表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

すべて忘れてしまっても

作者: risashy



 いつも通りの一日だった。

 朝から魔物の討伐依頼を受け、無事対象を討伐し、冒険者ギルドへ依頼完了の報告に来ていた。ついでに周辺の情報を交換して、さて帰ろうと振り向いた目線の先に、彼はいた。


(この人は……)


 この街では珍しい黒髪の冒険者。見かけない顔だと思った。間違いなく、初めて会った男だ。


 でも彼を見て私はなぜか、やっと会えた、と思った。


——そうだ。私は、ずっとこの人に会いたかった。


 ばくばくとうるさい鼓動と共に、思い出せ、思い出せという声がする。初めて見る顔なのに懐かしい。会いたかった。この人に、私はずっと会いたかった。こみ上げてくる不思議な感動と共に、身に覚えのない記憶が溢れてきた。


 ずっと何かが足りないと思って生きてきた。繰り返し夢で見る光景。会ったこともないけれど、懐かしい人たち。


 目の前の人物と、記憶がはっきりと像を結ぶ。


(アレックス様)


 この人はかつての自分が仕えた主——第三王子アレックス様だ。


 私は前世で、女性騎士リリアナとして生きていた。この方は私がリリアナだった頃、剣を捧げ、命を賭してお守りした方だ。

 アレックス様は魔族の侵攻という国難に立ち向かうべく、王族でありながらその身を前線に置くことを選んだ方だった。私は専属騎士として常に彼の傍にいた。


 彼はアレックス様の外見と全く違った。日の光を集めたように神々しく輝いていた金髪は黒髪だし、頬についていた勇ましい傷もない。

 しかし分かる。間違えるはずもない。彼は敬愛してやまないアレックス様の生まれ変わりだ。


「アレックス様……!」


 震える声で呼びかける私に、彼は訝しげな表情をした。そして困ったように眉を寄せると、人好きのする笑顔を浮かべた。


「えーっとな……、俺はオスカーっていうんだ。君とは初対面だと思う」

「……」

「人違い、だな」


 その表情と声から、理解する。


——そうですか、あなたに記憶はないのですね。


 しかし初対面で突然別人の名で呼びかけた私に気遣う言葉を選んだこの方は、相変わらず優しい人のようだ。


「君は?」

「……レティシアと申します」


 私は「大変失礼しました」と彼に頭を下げ、冒険者ギルドから出た。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「リリアナ。騎士の誓いなんぞで俺に義理立てする必要はない。俺の行く末に命の保証はない。今までよく仕えてくれた。結婚でもして幸せになれ」


 魔族討伐へ赴くアレックス様に私も帯同すると告げると、予想通り拒否された。しかし、そんなアレックス様だからこそ私は何としてもお守りしたいと思うのだ。


「実は、家を勘当されました」

「なんだと……!」

「アレックス様からも不要と言われますと、もう帰る場所がありません」


 どうかお願いいたします、と頭を下げる。

 遥か遠い大陸に住む魔族達がわが国への侵攻を開始して半年。残忍で狂暴な彼らがわが国にもたらした悲劇は枚挙にいとまがなく、被害の深刻さは筆舌に尽くしがたい。


 人並外れた強さを持つ第三王子アレックス様は、魔族討伐へ自ら志願した。アレックス様が行くその道に、当然私も身を尽くす所存だった。


 アレックス様が私のあずかり知らぬ場所で散ってしまうなど、考えたくもない。主を置いて自分だけがぬくぬくと安全な場所にいたところで、到底幸せになれるはずがない。

 最後までアレックス様に付き従うと譲らない私に、両親は怒った。そもそも騎士になったことも気に食わなかったようだし、結婚するつもりがないと何度言っても理解されなかった……いや、私を理解しようという気持ち自体、両親にはなかったのだろう。ついにお前など娘ではないと縁を切られてしまったのだ。


 帰る家がなくなった。しかし私はどこか清々しくさえあった。これで、堂々とアレックス様について行けるのだから。


 形容しがたい表情になったアレックス様は、額に手を当て、お前という奴は、と呻くように言った。

 後ろから豪快な笑い声が響く。討伐メンバーの一員であるクリスだ。

 自ら魔族討伐に志願してくれた彼は、優れた光魔法の使い手だった。彼は魔族へ覿面(てきめん)に効く魔法を武器に付与できる。クリスは魔族討伐に必要不可欠な存在だった。


「これはリリアナの勝ちだな、王子サマよ!」


 クリスが揶揄うように言うと、アレックス様は苦笑した。そして私をじっと見据える。


「言っておくが、お前が俺から逃げられるのは今だけだ」

「何を今さら。最後まで私はあなた様と共にあります」


 鋭い目線が交差する。アレックス様は静かに私の頬に手を添えた。


「では俺も、もうお前を離してやらんからな」

「とうの昔から、わが身の全てはあなた様のものです」


 後ろでクリスが口笛を吹いている。アレックス様が満足げに微笑んだ。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 私はレティシアとしてすでに成人を迎えていた。だから突然よみがえったリリアナの記憶がいかに鮮烈であっても、今のレティシアの人格に影響することはなかった。そもそも記憶がよみがえる前から、私とリリアナにそう違いはなかったと思う。


 リリアナの頃の記憶を照らし合わせると、前世は今から百年ほど前の世のようだ。

 記憶とレティシアとして学んだ歴史は一致している。百年前の魔族の侵攻は抑えられた。今は平和な世の中だ。


 ギルドに向かっている道中で、レティシア、と自分を呼ぶ声がしたので立ち止まる。以前から親しくしている冒険者仲間のキースだ。筋肉隆々で言葉も荒く見た目は厳ついが、数少ない女冒険者として孤立しがちな私を気にかけてくれる優しい奴だ。


