19話 『信頼』
「……これは、思っていた以上に酷いですね」
「うげぇぇ……。神経ガス多すぎだろ。一応ハンカチで口抑えてるけど、これ本当に意味あるのか?」
「しないよりはマシです。それより……」
「"アレ"をこれで本当にどうにか出来るのかが問題です」
そう言って月渡さんは上を睨みつける。
それに釣られてクルクルと空を回りながら、桃色の神経ガスを撒き散らすビースト化している遊蓮さんを見た。
その大きさは一軒家くらいなら軽々包めるくらいの大きさで、羽を広げて自由に飛び回るその姿は黒い影に覆われてる体も相まって恐ろしいほど美しい。
「あんなに大きいんじゃその対……。なんだっけ、とりあえずそれで本当に捕まえれるんですか?」
「"対捕縛用電撃砲"です。まぁまず無理でしょうね」
「ダメじゃん!!!」
「結論を急がないでください! 確かに、"捕まえるのは"無理です。けれど"動きを止めるのは"可能なはずです」
「……あ、そっか。別に捕まえなくても動きを止めて正気に戻せばいいのか」
「そういうことです」
確かに一理ある。
捕まえられなくても電撃で弱らせてしまえば能力の使用も出来なくなるはずだ。
その隙に翡翠ちゃんに治してもらえばいいのか。
"止めなくちゃ"という気持ちが先行しすぎた。
遊蓮さんも歌舞伎町の人たちも助けるんだろ!し っかりしろ!
「! 来ましたよ!」
「うわぁぁぁ!? いきなり飛ばしすぎじゃね!?」
「ちっ……! こんなに素早いんじゃ標準が安定しない……!」
俺たちを視認した遊蓮さんは、まるで空気を切るかのように急降下し、俺たちに突っ込んできた。
あまりの素早さに慌てて回避行動に移り、衝突は免れたものの、そのあまりにも早いスピードにより凄まじい風圧で体が吹っ飛ぶ。
遊蓮さんはそのスピードを緩めることもせず、目の前の建造物に激突する。
しかし、それが堪えた様子もなく、瓦礫の中からのそりと起き上がった。
ゆっくりとこちらを振り向く遊蓮さんの目は妖しく光っている。
「これが宝石獣……。神経ガスだけじゃなくて本体も警戒をしなくてはこちらが死にますね」
「苦土さんの怪力はシンプル脅威だったけど、遊蓮さんの神経ガスは別ベクトルでヤバすぎる! なんでどいつもこいつもやべぇ能力持ってんだよ!!!」
「キュァァァァァァァ!!!!」
「なんだ!?」
「マズイ! 息を吸うな!!!」
遊蓮さんが飛んできたおかげで周りの神経ガスが消え、少し余裕が出たと思ったがまぁそこまで馬鹿では無い。
翼を広げ咆哮を上げたあと、その体から途轍もない量の神経ガスを放出し始める。
視界が桃色に染まり何も見えない。
幸いなことに、一度に大量の神経ガスを吸わない限り失神することはないらしく、出来る限り息を止めて苦しくなったら軽く息を吸えば失神することはない。
失神することはないってだけで、末端の痺れや息苦しさはあるけどまぁまだマシだ。
この状況を唯一把握することが出来るのは聴覚のみ。
ガスを吸わないように必死に口と鼻を塞ぎ、ガスのせいで霞む目を無理やりこじ開ける。
そして俺の耳は何かが羽ばたく音を聞いた。
次に霞む俺の目は目の前で影が蠢くのを目撃する。
「……っ! あっぶね! もしかしてこれまた俺が執拗に狙われるパターン!?」
「何言ってるんですか! それよりも大丈夫ですか?」
「う、うっす……。なんとか……。でも正直俺に突っ込んできてくれて助かりました。そのおかげで周りの神経ガスが吹き飛んで余裕が出来た」
「まぁ、その余裕も直ぐに無くなりそうですが」
「それはそう」
俺たちの目に映るのは再び翼を広げる遊蓮さんの影。
一筋縄では行かないと思ってはいたもののこれじゃあジリ貧だ。
どうする。考えろ。この状況を打開する策を!!!
「キュイィィィィィィィ!!!!!」
「って!!! 考えてる余裕なんてねぇぇぇぇぇ!!!!」
「ちょっと黙っててくれません!?」
またこっちに突っ込んできたかと思ったら、今度は飛びながら神経ガスを撒きながらの突進に為す術なく逃げ回る。
こんなの止める以前に俺たちの息の根が止められかねん。
月渡さんは横で喚き散らす俺を鬱陶しいと思ったのか目を釣りあげて怒鳴ってきた。
やっぱりこの人なんかキャラ違くね!?
