勇者と魔王の卵勝負
深い堀に囲まれ、重厚な石垣が幾重にも建てられた、ここは魔王の城。
魔王の城の最奥部、魔王の玉座では、勇者と魔王の戦いが繰り広げられていた。
勇者の剣が振り下ろされ、魔王の盾が受け止める。
ガギン!と金属から火花が散って、勇者と魔王が後ろに飛んで間合いを開く。
もう何時間もずっと打ち合いは続いていて、勇者も魔王も汗びっしょりだ。
技量は全くの互角。先に疲れて折れた方が負ける状況だった。
勇者は額から流れる汗を拭い、次の攻撃に備えた。
すると、魔王の方は、剣を鞘に収めて、軽く両手を掲げておどけてみせた。
「さすがは勇者だ。
魔王であるこの俺と、互角に渡り合うとはな。
そんな貴様を見込んで、提案がある。」
「・・・何の話だ。
言っておくが、例え世界の半分をくれてやると言われても、
私は魔王の部下なんかにはならないぞ。」
「ふふふ、そうではない。
せっかくこうして、勇者である貴様と、魔王である俺が、顔を合わせたのだ。
これから一緒に晩餐をしないか。」
「晩餐?」
「つまりは夕飯だ。もう何時間も戦い続けて、お互いに腹も減っただろう。
このままでは飢えて相討ち、なんて結末もありえる。」
「魔王を倒せるのなら、私は相討ちでも構わない。」
「そうしたら、他の魔物が次の魔王に取って代わるだけだ。
それでは勇者である貴様の目的は達成できないだろう。
だから、ここは一度、休戦して晩餐にしよう。
魔物たちよ!晩餐だ。夕餉の準備をしろ。
俺と勇者の二人分だ。」
「な、何を勝手なことを。
私は魔王と同じ食卓を囲うなんて・・・」
と、そこまで言いかけたところで、勇者の腹の虫が盛大な鳴き声を上げた。
確かに、魔王の提案は正しい。
勇者は魔王だけを倒しても、自分が倒れては意味がない。
魔物たちに、魔王よりも強い勇者が健在であることを見せつけなければ。
ここは一旦、剣を収めるべきだろう。
そうして勇者は魔王の招待を受け、晩餐を共にすることになった。
場所を移動して、ここは魔王城の食堂らしき部屋。
長大な長テーブルに真っ白なテーブルクロスが敷かれ、
調理用白衣姿の魔物たちによって料理が配膳され並べられている。
長テーブルの最も遠い席同士に座った勇者と魔王は、
まずは配膳された飲み物の入った盃を掲げあった。
「我々、魔王と勇者の剣技に、乾杯。」
「・・・乾杯。」
魔王は盃の中身を一口に飲み干したが、
勇者は注意深く匂いを嗅ぎ、色を確認し、ほとんど口を付けなかった。
そんな様子を見て、魔王が笑う。
「ふっふっふ、毒でも入っていると思ったか?
今更、そんな小細工を弄するつもりはない。」
そうして魔王の城の晩餐会は、前菜から始まり、
料理が次々と配膳されていった。
魔物が作る料理は、それ自体は人間の食べ物とそう変わらない。
しかし、肉や野菜の中には得体の知れない物が含まれていた。
料理の香りに鼻を引かれ、勇者も少しずつ料理に口を付けていく。
これは植物型の魔物の葉だろうか。食肉と植物を混ぜたような味がする。
トマトかと思ってナイフを入れた野菜からは、生肉のように血が滴った。
しばしの食事の間。
勇者と魔王はお互いについて語り合った。
「ではお前は、元は人間だったと言うのか?」
「そうだ。
もう何年前だったか。俺は一介の盗賊だった。
それがこの魔王の城に忍び込んで、
どういうわけか魔王なんてことをやるようになった。」
「では、お前は今はもう人間ではないのか?」
「そうではない。
俺はかつて魔物になることを選んだが、それは永遠ではない。
期限が過ぎて、今はただの人間に戻っている。
人間と魔物とは、実は種としてはそれほど遠くないのだ。
貴様の方こそ、生まれてからずっと勇者だったわけではあるまい?」
「あ、ああ。
私はある農村の生まれで、幼少の頃は棒きれを剣の代わりに遊んでいた。
それがいつの間にか認められ、今では勇者などと言われている。」
