疑念だらけの舞曲《ダンスミュージック》2
苦虫を噛んだような表情のリシェルを、帰りの馬車の手配をしたケイが苦笑いしながら出迎えた。
「おかえりなさいませ、リシェル様。とても有意義な歓談だったみたいですね」
「……えぇ、とってもね」
人目があるうちはまだ妃殿下とメイドだ。馬車の中は密室だが、アゼルが準備してくれた離宮の馬車を世話する使用人は、ディランに忠誠を誓った元軍人たちだ。離宮では気配を読んだ上で素を出しているリシェルたちだったが、さすがにここではまだ早い。
二人を乗せた馬車は内宮と呼ばれる皇族たちの居室部分を抜けて、政治の中枢である外宮を通り過ぎていく。ディランが住まいとする離宮は外宮のさらに外、皇城内とぎりぎり言いはれる場所の外れにある。馬車で三十分以上の道のりはもう、嫌がらせの配置としか思えない。
ディランが内宮に行くことはほぼなく、軍の本部がある外宮に行くときは馬を使うそうだ。リシェルは裸馬にも乗れる訓練を受けているが、ここではそんなことはおくびにも出さない。
周囲を固める元軍人の護衛たちの気配の中、馬車内では他愛ない会話を心がけた。とはいえそこは黒鍵のメンバー同士。話の隙間に本音を滑り込ませることなど容易だ。
ロクサーヌ皇妃のもてなしとディランの毒殺命令、皇太子カイオスとその妻ナタリエとの話題の触りだけ持ち出したところで、馬車が急停止した。
「何?」
一瞬きょとんとしたリシェルの目の前で、ケイが鋭く叫んだ。
「ボケッとすんな! なんか来たぞ!」
スカートを捲り上げる十二歳の少年は、すこぶる勘がいいことで仲間内では有名だった。右手には太腿に仕込んでいた短剣を、左手には髪のお団子内に仕込んでいた小型の飛び道具を握ったときにはもう、外から剣戟が聞こえ始めた。リシェルももちろん愛用の短剣と、胸元から目眩しの粉末を取り出す。
「リシェル様! 賊です! メイド殿もそのまま中で待機してください!」
剣戟の最中から護衛の声が飛んできた。加勢したいが自分は妃殿下だ。ケイだってメイドだ。普通の妃殿下とメイドは、こんなとき颯爽と外には出て行かない。
「くそっ、設定が仇になってんな」
ディランの暗殺こそことごとく失敗しているが、そもそも自分たちは一流の殺し屋だ。元軍人にも引けを取らない、むしろ相手を一撃にする接近戦では勝てる自信もある。どうにかできる実力があるのにそれを発揮できないことに、ケイもまた苛立っていた。それに馬車の中からでは相手がどんな勢力なのかを判断することもできない。
「思ったより時間がかかってんじゃねぇか? 扉が壊れたフリして出ていくか?」
「そうね、あと一分待って制圧できなければ……」
そう言いかけた瞬間、馬の尋常ではない鳴き声が響き渡った。同時に激しく揺れた馬車が派手な音を立てて走り始める。
中腰だったリシェルは強かに頭を壁に打ちつけた。身軽なケイは咄嗟に体勢を整えようとしたが、揺れる馬車に翻弄されて床に転がる。
「馬の暴走だ! このままだと馬車ごとやられるぞ!」
ケイの悲鳴が終わらぬうちにリシェルは馬車の扉を蹴破った。勢いでヒールが外へと飛んでいくが気にしている場合ではない。
そのまま床に転がったケイの腕を掴んで、脱いだもう片方のヒールとともに引っ張り上げる。
「うわっ! 何すんだよ馬鹿リシェル!!」
「何って助けてるに決まってるでしょうが!!」
暴走する馬車の速度に逆らうようにケイとヒールを外へ投げ捨てたあと、リシェルもまたスカートをからげて裸足のまま飛び降りた。着地は完璧ではなかったが、状況的にそう悪いものでもない。
先に投げたケイが無事植え込みの中に落ちたのを目の端に捉えつつ、新たな襲撃に備えて袋を握る。構えていた剣は馬車の中に置としてしまった。リシェルの獲物はもう、目眩し用の粉しかない。
ケイが無事ならまだ有利なのだがと過った矢先。視線の先で馬が急カーブした。馬に引きずられるように傾ぐ馬車が、そのままの勢いで城壁に激突した。
「————っ!!」
派手な衝撃音とともに大破する馬車。まさしく間一髪だった。
「……馬鹿リシェルの物理療法が役に立ったな。礼言っとくわ」
「ケイ……大丈夫なのね!?」
合流したケイの乱れた髪には小枝や葉っぱが刺さり、頬には切り傷を作っているが、大怪我をしている様子はない。手にはご丁寧にリシェルが蹴り飛ばしたヒールがある。
ほっとしながらも視線はまた大破した馬車へと向かった。人気の少ない外宮のさらに外れとはいえ、皇場内で馬車の暴走事故だ。衝撃音に驚いた人たちが次々と集まってくる。
呆然と呼吸するリシェルに「妃殿下?」と声をかける者があった。護衛についていた使用人が戻ってきたのかと振り返れば。
「リシェル妃殿下ではありませんか。なぜ……」
大きな影を作るその上で、言いかけたその続きに、いったい何を紡ぐつもりだったのか。
“なぜこんなところにいるのか”、それとも……、“なぜ、まだ生きているのか”。
本心を探ろうとリシェルは目を凝らす。だが、座り込んだままのリシェルを影ごと見下ろすグレゴリー・ロートレイ第一軍団長の表情からは、何も読み取ることができなかった。




