを開けて、左側――アミからみれば右側――に引かれた、これまでよりも間隔の狭い二本の平行な線。こちらは白黒にその間隙を塗っている。
なるほど、これはこの町の地図だ。
水平に引かれた二本の線は、新駅前通りだ。町の東に位置する〇〇線の駅から真西に伸びる幹線道路。そしてこれと交差する、こちらも幹線道路、中央通り。名の通り、この町の中心を南北に貫いている。
二つの幹線道路の交差点から少し南側にあるのが、町の中心部を通る小川。新駅前通りの西端は国道とつながり、町の西側の山へと伸びるが、小川はその山から町の南東に向かって斜めに流れ込んでいる。
この町はこの小川の付近で栄えてきた。その名残が、この小川をはさんで南北に格子状に発展している旧街道だ。
小川と平行に等間隔に、北側は川に近い方から、北一条通、北二条通……で北九条通まで、南側は川に近い方から南一条通から南九条通まで街道が通っている。
そして、これらと直角に計十八の縦の通りが等間隔に通る。町の内から外に向かって、東側と西側にそれぞれ東一丁目通、東二丁目通……東九丁目通と、西に西一丁目通、西二丁目通……西九丁目通。
比較的新しい幹線道路はこれら旧街道を斜めにバイパスする格好となっていて、新駅前通りは旧街道の北側半分の長方形のちょうど対角を貫く。
アミは格子の交点、すなわち旧街道の交差点にチラホラと点を打っていく。
「キミの質素な家にもテレビくらいはあった認識だけど」
「ニュースなら見ている。いま点を打ったのは、これまでに起きた放火や強盗などの発生現場だろう?」
北六条通と東七丁目通の交差点、放火。
北六条通と東五丁目通の交差点、殺人。
北五条通と東四丁目通の交差点、強盗。
北四条通と東六丁目通の交差点、暴行。
北三条通と東八丁目通の交差点、窃盗。
どれも、交差点の角に立地する店や、民家で起きている。
小川の北側、特に幹線道路の中心から見て南東のエリアに密集して発生しているように見えるのは、このあたりが歓楽街であることが何か関係しているのかもしれない。
「ご明察。ここに打ったのは、あくまで公表された情報まで。捜査中、一連の事件への関係性を精査している最中の事件も考慮するとこうなる」
アミは口元で人差し指をたてるしぐさをしたうえで、地図に点を足していく。
北一条通と東六丁目通の交差点、暴行。
追加で一件。そして、北二条通と四丁目通の交差点――。
「マドイの店への強盗未遂、か」
ふっ、と煙を吹きながら天井を見上げた。
これらを一連の事件とみなすならば、それらは見事に歓楽街に密集して起きている。
「概ね一週間前後の間をおいて事件は起きている。事件発生現場付近の聞き込みやパトロールをさせているが、不審者を見かけたなんて情報もなくてね……どう思う、バク屋」
「……わからん。ただ、これまでの経緯を聞くと歓楽街で次も起きそうとは直感的に思うな。勘でしかないが」
これまでの全ての事件が歓楽街で発生している理由はわからない。
推測するなら、黒幕にとって歓楽街がもっとも犯行を実行しやすい――例えばアジトに近いとか――ないしは、歓楽街で事件を起こさなければならない何等かの事情があるから、というところか。
これらの推測を採用するなら、次の事件も歓楽街で起こる可能性が高いだろう。勘の域を出ないのが苦しいが。
だがもっと苦しいのは――。
「ねぇ、スイちゃん。もしかして、歓楽街全部あたる気?」
マドイが心配そうな顔でこちらをのぞき込む。
こういう時、マドイの勘は鋭い。
「……ああ。次も歓楽街で起こりそう、というのは推測できるが、歓楽街のどこで起きそうかまではわからない。それに、アミの話じゃ、現場付近での不審者もいないと来た。どこから実行犯が来ているかもわからない。そいつらに指示している黒幕の場所もな。……非効率で好ましくはないが、こういう時は足で稼ぐしかない。まずは実行犯がどこから来るか抑える。お前の結界術で」
