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一夜明けての諧謔曲《スケルツォ》2

 ケイに睨まれたことなどものともせず、リシェルは即座に言い返した。


「あんた、なんでここにいるのよ。なんで逃げてないの。落ち合い場所に時間通りに私が現れなかったらひとりで組織に戻るって、そういう手筈になってたでしょう。今からでもいいから、さっさと逃げなさい」

「そのことなんだけど、逃げられねぇんだわ。今回は」

「は? どういうこと?」

「いつもなら片方が来ない場合は見捨てて、ひとりでも逃げるって規則だけど、今回はイレギュラー。リシェルが来なかったら一度離宮に戻れって、神父様に言われてる」

「はぁ!?」


 思わずあげてしまった声は、思いの外寝室に響いた。


「聞いてないわよ、それ」

「言ってねぇからな。神父様に口止めされてたし」

「なんでまたそんな命令……」

「知らねぇよ。演奏家(ころしや)のオレたちに、上の事情まで降りてこないのはいつものことだろ」


 すっかり素を出しているこのメイドは、当然ながらメイドが本職ではない。リシェルが敗戦国の伯爵令嬢に扮しているように、ケイもまたメイドに擬態している。擬態ついでに性別も偽っている。ケイの本性は十二歳の少年だ。


 口汚く組織のトップを罵りつつも、怪しまれない程度のメイドの振りはするつもりらしい。顔を拭くために湯に浸した布巾を絞って、軽く投げつけてきた。


「それより、いったいどんな首尾だったのさ。まさか皇子の手練手管にアンアン鳴かされて、殺すの忘れたか?」

「ば……っ! そんなわけないでしょ!? 言い方!」

「じゃあなんなんだよ。時間もねぇんだ、さっさと報告しろ」

「……失敗したのよ」

「は……?」

「だから……! 失敗したんだってば! “黒鍵”秘伝の祝福の香が効かなかったのよ!」


 苛立たしくそう告げれば、さすがのケイも一瞬ぽかんとした。


「え、マジ? っていうか、使うことは使ったんだよな?」

「使ったわよ。だけどあのほとんど無臭の香りに気づかれて、そのあと一度眠りはしたんだけど、すぐ目が覚めて、それで、“僕には毒はほとんど効かないんだ”って言われて。そのままさくっと意識を落とされて終了したわ」

「ちょっと待て、香が毒だってバレたのか!? なのになんでおまえ無事でいるんだ!!」

「知らないわよ。でも一応警戒はされてるわ。ほら」


 そしてリシェルはシーツをめくり、両足につけられた足枷を見せた。短い鎖で繋がった足枷のせいで歩くのは難しく、移動しようと思ったらぴょんぴょん飛んで動かなければならないという状態だ。


「え、こんな足枷(オモチャ)で許されてんの? 暗殺しようとしたのに? っていうか今、めちゃくちゃ危険な状況じゃねぇか!」

「だから言ったでしょう! あんただけでも早く逃げてって! もしかしたらあんたを泳がせて組織を特定しようとしてるのかもしれないけど、ケイならうまく巻けるでしょ」

「だから言っただろうが。ひとりで逃げられねぇって。今かオレに出された命令は、“何があってもリシェルと共にいること”なんだよ。だから逃げるなら一緒じゃなきゃ許されねぇ。命令は絶対、だ」


 言っている間にもケイが頭からピンを抜いて、足枷の鍵を外してくれた。あっという間に自由になった足で立ち上がれば、彼がまたしても眉を顰めた。


「それにしてもおまえ、ほんとに早々と落とされちまったんだな。着替える隙も与えられなかったってか」


 ケイの指摘にリシェルははっと自分の姿を見直した。薄手の夜着は確かに昨晩、初夜のために着込んだものだ。だが彼女はディランがわずかに眠った隙に、いつものボディスーツに着替えたはずだ。


 カッと目を見開いてベッドの下を覗いてみれば。


 そこにはリシェルの制服とも言うべき着替えが丁寧に畳まれてあった。引っ張り出してみると、着替えの上にメモが置かれていることに気づいた。


『この格好だと寝苦しそうだったので着替えさせておいたよ。初夜に寝乱れた妻の衣服を整えるのも夫の務めだと、“夫の心得”の教本に書いてあったからね』


 まるでディランそのものの口調の置き書きに、リシェルの手がわなわなと震えた。


 リシェルの昨晩の役割は「初夜の花嫁」である。薄手の夜着(せんとうふく)は、そういうコトをする前提のもので、従って胸当てはつけていなかった。


 今もまた開放感のある豊かな胸元に手を当てて、かろうじて下履きだけは履いていた自分を褒めてやりたいと思いつつ、もう片方の手でディランが残したメモをぐしゃりと握り潰した。


「…………殺す。絶対殺す。私の胸を見て触るなど、万死に値する」

「え、初夜ってそういうもんじゃね?」

「うるさい!」


 だが戦況はかなりよくない。立て直しを余儀なくされた状況で、まずすべきことは勇気ある撤退だ。


 リシェルが乱暴に着替えに手を伸ばし、ケイもまた着脱可能式に改造していたメイド服のスカート部分を切り離して、万全の体制を整えたのちに、昨晩同様バルコニーのガラス扉に手をかければ。


「リシェル。待ちきれなくて朝食を持ってきたよ。今朝の食事はバルコニーに準備したんだ。ちょっと寒いけど、陽もとっくに高くなっているから大丈夫だよね」


 勢いよく開け放ったガラス扉の向こうで、彼女の夫がにこやかにティーポットを掲げていた。


「リシェルはコーヒー派かな紅茶派かな? 僕はコーヒー派なんだけど、妻の好みに合わせるのが夫婦円満の秘訣だって、“夫の心得”の六十五ページに書いてあったから、今日は君の好きな方を頂くことにするよ」


 湯気をたてるポットと完璧な朝食を前に、リシェルの薄いお腹がきゅるきゅると平和な音を立てた。



*****

諧謔曲スケルツォ

早いテンポと軽快なリズムが特徴的。三拍子の曲が多い。

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