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軍神殿下と暗殺令嬢は、愛することをまだ知らない(旧題:死にたがりな貴方を愛する方法)  作者: ayame@キス係コミカライズ


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見せつけ愛の軍歌《マーシャルミュージック》

 その日、エルネスト皇国軍の練習場に、風邪も癒えて元気になったリシェルの姿があった。


「殿下の仕事振りを見学されませんか」と胡散臭い隻眼の侍従に提案され、演奏(あんさつ)のネタも尽きかけていたリシェルはせっかくだからと頷いた。


 皇国軍は五つの軍団で構成されている。各軍には軍団長がおり、彼らのさらに上にいるのが将軍のディランだ。


 今日は精鋭中の精鋭である第一軍の訓練ということで、リシェルは妃殿下の装いに相応しい冬用のデイドレスに暖かな外套を着込んで訓練場に赴いた。


 演奏家(ころしや)として過去に様々な国で任務に当たったことのあるリシェルも、さすがに軍の見学は初めてだ。隣でメイドのお仕着せを着ているケイもまたそわそわしているところを見るに、結構楽しみなのだろう。


 どんな訓練をするのかと思っていたら、壮大な陣取り合戦だった。第一軍を八つの隊に分け、それぞれディラン、第一軍団長、副団長以下役職付き六名が指揮を執り、互いの陣地の旗を取り合うというものだ。二つの隊ずつ総当たり戦で争い、制限時間内に旗を取るか、生き残った兵士の総数で勝敗が決まる。


 もちろん本物の武器ではなく、模造剣や模造の矢、粉末毒を模した色付きの粉などが使われる。場内には兵士の生死を判断する審判も多く配置されていて、戦闘不能とジャッジされた者は退場となる仕組みだ。


 思っていた以上に大掛かりな訓練を、高台という特等席から見下ろすことになったリシェルは、暖を取るためにアゼルが準備してくれたコーヒーを受け取ることも忘れ、陣取り合戦に見入った。


 訓練された兵士が蛇のように滑らかに移動する様も、ラッパを合図に津波のように相手陣地に押し入る様も、迫力に満ちて見応えがある。


 東の隊を指揮するのは第一軍団長らしい。対する西側の隊の長はディランだ。


「我ら、軍神殿下のための兵士だ! ディラン殿下の名に恥じぬ戦いを見せよ!」

「いつまでも殿下に頼っていては皇国軍の名折れ! 一矢報いて見せようではないか!」


 ディランを戴く西軍の士気は高い。だが相手はディランに次ぐ実力と名高い第一軍団長だ。いい勝負になるのではないかというのがアゼルの見立てだ。何せ今回の訓練では致命傷となるような獲物や馬の使用は許されていない。完全なる肉弾戦である。


「東軍を率いるロートレイ第一軍団長は、ディラン殿下が将軍に任命される前に将軍職にあった方です。ロートレイ侯爵家の当主でもいらっしゃいます。伝統ある貴族家の中では珍しく、ディラン殿下に忠誠を誓う軍属派のおひとりです」

「あら、殿下に将軍職を奪われたってこと? それでも殿下を恨んでいないのね」

「将軍の名に相応しい働きを殿下はすぐに見せつけましたからね。ロートレイ侯爵家は元から武門でもあります。強き者は、本当に強き者を認める力を持っているものです。軍団長はその筆頭でしょう」


 アゼルの説明にいろいろ納得する。軍での人気が高いと聞いていたディランの理由にも思い当たるものがあった。


 両者の戦いは拮抗しているように見えた。隊を小さく分けて波状攻撃を仕掛けるディランの軍を、一枚岩のようなロートレイ軍が弾いている。


 静と動、攻めと守りのお手本のような戦いは、しかし西軍の後陣から矢のように飛び出した一群によって切り崩された。


「あれは……もしかして殿下?」

「今日は大人しく後ろに控えていると思っていたのですが、やはり出てきましたね」


 馬を使っているわけでもないのに疾風のごとき素早さで、あっという間に前線に立ったディランは、そのままロートレイ軍の一角を打ち破った。まるで竜巻が暴れているような威力で次々と敵を薙ぎ倒し、戦闘不能の烙印を押された敵兵士を量産していく。