「ちっ! ですがあなたの言った通りこの状況をどうにかする策が浮かばないのは事実……! ここはひたすら隙が出来るまで逃げますよ!」
「……あれ、今舌打ちしました????」
「……してません」
「嘘だ!!! 絶対舌打ちしてた! 俺の聴覚はな、夜中の蚊の音を絶対に聞き逃さないんだぞ!?」
「それ自慢出来る事じゃねぇよ!!!!」
「てかそんなの俺でも出来るわ!」と言われ俺は今日一のショックを受ける。
嘘だろ……? これ俺だけの特技じゃないのか……?
「んなくだらないこと言ってる暇はありませんよ! マジでこれどうするんですか!?」
「なんで現実に引き戻すの!? 分かんないからくだらないこと言ってたのに!」
「何現実逃避してんだ!!!!」
ちなみにこの会話、後ろで猛スピードで近寄ってくる遊蓮さんから全力で逃げながらしてる。
つまり何が言いたいかって?
「超! ピン! チ!!!」
「くそっ! 一か八か、正面から狙うか……?」
「それ絶対やめた方がいいっすよ! 引き金引く前にひき肉になりますよ! 引き金だけに!」
「ぶっ殺しますよ!?」
2度……これを含めて3回直接暴走状態になった宝石獣を見たが、それで分かったことがある。
俺たち"人間"じゃ宝石獣は真っ当な方法で倒すことは出来ない。
俺たち人間が宝石獣に勝つ方法は1つ。
知恵を振り絞り小細工で倒すことだ。
「……」
「金剛くん?」
もし、もしもだ。この仮説が正しければ、この現状を打開出来る可能性が高い。
でもそれが俺の気の所為だったら? もし仮説が正しかったとしても俺は生きていられるのか?
……いいや、迷ってる暇は無い。
「月渡さん! 俺が囮になります! 俺が時間を稼いでる間、どうにか隙を見つけてください!」
「!? 何を言ってるんですか!? そんなことさせられるわけないでしょう! 第一、君が囮になっても食いついてくるとは……!」
「大丈夫です。俺を、"信じて"」
「!」
「じゃあ俺が死ぬ前に何とかしてくださいね!」
「あっ……」
月渡さんが何かを言ってくる前に、俺は右方向へ走る。
狙い通り遊蓮さんは俺に向かって一直線に突進を開始した。
やっぱりだ……! どうやら俺は"暴走状態になった宝石獣から狙われる"体質らしい……!
気になることは沢山あるがそれは後だ!
とにかく今は、遊蓮さんを引きつけるのが俺の役目。
「キュァァァァァ!!!」
「へいへーい! 鬼さんこーちら! てーのなーるほーうへ!」
「キュァァァアアアアアアア!!!」
「ゲホッ! やっぱりこの神経ガスキツイな……! いつまで持つ……? いや、その前にきっと月渡さんがどうにかしてくれる! それまで何とか気を引かねぇと!」
俺を信じてと言ったが、その逆も然りだ。
俺は月渡さんを"信じてる"。
あの人は多分、素の性格はあんなに良くない。
それでもこの街の人を守るという覚悟や、俺を心配してくれていた心は本当だ。
だから俺はあの人を信じる理由がある。
「と言っても、そろそろ限界なんだよな……! どうにかして遊蓮さんの隙を作んねぇと……」
とは言えどうする。
遊蓮さんは一筋縄じゃいかないだろう。苦土さんとは違い、明確に何かを思考し実行するという人間的知性が残ってるような気がする。
それに辺りは神経ガス1色で何が利用するということが出来ない。
完全に八方塞がりだ。
でもきっと、何かあるはずなんだ。
……そうだ、なんで遊蓮さんは俺の位置が正確にわかったんだ?
辺りは神経ガスが大量に漂っていて視認性は皆無。
だけどあの時、遊蓮さんは的確に俺の居場所を認識していた。
遊蓮さんは"周りが見えない状態でも俺を認識できる"何かがある……?
