愛を試された無言歌《リーダ・オーネ・ウォルテ》3
ロートレイ親娘を見送った後、ケイを従えたリシェルはアゼルを振り返った。
「あなたは呪いについて、すべて知っていたのね」
「はい。殿下にお仕えすることが決まった際に、教えていただきました」
リシェルが知らされた「呪われた皇子を愛する者にしか殺せない」という呪いと、ヴィクトリアが自力で辿り着いた「呪われた皇子を愛した者は皆死ぬ」という呪い。その二つを知りながら、アゼルは呪いに悩む自分たちをただ俯瞰して眺めていた。そのことに不思議と怒りは湧いてこない。
「他に知る者は?」
「私の知る限りおりません。皇妃陛下もお気づきではないと思われます」
ロクサーヌは“呪われた皇子の周囲ではよく人が死ぬ”との偽りの噂をばら撒いていた人だ。もし彼女が呪いの真実に辿り着けていたら、もっと違う手段でディランを殺しにかかっていただろう。
「……ヴィクトリア嬢が言っていたことは、本当なの?」
ディランの母親や乳母夫婦、庭師が死んだという話は、リシェルも過去に耳にしたことがあった。彼らの共通点は確かに“ディランを愛した”ことだ。
「私がお側にお仕えする以前の話ですので、直接確認のしようがありませんが、少なくともディラン殿下はそのように認識しておられました。呪いについて最も理解されている方ですから、間違いないと思われます」
「“愛する”というのは、何も男女の恋情に関わる話だけではないということなのね」
「そのようです。呪いが何を基準に発動するのか確かではありませんが……たとえば私や離宮の使用人たちは、皆、殿下に忠誠を誓っています。己が命より殿下を優先する気でおりますが、呪いは発動していません。ロートレイ軍団長も同じです」
アゼルの言葉は、先ほどロートレイが去り際に告げたことと一致していた。
「殿下の御身について、何よりも大事に思っていたつもりですが、私に呪いは降りかかっていません。愛がどうこうといっても、何か基準があるのかもしれませぬ」
第一軍団長として、侯爵家当主として、数少ないディランの味方であり続けた彼は無事であり、娘であるヴィクトリアは呪いの犠牲になった。ヴィクトリアは男女の情愛を殿下に向けていたと本人が認めているが、母親やその他の人間は違うはずだ。
亡くなった母親、乳母夫婦、庭師の老人、そしてヴィクトリア。彼らの間に何らかの共通点が存在するということなのだろうか。
「ほかに呪いの犠牲になった人はいないのかしら」
何気なく呟けば、アゼルはあっさり肯定した。
「あの殿下のご尊顔です。過去にも近づいてくる女性は後を絶ちませんでした。派閥争いから遠い家門の出だったり、根拠のない自信家だったり。その者たちがどうなったか……皆、ヴィクトリア嬢と似たり寄ったりの運命を辿りました。誰ひとり、殿下のお側に残らなかったのです。殿下を愛した女性たちは、自らの手で殿下を殺さねば、自分たちが死ぬんです。それこそが——慈愛の女神の呪いです」
それは無限に繰り返される愛情の連鎖かもしれなかった。誰かがディランを愛しても、その者は命を落とすか、不幸に見舞われ、殿下の側を離れていく。愛した上で己を守ろうと思えば、彼を殺すしかない。運良くディランを殺せたとして、愛する者を死に追いやった苦しみが浄化されるはずもない。
エルネスト皇家の人々は愛することを知らない。ディランもまた、誰かを愛せない。その上で、愛を返してくれない相手を愛して死んでいくか、愛を抱いたまま相手を殺すか——究極の選択を喉元に突きつけられて、その者の心がはたして無事かどうか。
噛み合いそうで噛み合わない、終わりなき呪い。繰り返す輪舞曲のように主題を次々と変えても、結局元へと戻される。この愛は永遠に一方通行であり、実ることがない。慈愛の女神はなぜこんな愛を求めたのだろうか。
その呪いにただ一人立ち向かい続けたディランの心の内を推し量ることなど、リシェルには出来そうになかった。ただ、彼が「死にたい」と打ち明けた理由だけは、何よりも明確に浮き彫りになった。
自分に愛情を向けてくれた者たちを次々と失う人生に絶望し、死にたいと望んだ。これ以上、自分のことを不用意に愛した者たちが傷つかないよう、自分が消えてしまえばいい。
愛を知らぬからといって、他人を思いやれないわけではない。現に彼は命を賭してリシェルを救おうとしてくれた。リシェルに——死んでほしくないと思ってくれた。
震える手で、受け取った黒いカードを眺めていると、アゼルが「リシェル様」と名を呼んだ。ひとつだけ残された黒い瞳がいつになく真剣だった。
「殿下を愛そうとしても、殿下の恋人にまでなった者はいませんでした。そこまでして彼の側に居続けた……いえ、殿下がお側に置き続けた方など、誰も。あなたが初めてなのです、リシェル様。だから私は、あなたに賭けてみようと思ったのです」
眼帯にかかる長めの前髪を振り払うように、アゼルが深く頭を下げた。
「どうか殿下をお救いください。私は、本当はあのお方に死んで欲しくなどないのです」
ディランの忠臣として、彼の望みが叶うようにと口にしながら、心の中では彼を裏切り続けていたのだと、アゼルは唇を噛んだ。その不忠義こそが、自分に呪いが発動しなかった理由ではないかと分析しながらも、どうにもできずに日々を過ごすしかなかった彼のことを、リシェルはまたしても責める気になれなかった。
ヴィクトリアにアゼル、そしてリシェルの気持ち——。ディランはそれを知っているのだろうか。死ぬことと天秤にかけながらも、決して切り離すことができない彼の手を、こんなにも待ち望んでいる者たちがいるというのに。
彼の身柄は聖主国にある。待っているのはマキシム神父だ。
死を弄んではならぬと繰り返し説いてきた聖主国の神父が、なぜこれほど回りくどい手を打つのか。リシェルの至らなさに腹を立てたとして、帰還命令を出せばすむところを、ディランの誘拐という手の込んだ譜面を準備するあたり、何もかもがいつもと違いすぎた。
(思えば初めからおかしなことだらけだったのよね)
周到に準備をして望む演奏旅行に、ここまでの不協和音が混ざることは少ない。何よりあのマキシム神父がこれほど穴のある譜面を用意するはずがない。
そこから導かれる結論は、ただひとつ。——これも彼の譜面どおりだということ。
ならばリシェルがとる行動もひとつきりだ。
「とびきりの演奏を聴かせてもらおうじゃないの」
楽器も演奏家も会場も譜面も、最初から嘘だった。本当の演奏はまだ始まっておらず、未だ観客が集うのを待っている。
(アゼルやヴィクトリアのためじゃない、私が、行きたいから行くのよ)
特等席の黒い招待状、その流麗な白い文字を指でなぞれば、耳馴染みのある黒鍵の尖った響きがどこからともなく聞こえてきた気がした。
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無言歌
「言葉のない歌」という器楽曲。ピアノ曲が多い。抒情的な旋律が特徴。