「今からギルドか?」

「そうだ。あ、キース。お前はアレッ……オスカー様のことは知っているか」


 キースは意外そうに目を真ん丸にした。そして少し表情を和らげ、知ってるぜ、と笑う。その笑顔を見て、唐突に、よく知っていた人物とキースが重なった。

 なぜ今まで気付かなかったのだろう。キースとは何年も顔を合わせていたのに。


「キース。キース……お前……クリスか……!」


 声が震える私に、キースは瞳を揺らした。そして破顔すると、大きな手のひらで私の髪を撫でる。


「てめぇ……、ようやく思い出したのか。リリアナ。もう無理だと思ってたぜ」

「遅くなった。すまない……!」


 冒険者仲間としてずっと近くにいたキースは、あのクリスだった。アレックス様に軽口を叩きながらも、戦闘では力強い盾となってくれたクリス。魔族を葬る魔法を私達の剣に宿してくれたクリス。


 かつての同志との邂逅に、私は思わずキースに抱き着いてしまう。そんな私に、キースは優しく応えてくれた。


「でもなぁレティシア。いくらアイツが元アレックス様でも、“オスカー様”はねぇぞ」


 落ち着いた私に、キースが窘めるように言った。


「あ、あぁ、しまった。つい。そうだな。今は同じ冒険者なのだから、敬称を付けるのはおかしいか……」

「相変わらずズレた嬢ちゃんだな、てめぇは。まぁ思い出した褒美に教えてやろう。オスカーはソロのゴールド級冒険者だ」

「ゴールド級か……!」

「あぁ。相変わらずすげぇよな」


 キースによると、これまでオスカー様は別の街を拠点に活動していたらしいが、最近この街へやって来たところだという。キースは私と同じく、一目見てオスカーがアレックス様だと気づいたらしい。すぐに探りを入れたが、記憶がないことが分かったので、それ以上は深く関わっていないという。


 ゴールド級冒険者は高ランクで、滅多にいない。私は今まで出会ったことがなかった。一人で活動しているというのに、そこまでランクを上げられるとは相当なことだ。さすがアレックス様。生まれ変わった今も人並み外れた強さをお持ちのようだ。

 ちなみに私はシルバー級。オスカーが来るまでこの街ではキースと並び最高位だった。


「俺はレティシアのこともすぐに気づいたぜ」

「そうだったのか。私はこれまで全く思い出せなかった。不甲斐ない」


 ははっ、とキースは声を上げて笑った。そして、前世のことを覚えてる俺らの方がおかしいんだよ、と言う。


「てめぇ、どこまで覚えてやがる」

「どこまで……そうだな。討伐が終わった頃までは鮮明だが。私はいつ死んだ?」

「リリアナが一番早く死んだ。あれから数か月だったかね」

「そうか……」


 魔族との闘いは苛烈を極め、戦いが終わった私たちはボロボロだった。私は毒を受けていたし、アレックス様は深手を負われていた。確かクリスは片目を失明していたはずだ。

 毒が回った時点で長くないと覚悟はしていたが、やはり私が一番早く死んだらしい。それならば、アレックス様は……。私は最後までアレックス様と共にあれたのだろうか。分からない。自分がどうやって死んだのか、その記憶は曖昧だった。


「なんも覚えてねぇのかよ」

「あれから何かあったか?」

「んー……俺の口からは言えねぇな」


 そこで依頼の時間だ、と言ってキースは去っていった。お前の口から言えないのなら、もう誰からも聞けないのでは。キースの後ろ姿に、私はそう一人つぶやいた。





 最近、変わった女性冒険者にえらく懐かれている。


 レティシアと名乗ったその女性は、目を引く美人で、見た目からはとても想像できない程強い。まだ若いだろうに、もうシルバー級だという。

 初対面のとき、俺を見て「アレックス様」と感極まったように言っていたので、きっと俺は彼女の近しい人に似ているのだろう。


 俺が仕事に出ると彼女は大体いる。最初は偶然かと思っていた。しかしあまりにも遭遇率が高いので、レティシアが意図的に自分について来ているのだと悟ったのは数回目のことだった。

 レティシアが現れるようになってからもう季節が一つ巡った。目端に入る銀色の髪の美女に最初は戸惑ったものの、慣れてきた。別に邪魔にもならないので好きにさせている。勿論最初に、なんでついてくんの、とは聞いた。そうしたいからです、と生真面目に背筋を伸ばして言われると、あっそぉ……としか返せなかった。


 なぜかレティシアは俺には敬語で話す。普通に話してくれと何度言っても「あなたに敬意を払わずに接することなどできません」と頑なだ。俺以外とは普通に話しているのを見たので、敬語以外使えないというわけでもないようだ。特に同じシルバー級のキースとは気安く話している。

 確かに俺はゴールド級冒険者だが、同じ冒険者同士、上下関係はない。階級が違おうが敬語など必要ないのだが。


 今日もレティシアは俺の後ろを歩いている。

 最初は思ったのだ。この子、俺に気があるな、と。まぁ、悪い気はしない……、などと馬鹿なことを考えていたが、すぐに初対面のときの彼女の様子に思い至る。

 レティシアは俺にアレックスという男を重ねているのかもしれない。


「よう、レティシア」

「おはようございます、オスカー」


 今日は街の南にある森に来た。最近ワイバーンの目撃情報があり、確認と、見つけられれば狩るという依頼である。道中エンカウントした魔物を狩り、素材を収集する。


 魔物との交戦中のレティシアは俺の動きに合わせ、周囲の魔物を狩ってくれる。正直、めちゃくちゃやりやすい。厄介だと思ったところを的確に狙ってくれるし、引くべきところもわきまえているので邪魔にならない。長年連れ添った相棒のごとく、俺の動きを予測して合わせてくるのだ。

 そして、レティシアは強い。彼女は身体強化の魔法を巧みに使っている。剣技は洗練され、熟練の域だ。冒険者というよりも、きちんと基礎から訓練された騎士のような印象を持った。


