死と愛が交錯する幻想曲《ファンタジア》4
エルネスト皇国第一皇子が住まう離宮。その中にある皇子妃用の衣装室で、リシェルは色とりどりのドレスの山に埋もれながら、ため息とも呼べないほどの小さな息を吐き出した。同じ部屋には未だ律儀にメイドの格好を貫いているケイがいて、大量のドレスを一枚ずつ確認して仕分けしながらクローゼットへどんどん放り込んでいく。
「しっかし、腐っても狙われまくっても皇子だよな、アイツ。輿入れしてきて四ヶ月しか経ってないってのに、これだけ大量のドレスや宝石をよくもまあ買い集めたもんだ。リシェルなんかのためにさ」
「リシェルなんかとは何よ、なんかとは」
言い返しながらも、今ひとつ乗り切らない返事にしかならないことに苛立ちながら、リシェルはつい顔を背けた。
毒に倒れた自分を助けてくれた礼も告げられないまま、ディランが戦場へと旅立って一週間が過ぎた。この間、リシェルが何をしていたかと言えば、盛大な引きこもりだ。
夫や恋人が出征した後、残された女たちは泣き暮らしていればいいかというと、そうではない。あちこちで軍人妻や彼らの婚約者たちが主役のお茶会やチャリティパーティが開かれ、割と忙しい日々を送るのが一般的だ。
ことリシェルとなれば将軍の妻として皇子妃として、そうした茶会やパーティを主宰する義務まで担うことになる。軍属派でないナタリエでさえ、出陣式の二日後には内宮で自身の関係者を集めた茶会を開いていた。
ディランが軍人たちのトップに立っているとするなら、リシェルは軍人妻たちのトップだ。夫たちが勇敢に戦い、無事に帰国することを信じて、女たちを激励し、男性陣がいない皇都で軍属派が空中分解しないよう、力を発揮することが求められる。
その役目を——彼女は完全に放棄した。
「それで? いったいいつまでここで“皇子の突然の出征にショックを受けて寝込む新妻”っていうバラ撒いた噂通りに過ごすつもりなんだよ」
密談には衣裳室が最適——大量の布が会話を吸収してくれる上に、アゼルをはじめとした男性使用人は入ってこない——と考えて選んだ場所だったが、せっかくなら完璧に偽装しようということで、ケイはメイドらしく手も動かしながら整頓と相談事を請け負ってくれていた。
「まさか贅沢三昧の皇子妃の身分が惜しくなったってか?」
「馬鹿言わないで。そんなわけないじゃない」
リシェルは貴人向けの演奏家として訓練を受けたが、自身が生粋の令嬢だとは思っていない。たくさんあるドレスと宝石を見ても心が揺さぶられることはないし、そもそも贅沢をしたいとも思っていない。
あまり物を欲しがらない自分のためにあれこれ買い漁ったのはディラン本人だ。初めはサイズが合っているだけだったものが、だんだんとリシェルに似合うものに変化していった過程を思えば、偽物の妻にもったいないほどのできた夫である。ご自慢の教本に、妻へのプレゼントはケチるなと書いてあったのだとしても、ここまで実践できるならたいしたものだ。
そんな彼に返せる唯一のモノが彼を殺すことだというのは、面白くない冗談以上に罪なことかもしれない。
ディランは離宮を去った。次に戻ってくるのがいつになるのかはわからない。
楽器を失った演奏家ほど無様で無用のものはない。
「予定通り……出て行くわ」
ケイとも何度か打ち合わせてきた内容。離宮を離れる決断そのものについては完全に一致している。
問題はその先だ。手を動かしながらも眼光鋭くリシェルを振り返ったケイが話の先を促した。
「それで? いつ決行するんだよ」
「それを悩んでいるのよ。アゼルにもなんて説明しようかって」
隻眼となったがために軍を退役した彼は戦争には参加していない。皇都は皇都で何かと物騒でもあるため、いつも離宮に残っているのだと言う。
「はあ? 何言ってるんだ。皇子サマを殺しに自分も戦場に行くって打ち明けるつもりか? それこそ馬鹿言うな」
