8話 『ある日、くまさんに出会った』
「……」
一睡も寝れなかった……。
そのせいでものすごく眠い。
部屋にあった姿見で顔を見てみると、それはもう酷い顔だった。
目の下にはおぞましいほどのクマをべったしこさえて、尚且つ髪はボサボサ。
戦場から帰ってきたのかと思わんばかりの姿に、自分でも呆れ返り、寝不足のせいで頭がフラフラすることに腹を立ててしまう。
「はぁ……」
普段なら、こんな状態で学校には行かないが、もしかしたら、今日は瑠璃が学校に来るかもしれないという考えから、ハナから俺の中に学校を休むという選択肢は無い。
寝不足で頭の回らない状態で、制服へ着替える。
眠気から瞼が降りそうなところで必死こいて、瞼をこじ開けながら俺は自室の扉を開けた。
「あ?なんだ今日は早いじゃねぇ……どうしたお前」
「顔ひどいよ〜?」
「ほっといてくれ……」
ここ最近のルーティンとして、俺を起こしに来た焔と翡翠ちゃんとちょうど鉢合わせ、焔は俺の顔を見てドン引いたような顔をしていた。
普段ならショックを受けていたところだが、自分でも酷い顔をしている自覚があるので何も言えない。
一方、翡翠ちゃんは心配そうに俺を見上げていて、俺の荒んだ心に癒しをもたらしてくれる。
「はぁ……。俺たちはこれから用がある。2日3日ぐらい帰って来ねぇよ」
「は? なんだよいきなり。用ってなんだよ」
「調べ物!」
「調べ物? なんの……」
「んなことより、さっさと飯食いに行くぞ」
そう言って、焔と翡翠ちゃんは一足先にリビングに降りていった。
俺も急いで2人の後を追い、リビングに降りる。
「おはよう、アキちゃん……。って!? どうしたのその顔!?」
「ははは……おはよう母さん。顔のことは気にしないでくれ」
「おばさん飯」
「え、ええ……。そこに用意してあるわ」
俺は母さんに心配されながらも、用意されていた朝飯を完食した。
焔と翡翠ちゃんは宣言通り朝飯を食べたあと、直ぐに家から出ていく。
調べ物をするため数日は帰らないと言っていたが、調べ物でそんなに時間かかるものなのか?と俺は思った。
しかも何を調べに行くのかも教えて貰えず、俺はモヤモヤとしながら朝の身支度を済ませ、学校に行く準備を終えた。
「本当に行くの? 具合悪そうだし、休んでもいいのよ?」
「いや、行くよ。お弁当ありがとう。行ってきます」
「ええ……行ってらっしゃい」
母さんに心配させてるのは申し訳無いが、俺は鞄を持って玄関の扉を開ける。
「あ、そうだ! アキちゃん、最近熊の目撃情報が上がってるから気をつけてね!」
「わか……熊?????」
熊、クマ、くま……?
もしかして俺寝惚けてるのか?
ここら辺に熊がいるような森とかあったけ???
「熊? なんで熊??? 近くに森なんてあったけ」
「さぁ……。どうだったかしら……。でも学校の近くの住宅街で目撃情報があったから気をつけてね」
「えぇ……。まぁ分かった。気をつけるよ」
まぁ熊なんて早々会うことなんてないだろうし、いいか……。
この時の気楽な気持ちでいた俺を、猛烈に殴りたいと思う2時間前の話だ。
──────────────
「……」
「晟! おは……どうしたのその顔」
「ほっといてくれ」
デジャブ。
この会話今朝にもやった気がする。
学校の校門に着いた俺は、いつものように田中と合流した。
田中は俺を見つけると、片手を上げ挨拶をしてくる。
が、俺の顔を見てすぐさま顔を顰める。
「いや、本当にどうしたのその顔」
「や〜、実は寝不足で……」
「もしかして夜遅くまでゲームでもしてた? ダメじゃないか。ちゃんと寝ないと」
「はい……」
ゲームをしてた訳では無いが、夜寝なかった俺の責任だから、特に言い返さずに素直に注意を聞き入れた。
正直今も眠くて仕方がない。
これからはどんな事があっても、ちゃんと寝ようと教室に向かう途中の廊下で欠伸をしながら、そう決意する。
「はよ〜」
「おはよう」
教室の扉を開け、やはり今日も聞こえてこない声に落胆した。
相変わらず席に居ない瑠璃の心配がさらに募る。
「……今日もいないね、清水さん」
「そうだな……」
「心配、だね」
「……ああ」
田中はいつもよりも数段落ち込んだ表情をしており、俺の脳裏には昨日の焔との会話が過る。
瑠璃が宝石獣である可能性。
それを確かめる術は、今の俺にはどこにもない。
そうしているうちに朝のホームルームを伝えるチャイムが鳴り、俺たちは各自の席へと腰を下ろした。
学校での一日が、始まる。
────────────────