 レティシアのことは、守る必要がない。むしろ彼女は俺を守ろうとしてくれている。


 これまで俺はずっとソロの冒険者として活動してきた。特別なこだわりがあったわけではない。ただ気楽だったからだ。何度か人と組んだことはあった。みんな俺に頼るようになって、一方的に守らなければならなかった。


「これ、食え」


 休憩を取ろうと適当に座り、レティシアにも隣に座るように促した。俺が持ってきた軽食を差し出すと、レティシアは慌てたように手を横に振った。


「いえ、オスカー、私のことはお構いなく」

「お前のために用意した。受け取ってくれ」

「それでしたら……ありがとうございます。いただきます」


 彼女は俺が差し出した軽食を手に取った。これは今日も彼女は来るだろうと予想して用意していたものだ。大したものではない。

 こうして隣に座ってくれるようになったのは最近のことだ。彼女は最初、俺の後ろで姿勢よく立ったまま、座ろうともしなかった。

 ずいぶん打ち解けてきたのでは、と思っている。

 美しい所作で簡素な食事をとるレティシアを見る。やはり彼女はどう見ても冒険者らしくないなと思った。


「立ち入ったことを聞くが、お前、もしかして騎士だったのか?」

「いえ。()()違います。なぜそう思われましたか」

「めちゃくちゃ強いし、所作がキレイだからよ」

「あぁ……、所作については、きっと私が貴族だったからですね」


 何でもないことのように言うので、俺は内心で面食らった。貴族のお嬢様がなんで冒険者なんてやってるんだよ。

 しかし彼女の立ち振る舞いが美しい理由は、貴族令嬢として育ったからか、と納得がいく。そして「アレックス様」はきっと、レティシアが貴族時代に知り合いだった男なのだろうとも思った。


「もとは伯爵家の娘でした。ご覧のとおり家を出されましたので今は平民です」

「そ、そうか……大変だったな」

「ふふ。オスカー。あなたがそんなに焦った顔をするなんて。大丈夫ですよ。みんな知っていることです」


 珍しく声を上げて笑うレティシアは、少し幼く見えた。


「なんで、家を出されたんだ」

「義理の妹を虐げている、とずっと誤解されていました。私の婚約者だった人も、妹と婚約したいと言い出して……最終的に心当たりのない罪の証拠が出てきて、戸惑っている間に家を追い出されてしまいました」


 聞けば、レティシアが持っていたものは妹に全て奪われ、頼りになるはずの父親は後妻と妹の味方であり、家は心休まる場所ではなかったという。社交界では悪女と呼ばれ、評判は最悪だったらしい。


 こいつが、悪女だと。あり得ねぇだろうが。そいつらの目は節穴か。

 しかも幼い頃から決められていた婚約者は妹と結婚したという。


「なんっだそれ」

「もう終わったことです。私はむしろ良かったと思っています。ずっと、あの家から出たいと思っていましたから」


 その穏やかな声音から、彼女が本当に自分を陥れた奴らに対してこだわりがないことが分かった。

 彼女は理不尽に家を追い出され、それでも腐ることなく努力を重ね、冒険者として成功を掴んだのだ。貴族令嬢として育てられた少女には、とてつもなく険しい道のりだったはずだ。


「私は今の生活を気に入っています」


 レティシアは軽食を食べ終え、横に置いていた剣を握る。あの力強い剣を振るう彼女の手のひらは、きっと俺と同じように硬くなっているのだろう。


「なぁレティシア。俺とパーティー組むか」


 それは、前々から言おうと考えていた言葉だった。眠る前、買い出しをしながら、魔物を狩りながら、この台詞を頭の中で何度もシミュレーションしていた。レティシアは瞳を見開くと、ぽかんと口を開けた。


「オスカーはソロで活動したいのではなかったのですか」

「まぁ確かに、そう思ってたけどな。お前ならいいかなと思ってる」


 不思議なことに、レティシアが自分の隣にいることが自然な気がしていた。彼女が俺を守ろうとしてくれるように、俺も彼女を守りたいと思った。


「ていうかお前、毎回ついて来るだろ。もう実質パーティーを組んでいるようなもんじゃねぇか」

「それは、私の勝手な行動で……」

「うん……まぁ、なんだ。レティシアさえ良ければ、正式に俺の相棒になってくれると嬉しいって話だ」


 断られまいと、畳みかけるように言葉を紡ぐ。レティシアはしばらく黙った後、私でよろしければ、と答えてくれた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 魔族という奴らは、見た目だけは人に似ている。しかし彼らは人間ならば当たり前に持っている倫理観や、仲間意識、共感能力がない。それでいて厄介なことに、魔物と違って高い知性があった。


