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軍神殿下と暗殺令嬢は、愛することをまだ知らない(旧題:死にたがりな貴方と殺したがりな私の輪舞曲)  作者: ayame@アンジェリカ書籍化決定


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愛とはなりえなかった間奏曲《インテルメッツォ》

 ヴィクトリアの記憶にある一番古いディランの姿は、出会いのときのものだ。年が近いというだけの理由で父に引き合わされた彼の第一印象は、今も鮮明だ。


 白い髪に赤い瞳が煌めく、神々しいほどに美しい、十三歳の少年将軍。どこか壊れそうな気配を纏う彼の相貌の奥には、ひどく歪んだ光が見え隠れしていた。


 その仄暗い美しさを、ヴィクトリアは“孤独の影”だと勘違いした。自分なら彼に寄り添い、救えるはずだと信じていたし、逃げるように距離を置こうとする彼を、その哀れさごと包み込むことが、崇高な“愛”なのだと思い込んでいた。


 なんと愚かで未熟だったことか。何ひとつなし得ず、身体の自由まで失ったこの結末は、ただの自業自得でしかない。


 苦い思い出に浸りながらも、手元の文献の文字を必死に追う。だが一行たりとも頭に入ってこない自分に気づいて、ヴィクトリアは眉間を指で揉みほぐした。


 夜更けの書斎には紙の擦れるかすかな音と、燭台の火が作る仄かな灯りだけが満ちている。


「お嬢様、そろそろ休まれた方がよろしいのでは」

「……いいえ。まだ目は冴えているわ」


 背後に立つ男の影が伸びてきて手元を覆った。振り返るとこちらを心配そうに見つめる瞳とぶつかる。男爵家の出身であり、ロートレイ家の私設騎士でもある彼は、事故に遭ったあとからヴィクトリアの側仕えとなった。本来ならば侍女をつけるべきなのだろうが、動かぬ左半身を支えるには男手の方が都合が良かった。


「呪いに関することで、見落としていることがあるかもしれないの。休んでなんかいられないわ」


 そう言い訳しながら、本当は昼間謁見したリシェルとの会話が忘れられず、眠れそうにないのだという事実を押し込める。


『僕に近づかない方がいい』


 幾度となく忠告されても、ヴィクトリアがディランの言を聞き入れることはなかった。自分は大丈夫だと根拠のない自信をみなぎらせ、彼を誘って堂々と外出し、長じてからは「貴方のために呪いを解明してみせる」と傲慢に言い切った。


 母親や乳母夫婦、庭師たちが、幼い彼を慈しみ愛したゆえに命を落としたと知ったあとでさえ——自分は平気だという無謀な思い込みから醒めることはなかった。


 そして、あの事故。


 動かない左半身を目の当たりにして、ヴィクトリアは絶望の闇に沈んだ。あの頃は息をすることさえ億劫だった。事故後数ヶ月の記憶が今でも抜け落ちているのは、生きる気力を失っていたからだろう。


 そしてヴィクトリアが寝たきりになっている間に、彼女の無知と傲慢はディランをさらに窮地へ追い込んだ。


——呪われた皇子の側にいると死ぬ

——ロートレイ侯爵令嬢もまた、無事では済まなかった


 悪意ある噂により、自分は確固たる証拠にされてしまった。


 後悔という言葉では足りない。申し訳なさ、居た堪れなさ——あらゆる負の感情に苛まれる中で、それでも立ち上がろうと思えたのは、ディランへの贖罪のためだ。


「彼のせいではない」と伝える術がないまま、ヴィクトリアはリハビリに没頭した。伴う痛みや苦しみを罰として受け入れた。皮肉にもその努力が、左足にわずかな反応を取り戻させることになった。


 運命の悪戯か、それとも——まだ自分にもできることがあるという天啓なのか。


 車椅子の操作にも慣れた頃、ディランが結婚すると知らされた。


 かつて自分が立つかもしれなかった場所が、別の女性のものになる——。ざわりと粟立つ胸を抑えながらも、相手となる女性が彼の心を慰めてくれる人であってほしいと願った。彼の背負っているものの重さを少しでも分かち合ってくれる人であれば、ディランの孤独は薄まるのではないかと期待した。

 

 だが同時に思い出したのは、“呪われた皇子を愛した者は死ぬ”という呪いだ。彼の側に立つ女性は自分のように命の危険に晒されることになる。それを知っていながら願うのは、はたして許されることなのか。