 殿下と彼に続く数名の兵士が敵陣の旗に迫った、そのとき。


「私がお相手いたそう!」


 背の高いディランをはるかに凌駕する壁のような壮年の男が、ディランの前に立ちはだかった。分厚い胸板と肩幅、そこから出会い頭に繰り出される強烈な()()


「……待って。エルネスト皇国軍では相手を蹴り飛ばす攻撃もアリなの?」

「勝つことが正義ですから。ロートレイ軍団長の蹴りは岩壁をも打ち砕きます」

「そんな……大丈夫なのかしら」

「ご安心ください。我らが殿下は絶対に死にません」


 誰がとは言わずとも、アゼルはすぐに理解したようだった。


「いや、死なないって言っても普通に怪我はするし痛みもあるんだって、あなたたち言ってたじゃない」

「そこは、殿()()()()()()


 説明になっていないと言い返そうとした瞬間、ディランが目にも止まらぬ速さで軍団長の懐に入り込んだ。入り込むために一度屈んだ彼は、絶妙の位置取りから思い切り身体を伸展させた。


 ディランの頭が、ロートレイの顎に強かに入る。


「え、まさかの頭突き……」

「皇子サマ、えげつな……いえ、凄いですね」


 リシェルとケイの見ている先で、ディランはバランスを崩したロートレイの首元に刃を突きつけた。


「そこまで! ロートレイ軍団長死亡!」


 審判員が高らかに告げた先で、ディランと一緒に駆けていた部下が敵陣の旗を奪い取った。


「勝者、西軍!!」


 兵士たちの勝鬨の声が地響きのように鳴る。


 想像をしていたのとかなり違う結果に、リシェルは頬をひくつかせた。


「なんというか、手段を選ばないというか、なんでもアリというか……」

「思っていた戦い方とだいぶ違いました……」


 猫を被ったケイの頬も引き攣っているところを見るに、彼もまたもっとカッコいい勝ち方を期待していたのだろう。


 だが勝ちは勝ちだ。戦場では綺麗だろうが汚かろうが関係ない。そう感想を付け加えれば、隻眼の侍従が嬉しそうに口元を緩めた。さすがは殿下の忠臣だ。


「リシェル! 来てたのか。どうだった、僕の指揮は!」


 駆け寄ってきたディランの姿は二十三歳という本来の年齢よりも、幾分幼く見えた。自分の手柄を褒めてもらいたい子どものようだ。


 その無邪気さとは裏腹に、彼の背後から、勝利の酔いから覚めた兵士たちの視線が自分に突き刺さるのを感じた。


「あれが嫁いできた妃殿下……」

「確かにすこぶる別嬪だが、敗戦国出身だろう? 軍神殿下の嫁としてどうなんだ」

「ロクサーヌ皇妃に押し付けられた相手だ、仕方ねぇよ。くそっ、殿下にはもっといいお相手がいたはずなのに」

「そうだよ、ロートレイ軍団長だって……」


 ねっとりと広がっていくのは、リシェルに対する不満と不信感。これはもう、仕方のないことだ。


 自分はディランの後ろ盾となれるような令嬢ではない。彼らが望んでいたのは皇妃派を蹴散らして、ディランを皇太子に押し上げられるだけの力を持つ妃だ。


 そもそも本物の妃でもないリシェルには、痛くも痒くもない非難だった。


 だが。


 リシェルの前に立ったディランは、不意に彼女の細腰に手を回し、己の方に引き寄せた。


 突然の密着にリシェルがよろける。


「で、殿下!? いったい何を……っ」

「君が見てくれていると思ったら、いつも以上に張り切ってしまった。妻の愛は、夫を勝利へと導いてくれるというのは本当のようだね。君と結婚できた僕はなんて幸運なんだろう」

「へ……?」


 突如として始まった歯の浮く台詞に、リシェルが目を白黒させれば。


 目の前に迫ったディランが凄みのある笑顔を見せた。


「夫の勝利へのご褒美に、新妻の祝福をプレゼントしてほしい」


 そして彼の唇が、リシェルのそれを啄んだ。何が起きたのかわからず一瞬惚けた彼女の唇を、隙をついた彼の唇が再び覆い尽くす。


 ————キスをされた、それも二度も。


 そう認識すれどリシェルの頭は鈍ったまま、けれど訓練された手と足が咄嗟に反撃へと転じようとしたとき。


「リシェル様! 人目、人目がありますから!」


 背後からケイの声が飛んできて、思わず身体をこわばらせた。そうだ、ケイとアゼルはともかく、ここには大勢の兵士たちがいる。彼らの目の前で自分がディランを張り倒すわけにはいかない。