「ということは、俺も貴様も予期せず魔王と勇者になったわけか。」
魔王と勇者の間に、静かで和やかな時間が流れた。
するとそこに、シェフの格好をした魔物がやってきた。
「魔王様、勇者様。
こちらが本日のメインディッシュ、魔物の卵でございます。」
差し出された皿には、禍々しい模様の殻を纏った大きな卵があった。
「これは・・・?」
「貴様はこれを見るのは初めてか。
魔物の卵は、滋養強壮にとても効果があるものだ。
心配するな。毒など入ってはいない。基本的には家畜の卵と同じだ。
俺も以前は度々口にしていたものだ。
この魔物の卵でオムレツを作り、二人で分け合おうじゃないか。」
シェフの魔物はお辞儀をして、卵を持って行こうとする。
それを勇者は鋭く引き止めた。
「待て!聞きたいことがある。」
「・・・何だ?」
シェフの魔物の代わりに答えたのは魔王だった。
勇者は眉間に皺を寄せて、厳しい表情をしている。
「魔王よ、お前はさっき、こう言ったな。
お前は魔物の卵を、以前は度々口にしていたが、最近は食べていないと。
もしかしてそれは、お前が人間に戻ったことと関係しているんじゃないか?」
すると魔王は目を伏せ、口をいやらしくニヤけさせて笑った。
「ふっふっふ、良く気が付いたな。
そうだ。あの魔物の卵は、食べると魔物の力を得る、
つまり魔物になる効果がある。
俺も詳しくはわからないのだが、
魔物の卵は黄身と白身のどちらかに、食べた者を魔物に変える効果がある。
黄身と白身とどちらが当たりなのかは、卵によって違うので、
食べてみないと結果はわからない。
だから俺は、黄身と白身を混ぜてオムレツにして、
貴様と一緒に食べるつもりだったのだ。
俺と貴様と二人で、魔物を統べて世界を手に入れようじゃないか。」
「お前、私を騙そうとしたな!
私はお前の部下には決してならない!魔王にもだ!」
「そうか、では仕方がないな。おい、その卵は下げていい。」
「いいや、ちょっと待て。
私を騙そうとした代わりに、ちょっとした賭けに乗ってもらおうか。」
勇者の口から出た、賭けという言葉に、
その場の誰もが動きを止めて勇者を見やった。
黄身か白身か、どちらかが食べると魔物になる魔物の卵。
勇者はそれを使ってちょっとした賭けに出ることにした。
「今そこにある魔物の卵を使って、賭けをしよう。
賭けに負けた方は卵の効果で魔物になるかもしれない。」
「何だと。どんな賭けだ?」
「簡単な話だ。
その魔物の卵を使って茹で卵を作ってもらう。
そして、黄身と白身を厳密に分けて、
私とお前で別々の部位を食べて、結果で勝負するんだ。
黄身と白身とどちらが魔物に変えるか、食べるまではわからない。
もしも、私が食べて魔物になれば、私は魔物側に付こう。
その代わり、お前が食べて再び魔物になれば、私はここから引く。
そうしてお前は魔王を続けることができる。
どうだ?」
卵の黄身と白身。どちらかが食べると魔物になる効果がある。
勇者が魔物になれば、魔王の勢力に加わる。
魔王が魔物になれば、勇者は戦いから身を引く。
それは一見、単純に見える賭けだった。
何より、魔王にはこの賭けに必ず勝つ方法が既に見えていた。
だから魔王は答えた。
「よかろう。その賭け、乗った。
おい、今すぐこの卵を茹で卵にしろ。」
魔王の指示に従い、魔物たちは魔物の卵をテキパキと茹でて、茹で卵にした。
殻を割って中身を取り出して真っ二つに切ると、
中身は通常の家畜の茹で卵とそう変わらなかった。
真っ白な白身の中に、黄色い黄身が浮かんでいる。
魔王が頷いて言う。
「どうだ。これで魔物の卵は茹で卵になって、
黄身と白身に分けることができた。
これで貴様が言う賭けができるぞ。」
いよいよ勝負の時。勇者はさりげなく言った。
「魔王よ、お前はさっき、この魔物の卵の効果を告げずに、
私に食べさせようとしたな。
その分の代償として、この卵のどの部位を食べるのかは、
私が先に決めさせて貰うぞ。」
