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02


「よう、いらっしゃい。金出せってね、アンタ、ここはマッサージ店だぞ。金を出すのはアンタの方だ」


 あえて小馬鹿にするような口調で、突然の来訪者に話しかける。

 男は濁った目で虚空を見つめたままだ。


「金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ」


「それしか言えねーのかよ、がっかりだ」


 どうやら話の通じる相手ではないらしい。

 煽るだけ煽って、何かしら口を滑らすことを期待したが、それは望めないようだ。

 やれやれ、しょうがない。先ほどのヤクザと同様、眠らせてコイツの無意識に尋ねるしかなさそうだ。


「マドイ」


「わかってる! 術式イ号!」


 マドイは俺の呼びかけに応じ、印を結ぶ。薄暗い店内、マドイの手に黄緑色の光が灯ったかと思うと、その光は素早く移動し、男全体を包んだ。直後、男の動きが止まる。

 マドイの結界術の派生形、拘束術式だ。


「でかした」


 これで、俺が奴に触れる時間を稼げる。

 武器の類を持っている相手は、こうするのが最も効率が良い。

 先ほどのヤクザは素人だし、話も通じた。心理的動揺を誘えば、触れることなど造作もなかったが、今回の相手は違う。話の通じない、キチガイだと思った方が良い。いきなりバットを振り回されたら敵わない。


「スイちゃん、早く! なんか……この人おかしい」


 マドイが焦ったような口調で急かす。

 探知系の結界を無理矢理に拘束に使っているから、そもそもの強度が足りない。術の出力にもよるが、普通の人間ですら一分も動きを止められたら上出来の方だ。


 息を止め、丹田に力を込める。

 全身に気を巡らせるイメージを保ちながら、右足で地面を蹴り、男に向かって飛びかかる。


 男はウインドブレーカーのみならず、手袋までしている。

 この暑いのに意味がわからない。

 肌を出したくない理由でもあるのか?

 効率的な能力の行使の点からすれば面倒極まりないが、それでも顔は露出している。狙うはそこだ。

 

 未だぼんやりと虚空を見つめる男の顔に向かって手を伸ばす。

 あとほんの十数センチ。

 まさにいま触れると思ったところで――男の顔がにやりと歪んだ。



「嘘」



 マドイの声。刹那、ガラスの割れるような音とともに、男の身体が解き放たれたバネのように躍動する。

 向かって左下、男の右手に握られたバットが、唸りを上げて迫って来る。


「スイちゃん!」


 右手を軌道修正、男の身体を押し、自らの身体を翻す。ぶおんと風圧が頭をかすめていった。

 男がよろめいている間に距離をとる。


「あっぶねえ……。マドイ、強度はいつもどおりか」


「うん、なんならいつもよりずっと強く……最大強度」


「ならば拘束は不可能ということだな。あの細い体のどこにそんな力が……。仕方ない、遠隔法に切り替える」


「でもそうすると」


「多少の書き換えは止むを得ない。バットで殴られるよりマシだろう」


 男はゆらりと立ち上がり、バットを引きずりながらこちらに向かってくる。


「耳を塞げ、マドイ」


 即座に耳を手で覆うマドイ。

 それを横目で確認してから、息を肺に目いっぱいためて、歌う。

 遠隔法の詠唱――無意識に語りかける禁法だ。男は相変わらずこちらに向かって歩を進めている。


 間に合うか……?


 思案したその時、男の動きが止まった。

 そして響く甲高い声。


「ストーップ!!」


 店の入口に、小柄な女が立っている。


「待って、バク屋! その術は使わないでちょうだい」


 女は男の脇をとおり、パタパタと忙しない調子でこちらに駆けてきた。


「それを使われると供述を取るのが本当に難しくなるの。この前はうまく上司を誤魔化せたけど……」


「……だったら早く来いよ刑事さんよ。無垢な一般人の危機だぞ」


「貴方のような一般人がいるものですか」


 こちらの軽口をピシャリといなしたこの女こそ、例の案件を依頼してきた刑事――奈雲 アミ(ナグモ アミ)。化け蜘蛛だ。


 煙草に火をつけながら、男の様子をみやれば、キラリと光るピアノ線のようなものが右腕……いや、全身に巻きついて、店内の柱という柱に括り付けられている。この糸を使った早業こそがアミの能力だ。

 瞬きする間もなかったはずだが……味方で良かったと心底思う。


「助かったぁ……ありがとう、刑事さん。ナイスタイミング」


「ええ、マドイちゃん。怪我はなさそうね、良かった。バク屋に状況を聞こうかと思って来てみたら、ね」


「悪いが進捗はゼロだ」


「あら、珍しい」


 アミは男からバットを取り上げ、手早く手錠をかけた。そして、店内に張り巡らされた糸をいそいそと回収し、同行してきた部下と思わしき警官に男を預け、こちらに向きなおる。

 俺がバックヤードを指さして目配せすると、アミは肩をすくめて、ため息混じりに別の警官を遣わす。未だ眠ったヤクザが担がれて行く。


「なかなか大立ち回りしている割には成果が出ていないのね」


「嫌味かよ」


「まさか。滅相もない。それほどホシが手強いということだ。期待してるよ」


 にこりと微笑むアミ。

 まったく、調子が狂う。


「実際に実行犯に会うのは初めてでしょう? 時間をかけてもいいから、じっくり覗いてみてくれないかしら」


 夢のことを言っている。

 夢は無意識に蓄積するその人間の経験した五感すべての発露であるから、それを見ることで、黒幕に繋がる情報を引き出せないか、と言っているのだ。


「ああ、そうさせてくれ。さっきは触れなかったからな。見れてない」


「……ああ、長袖だから。……しかし、今回も厚手の服を着ているのね。この暑いのに」


 まて。いま、聞き捨てならないことが聞こえた気がする。


「なんだって?」


「今回も、この前も、その前も。真夏にも関わらず、実行犯は必ず厚手の格好をしているの。汗ひとつかかずに」


「……ねぇ、それって」


 マドイが顎に手を当てて思案している。おそらく俺と同じことを考えているだろう。

 夏という状況下においてその情報は実に有益だ。


「そういう情報は早くくれないか。こっちには探知のプロがいるんだ」


「……あ。いやしかし、一般人だし」


 アミも気付いたようだ。

 しかし、少し躊躇いの色を見せる。

 すかさずマドイが切り返す。


「スイちゃんだって一般人ですよ、刑事さん」


「ま、こんな一般人いないけどな」


 吐き出した煙の向こうに、くすりと笑う顔が二つ見えた。


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