 魔族はどこまでも残忍で、自分勝手で、子どもの遊びのように人をいたぶる。彼らが襲撃した街は、この世のものとは思えない惨状になり果てた。


 私たちは一体一体の魔族を確実に滅ぼしていった。

 討伐に出て4年。

 魔族の長という個体をついに屠ったのは一昼夜続いた激戦の後だった。

 それを契機にようやく奴らは引き揚げていき、長かった戦いは終わった。


 しかし、どうにか生きのびた私たちの手のなかに残ったものはほんの僅かだった。


 片耳の聴力を失い、内臓にまで至る深手を負い、あまりにも多くの血を流したアレックス様。

 右目を失明し、魔力をほとんどなくしたクリス。

 私は戦闘中に毒をくらい、回復不能な打撃を体全体に受けていた。


 魔族との最後の戦いの場となったのは、大陸の端だった。そのほど近い村——魔族の襲撃から私たちが救った村で、戦いを終えた私たちは療養していた。

 一番重症だった私の部屋へ、まだ完全に回復していない二人がきてくれた。アレックス様は私のベッドの横に椅子を置いて座る。


「なぁ。俺達はもう死んだということにしないか」


 アレックス様の思いもよらない提案に、私は息を呑んだ。起き上がれない代わりに、顔をアレックス様の方へ向ける。


「なにを……、仰っているのです、アレックス様……。王都へ凱旋して陛下にご報告を」

「もういい。もういいだろ。どうせ俺は、長くない。……お前らも」


 隣にいるクリスは腕を組んで目を開けたまま、天井を睨んでいる。

 アレックス様に満ち溢れていた生命力はかなりしぼんでいて、戦闘中に負った深い傷は治療を施されたあとも痛々しい。魔力が枯渇したクリスもまた、げっそりと痩せていた。

 文字通り死力を尽くした三人は、自分の命の灯がそう遠くない内に消えることを分かっていた。


「帰ってどうなるというんだ。祀り上げられ、良いように使われるだけだろう。僅かばかりの余命を、そのようなくだらないことに費やせと言うのか」

「……」

「リリアナ、お前を置いてまで……」


 私の体がもはや王都までの道程に耐えられないことは明らかだった。


「私のことは、捨ておいてくださ……」

「絶対にありえない」

「そうだぜ、リリアナ……今さらお前を放って行けるかよ」


 ずっと黙っていたクリスが言った。


「俺はアレックス様に賛成だな。他の奴らは途中で俺らについて来れなくなったし、結局最後まで戦ったのは俺ら三人だ。どうせ分かんねえよ。ここの村長から王都に報告してもらえばいい。魔族は撃退したけど、俺らは療養中に死んじまったってな」


 村の人々は、間一髪のところで魔族から村を守った私達に恩義を感じている。死んだことにしてくれと言えば、協力してくれるだろう。


「アレックス様も、リリアナも、俺も。よく頑張ったよなぁ」


 そっとアレックス様の手が私の手を覆い、ほんの少し力が込められた。私の目の奥は熱くなり、眦から一筋ほろりとこぼれたものが頬を伝った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 オスカーからパーティーを組もうと言われて、正直なところ、とても嬉しかった。しかし同時に襲ってきたのは後悔だった。


 前世を思い出してから、アレックス様の傍で常に彼を守りたいという衝動は抗いがたいものだった。


 オスカーはアレックス様と同じ魂を持つ人間なだけあって、優しく強く誠実な男だ。知れば知るほど彼を助けたいと思うようになった。毎日彼の後をついて回り、勝手に共闘する。オスカーが咎めないのをいいことに、私はそれを繰り返した。


 なぜ忘れていたのか。彼は優しいのだ。不審な女が自分に付きまとっても邪険にせず、優しく手を差し伸べてくれる。


 アレックス様は、リリアナが家を勘当されたことで最後まで傍にいることを許してくれた。

 私が家から追い出された女だとオスカーが知れば、同じ展開になることは想像がついたはずだ。

 考えなしに自分のことを話してしまったことを、後悔した。


(いや、いつかは知られることだったが)


 醜聞まみれの元伯爵令嬢という私の肩書は、この街にいる誰もが知っていることだ。

 普通の令嬢が好むことに興味が持てず、剣術にばかり傾倒した少女時代。両親に反対され、夢だった騎士にはなれなかった。婿をとって家を継ぐことが私の使命だったから。


 実家であるアディソン伯爵家の子は、私だけだった。

 十歳のときに流行り病で母を亡くし、やってきた継母と義理の妹。それから私の生活は一変した。部屋が変わり、物がなくなり、周囲から自分に向けられる目が冷たくなった。婚約者は妹とばかり会うようになった。


 普通あれだけの仕打ちを受ければ落ち込むどころではないが、不思議と私の心は凪いでいた。そもそも自分は貴族令嬢に向いていないと思っていたし、婚約者とも絶望的に気が合わなかった。


 とはいえ、やってもいないことで罵られるのは腹が立った。いつ私が家の金を使い込んだ。他家の令嬢を陥れた。妹を虐げた。婚約者を蔑ろにした。一切身に覚えがない。ついにアディソン伯爵家を出て行くことになったときは、やっと解放されたと清々しかった。


 何者でもなくなった私は迷わず剣をとり、手っ取り早く冒険者になった。充実した日々だ。魔物が多く依頼が多いこの街にやってきて、冒険者としてのランクが上がるごとに、私が元貴族だったことなどみんな気にしなくなったし、問題にもならなくなってきた。

 何よりも、思いがけずオスカーに出会えたのだ。

 しかし——つい忘れがちだが、私の過去はかなりの確率で人をぎょっとさせるものだ。


(オスカーとパーティーを組んだこと自体は嬉しいが……)


「レティシア!」


 朗らかな呼び声に振り向くと、笑顔のキースがいた。


「オスカーとパーティー組んだらしいな!」


 キースは嬉しそうだ。前世で縁のある同士がまたつながったことが嬉しいのかもしれない。私は耳が早いな、と素直に驚いた。


「そうだ……しくじった……」

「あぁ? なんでそうなる」

「オスカーは優しい。私が元貴族で妹から陥れられたと知って同情してくれたんだ」

「なーに言ってんだ、てめえ」


 同情でパーティーを組もうなんざ言う訳ねぇ、とキースは心底呆れた声を出した。しかしそうとしか思えない。


「我慢できずに毎日ついて行っていたし……」

「そもそも、あいつについて行けるのがスゲーけどな」

「私はオスカーがこの街にいる間、助けになれればそれで良かったんだが」

「パーティーを組めばずっと近くで守れるじゃねぇか、良かっただろ」


 ぽんぽんと頭を撫でられる。そういえば、彼がクリスのときもそうしてくれた。面倒見がいいのはキースになってからも同じなのだ。私も、アレックス様も、生まれ変わっても本質が変わらないのと同じで。