 断腸の思いで手足を封じたリシェルたちの向こうで、誰かがぴゅうっと唇を吹いた。


「まじかよ! あの軍神殿下が人前でキスシーンだと!」

「そりゃ、あんだけの別嬪さんが嫁となったら、そうしたくもなるよな!」

「確かに敗戦国の令嬢かもしれないが、殿下が気に入ってるんならしょうがねぇ」

「そうだよ! 俺たちは殿下の幸せを願ってるんだから!」


 先ほどまで不満しかなかった男たちが一転、祝福ムードを醸し出した。展開の速さに目を見張るリシェルの背後で、アゼルが静かに口を開いた。


「軍人は総じて単細胞が多いものです」


 つまりはディランが仲の良さを見せつけたことで、リシェルの落ちに落ちていた株が上がったということか。


「人前で妻を褒める男は好ましいと、“夫の心得”八ページに書いてあるんだ」


 満足そうに己の唇をペロリと舐めた夫は、「まだする?」と迫ってくる。


 皆に見えない角度と小声でリシェルは即座に切り返した。


「あなた、何を……っ」

「それはこちらの台詞だな。君は何をしようとしたの? 夫を張り倒そうとはしていないよね? キスのひとつや二つで? もっと際どいことだってした関係なのに」

「————!!」


 リシェルの腰をざらりと撫ぜるその手に、ぞくりとした感覚が足元から這い上ってきた。


 突き放すわけにもいかない、殴り飛ばすなどもってのほか。窮地に陥ったリシェルの碧い瞳に生理的な涙が滲む。その一方で、なぜかこの感覚の先を知りたいような気もして、ますます頭が混乱する。


 眼前にはあまりに美しい彼女の夫。その唇の温度を、リシェルはもう知ってしまった。


 もういっそ、その冷たい熱に溺れてしまえば楽になれるかと、朦朧としかけたそのとき。


「失礼、ディラン殿下。ご紹介を頂けますかな?」


 太い声が、リシェルとディランの間に割って入った。


「ロートレイ、おまえは気を利かせるという言葉を知らないのか」

「そっくりそのままお返しいたしましょう、殿下。軍には独り者も多いのです。そのように見せつけられては目の毒です」


 ディランの背後から巨大な山のごとき体躯をした男が歩み出てきた。彼に軽く睨まれ、ディランはやれやれと首を振った。


「リシェル、ロートレイ第一軍団長だ。侯爵でもある」

「……初めまして、ラビリアン王国より嫁いでまいりました、リシェルと申します」


 声が震えてしまうのは、直前までリシェルを弄んでいたディランのせいだ。


決してこの山のような男から発せられる、あからさまな殺気のせいではない。


「妃殿下にご挨拶できる栄誉を、慈愛の女神に感謝いたします。エルネスト皇国第一軍の軍団長職を賜っております、グレゴリー・ロートレイと申します。どうぞお見知り置きを」

「こちらこそ、お会いできて光栄ですわ。これからも殿下をお支えくださいな」


 リシェルとて踏んできた場数は少なくない。かといって本性を出せばたちまち怪しまれることはわかっている。つまりは殺気に気づかないフリをしながら、十八の令嬢らしく微笑むことくらい、わけないのだ。


 それにしても。


 自分の存在が気に入らないことはわかる。だが殺気まで放つのはやりすぎではないか。まさか自分がディランの命を狙っていることが筒抜けなのではあるまいなと勘繰っていると、とにかく胡散臭いよくできた侍従が、リシェルの疑問をあっさり解決する耳打ちをしてくれた。


「ロートレイ軍団長は、ご自身のお嬢様を殿下の婚約者にと願っておられました。実際のところ、決まりかけておりましたね」


 その情報はもっと早くに欲しかったと、リシェルは笑みを貼り付けた。彼が前の将軍であるとか、侯爵家の当主であるとか、そんな情報よりも先に、だ。



**

軍歌マーシャルミュージック

軍隊で演奏されたり歌われたりする曲。


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