「……」
「その、晟。これから体育だけど大丈夫? 一限と二限、寝てて先生に怒られてたけど……。顔色も悪いし保健室に連れていこうか?」
「や、大丈夫だ……。体を動かす分眠ることもなければもしかしたからこれから目を覚ますかもしれねぇし」
「ならいいんだけど……。みんな更衣室に行ったから俺たちも行こう」
「うす」
案の定、俺は一限二限共に眠りこけ盛大に教師たちに怒られ、心身ともにヘトヘトになっていた。
三・四限は体育で座学よりは眠気はマシになるだろう、という一介の希望をかけ、保健室に連れていくという田中の提案を断る。
そのまま俺は着替えるために田中と一緒に男子更衣室へ急いだ。
「お、晟お前大丈夫か〜? 先公たちにバチくそ怒られてたじゃねぇか」
「最近元気ねぇしどうした? もしかして清水さんが来てないから落ち込んでんのか? もしかしてお前清水さん好きなわけ?」
「やめとけやめとけ。俺らと同じ平凡なお前が万が一にも清水さんとお近付きになれるわけねぇだろ」
「うるせぇな! 少しは黙って着替えろ! てかそんなんじゃねぇし!」
「というか晟は清水さんに気に入られてるから君たちよりはお近付きになってるよね」
「おいやめろよ田中! それは俺たちに効く!」
更衣室に入った瞬間、クラスの男どもにもみくちゃにされ、慰めてるのかからかってるのか分からない言葉をかけられる。
正直瑠璃がいないのことを気にしてるのは事実なので、図星だったりするのだが、決して俺は瑠璃が好きだからという訳では無い。
決してだぞ 。 ※大事なことなので2回言いました。
瑠璃は成績優秀、容姿もいいため、密かにファンクラブが出来るほどモテている。
そのため田中の言葉の刃に急所を突かれた奴らは、胸を押えてよろめく。
こんな馬鹿馬鹿しいやり取りでも、今の俺とっては気が紛れ、救われた。
「茶番はやめて早く着替えてグラウンド行くぞ」
「ん? ああそうだな。てか今日何やるんだっけ」
「俺たちはサッカー、ちなみに女子はバスケな」
「うげっ、サッカーってことはゴール用意しなきゃいけねぇじゃん。サッカーは嫌いじゃねぇけど用意がめんどいよなぁ〜」
「文句言っても仕方ないし、早くグラウンドに行こうよ」
「しゃーない、行くかぁ」
着替え終わった俺たちは、ゾロゾロとグラウンドに向かって歩き出した。
各々くだらない雑談をしていたとき、ふと田中が俺に話しかけてくる。
「そういえば聞いた? 最近ここら辺で熊の目撃情報があったって」
「あ〜。そういえば朝母さんから聞いたわ」
「それ俺も聞いた! なんでもここの近くの住宅街の路地裏で見つかったとか……」
「熊ぁ? ここの周りに熊の出る森なんてあったか?」
「さぁ。でも今警察が捜索してるみてぇだしいつかは見つかるだろ」
「ま、警察が捜索してくれてんなら俺たちは大丈夫だろ」
「だよな〜」
俺が朝、母さんから聞いた熊の話をグダグダと話し続け、熊の話題が尽きる頃には俺たちはグラウンドについていた。
既にグラウンドには体育教師がいて、俺たちは整列を開始する。
「おー来たか。じゃあお前たち今日はサッカーをするからゴール用意しとけ」
「うす」
先生の指示に俺たちは、サッカーのゴールを用意しようと動いた。
けれどその瞬間俺たちを襲ったのは、地面を揺らすほどの衝撃だった。
「うおっ!? なんだ!?」
「立ってらんねぇ!!! なんだよ急に!!!」
「お前たち落ち着け! とにかく頭を守れ!!!」
突然のことにパニックを起こし始める。
先生の指示により俺たちは少しだけ平静をとりもとすが、それでも混乱は収まらない。
けれど俺だけは、この状況に既視感を感じていた。
この状況……、経験したことがあるような……。
「グォォォォォォ!!!!!!」
「っ!?」
目の前に大量の土埃と共に、グラウンドを囲っていた柵が破壊される音と、空気を揺らすほどの咆哮が聞こえたのはほぼ同時だった。
俺は咄嗟に大量の土埃と細かい瓦礫から顔を守るように、両腕をクロスするように顔の前に出し、顔を守る。
土埃が収まりおそるおそる目を開けると……。
「グルルルルル……」
「……」
あるー日、グラウンドの中。
くまさんに、出会った。
煙たいグラウンドのなーかー、くまさんにー出会ーったー♪。
「いやどういうこと!?!?!?」
俺の目の前には涎を垂らしながら、歯を剥き出しにして唸ってる熊がいた。
俺は尻もちをつき熊を見上げる。
(こいつ、額に宝石がついてる……)
「まさか……っ!?」
こいつ、宝石獣か!?