「! キュウァァァァァ!!!」
「ちっ! 外した!」
「月渡さん!?」
ちょうど遊蓮さんの死角から放たれた弾丸のようなもの。
遊蓮さんはそれに気が付き、翼を大きくばたかせて風圧で弾き飛ばした。
もしかして……と俺は目を見開く。
今の弾は完全に死角からの攻撃だった。
しかし、それをまるで察知したかのように遊蓮さんは落ち着いて対処をしていた。
俺は試しに神経ガスを振り払うように腕を振るう。
「! キュァァァァ!!!」
「やっぱりだ……!」
腕を振った瞬間、遊蓮さんは俺を今認識したかのように声を上げていた。
つまりだ、遊蓮さんは神経ガスの動きを通して俺たちを認識していたんだ。
だから遊蓮さんは、別に俺たちが見えてるわけじゃない。
恐らくだが……遊蓮さんは神経ガスを放出させるだけの能力じゃない。
よく思い出してみれば遊蓮さんは、初めて俺に能力を見せた時、放出したアロマを操っていた。
この神経ガスを通じて、俺たちに動きを認識する能力はこれの延長線に当たるんじゃないか?
なら、やりようはある。
「月渡さん! 遊蓮さんは神経ガスの動きで俺たちの認識してます! だから死角からの攻撃はまず無理です!」
「! なるほど……、神経ガスが……」
神経ガスで俺たちの居場所を把握しているのなら、それを逆に利用すればいい。
俺はとにかく捕まらないように、遊蓮さんの周りを走り回る。
そうして俺の意図を察してくれたのか一緒に走り始め、石などの投げられるものを拾い始めた。
そして拾った石を遊蓮さんに向かってとにかく投げ始める。
「キュァァ!?」
「おっし! 効いてる!」
思った通り神経ガスの揺らぎでしか俺たちを認識するすべがないおかげで、周りを走り回り石を投げまくるだけでいとも簡単に混乱した。
そのおかげで俺への攻撃が止み、俺も少しでも"対捕縛用電撃砲"を決めるために石を投げる。
投げられる石の数が増えたせいで、何を避けたらいいのか分からなくなった遊蓮さんは石を無闇矢鱈に弾き飛ばした。
「キュァ……!」
「……あれ、なんだ……?急に動きが……」
俺の投げた石がたまたま遊蓮さんの顔に当たった瞬間動きを止め、ただただ何かに絶望し尽くしたかの様にその場で立ち尽くす。
突然なことに石を投げる手が止まる。
なんだ、この違和感……。
「今だ!」
「あっ、ちょっと待って!」
「キュァァァァァァ!!!!」
俺の制止も虚しく、俺の言う通り隙を見逃さず月渡さんは"対捕縛用電撃砲"の引き金を引いた。
"対捕縛用電撃砲"の威力は聞いていた通りとてつもないほど強いものだった。
弾が遊蓮さんに着弾した瞬間、弾から巨大な網が出てきて翼に巻き付く。
巻き付き終わったあと、こちらにも余波が来そうなほどの電撃が遊蓮さんを襲う。
苦しそうな咆哮を上げた遊蓮さんは暴れ始め、けれど、それも電流を強くするのか暴れるほど電流もそれに比例して強くなる。
数分ほど続いた抵抗は遊蓮さんが地面に倒れたのと同時に、もう攻撃する必要が無いと判断したのか電撃は止まった。
神経ガスはと言うと遊蓮さんか気絶した数十秒後に霧散した。
「……はぁ〜〜〜〜。もうなんなんだったんですか……」
「あ、えっと……とりあえずお疲れ様です」
「ありがとうございます……。金剛くんもお疲れ様です」
「うす!」
「と、言いたいところですが……。全く! 自ら囮になるとか何考えてるんですか! 結果的に何とかなったからいいものの、下手したら死んでたんですよ!
君は一般人なんですからこれからはあのような無茶はしないこと!」
「あ、ハイ……」
凄まじい剣幕で怒られた俺は、ただ返事をすることしか出来なかった。
だけどここまで心配してくれるのは少し嬉しい。
ある程度説教したら満足したのか「はぁ……」とため息をついたあと遊蓮さんに再び目を向ける。
「で、コレはどうするんですか?」
「暴走状態になった宝石獣は翡翠ちゃんの力で元に戻せるんです。だから店から翡翠ちゃんを連れてきて……」
ピクリと、気絶したはずの体が動く。
少しづつ、本当に少しづつ、再び桃色の煙が溢れ出す。
この展開、少し前もあったような気がするな……。
「ギュァ"ァ"……ギュァァァァァァァ!!!!!」
彼女は、世界に異議を唱える。