「うむ、いいだろう。」
「では、決めた。私が選ぶのは、この卵の外側だ。」
「白身というわけか。いいだろう。
では俺は、卵の黄身を選ぶ。俺から行くぞ。」
魔王が卵の黄身にナイフ・フォークを入れて口を付けた。
口元から喉へ通り過ぎていく。
暫く待つが、しかし魔王の体には何の変化も無かった。
魔王が肩を揺らせて笑う。
「ふっふっふ。
俺が選んだ黄身は、どうやら外れだったようだ。
ということは、貴様が選んだ白身が当たり、食べれば魔物になる。
では約束通り、勇者の貴様には白身を食べて魔物になり、
我が軍勢に加わって貰おう。
ご希望であれば、貴様が新しい魔王になってもいい。」
勝ちを確信し不敵に笑うのは、しかし勇者の方だった。
勇者は魔王よりも更に勝ち誇った顔で言った。
「いいや、勝ったのは私だ、魔王よ。
覚えているか?私が選んだ選択を。
私は、この茹で卵の外側を食べる、と選んだのだ。
卵には黄身と白身だけではない。殻がある。
私は、茹で卵の殻を食べることを選んだんだよ。」
「な、なにぃ?」
「魔王よ、お前は先程言っていた。
魔物の卵で食べると魔物になるのは、黄身か白身のどちらかだとな。
つまり殻には魔物になる効果や毒性などはない。
食べても無害なただの卵の殻、食べるまでもなくわかっている。
そして今、お前が食べた黄身は魔物にする効果はなかった。
だから賭けは二人とも外れ。
いや、私は誰も魔物にならないこの結果を望んでいたのだから、
結果的には私の勝ちだ。」
茹で卵の部位の三番目の選択肢は殻だった。
そんなからくりに、魔王は歯を食いしばって怒りを露わにしていた。
「勇者よ。貴様は最初からこの賭けで俺を騙すつもりだったな!」
責めるような言葉に、しかし勇者も臆しはしない。
「魔王よ。お前こそ、この賭けで私を騙すつもりだっただろう。
それも一度ならず二度までも。
この卵の賭けは、二人で黄身と白身を選んだ場合は、
必ずどちらかが魔物になる結果になってしまう。
それでは勝負を始める前から、お前が勝っているようなものだ。
お前が魔物になれば魔王を続ければいいし、
もしも私が魔物になってしまったなら、魔王を交代すればいい。
いずれにせよ一人は魔物の魔王になるよう仕組まれていた。
だから私は、誰も魔物にならない結果に賭けたんだ。」
勇者の、誰も魔物にならないという勝負には、魔王も含まれていた。
自分自身だけではなく、賭けの相手の結果も制御してみせた。
魔王は一度ならず勝負に負けたのを悟って、ガックリと項垂れた。
「それで、勇者よ。貴様は俺をどうするつもりだ?
八つ裂きにして、魔王討伐の証にでもするのか。」
「いいや、そんなことはしない。
ただここは魔物の住処。人間がいるべき場ではない。
魔王よ、お前は元々は魔物ではない。今は人間だ。
私と一緒に人里に戻ってもらう。
魔王であったお前は、ただの人間に戻るのだ。」
「それでは、他の魔物が魔王になって、また人間を襲うぞ。」
「そうしたら、私や他の人間が何度でも魔王を倒すさ。
と言いたいところだが、それも気の毒だな。
晩餐で夕食を頂いた恩もある。
魔物たちには人間を襲わずとも食べ物を用意できる方法を教えてやろう。」
そうして、勇者と魔王の戦いは、勇者の勝利で終わった。
しかし魔王が退位しても魔物は消えない。
お互いに近い種である人間と魔物は、卵の黄身と白身のように、
お互いに上手く混ざり合うことができるだろうか。
揃って人里に戻った勇者と元魔王は、
共にオムレツを食べながら、人間と魔物の行く末を案じていた。
終わり。
茹で卵の殻を剥くのを見て、この話を思いつきました。
実際には卵の殻にも用途はあるそうですが、
今回は賭けの対象として使いました。
茹で卵の外側は白身か殻か。
それはどうしても不利な賭けに対する、勇者の反撃の一手でした。
その甲斐あって、勇者は魔王と戦わずに決着をつけることができました。
お読み頂きありがとうございました。