「私は、アレックス様のことを最後までお守りできなかったようだから」

「あのなぁ、アレックス様は……」

「レティシア」


 自分を呼ぶ声が背後から響いたので振り向くと、そこにはオスカーがいた。


「おはようございます、オスカー」

「よう、オスカー」

「あぁ、おはよう。レティシア、キース」


 オスカーがギルドで依頼を見ようと言ったので、私は頷いてキースから離れる。


「オスカー」


 珍しくキースがオスカーに呼びかけた。


「なんだ?」

「また合同で討伐でも行こうぜ。俺も混ぜてくれよ」


 キースが笑いかけ、オスカーが「そうだな」と答える。私はそんな二人を見て、胸がいっぱいになった。





 レティシアとパーティーを組んで、予想通り……いや、それ以上にうまくいっている。やはり彼女は強いし、気が利く。さすがに俺一人では受けられなかった魔物の群れの討伐依頼も二人なら余裕だし、近くのダンジョンだって楽々踏破できた。

 そろそろレティシアもゴールド級に上がるだろう。

 ゴールド級になれば国をまたいでの移動も容易になる。二人で色々な街を見て回ってもいいかもしれない。これからのことをどう考えているのか、彼女と話さなければならない。


 依頼を終え、ギルドを出たところでレティシアと別れる。そのタイミングでキースから食事に誘われたので、俺は頷いた。キースとは前々から話してみたいとは思っていたのだ。


 キースは初対面から親し気に話しかけてきた。今までもそういう連中はいたが、俺と近付きたいという思惑を持った奴らばかりだった。しかしキースの瞳には心からの親愛の情が感じられたので、そう悪い気はしなかった。

 たまに同じ依頼を受けることもあったが、キースもまた、レティシアと同じく妙に戦いやすい。俺がやろうとしていることをすぐに察して、臨機応変に対応してくる。まるで何年も共に戦った同志のように。


 疑いようもなく、いい奴だ。

 しかしキースとレティシアがやたらと仲が良いことが、気になる。


 この前なんてレティシアの頭を撫でながら、楽しそうに話していた。いやいや、キース、ちょっと近すぎないか? レティシアも、そいつは男だ。分かってんのか。

 レティシアはキースの前では表情が緩む。お互いに、特別親しい相手なのが分かる。まぁ、どちらかというと、家族のような印象だが……。


 それに何より、気になっているのは——レティシアがキースと「アレックス様」の話をしていたから。


——なぜ俺が知らないことをお前が知っている。


 そんな理不尽極まりない思いがこみ上げ、すぐに冷静になれと自分の声が留める。


 俺はどこかでレティシアのことは全て把握しているのが自然だと思っているし、彼女が誰かのために戦うのなら俺のためであるべきだと考えていた。こんなことを考えること自体、おかしいと頭では分かっているのに。



 キースに案内されたのは酒場だった。冒険者で賑わう騒がしい酒場だったが、街で最高位の俺とその次のランクであるキースが飲んでいるテーブルに近付こうとする者はいない。

 キースとの酒は思った以上に楽しかった。最近の魔物の傾向や、これまで受けた依頼で面白かった話。男同士だからこそ許される少々下世話な話。

 酒が進んだころ、勢いに任せてアレックスのことを聞いてみる。


「アレックス様のことォ?」

「お前、知ってるんだろ。そいつはレティシアにとって何だ」

「……何ってよぉ……」

「そいつは俺に、似てるんだろ」


 俺がアレックスの名を知った経緯を話すと、キースは「なるほどなぁ」と頭を抱えてうめいた。


「オスカーよ。てめぇ、なんでアレックス様のことが気になる」

「……なんでって」

「レティシアとパーティーを組んだのはなんでだ?」

「いや、お前、まず俺の質問に答えろよ……」

「いいかぁ、オスカー。レティシアはな。てめぇが自分に同情してると思ってんだ」

「はぁ?」


 思いもよらないキースの言葉に、俺は目が点になる。


「あいつも難儀な女だ。てめぇが自分に惚れてるなんて、欠片も考えねぇんだよ」

「なっ、おま、俺が、」

「そこから話しだすと面倒くせぇからちょっと黙っとけ」


 実はキースは結構酔っていたらしい。ちょっと目が据わっている。


「そもそも、なぁんで俺に聞く? レティシアに聞きゃいいじゃねぇか。直接よぉ」


 キースの至極真っ当な指摘に、俺は言葉を詰まらせた。


「いいかオスカー、ちゃぁんと思ってることをレティシアに伝えられたら、ぜんぶ教えてやるよ。どうも俺はてめぇに弱ぇからな……」


 そう言って、キースは限界がきたのか眠り始めた。おいおい、と呆れつつ、勘定を済ませると、仕方なくキースが常宿にしている宿屋まで担いでいく。

 大男をどうにか部屋に放り込んだところで、キースが「てめぇらは、昔っから世話が焼ける奴らだよ」と呟いたので、世話を焼いたのはどう考えても俺だが、と言い返したくなった。酔っ払いという人種は実に厄介だ。





 その一団の訪問は、突然のものだった。

 きらびやかな馬車の一団が街に来ているという噂を聞いたときは、どこかの貴族が立ち寄るのかとしか考えなかった。しかしたまたま目に入ったその馬車の紋を見て、私の顔は思わず歪んだ。


「申し訳ありませんオスカー、しばらく街から離れたいのですが」

「どうした」

「あの馬車、恐らく私の実家のものです」


 それだけ告げると、オスカーは目を見開いた後、頷いてくれた。

 アディソン伯爵家の馬車がこの街に来るなど、嫌な予感しかしない。伯爵家とこの街には何の繋がりもなかったはずだ。となると私を探しているのだろうが、十中八九碌な話ではない。