マドイの店に強盗が入ったとき、俺が一服してから向かったことをマドイは察知していたが、これはマドイの結界術によるものだ。
索敵結界。自身の結界内にいる人間を、事前に設定した条件に基づき判別する。
条件の粒度にもよるが、条件をシンプルにすれば索敵範囲はかなり広くできる。
長袖を着ていてかつ汗一つ書いていない人間、に絞ってしまえば、歓楽街の半分とまでは行かないが、それなりに広い範囲を見られるだろう。
歓楽街全てを足で回るという一見無謀に見える俺の作戦は、マドイの結界術があるからこそだ。
「まぁ、そうなっちゃうか。わかった」
覚悟を決めたように、マドイはアイスコーヒーを飲みほした。
アミのグラスに目をやると、そちらも残り少ない。
これから暑い中の巡業を強いる相棒と情報提供者に少しでも配慮の気持ちを見せておくか。
「ある程度範囲を絞れればいいんだけどな」
ウェイトレスに声をかけるべく、店内を見回す。
その時ちょうどカランと入り口の扉が開いた。入店したのは身ぎれいな小柄な男。目が合った。
にこりと微笑み、こちらのテーブルに向かってくる。つかつかとよどみない歩調だ。
俺たちのテーブルの脇に立つと、軽く会釈。
アミが男を見上げて、げっとしたような顔をしつつ会釈をした。
「待ったなしですね」
「は?」
「スクープ待ったなし。いや、その手書きの地図の点ですよ。まだ出していない情報でしょう、それ。奈雲さん」
アミは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
この情報をこの男には知られたくなかったようだ。
「ああ、失礼。私、■■テレビの麦谷 カク(ムギタニ カク)といいます」
突然の来訪者に頭が追い付かない。
アミが嫌味交じりに口をはさむ。
「記者クラブの記者だよ。ウチの広報からの発表をニュースにする人。馴染みのね。……夜討ち朝駆けには時間が違うのではないか」
曲がりなりにも刑事であるアミの指摘に全く悪びれもせず、快活な口調で男――ムギタニは返す。
「南雲さんが何やら神妙な面持ちでお話しされているのが窓の外から見えたものですから。……ははぁ、この方が例のお抱え探偵ですか」
どうやら俺とアミの関係はそういう風に捉えられているらしい。
今回の案件の協力依頼はそこそこ極秘に近かったはずだが……どこからか嗅ぎつけたのだろう。さすが大手メディアの記者は違う。そして、アミはとっさにお抱えの探偵と嘯いた、といったところか。
俺は別に探偵業を掲げているわけではないが、話を合わせておいた方がよさそうだ。
「……頼むから記事にしないでくれないか」
「毎朝毎晩ご挨拶している仲じゃないですか。……他にネタがあれば」
「まったく、いい根性してるよキミは」
ため息を付きながら、ノートとペンをしまうアミ。一気に疲れの色が顔に出たように見えた。
アミは俺とマドイに軽く手をあげ挨拶し、伝票を持ってレジに向かっていった。
それを見たムギタニはアミを追いかける。
と、思ったら立ち止まってこちらに戻ってきた。
「……これから歓楽街に行かれるのでしょう?」
「さすが記者。鋭いですね」
「いえいえ。滅相もございませんよ、探偵さん。お若いのに随分頼りにされているのですね」
「さて、どうだか」
「ある程度目星をつけるとよいかもしれませんね、ほら、円仮説とか。……待ったなしですよ。こう暑いと。熱中症。あ、アミさんもうお店出ちゃった。すみませんね、ごちゃごちゃと。ではまた」
顔に貼りつけたような満面の笑みに寒気を覚えつつ、ムギタニを見送った。




