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軍神殿下と暗殺令嬢は、愛することをまだ知らない(旧題:死にたがりな貴方を愛する方法)  作者: ayame@キス係コミカライズ


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狙われた初デートの小夜曲《セレナーデ》2

 炭酸水で喉を潤した後も、ディランに手を引かれながら庶民街を歩き続けた。活気溢れる商店街には食べ物だけでなく、鍋や陶器、布地に髪飾り、生きた鶏までが並んでいて、無いものを探す方が難しい。


 さすがは大陸の頂点に君臨するエルネスト皇国。行き交う人々の肌色や服装も様々だ。人種のるつぼなのは宗教国家である聖主国も同様だが、街全体が整然としているかの国とは違い、ここには生きた匂いと逞しい力がみなぎっている。


 隣を見上げればいつもと違う黒髪の夫の姿。赤い瞳も珍しいが、これだけ多くの国から人が流入している場所ではさほど目立たない。リシェルの金髪と青い瞳は目を引くものの、大陸においてさほど珍しい色ではない。


 何者でもない自分になることは、何かに擬態することが生業の自分にとってどこか居心地が悪かった。それはディランも同じかもしれない。


 隣を盗み見ていたのと、つい足取りが浮わついてしまったせいだろうか。誰かにぶつかりそうになったところを、ディランの力強い腕に引き寄せられ、すんでのところで難を逃れた。


「あ、ごめんなさい」

「いえ、大丈夫です」


 咄嗟に謝罪すれば、ぶつかりそうになった女性が軽く会釈を返してくれた。彼女が腕を絡めているのは素朴な身なりの若い男性だ。


 女性と行き交ったのはほんの一瞬のこと。向こうもすぐにリシェルから目を逸らして隣の男性にもたれかかった。王都を散策する若いカップルは、そのまま仲睦まじそうに通り過ぎていく。女性の朗らかな笑顔と、照れたように返す男性の表情が初々しい。


 彼女たちに触発されて周りを見渡せば、同じように手をつないだり腕を組んだりして歩いている男女が目についた。まだ十代と思しき人たちから、互いを支え合うように寄り添う老夫婦まで様々だ。


 彼らに共通しているのはありふれた普通のカップルだということ。皇子や皇子妃でもなければ、片方が暗殺者で、もう片方が標的なわけでもない。


 自分たちはどんな関係に見えるのだろう。若い恋人か。新婚の夫婦か。それとも——。


 はっと思考を堰き止めて唇を噛む。自分たちは普通のカップルではないし、なれるはずもない。その事実がついリシェルの足を鈍らせる。


 歩みが乱れたことを察したのか、ディランが首を傾げた。


「リリィ? どうかした?」

「……いいえ、なんでもないわ」


 首を振りながら今し方の疑問を振り払った。自分たちがどう見えようが、なんであろうが、リシェルの立場は変わらないし、彼だってそうだ。


 本当なら初夜の席で夫を暗殺し、とっくに組織に戻っていたはずの身。決して交わるはずのなかった二人が、ここで交わっていることの方がむしろ異常だった。


 ごった返す異国の街で、ふと自分の心に差し込む影が、リシェルの足を縫い止めようとする。


 歩かなければと鈍った足に力を込めた途端、不意にディランの腕が離れた。


「ディ……っ」

「待ってて」


 隠していたはずの名前を口にしかけた先で、彼が一軒の屋台に吸い込まれていった。たくさんの木箱を通りに並べた店は果物屋のようだ。店番の少年の売り声が高らかに響いている。


 ディランが少年に小銭を渡して、代わりに紙袋を受け取った。振り返った彼が人混みの中のリシェルを見つけて軽く手をあげる。


「リシェル、疲れただろう。少し休憩しよう」


 言いながら彼は袋から取り出した果物をリシェルの唇に押し当てた。


「な……、これ、苺?」

「正解」


 微笑む彼がさらに苺を押し付けてくる。リシェルは観念して口を開いた。しゃくりと咀嚼すれば甘酸っぱさが口の中に広がって、まだ残っていた香辛料の余韻を完全に打ち消した。


 こくりと嚥下しながら「なぜ苺なの」とこぼした疑問に、ディランはますます唇を緩めた。


「だって君、苺が好物だろう?」

「え……?」


 問われて驚いたのは、自覚がなかったせいだ。演奏家(ころしや)として訓練を受けた自分たちは趣味嗜好を持たない。記憶に残る、暴かれる、疑われる——いろんなリスクを考慮して、細かな好き嫌いを作らないよう徹底してきた。


 それなのに——苺が好きだと、見抜かれていた。


 演奏家としてあるまじき失態。羞恥と悔しさで顔色が変わった自覚があった。そんな自分を見て、ディランはなだめるように笑った。


「言われなくともわかるよ。だって綺麗な青の瞳がひときわ輝くから」


 それはリシェルにとって褒め言葉にはなり得ない理由。だが彼の満足そうな表情を見て、浮かんだ悔しさが先ほど飲んだ炭酸水の泡のようにしゅわしゅわと溶けていった。


 妻の観察は夫の大事な役目だと、この人なら胸を張って言いそうだ。なんだかんだと未だに教本に心酔している彼にとって、この行為はあてこすりなどではなく、純粋な好意なのかもしれなかった。


 それならば——。


「では、お返ししないといけないわね」


 今度はリシェルが道を外れて屋台へと向かう。二人分のお金を払い、甘い匂いのするカップを受け取った。


「ディー、どうぞ。身体があったまるわ」

「これは……?」

「ホットチョコレートよ」


 今度はディランが「なぜホットチョコレート」と呟く番だった。面白くなったリシェルはわざとらしく鼻を鳴らした。


「だってあなた、これ好きでしょう」


 コーヒーを好む彼のお茶請けはいつだってチョコレート。アゼルが何種類も常備しているのに気づかないはずがない。過去に何度か毒や痺れ薬を仕込んだことは棚に上げてほしいところだ。


 居を突かれたように佇むディランを前にして、おかしさが込み上げてきた。弱点は自分だけが持っているわけではない。もっとも、これが彼の弱点と言えるかどうかは微妙だが。


 乾杯、とばかりにカップを掲げてみせれば、ディランもまたため息混じりに笑った。おいしそうな素振りなど一切見せずに飲み干す彼の瞼が満足そうに震えるのを見て、してやったりと思う。


 自分たちは普通のカップルではない。それでも今このときの胸が弾むような楽しさを、今日だけは味わいたいと願ってしまった。




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