手元のドレスを投げつける勢いで、ケイが盛大に顔を顰めた。
「黙って抜け出して、それで終わりでいいだろうが。もともと仲間でもなんでもない」
「でも、変に探られて黒鍵に辿り着かれても困るじゃない」
「辿り着かれるような証拠を残さなきゃいいだろ。元軍人たちの集まりだから多少は使えるが、圧倒的に人員が足りてない。だったら無用の心配だ」
ディランに絶対の忠誠を誓っている者たちを厳選しているだけあって、離宮はあらゆる面で人手不足だ。過去に侵入した賊を取り逃したり自死させたりした点もそれを裏付けている。逃げ出すにも好都合とケイが言うことには一理あった。
過去に何度も狙われた皇子妃が姿を消したとなれば、容疑者はたくさんいる。漏れているはずのない黒鍵に行き着く可能性は確かに低い。
それでも逡巡してしまう理由を、リシェルはうまく言葉に出来ないでいた。礼を言い損ねた罪悪感だけでは説明しきれない思いが、彼女の足を縫い止めている。
そんな彼女の足元を見逃さない譜めくり係ではなかった。
「おまえ、今更殺したくないって言い出すんじゃないだろうな」
「そうじゃないわよ。なんていうか、呪いのこともあるから方法をどうしようかとか、いろいろ考えているだけで」
「は! 殺せないっていうのかよ。らしくねぇな」
舌打ちを隠そうともしないケイが、ついに抱えていたドレスを投げ捨てた。
「おまえの本分はなんだ。黒鍵所属の演奏家だろうが。組織を——神父様を裏切るのか」
「まさか……!」
慌てて首を振ったものの、ケイの剣呑な目線は少しも揺るがなかった。
「何を勘違いしてんのか知らねぇが、ここはおまえの居場所じゃない。皇子サマの隣に立てたのは、おまえが演奏家だからだ。そうじゃなきゃ所詮交わる人生なんかじゃなかった」
メイドには不釣り合いの尖ったオーラを纏ったケイが、乱れたドレスを拾い上げ、クローゼットへと押し込めた。
「愛だのなんだのと都合のいい欺瞞に丸め込まれる前に、さっさとずらかって皇子サマを追いかけるぞ。それで殺して終わりだ」
リシェルとケイが立てた新たな譜面——行軍中のディランの元に忍び込み、どさくさに紛れて彼を暗殺すること。それができなければ今回の演奏旅行は失敗となり、黒鍵に舞い戻ったとしてもペナルティが課せられることになる。
警戒を強めた楽器の命を再び狙うのは至難の業となるだろう。黒鍵で失敗が究極の恥とされるのは、そうした理由もあった。
何度も変更を余儀なくされた譜面の最終版で、今度こそ失敗するわけにはいかない。今まで以上の緊張感を持って上がらねばならぬ舞台を前に、けれどリシェルはすっきりしないまま唇を噛み締めていた。
(自分が失敗すれば、次の誰かがまたディランを狙うことになる。そのうち誰かが彼を——愛してしまうかもしれない)
それでいいのかと自問する。彼を殺すことと愛することを天秤にかけても、壊れた機械のようにぐらぐらと揺らいで答えを示してはくれない。
——これは自分の演奏。判断を下すのはいつだって自分。
悩める彼女の思考を、ばん、という音が断ち切った。ケイがこれで仕舞いとばかりにクローゼットの扉を乱暴に閉めたところだった。
チリひとつなく綺麗に片付いた衣裳室に、自分たちの声がそれ以上響くことはなかった。
離宮を抜け出すタイミングを見計らっている二人の元に、寝耳に水の知らせがもたらされたのは三月も半ばのことだった。
「ラモル王国を行軍中のエルネスト軍の先発隊が急襲を受けたとのこと。なお先発隊を指揮していたディラン殿下が敵軍の捕虜となり、連行された模様です」
アゼルの報告に、リシェルの顔が一気に青ざめた。
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幻想曲
形式に縛られることなく自由な発想や感情で作られた曲。