そう気がついた瞬間、目の前の熊の宝石獣は再び耳を劈くような咆哮を再び放たれた。
俺はつい両耳を塞ぐ。
片目を何とかこじ開けると、俺はここにいてはいけないと確信する。
俺の目に飛び込んできた光景は、足を怪我したのか足首を押えながら蹲る田中と、それを気遣うクラスメイトの姿。
熊がその2人に近づこうとしたとき、俺は意を決して立ち上がり声を上げる。
「おいお前!!! 俺はこっちだ! ついてこい!」
「!? 金剛!? どこに行くつもりだ!」
「すんません先生! ちょっと授業から抜けるっすけど緊急事態なんで成績は引かないでください!」
「そういう問題じゃ……! 待て! 金剛!!!」
「晟……っ! 何する気で……!」
「田中! お前は無理すんなよ! 佐藤! 田中を頼んだぞ!」
「晟!?」
みんなが引き止めてくるのを振り払い、俺はみんなに被害を出さないため、宝石獣を引き付けながら学校の外へ飛び出した。
そのまま俺は住宅街へ逃げて、逃げて、逃げ続けた。
遂に体力が尽きた俺は、恐怖を抱きながら宝石獣と向き合う。
「……」
「ガァアアアア!!!!」
目の前にいる宝石獣は全身が黒く染っていて、その顔には理性のりの字もない。
恐らく、影によって凶暴化させられているのだろう。
今ここには翡翠ちゃんはいない。
この騒ぎを聞き付けたら、あの二人もやってくるはず。
それまで、こいつを引き止めておくのが、俺の仕事だ。
「ヴゥ"ゥ"ゥ"ヴ……!」
「!? おいおいおいおい……っ! 嘘だろ!?」
しかし当然動き始めたと思ったら、熊の宝石獣は近くにあった電柱を根元から引き抜いた。
それを掲げ、手に持った電柱を俺に向け投げ始める。
「ちょ!? 待て待て待て待て!!! いきなり飛ばしすぎだろ!!!」
ここで1つ、熊と遭遇した場合、熊を見ながらゆっくりと後退するのが常識だ。
1番やっていけない対応は、背中を見せて急いで逃げること。
そう、つまり今の俺の状況は……。
「うわぁああああ!? マジで電柱投げてくんのやめろよ!!! あと追いかけてくんな!!!」
「グォオオオォォォォォ!!!!!!」
いっちばん最悪な対応なのである。
しかし1つ言い訳させて欲しい。
バカデカい熊が電柱をまるで、地面に落ちてた石を拾って投げるみたいな軽さで投げつけてくるんだぞ!?
そりゃ背中を見せて全力で逃げるだろ!!!
そしてここでまた1つ豆知識。
熊は100mを6秒で走れる脚力を持ち、木登りも泳ぎも得意な化け物だ。
つまり何が言いたいかって?
