愛を試された無言歌《リーダ・オーネ・ウォルテ》1
人気のない離宮の廊下を、リシェルは早足で歩いていた。スカートを摘み、ハイヒールを打ち鳴らさんばかりの勢いで進む彼女の後を、ケイが無音でついてくる。二人して急いで向かった先は、離宮の客間だ。
ノックもそこそこに部屋に飛び込んだリシェルは、一瞬だけ目を見開いた。堂々とした体躯が目を引くロートレイ第一軍団長の姿は想定内だ。面会の申し込みがあった彼を待ち侘びていたのだから。
だが彼の傍にある車椅子姿の女性については予想もしていなかった。なぜヴィクトリアが、と思ったが、追求している暇も惜しかった。
「リシェル妃殿下、突然の訪問、大変失礼いたします。また娘が同席しておりますことも……」
「構いません。それで、ディラン殿下の行方は?」
「相変わらず不明のままです。事前に報告申し上げたとおり、ラモル王国を行軍中の野営の最中に敵方の急襲を受け、応戦虚しく殿下を連れ去られてしまいました」
「ラモル王国は友好国ですよね。それなのに襲われたというのですか?」
エルネスト皇国と国境を接するラモル王国とは、地理的な事情もあって国交が盛んだ。長い歴史の中で敵対した時期もあったが、ここ百年ほどは良好な関係を築いている。
「まだ調査段階ではありますが、今回の襲撃にラモル王国は関係しておりません。ロクサーヌ皇妃陛下へもそのように報告申し上げましたところ、納得されておりました」
ディランにとって宿敵と言ってもいいロクサーヌの言など当てに出来ぬと言いたいところだが、あれでいて外交手腕には長けている彼女のことだ。ディラン憎しとは別で状況の正確な把握には努めていることだろう。
今回急襲を受けたのは本軍を先行していた先発隊だ。なぜそんなところにディランが紛れていたのかと思ったが、“絶対に死なない”と言われた彼が重要な役目を担うことは過去にも度々あったそうだ。そのたびに軍のナンバー2であるロートレイ第一軍団長が本軍を臨時に率いていたという。
「もちろん、状況を選んでの話ではあります。今回はラモル王国内ということで危険も少ないだろうと、私も殿下の発案に応じました。それがまさかこんなことになるとは……ひとえに我々部下の不得の致すところ。進軍を一時停止し、報告のために私が馳せ参じた次第です」
巨体を縮こまらせるようにして謝罪する彼の態度からは、怪しい点は読み取れない。だがリシェルは目を鋭くして彼の一挙手一投足を観察していた。
呪いのことがあるにせよ、ディランが一流の武人であることは間違いない。戦場、暗殺、権謀術数、リシェルの攻撃……これまで幾度も死線を掻い潜ってきた猛者だ。
その彼が、野営中の襲撃に気づかなかったどころか、防戦虚しく敗れ、かつ攫われたというのがどうにも解せなかった。そこになんらかの謀略があったと考える方が自然だ。
たとえば——今目の前にいる男が仕組んだということも、十分ありえるのではないか。
「……状況を説明してください。なぜ殿下ほどの手練れが易々と捕縛されたのか」
「部下の話では、野営中に殿下の天幕が襲われたと。見張りの兵士はほぼ一撃で倒され、殿下はおひとりで防戦されたようです。これはまだ推測の域を出ませんが……相手は訓練された兵士というより、暗殺を生業にしている類かもしれません」
「————!!」
頭を何かで殴りつけられたような衝撃に、リシェルはひとりで耐えた。ここで不安な顔色を見せることはあっても、不審に思われてはならない。
急いで思考を切り替える間に、ロートレイが話を続けた。
「また、部下たちから不可解な報告がもうひとつ上がっています。殿下が……自ら抵抗をやめて捕縛されたようであった、と」
「そんな馬鹿な……」
今回の出陣命令はいつものごとくロクサーヌ皇妃からのもので、内容も理不尽極まりない。必要性の薄い戦争に駆り出された最中、自ら敵に捕まりに行く理由が見当たらない。
リシェルはロートレイを睨みつけた。
「そうやってありもしない噂をばら撒くのには、何か理由があるのではないですか?」
「どういう意味でしょう」
「殿下が自ら捕縛されたことにして、これ以上調査をさせないよう誰かが仕組んだとか。たとえば——あなたが」
ディランは彼を信用しているが、リシェルはそうではない。思惑渦巻くこの王宮で、信じられるものは驚くほど少ない。
その「信じられるもの」の範疇に、いつの間にか入り込んでいた人のことを思う。胡散臭くて、秘密めいていて、規格外で……だがいつだってリシェルに真っ向から向き合ってくれた人。
自分が——殺さねばならない人。
リシェルが突き詰めようとした先で、ロートレイはどこまでも無表情だった。しかし彼の隣で大人しく成り行きを見守っていたヴィクトリアはそうではなかった。
「父は犯人ではありません」
その言い訳を素直に聞けるリシェルではなかった。ロートレイとよく似た視線に標的を切り替える。
「だったらなぜ! 殿下がロクサーヌ皇妃の手の者に自ら投降したとでも? それこそあり得ません」
「皇妃様でなく、ほかの……たとえば殿下の“呪い”に関わる相手だとしたら、その可能性はあります」
「呪いですって?」
この流れで唐突に出てきた話題には違和感しかなかった。だが落ち着いて考えてみればヴィクトリアがここにいる理由について、思い当たる節がない。彼女とリシェルの間にある共通項はディランその人。そして——彼の呪いを知らされているという点だけだ。
彼女はいったい、なんのためにここに来たのか。ディランの元婚約者候補で、彼への未練があるとはいえ、ナタリエほど考えなしな人には見えなかった。
ただの感情的な行動でなく、伝えたいことがあるのだとしたら——その本意を、確認しておかねばならない。
水を打ったように静まり返った場面で、緊張をはらんだ目線を上げたヴィクトリアが、その一石を投じた。
「……聖主国が絡んでいる話かもしれません」
馴染み深い祖国の名の響きが、リシェルの鼓膜を強かに打った。




