16 料理人の解雇
甘そうなクッキーを両手に乗せて『はいっ』とその両手を突き出してくるダリアナ嬢に僕は困り笑顔を向けて手を伸ばさなかった。
「僕は甘いものはそれほど得意ではないんだ。気持ちだけ受け取っておくよ」
「え!? ボブバージル様は甘いものがお嫌いなのですか?」
「あ……。うん…そうだね」
『ガッタン!』
勢いよく立ち上がったダリアナ嬢の派手なドレスはスカートにボリュームがあり椅子が弾かれるように倒れた。例のメイドが眉を寄せる。
『僕やクララにだけだと思っていたけどダリアナ嬢にもなんだ。高位貴族のお世話がしたくないならメイドなんて辞めればいいのに』
椅子を直そうともしないメイドにも呆れたがダリアナ嬢の次の言葉で僕はそれどころではなくなった。
「お義姉様ったらひどいわ。わたくしがボブバージル様に好意をもたれないようにって嘘を教えたのね」
夢と同じセリフを聞いた僕は激しい目眩がして椅子の背もたれに抱きつくように耐えた。汗がだくだくと流れて心臓の音がどくどくと聞こえる。
そんな僕に構うことなく二人は言い争っていた。言い争っているにしてはクララの口調は穏やかだがそれは人柄からである。
「ダリアナ。落ち着いて。わたくしは嘘など教えていないわ。わたくしより料理長の方が作り方も詳しいからお聞きになってと伝えたはずよ」
「料理長はわたくしがこれを作ることに反対しなかったわっ! ボブバージル様に差し上げるものだってわかりそうなものじゃないの」
「では貴女は料理長にジル…ボブバージル様にお出しするものだと説明なさらなかったのね?」
「日程を把握して主人の動きの先を読むのが使用人の努めでしょう! そんなサボリの料理長なんてお母様に言って首にしてもらうわ」
ダリアナ嬢が走り出しクララが慌てて自分の椅子を引きながら立つ。どんなに急いでいても気品が出てしまうのが淑女というものだ。
そうなってクララは僕の様子に気がついた。だけどダリアナ嬢が離れてくれたからなのか、僕の症状はかなり回復していた。
「まあ!! ジル? いかがいたしましたの? 今お医者様を呼びますわ。客室のベッドでお休みになって!」
ダリアナ嬢とのやり取りより声が大きくなっているのは本当に僕を心配してくれているからだろう。
「クララ。僕なら大丈夫。僕の家の馭者を呼んでもらって帰ることにするよ。それより美味しいスコーンを作ってくれる料理長を守ってあげて」
「わかりましたわ。ジル。お手紙いたしますわね。
そこの貴女。外にいらっしゃる馭者の方を呼んでいらして」
「チッ。わかりました」
ふてぶてしいメイドは倒れた椅子を直すこともせずにクララの後について応接室から出ていった。
時間を置かずして馭者が迎えに来てくれて僕は馭者に支えられながら馬車に乗り込んだ。
自宅であるギャレット公爵邸に到着する頃には僕はすっかり通常状態だった。
「家族に心配かけたくないんだ。もう大丈夫だからさっきのことは誰にも言わないで」
古くからいる馭者は心配そうに眉を寄せたが僕が満面の笑顔を見せると嘆息して頷いた。
「無理はなさらないでくださいませね。このジジより先に倒れるようではジジは心配であちらにいけませんよ」
「あはは。ならずっと心配をかけていなきゃいけないね」
馭者は苦笑いして馬車を厩舎へ向けた。
僕は何事もなかったように夜の食事を家族とともにした。
翌日の午前中に急ぎで送られてきた手紙を読んで僕は驚きのあまり手紙を握りしめて母上の部屋へ行った。
ことのあらましを母上に説明してクララからの手紙を渡す。そこにはクララの説得は叶わず料理長が首になったと書かれていた。
「僕の好みを作る作らないでマクナイト伯爵家の料理長が首になったなんて…。僕がダリアナ嬢のクッキーを食べていればこんなことにならなかったのに」
「貴方のせいではないわ。これほど親しくしているお宅だし貴方が婿入りする予定なのだもの。好き嫌いを多少口にするのは許される範囲だわ。それより相談もしなかったうえにクララちゃんの責任や料理長の責任にするなんて傲慢すぎるわね。それもたかだか数ヶ月過ごしただけの小娘が。他家のことに口出しはできないからとりあえずその料理人を我が家で採用しましょう」
母上が目線を送らずとも話を聞いていたメイドの一人はスッと退室していく。
「クララちゃんもたいへんそうね。でもさすがにまだ介入できる状況であるとは言えないわ。だけど貴方がお世話になる家門ですからできるかぎり守るわ。これからも相談してちょうだい」
僕は母上にお礼を言って部屋へと戻った。
その日の夕食時間に新しい料理人が紹介された。
「ボブバージル様。露頭に迷うところを助けていただきありがとうございました」
「ううん。僕のために心労をかけたね。君の腕ならどこでも雇ってもらえると思うけどここにいてくれた方が探す手間が省けるからね」
僕は料理人にウィンクした。
「え? それはどういう??」
「バージルがマクナイト伯爵家に婿入りするときには一緒に行ってもらうということですよ。バージルのことをよろしくね」
母上が僕に代わって説明すると料理人は腕で涙を拭った。
「こちらで精一杯勉強させていただきます。ボブバージル様のお好みを叩き込みます」
「僕は将来おデブにならないように気をつけなければならないね」
僕の冗談に家族も使用人たちも笑ってくれた。
僕はクララを安心させるために手紙を書いた。