 私とオスカーは馬車の列の者たちに姿を見られないようにそっと脇道へ入った。


「レティシア。この機会にいっそ別の街を拠点にするか」


 オスカーが速足で移動しながら私に問いかけた。

 この街では数年を過ごした。このまま街を出るとなると、誰にも別れを告げられずに姿を消すことになる。キースや、交流していた数人の顔が脳裏に浮かぶ。

 しかしもう私はアディソン伯爵家と関わりになりたくはなかった。


「オスカーはいいのですか」

「そもそも冒険者なんて、街から街を渡り歩くもんだろ。色んな土地に行くと楽しいぜ」


 オスカーが笑う。私も覚悟を決めた。


「キースには怒られるだろうなぁ」

「またしばらくしてから謝りましょう」


 私達は拠点を別の街に移すことにした。

 長い間世話になった宿屋を引き払い、荷物をまとめる。比較的人が少ない街の南門から出ることにして、二人で南まで移動した。

 逃げるように街を出ることになってしまった。自分の事情にオスカーを巻き込むと思うと気が沈んでしまう。


「おい、レティシア」


 咎めるような声音でオスカーは私に呼びかけた。


「たぶん今、余計なこと考えてるだろう、レティシア。お前は俺の相棒だ。今さら俺から離れるなんて考えるんじゃねぇぞ」


 オスカーは優しく微笑んだ。その微笑みが、アレックス様と重なった。


 ひときわ強い風が吹いて、彼の髪をかき上げる。その瞳に宿る熱は、()と変わらないように見えた。私の心臓は大きな音を立てる。



「見つけた。探したよ、レティシア」


 そこで唐突に聞き覚えのある声が割り込んできた。

 振り向いた場所にいたのは黒髪の優男。嫌な予感とは的中するものだ。当然現れた男に、隣のオスカーが身構えた。


「……お久しぶりです、アレックス様」


 そこにいたのは、私の元婚約者であり、義理の妹の夫だった。



 元婚約者は私と話がしたいと言い、私は話すことはないと答えた。

 君に会うためにはるばるここまで来たのに、と頼んでもないことについて恩着せがましい言い方をするので、ではここで話すようにと促した。しかし彼はちらちらとオスカーへ目線をやり、できれば二人で話したいんだけど、などと言い出した。

 その間、オスカーはじっと私と元婚約者のことを観察しているように見えた。


「……分かりました。お話は聞きますが、彼が隣にいることはお許しください」

「その男は、レティシアの何かな?」

「パーティーを組んでいる大事な仲間です」

「そう。まぁ仕方ないか。でも、彼は僕たちのことを知っているの」


 僕たち、などと意味深な言い方をする元婚約者に苛立ちが募るが、確かに眉をしかめたままのオスカーにも説明が必要だと思い、私は彼に向き合った。


「オスカー。あの方は私の妹の夫で、アレックス・アディソン様です」


 アレックス。と、オスカーは小さな声でつぶやく。


「つまりお前の元婚約者か」

「そんなに睨まないでおくれよ。僕は謝罪に来ただけなんだ」

「謝罪、ですか?」


 わざわざ私を探し、彼自身がやってきた目的が謝罪。とても信じ難い。私は注意深く元婚約者を観察する。


「あの時君にかけられた疑いはすべて冤罪だったと分かった」

「……!」


 すまなかった。と、表情を変え、元婚約者は頭を下げた。


 彼は語り始めた。なんでも妹と夫婦になり共に生活していく中で、小さな棘のような違和感が様々な場面で引っ掛かるようになり、次第に彼はそれを無視できなくなったという。

 当時の帳簿や内部の調査をしたところ、妹の嘘が次々に見つかった。ようやく彼は妻がかつて訴えていたことはどれもこれも真っ赤な嘘だったと悟ったという。


「色々と、彼女の嘘も限界だった。君という隠れ蓑がなくなったのに、今までと変わらない生活をしていたのだから」

「……」

「君の悪評は晴れた。また、伯爵家に戻ってきてくれないか」


 隣に立つオスカーが息を呑むのが分かる。


 まったくこの人は、どこまで私を馬鹿にすれば気が済むのか。


 まさか私が喜んで受け入れるとでも思っているのだろうか。彼は私の言葉など何も信じなかった。見下した態度を隠そうともしなくなり、よりにもよって妹と通じた。それが今になって間違っていた、戻ってこい、とは。あまりにもふざけた話ではないか。


 何よりも、今の私にはもう、離れたくない人がいる。


「絶対に戻りません」


 私は迷わずに告げる。元婚約者が「しかし……」と声を出そうとしたところで、オスカーが一歩前に出た。


「おい、あんた。俺はこいつを手放すつもりはないぞ」


 隣にいるオスカーが静かに彼を威圧し始めた。途端にその場の空気がひりついたものになる。元婚約者は冷や汗を浮かべ、両手を上げた。


「い……いやいや、誤解しないでくれ。無理に連れ戻すつもりはない」

「本当か」

「もちろん、レティシアが戻ってくれるのが一番だとは思っているが。強要はしない。意思を確認したかっただけだ」

「では、私のことは死んだとでも思ってください」


 元婚約者は顔を歪めて自嘲気味に笑った。


「それは、無理だな。元伯爵令嬢である君が冒険者として成功をおさめたという話は王都まで届いている。君は注目されているんだよ。自覚がないかもしれないが、君たちはもう僕らの自由にできる存在でもない」


 ランクが上がるごとに、冒険者には多くの権限が与えられる。シルバー級にまでなると社会的な信用も生まれ、人々からは尊敬される。私はもうゴールド級への昇格が決まっていた。もはや私は全てを奪われた無力な小娘ではなかった。

