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01



 ジリリリリ――。

 畳の上で、黒電話が鳴った。

 煎餅布団を抜け出して、右手で受話器をとる。耳に当てる既のところで、つんざくような怒号が聞こえた。


「おう、てめえ! どこにいやがる! うちの〇〇が随分と世話になったらしいなぁ!」


 ……はぁ、またか。

 こういった連中は先月調査ついでにひとしきり駆除したはずなんだがな。いくら潰しても、忘れた頃にまた埃のように湧き出てきて困る。もう奴らのブツは喰い飽きたというのに。


「〇〇さん? はて? 心当たりがありませんね。人違いでは?」


「あ? なめてんのかコラァ! とっくに調べはついてんだよ! バク屋ァ!」


 ……ちっ、通り名まで知れている。シラは切り通せないか。

 しかし、その名で呼ぶということは――あの女狐か?


「なんだ、あがってんのか。仕方ないな。どこだ? あのオンボロマッサージ店か?」


 行きつけの――というかほぼバイト先の店をいたずらに悪く言ってみる。電話口にいるであろうヤツを釣るためだ。

 案の定、応えたのは甘ったるい声だった。


「もう! ひどいよ、スイちゃん! そんなふうに思ってたなんて心外だな!」


 ……名前を呼ぶなよ。ヤーさんの前で。何のために通り名を使ってると思っているんだ。


「あっ、てへ。けどスイちゃんなら大丈夫でしょ? 食べちゃえば」


 まぁ、それはそうなんだが。

 ……さて、場所は割れた。後ろで鳴った古時計の音が、仕事中に何度も聞いたそれそのものだ。


「おめぇら、何をごちゃごちゃとくっちゃべってやがる! 状況わかってんのか!」


 しびれを切らした男の怒号が響く。


「わかったわかった、すぐ行くから。ほら、受付の横に冷蔵庫があるだろう、五〇〇缶が入っているから二、三本取って飲んでろ。そいつが空く前には着くから」


「……ここ、本当にマッサージ店か? まあいい、もし来なかったら……」


 最後まで聞くまえに受話器を置いた。

 行かないわけがないだろう。


 いくら喰い飽きたとはいえ、馳走は馳走なのだから。


   *


 寝間着を脱ぎ捨て、そこら辺に掛けてあったTシャツとジーンズを適当にひっつかみ着替える。髪は寝癖がついたままだが、すぐそこだしまあいいだろう。かかとがすっかり潰れてしまったスニーカーにつま先を滑り込ませ、つっかけのようにしてアパートを出た。


 じとりとした湿気を肌に感じながらドブ臭い路地を抜けて、昼間でも薄暗いシャッター通りを横切り、猫が通るような脇道を潜れば、この町一番の繁華街に出る。時刻は午後三時を過ぎたころ。夜の住人の活動時間には些かはやい。まだこの町は眠っている。


 中心部の小川に掛かる橋を過ぎたところで、起き抜けの煙草をまだ吸っていないことに気が付いた。悲しきかな、喫煙者はどんな起きかたをしても、起き抜けのたばこは吸いたい。

 ポケットをまさぐるのが早いか、歩くのが早いか、橋から1区画過ぎた煙草屋の前の喫煙所に立ち寄った。

 知り合いを人質に取られておきながら何を悠長に、と自分でも思うが、吸いたいのだから仕方がない。それに、あの女狐も――怪しい家業をしてはいるが――堅気は堅気だ。俺を呼びつけるダシにはされようと、命までは取られまい。

 

 マッチを擦って、煙草の先にあてがう。苦く甘い香りが広がった。

 すっと一口吸い込んで、のどを押し込む感覚を味わい、一息とめてから、煙を吐く。

 前に吸ってから時間が経っているからか、少しだけくらりとする。


 ニコチンを摂取して落ち着いた脳みそでぼんやりと思案する。直近の案件についてだ。

 どうも最近、この町で物騒な事件が後を絶たない。暴行、強盗、放火、はては殺人まで重要犯罪のオンパレードだ。人口の割に重要犯罪の少ないこの町で、およそ一年前からその数は五倍にまで増えている。


 相談主の――マル暴の刑事――が言うには、検挙されているのは反グレで、年齢、職業など容疑者の特性に一貫性は見られないが、本地域での事件発生頻度の度合いを見るに、この地域に特化した何かしらの意図があり、裏でこれらを操る存在――例えば本地域周辺に根付く暴力団の暗躍が疑わしいが、捕まえた人間を問い詰めても、起訴できるか怪しい程度には精神が錯乱していて、全くその実態を掴めていないどころか、その黒幕のしっぽすら掴めていない、とのことだ。


 そのような困窮具合であるからこそ俺のようなアングラな人間にまで協力依頼が来るのだろうが、世も末、という所感を禁じ得ない。

 

「ま、なんにせよ、まずは目の前のゴミを片付けないとな。そいつもなんか知っているかもしれないし」


 面倒な依頼から目を逸らすように自分を言い聞かせ、煙草をもみ消した。


   *


 ――カランカラン。

 いくら聞いてもスナックの入り口につけられたそれにしか聞こえない鳴り物の音を浴びながら、ほぼバイト先の「マドイマッサージ店」の扉を潜った。

 営業時間は午後5時から。ゆえに受付、そして待合室に人気はない。しんとした店の奥の方、バックヤードで一瞬がたりと音がした。あの電話口の男がいるのだろう。あと女狐――マドイもそこか。