「イヤァアアアア!!!!! お前走るの早すぎなんだよ!!!! しかも軽いジャブみたいな感覚で電柱投げつけてくんのやめて!?!?」
「ガァアアアアアァアアアアア!!!!!!!」
「お願いだからほんと人の言葉喋って!?」
今すぐにも追いつかれて食われそうです助けてください
「ガァアア!!!」
「どうわぁ!?」
熊の宝石獣は、俺の真上を飛んで目の前に回ってきたと思ったら、俺の顔スレスレに腕を振り下ろしてくる。
ギリッギリのところで何とか避けたが、どうやら水道管に腕が直撃したのか、大量の水が吹き上がってきた。
熊の宝石獣も俺も全身びちゃびちゃになり、目の前に回られたことで、逃げ場がなくなり本格的に死を覚悟したが、俺はあることを思いつく。
こいつが水道管を破壊し、地面も水浸し。
そして同時に電柱がそこらに転がり、無理やり破壊されたことで電気がバチバチと爆ぜている。
この2つを利用したら、こいつを止められるんじゃないか……?
「一か八か……当たって砕けろだ……!!!」
「来い!!! 俺がお前に今までにない衝撃を与えてやる!!!」
「グォォォォォォ!!!!!!」
俺は今回は態と大きい声を出し、熊の宝石獣に背中を向ける。
そしたら狙い通り、熊の宝石獣は俺を目掛け全速力で走りよってきた。
俺の走る速度では簡単に追いつかれる。
だから俺は目の前に聳え立つマンション目掛けて、俺はギリギリで足元に広がる水溜まりを利用し
横へスライディングする。
水溜まりの影響によって、滑りやすくなった地面のおかげで、俺が熊の宝石獣に追いつかれるよりも先に避けられた。
「ガァァ!?」
「おし!」
狙い通り、俺が急に方向転換したせいで、熊の宝石獣はスピードを緩めることが出来ず、目の前のマンションに激突し、強制的に動きを止めた。
電柱が他よりも多く、かつ足元に広がる大量の水溜まり。
そして何より、熊の宝石獣自体がびしょ濡れという条件。
「ガァアアアアアアァアアアァァァア!!!!!!!!」
俺が狙った通り、熊の宝石獣は感電を始め今までで1番の咆哮を上げた。
ビリビリとこちらまで痺れそうになるほどの電流が迸り、熊の宝石獣は数分足らずで動きを止める。
少し焦げ臭いが、何とか止めたことに俺は安心して その場にへたれこんだ。
「お、わったぁ〜!!!! マジで死ぬかと思った……」
「焔のやつ、まだ来ないのか? 正直もう動けそうにねぇから早く来て欲しいんだが……」
走り回ったせいで、既に体力は底を尽き焔たちが来るのをただ待ち続ける。
熊の宝石獣のそばで待つのは気が引けるが、こいつを野放しにするのはよくないと思うので、ここに留まることを決めた。
ぶっちゃけ、もう動きたくないだけなんだが。
まぁ、待ってりゃいつかは焔たちも来るだろうしそこまで気にしなくても……。
「……」ピクッ
「ん? なんか今ちょっと動いたような……」
「ガァ……! グォォオオオオォ!!!!!!」
「はっ……!? 嘘だろ……!? もう動けねぇはずじゃ!!!」
もう動かないはずの熊の宝石獣がいきなり行動を再開し始めた。
いいや、"動かないはず"と俺が決めつけただけでこ いつが動く可能性はあったんだ……!
とにかくこの場から離れないと!!!
「っ!? うっ……!」
立ち上がった瞬間、俺の足は縺れ無様にもその場に倒れる。
既に限界が来ていた俺は少しづつ、目の前の瞼が閉じ始めた。
くそっ……! 寝不足の影響が寄りにもよってこんなときに……!
「ガァアアアアアァアア!!!!!」
「はや、く……! こいよ……!」
「焔!!!!!」
すぐ後ろで、腕が振り下ろされた音を聞きながら俺は早く来いと、その名を呼んだ。
その瞬間、ぶわっと桁違いの熱量が俺を包み尋常ではない量の炎が俺の上を通過する。
真後ろで聞こえてくる悲鳴を他所に、俺は目の前にいる男に悪態をつく。
「来るのが遅せぇよ。おかげで死んだかと思っただろ」
「うるせぇな。テメェが貧弱なのが悪ぃんだよ」
「けっ、相変わらず上から目線なこった」
「で、勝てんのか」
「誰に言ってやがんだ」
負ける気がしねぇ、と自信に溢れた様子の焔はそう言った。