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軍神殿下と暗殺令嬢は、愛することをまだ知らない(旧題:死にたがりな貴方を愛する方法)  作者: ayame@キス係コミカライズ


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儚い憧れの間奏曲《インテルメッツォ》

 物心ついたときにはもう、ケイの家は聖主国の孤児院だった。世の中にいる両親というものはケイのものではなく、代わりにケイたちを育ててくれる先生たちがいた。


 孤児院にはたくさんの子どもがいて、誰かが来たら誰がが去っていく。流れるようにすべてが変わるようで停滞した、そんな空間だった。


 慈愛の女神は貧しく弱き者に親切だ。だから衣食住は保証され、教育も与えられた。ただその教育は自分では選べず、大人たちに決められたものだ。


 一番人気は音楽活動だった。特に大聖堂直下の白鍵合唱団は、孤児の中でもエリートばかりが集められる精鋭集団。聖主国のみならず大陸中で人気の合唱団であり、団員になれば演奏旅行にも連れて行ってもらえる。


 年上の子どもたちから外国の話を聞いて育ったケイもまた、いつか白鍵合唱団の仲間入りをして外国に行ってみたいと、実に子どもらしい夢を見ていた。


 だがケイの望みに反して彼に与えられたのは、白鍵合唱団の制服ではなかった。


「君は聖主国のエリートだよ。白鍵合唱団よりもさらに高い位置に輝く“演奏家”だ」


 白鍵合唱団の総指揮者であるマキシム神父は、合唱団に入れなかったケイをそう慰め、数々の演奏(あんさつ)方法を伝授してくれた。


 ケイが所属することになったのは、“黒鍵”。エリートともてはやされても、それをほかの子どもたちに自慢する機会はない。黒鍵メンバーは生まれ育った孤児院を離れ、独自の養成機関で缶詰の訓練を送るからだ。周りにいるのは黒鍵の子どもたちのみ。


 事情もわからぬ幼児だったケイも、今では自分がなんたるかを知っている。


 自分たちはエリートなんかじゃない。自分たちは演奏家(ころしや)だ。聖主国は華々しく活躍する白鍵合唱団の裏で、上からの演奏依頼(あんさつオーダー)に応えるための黒鍵を組織していた。


 すべては慈愛の女神の思し召しだ。愛と死は表裏一体らしい。


 状況を理解したあとも、ケイは淡々と訓練をこなした。初めて任務についたのは九歳のときだ。実際に楽器(ターゲット)演奏(あんさつ)したのは十歳のとき。すべては譜面(けいかく)通りに淡々と流れていく。自分の置かれた状況を嘆いたりやさぐれたりする者はいない。いたのかもしれないが、いつの間にか消えている、そんな世界。


 黒鍵メンバーは皆、マキシム神父の忠実な僕だった。ケイにもまたその自負がある。それはマキシム神父が、表舞台の白鍵合唱団の総指揮者であることも関係しているかもしれない。


(ガキの頃の憧れって、なかなか消えないよな。……ダッサ)


 真っ白なローブを着て、大聖堂の舞台で澄んだ歌声を披露する子どもたち。


 その光景と厳かな空気と、美しくも輝く未来に——夢を見たのかもしれない。


 白い鍵盤だけを奏でていられたら、世の中は明るい音楽に満ちていたのだろうか。黒鍵しか触れない自分たちがそんなことを思うのは不遜かもしれないが。


 そんなことを考えながら、メイドらしくリシェルの新しく届いたドレスの箱を運んでいたとき。


「手伝うよ」と、ケイにはいささか大き過ぎた箱をひょいと持ち上げられた。


「ディラン殿下……! そんな、これは私の仕事ですので」


 胡散臭さで言えば右に出る者を許さぬエルネスト皇国第一皇子であり、姉貴分リシェルの楽器(ターゲット)でもあるディランが、ケイが止めるのもきかずにスタスタと歩いていった。


「気にしなくていいよ。君はいつもよくやってくれているし。それに、リシェルのために何かしてあげたいんだ」

「恐れながら、このドレスも殿下からの贈り物だと聞いております。すでにリシェル様にはたくさんのことをして頂いております。私もありがたく思っています」

「そう言われると嬉しいな。でも君はどうなの? 離宮で困っていることはない?」

「私なぞのことまで気にかけて頂き、ありがとうございます。皆様には大変よくして頂いています」


 正体はさておき、今のケイは祖国からリシェルお嬢様に付き従ってきた十二歳のメイドだ。自分以外の何者かに扮して卒なく対応することなど、黒鍵では七歳の教育課程だった。


「ならいいんだけど」と微笑みながら、ディランはリシェルのための衣装室に到着し、箱を下ろした。主人に荷物持ちをさせるなどもってのほかだが、この男が一癖どころか百も二百もおかしな癖持ちだということはとっくに知っている。


 ケイは何事もなかったかのように素直に礼を言った。それでこの偶然の邂逅は終わるはずだった。


「ところでさ、君、いつまでその格好するの?」

「格好、でございますか?」


 ケイは慌てて自分のメイド服を見下ろした。洗濯から上がってきたばかりの綺麗な制服のはずだ。多少皺は寄っているが、メイドとして立ち働いているのだ、許容範囲だろう。


「どこかおかしいところがありますでしょうか。オルディア伯爵家で使用していたものなのですが」


 この離宮には女性の使用人がおらず、従って制服も支給されていない。よって故郷から持ってきたという体で使い続けてきたメイド服だ。


「いや、一般的なお仕着せではあるからいいんだけど、動きづらくない? あ、でも、女性の衣装の方がいろいろ隠しやすいのか。そのスカートの下とかね」

「……なんの話でございましょう」

「僕は懐が広い男なんだ。だから気にしないよ。君の趣味がなんであろうとね。ちなみにさすがにリシェルは知ってるんだよね?」


 そしてディランは、口元に笑みを浮かべつつ目は笑わないという凄技を繰り出してきた。


「まさか僕の妻の湯浴みや着替えまで手伝ったりはしていないよね? 君のことは見逃せても、間男のことは見逃せないよ。憶えておいて」


 黒鍵メンバーとして、表情を取り繕うことも徹底的に訓練されてきた。


 だがこの状況で頬がひくりと動いてしまったのは、さすがに許してほしいと思う。


「……肝に銘じておきます。それと、私は任務に忠実なだけで……趣味ではありません」

「そうなの? ま、どっちでもいいよ」


 ディラン相手にヤケになっていろいろ自爆しているリシェルのことを、自分も笑えないと思いながら、彼を見送ろうとすれば。


「そうだ、ちょうどよかった。これ、リシェルに渡しておいてくれない? 第一皇子妃へのはじめての公務依頼なんだ」


 そうしてポケットから取り出した紙を手渡され、ケイは言葉を失う。


 かつての彼が憧れたエリート合唱団の名前が、そこにはあった。






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