 期待と恐れと、相反する感情が入り混じる中、皇太子妃ナタリエの紹介で初めて会ったリシェルは、はっとするほど艶やかで生命力溢れる女性だった。


 あまりに美しく生き生きとした姿を前にして——どうしようもなく苛立ってしまった。


 愛していないなら、彼の側に立たないでほしい。


 愛しているなら、無事なはずがない。


 傷一つついていない、綺麗なままの彼女が意味することは、あまりにも明白だ。


 込み上げてきたのは怒りか、嫉妬か——あのときはいろんな思いが混ざり合って判別がつかなかったが、今となってはわかる。あれは、愚かで哀れなヴィクトリアの、自尊心の叫びだった。


(私が言える立場でなかったのに……)


 事故から目覚めて、身体の自由を失ったと知った瞬間、ディランの側にいることを恐れてしまった。それだけではない、手厚い看護と警備に守られる中で抱いた疑問は、元からこれが愛だったのかということ。幼き彼の周囲にいた人々と違って、自分は幸いにも死なずに済んだ。それが物語ることは何か——答えはすでに出ていた。


 自分にない愛をリシェルに強いるのは間違っている。そう思いながらも、つい彼女を責め立ててしまうのを抑えられなかった。その自責の念も癒えないうちに、ディランが出征先で誘拐されたという報が届いた。


 急ぎ帰国した父とともに訪れた離宮でも、リシェルは無事なままだった。ただその顔色は紙のように白く、より鋭くなった美しさがヴィクトリアや父侯爵を責め立てんばかりだった。


 彼女はディランを心配している。でも、まだ生きている——その不均衡な事実に、ヴィクトリアの心が激しく揺れた。


 自分はきっとリシェルのことが好きではないのだろう。ただ、ロートレイ家のパーティで、悪辣な揶揄に晒された自分のことを毅然と庇った彼女が、清々しいほど美しかったのは本当だ。そんな彼女の手を弟から掠め取っていったのは、ヴィクトリアが長年哀れだと思ってきた、ディランその人だった。


 二人が踊るワルツは、一幅の絵画のように麗しかった。


 彼らの間に流れる空気と時間——当人ですら気づいていないその萌芽につける名前に、ヴィクトリアはあのとき辿り着いていたのかもしれない。

 

(殿下が期待したのは、私ではなくリシェル様だった)


 自分よりもずっと深く速く、呪いの本質に届いていた第一皇子妃リシェル。そういうことだったのですねと、思わず漏れた呟きは誰に聞かせるものでもなく、己の言動が空回りしていたことに対する諦念だ。


 そしてそれはヴィクトリアの身にようやく訪れた、確かな終止符となった。


(私の立てなかった場所に、あなたが立たれたのですね、リシェル様)


 その場所は、ほかの誰でもない、ディラン自ら用意した場所だ。


 そう気づけば、胸の痛みやつかえがすっと溶けていった。


 自分が仕出かしたことを、ディランに赦してほしいとは思わない。ただせめて彼の役に立ちたいと思った。だからヴィクトリアは残りの人生のすべてを、呪いの解明に費やすつもりだ。傷物令嬢が社交場に復帰した理由はただひとつ、彼のためだが、今そこに彼が選んだ、傷ひとつない美しく強い女性を加えてもいいと思っていた。


(二度と殿下に失わせたりしないわ)


 そして、好きではないと思ったリシェルにも。


 妃殿下として自分の前に現れた、ありし日の彼女の姿を思い出しながら、手元の文献に視線を戻す。蝋燭はじりじりと短くなっていくのに、文字はなぜか霞んだままで、少しも読み進められない。


「……やっぱり今日はもう休もうかしら」

「それがよろしいかと思います」


 付き添いの彼に支えられて立ち上がると、左足がかすかに震えた。立てるのはほんの短い時間だけ——それでも、かつて失ったと思った感覚が戻りつつある。


(——いいえ。失ってもまた、取り戻せばいいのよ)


 ディランは今行方不明だ。リシェルは彼を探しに行く決意をした。そして自分は——まだ彼を救えなかった人間のままだ。


 せめて今度は間違えずに歩きたいと、左足に力を込める。蝋燭の火に背を向けて車椅子を進めれば、深夜零時を告げる時計の音が、ヴィクトリアの背中を静かに追いかけてきた。


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