 元婚約者はそれに、と苦笑してオスカーに目線を移す。


「まさか、君にこんなに怖いパートナーがいるとはな……。もとより俺の入る隙間などなかったようだ」


 彼はそう言いのこし、本当に帰っていった。




 ずいぶん長い沈黙の後、オスカーは別の場所で話をしよう、と言って歩き出した。

 二人で言葉少なに歩き続け、やがて街の高台に着いた。ざっと見回したが、私達の他に人はいないようだ。

 高台は眺望がよく、街を囲う壁の外の森まで見えた。立ち止まったオスカーは美しい景色など目もくれずに私を振り返る。彼はどこか落ち着かない様子だった。


「レティシア。本当に良かったのか」

「何のことですか」

「あの男のこと、好きだったんだろう」


 私はしばらくぽかんと口を開けた。そして彼の言葉を脳が理解すると同時に、不快感が沸き上がる。


「違います!」

「隠さなくてもいいんだ」

「なぜそんな話に? 確かにあの方とは婚約を結んでいましたが、一切、全く、塵ほどもそんな感情は持っていません!」


 強く否定する私に嘘がないと分かったのだろう。次にオスカーは困惑の表情を浮かべた。


「でも、お前はアレックスとかいう奴が好きなんだろ」

「……!」

「あいつの名がアレックスだと聞いて、てっきり俺は……俺と同じ黒髪だし」


 初対面でオスカーにアレックス様と呼びかけたことが、こんな誤解を生むとは思わなかった。しかし何と言えばいいのだ。あなたのことだと言っても、意味は通じない。

 言葉がでない私に、オスカーは苦い表情を浮かべた。


「でもな、よく分かった。レティシア。たとえお前が誰を好きでも、俺はお前と離れたくはないんだ。お前が伯爵家に戻ると言ったら、俺はきっと無理やりお前を攫っただろう」


 オスカーは私の手を右手で取って、左手で包んだ。


「オスカー?」

「俺はお前が好きだ」





 素直な気持ちをレティシアに告げた瞬間、一陣の風が吹いた。風が音を立てて俺とレティシアを通り抜けたと同時に、俺の脳裏に突然、身に覚えのない記憶が降り注いだ。


 残忍で、残酷で、醜い魔族ども。

 この世のものとは思えない光景。泣き叫ぶ声。絶望に彩られた顔。

 なぜだ。なぜお前らはこんなことができる?


 俺はかつて、奴らの殲滅を胸に誓い、自らの全てを捧げた。

 大切なものは全て王宮へ置いてくるつもりだった。人並外れて強く生まれたことで、周囲に強い軋轢を生むしかない自分。尊敬する兄たちから向けられる嫉妬。良からぬ企みを持つ貴族達。立場の弱い母は身の置き場もない。


 王宮を出て魔族たちを退ける。そんな俺の決意は、皆に歓迎された。


 夜も昼もなく、ただ駆け抜けた日々。奴らを殺す。全てを葬る。この国から根絶やしにするため。この手に何も残らなくてもいい。すべてを失ってもいい。


——アレックス様。


 だって守りたかったんだ、お前を。何をおいても守りたかった。俺の大切な護衛騎士。幸せになってほしかった。なのに肝心のお前は全てを捨ててついてきた。突き放せなかった。一度手放さないと決めたら、最後まで共にあれることに喜びを感じてしまった。


「オスカー?」


 レティシアが、俺を覗き込む。

 あの頃とは声も、姿も違う。でも、突然様子が変わった俺を心配する仕草はそのままだ。性格も、笑顔も、彼女のまま。


「気分が悪いのですか。どうしました」

「レティシア」

「はい」

「…………リリ、アナ」

「……!」

「リリアナ……っ!」


 衝動のまま、彼女の体を抱き寄せる。


 リリアナの体が細く儚くなっていくのを、毎日傍で見ていた。

 真面目で、強くて、可愛い人。俺より弱いくせに、俺を守ると言って聞かなかった。

 リリアナにはいつだって信頼して背中を預けられた。いつも表情を崩さないのに、笑うと花が咲いたように可憐だった。


 かつての俺が守り切れなかった女性。誰よりも愛おしかった。彼女が好きだった。


「リリアナ」


 頬に手を添える。暖かい。生きている。リリアナがレティシアになって、今ここにいる。惹かれるはずだ。彼女が彼女である限り、俺は好きになるしかない。

 目の奥が熱くなり、視界がぼやける。ぽろぽろと、涙が零れ落ちた。


「ア、ア……、アレックス様、思い出して……」

「そうだ。そうだ……! ぜんぶ思い出した。リリアナ!!」


 力を込めてレティシアを抱きしめる。腕の中にいる彼女が温かい。毒に侵されることなく、健やかに息をして、力強い鼓動を打っている。何もかもが大切で、愛おしい。


「お前が好きだ。お前が、お前だけが好きだ。そらみろ、何も覚えてなくても俺はお前を好きになった。俺の言った通りだろ!」


 レティシアの瞳からもぽろぽろと涙が溢れていた。彼女の輪郭を指でなぞる、


「俺の、勝ちだ」


 そうだ。あの日、俺達は賭けをした。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 リリアナがとうとう起き上がれなくなった。

 俺は常に彼女の隣にいた。目を開けている間にたくさん話をして、リリアナが眠ったら俺も寝る。毎朝、今日も生きていると確かめては安堵する。知らない間にリリアナが逝ってしまったらと思うと気が気でなかった。


「リリアナ。俺はお前が好きだよ」


 どうしても俺は彼女に伝えたかった。俺の気持ちを彼女に持ったまま逝ってほしかった。リリアナは儚く微笑んだ。


「アレックス様……お慕いしています」

「うん」

「申し訳、ありません……」

「なぜ謝る?」

「あなた様は、私が、たまたま近くにいるから、そう勘違いなさっている、のです」


 ずいぶんとか細くなった声で伝えられた彼女の考えは、とても俺には同意できないものだった。


「違う。俺はお前だから好きになった」

「あなた様を、微力ながら、お守りできたこと、後悔はありません……でも、あなたには、もっとふさわしい方が……」



 何を言ってもリリアナは俺が自分を愛しているということを、受け入れなかった。



「なぁリリアナ。もし生まれ変わって、何も覚えていなくても、俺はお前を好きになる」

「そのような……」

「たとえば俺が平民で、お前が貴族のお嬢様でも。俺にとっては関係ない」

「……アレックス様が、平民……。ふふ。想像が……、つきません」

「どんな状況でも、必ずお前を好きになる。賭けてもいい」


 俺はリリアナの髪を撫でながら耳元で語り掛ける。もう彼女の耳は大きな声でなければ音を拾わなくなっていた。


「では、私は……、あなたをお守りします。どのような、立場でも……」

「言ったな。じゃあ俺が勝てばお前からのキスをくれ」

「私が、勝てば……幸せに、なってください……」


 それを最後に、眠りに落ちたリリアナが目を覚ますことはなかった。


 そんな賭けともいえない、やり取り。でも俺にとっては、途方もない未来への希望だった。

 後ろでじっと聞いていたクリスは、静かに涙を流していた。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「キスをくれ、レティシア」