 ふっと息を吐き、腹に力を籠める。

 目をつむり、丹田から全心に気を巡らせるようなイメージで意識を張る。


 ――どれ、いっちょやるか。


 唾を飲み込み、一息にバックヤードに飛び込む。

 直後、蛍光灯の薄暗い白光のなか、ぎらりと銀色の影が正面から迫ってきた。

 それは俺の首もとでビタリととまり、ぎらついた刃を肌筋に立てている。


「おいおい、大きな口を叩くわりにたいしたことねぇなあ! もし俺が止めてなかったら死んでたよぉ、バク屋さんよぉ!」


 センスを疑うような派手なスーツを纏った男が、短刀を振りかぶり、俺の首もとで止めていた。

 電話口の男だ。声が同じだ。口を動かすたびに漏れる臭い息が非常に不快だった。


「どうせ殺す気も、その度胸もないくせによく言うな。本当に殺す気なら、店の入り口の陰に隠れて、俺が入った瞬間にやるだろう。それをしていない時点でお察しだ」


「……うるせぇ! 殺す覚悟ならできてらぁ! やっちまう前に俺の弟を、〇〇を潰してくれたことの詫びをきかねぇと気が済まねぇからこうしてるんだ」


 ……はぁ。それこそ正面からではなく、後ろから刺して動けなくしてからいくらでもできただろうに。

 それに……俺の通り名を聞いておきながら、それに対する策も用意していない。

 本当に三流だ。下っ端か?


 まぁ、いい。

 どんな素人であれ、容赦はしない。


「はいはい、そうですか。ところであんた、俺のことを、バク屋と呼んだな? この名を聞いたとき、教えてもらわなかったのか?」


「あ? 一体何をだよ」


 右手の親指の腹で短刀の刃筋をなぞる。良く研いである。さっくりと切れて血が滴った。

 その右手で血をこすりつけるように、短刀を握る男の手首を掴んだ。

 男はぎょっとした顔で目を見開いている。幾ばくかの恐怖が滲んでいた。


「――俺は獏。バク屋……白夜 スイ。夢喰いだ」


 男の膝が落ちる。

 短刀を握っていた手から力が抜ける。


「……お、おま……え…………一体何を…………」


 焦点の合わない目で、こちらを向く男。

 ぐらぐらと船をこぐ頭を必死に支える首筋に粟が立っている。


「お前の夢を対価に。死ぬほどの悪夢、見せてやるよ」


 男はどさりと倒れこむ。


「ようこそ。俺の(夢の)世界へ。ゆっくりしていけよ。お前が壊れるまでな」


 しんと静まる部屋の中で、男の苦しそうな寝息だけが響いている。


   *



「もう! 本当に怖かったんだから! なんですぐ来てくれないの! 途中煙草なんてふかしちゃってさぁ!」


 目の前の女がぷりぷりと怒っている。

 今野 マドイ。この店、マドイマッサージ店の店主だ。妖狐でもある。尻尾はない。

 ある事情から人間の世界で暮らしている。さまざまな術を駆使して、人に触れ、生気を吸って生きている。生気を吸うのに、肌に触れた方が効率が良いので、マッサージ店なのだそうだ。

 女狐、という呼び方はその正体を指して言っているあだ名だが、その容姿も女狐という言葉から連想される程度には整っていて妖艶である。故にこのマッサージ店には男性客が多い。


「本当に便利だよなぁ、お前のその結界術。結界内の人間の行動を見れちゃうんだもんなぁ」


「えへ、すごいでしょ! ……じゃなくて!」


 中身は年相応に抜けているが。


「本当に困っちゃうよ。スイちゃんがあの刑事さんの協力依頼を受けてから、こんなのばっかり。先月だってさぁ、マッサージ中にいきなりお客さんが怒り出して」


「まぁ、組織を半分くらい潰した男が出勤してきたら誰でもそうなる。ヤのつく人はお断り、とでも書いておけばいいんじゃないのか」


「それをしちゃったら売り上げとご飯が」


「やつらも重要顧客とかどんな経営だよ」


 軽口を叩いてはいるが、マッサージという名目で、夢を喰って腹を満たしているのは俺も同じだ(そのときは悪夢は見せないけれど)。経営に口など出す気はないし出す意味もない。

 ”汚い金”はあるが、生気と夢に汚いも糞もない。ヤのつく人間だろうが、聖人君子だろうが等しく客(餌)だ。


「……なんかわかった? あのおじさんから。夢から無意識を通して引っ張れるでしょう?」


 バックヤードをみやりながらマドイが問う。


「なんにもないね。見立て通りあいつは下っ端も下っ端だ。例の案件にかかる情報は持ってない。困っちまうよなぁ、来月には調査報告しろってあの刑事は言うが、今のところ進捗ゼロだ」


 思わず頭を抱えてしまう。

 先月のチンピラどももそうだが、腹は膨れど、肝心要の情報が出てこない。

 ヤクザ組織が裏に噛んでいるのなら、ハナからそいつらを狙って嗅ぎまわればそれなりの調査報告は作れるだろうと高をくくっていたが、とんだ筋違いだった。

 

「はぁ、どうしたもんか……」


 ため息をつきながら煙草に手を伸ばしたその時、店の入り口が乱暴に開いた。

 この暑いのに、ウィンドブレーカーに身を包んだ男が、バットを片手に立っている。


 やせこけた頬、くまだらけの目元。その目に覇気はなくぼうっと虚空を見つめている。 


「金出せ。金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ金出せ」


 無精ひげの生えた口元をわなわなと震わせながら、壊れたロボットのようにぼそぼそと繰り返している。


「スイちゃん、この人もしかして例の……」


「……ツイてるな。これだよこれ。カモがネギしょってきた」


 時刻は午後5時。夜の街が動き出した。



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