前編
「歩きスマホは危ないですよ、お嬢さん」
急に声をかけられて、法子はビクッとした。
顔を上げて足を止めると、ちょうど目の前を、一台の自転車がスーッと横切っていく。
大学からの帰りに、夕方の路地裏を歩いている最中だった。通い慣れた道であり、周りの景色も見飽きているから、スマホで動画を視聴していたのだが……。
気づかぬうちに、小さな十字路に差し掛かるところだったらしい。しかも横手から自転車が飛び出してくるタイミングだったのだ。
「ほら、言った通りでしょう? 私が声かけなかったら、あれに跳ねられてましたよ」
いつの間にか法子の隣に並んでいたのは、サラリーマン風の男だ。灰色のビジネススーツを着て、黒縁メガネを掛けていた。
「気をつけてくださいね」
優しそうな笑みを浮かべて、男は彼女を抜き去っていく。
法子は立ち止まったまま、その背中を見送り……。
「なんだか気持ち悪いわ。あれ、ストーカーかしら?」
男に追いつかないよう、少し時間をおいてから、また歩き始めるのだった。
法子が彼をストーカー扱いしたのも無理はない。見覚えのある男だったからだ。
3日前にも彼女は、急いで走って横断歩道を渡ろうとしたら呼び止められた、というのを経験している。今回みたいに、そのままだったら車に轢かれていたかもしれない、という状況だった。
声をかけてくれた男はすぐに雑踏に消えてしまったので、きちんと見てはいなかった。しかし、やはり灰色のスーツを着ていた気がする。
しかも、その一件だけではなかった。小さい頃から、似たような出来事を何度も経験していたのだ。
彼女が危険な目に遭いそうになる度に、いつも止めてくる者が現れるのだが……。そららは全て灰色スーツのメガネ男、つまり同一人物のような印象だった。