 レティシアは止まらない涙もそのままに、そっと触れるだけのキスをくれた。それは、これまで経験したこともないほど甘美なものだった。


「これ以上の幸せはないな」

「オスカー……」


 レティシアの銀髪を撫で、俺からもキスをする。


——もし次があったなら、どんな立場であってもお前を好きになる。


 そんな馬鹿馬鹿しい前提からしか成り立たない例え話が、こうして今現実になっている。


「私も、あなたが好きです。オスカー」


 ぽつりと返されたレティシアの言葉に、また、俺の視界が潤んだ。



**



 オスカーとレティシアが、結婚した。


 俺はもう見えない精霊に、ありがとなぁ、と語り掛ける。見えないけれど、きっとあいつらは得意げに近くを飛んでいることだろう。



 物語で見る光魔法の使い手といえば、いつだって美しい女性だ。

 それがなんで俺みたいなゴツイ男が当代随一の使い手なんだと、前世の自分はいつだって妙な気分だった。


 光魔法は、他の魔法とは違い、精霊との結びつきが重要になる。

 クリスだった頃の俺は生まれつき精霊が見えた。幼い頃から彼らと話をして、いつも一緒に遊んでいた。

 魔法を使えるようになってからは、精霊が色々と頼みごとをしてくるようになった。あの人を助けて、とか、ここに魔法をかけて、とかな。俺はできるだけそれを叶えてやった。

 他の光魔法の使い手は、ただ祈りを捧げ、彼らとの結びつきを深めているという。精霊が見える俺は、実はとても珍しい存在だったのだ。


 クリスの育ちはよろしくなかった。あばら家で育ち、小さな兄弟のために幼い頃から働いて、成長すると魔法と腕っぷしを買われ冒険者になった。たくさんの汚いものを見て育ったが、いつだって俺のそばに精霊がいた。だから生きるためには何だってしたけど、精霊が嫌がることだけはしなかった。


 そんな風に俺の育った街は別にきれいでもなければ、特別豊かでもない。でも俺にとっては大切な故郷だった。魔族の奴らが滅茶苦茶にするまでは。


 突然やってきたあいつらは遊びみたいに建物を壊して知り合いを殺した。俺は必死で怪我人に治癒魔法をかけ、家族を見つけて逃がそうとした。でも魔族はそんな俺をあざ笑うかのように目の前にあらわれた。

 もう殺されると覚悟したとき、救ってくれたのがアレックス様とリリアナだった。弟たちを庇いうずくまる俺に、遅くなってすまない、とアレックス様は言って、鬼人みたいな強さで魔族に向かっていった。

 精霊が言うままに、俺は二人の武器に魔法をかけた。そうしたら、二人は瞬く間に奴らを倒してくれた。


 故郷は滅亡を免れた。家族もみんな生きていた。全部二人のおかげだった。


 二人は俺の魔法に驚いて、感動しながら、丁寧に礼を言ってくれた。汚い格好の庶民の俺に。


 アレックス様は、これから魔族討伐の旅に出るつもりだと言った。精霊は俺に、彼らを助けてあげてと頼んできた。俺は精霊に言われなくてもそのつもりだった。

 俺はこのとき死ぬはずだった自分の命を、二人のためにかけた。



 たくさんのものを失って、ようやく果たせた大願。

 しかし、こいつらに残ったものは一体なんだ。


 俺はやりきれなかった。

 人のために戦って、全部失って、もうすぐ死ぬだと。一番叶えたい想いは来世に賭けるなんてふざけてやがる。なんでこいつらが、こんな目に合うんだ。


 楽しそうに俺の周囲を飛ぶ精霊たちに、俺は語り掛けた。


——なぁ、俺は今までお前らの頼み事をさんざん聞いてやっただろ。だから、あいつらの望みを叶えてやってくれよ。なぁ、頼む——


 思い返せば、俺が精霊に頼みごとをしたのは、あの時が最初で最後だった。




 幸せそうに笑い合う二人。これから色々な街を回る予定だという。キースも一緒に来ないか、と誘われたが、馬に蹴られるのはごめんだと断った。


「キース。お前の幸せを、私はずっと祈っている」

「はは。新婚なんだからてめぇらの幸せのことだけ考えろよ」


 俺がそう返すと、レティシアは不満そうな顔をした。隣のオスカーがじっと俺の目を見る。


「お前は昔からいつだって人のことばかりじゃないか。そろそろお前も自分のために生きろ」

「なーに言ってんだ」


 平民の俺を助ける為に躊躇無く魔族の前に立つ奴がよく言うぜ。いつだって自分のことは後回し。王侯貴族様なんだから王宮でぬくぬくと生きてりゃ良かったじゃねぇか。


 いいから黙って今世では自分のために生きやがれ。


「……ありがとなぁ」


 また会おう、と約束をして、笑顔で手を振る。


 抜けるような青空の下、確かな足取りで歩く二人に、絶対に幸せになれよと俺は小さくつぶやいた。




〈了〉



最後までお読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
2人が結ばれるところまででもかなり良かったのに最後のキース視点で涙腺が崩壊しました...
泣きました キースを、一人ぼっちでずっと二人に寄り添った優しすぎる彼を幸せにする話を 書いてくれると嬉しいです こんな立派な人はいませんよホントに
短編とは思えないほど読み応えがありました。レティシアとオスカーが今世こそ幸せになれそうで良かったです。キースも!絶対幸せになって欲しい!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