時あかり 熊本で過ごした鏡子と漱石
1896年6月10日 晴れ
「おお暑い、おお暑くてたまらない」
父の言葉に夏目様は頷きながらも顔は神妙なままです。苦虫を嚙み潰したようなその顔からは何の感情も読み取れません。この人と一生暮らしていくのだろうか、不安が胸をよぎります。私は東京から持って来た一張羅の夏の振袖の背中に冷たい物が流れ落ちます。私の不安をよそに父は結婚式が終わると、待っていましたと言わんばかりに背広を脱ぎ始めます。新郎が見守るなか、上着、ワイシャツと脱ぎ進め、とうとうズボンまで脱ぎ白いシャツとステテコ姿になってしまいました。まるでウサギが毛皮を脱ぎツンツルテンになってしまったように滑稽な父。それでもなお暑さが治まらないのか、今度は縁側の障子を勝手にはずし始めました。普段はお茶一つ入れる事のない父が、どこぞのお手伝いさんみたいにせわしく動き回ります。熊本の暑さはそれほど父には耐え難い物だったのでしょう。夏目様はその様子をさもありなんという顔をし、全く驚いた様子もありません。二方の障子はすべて取り外され、縁側の角にまとめられました。今度は六畳の部屋にジトジトと湿った風が流れ込んで来ました。
「夏目君。熊本の夏は暑いな」
父がそう話すと彼は、まだ夏にもなっていないですよと今日初めて目尻を下げ笑っています。父は庭から吹く湿った風に飽き足らず、扇子を取り出し音を立て扇ぎ始めました。夏目様は自分の飛白の浴衣を箪笥から取り出し父に貸してくれました。浴衣姿の父は満足げな顔でその場にどっかり座り込み、我が家のごとくくつろぎ始めます。その様子を横目で見ながら夏目様も着替え始めました。冬物のフロックコートに身を包み涼しい顔をしていたのですが、額からは汗が流れ落ちています。私はその様子が可笑しく口元に手を当て笑ってしまいました。後から結婚式の事を聞くと、暑くてタコの様にゆで上がっておったと話していました。一張羅のフロックコートを我慢して着ていたようです。結婚式では暑さに耐える夫の姿を思い出すと今でも笑いが込み上げて来ます。
それにしても式はあっけなく終わりました。私達三人を除くと東京から連れて来た年老いた女中と熊本で新たに雇った婆やと俥夫の三人。年老いた女中が仲人やら三々九度の盃やら式の一切合切を取り仕切り、台所では婆やと俥夫がこの後の披露宴の用意をせわしなく行っています。どうも晴れの結婚式と言う気持ちにはなれません。そう言えば、三々九度の盃に至っては三つ組みの盃が二つしか載っておらず、一つ足りません。この盃を用意したのは夏目様です。その彼は何食わぬ顔で、固めの盃きを交わします。次は私の番です。私の前に二揃えの盃が回って来ても、彼は神妙な顔を崩すことなく私の様子を伺っています。私があきれ顔になっても彼は一向に動じることなく、その風貌はふてぶてしくさえ感じます。まあ、何て人なのでしょう。私は少し眉を上げその盃を手に取りました。一瞬、彼の表情に焦りの色が見えます。それもつかの間、すぐさま元の生真面目な表情に変わりました。どこまでもしかめっ面の彼を見ていると、ひとり熊本に嫁ぐ私は暗闇に取り残された子供の様に不安で胸が張り裂けそうです。そんな私の様子を察したのか、彼の目尻は少し下がり、穏やかな表情に変わりました。しかしいまだに白い歯を見ることはありません。その表情ももしかすると二揃えの盃に彼の良心がチクチクと刺されたからなのかもしれません。
十数年後、盃の件を友達に話していると、たまたま近くで新聞を読んでいた夫にも聞こえたらしく、横合いから口を挟んできました。
「固めの盃が二揃えしかないなんて、一体どこの結婚式だい」
夫は全く覚えていないのか、それともとぼけているのかその顔からは読み取れません。私は小さくため息をつき返事をします。
「私たちの結婚式ですよ。覚えていらっしゃらないのですか」
すると夫は額に手を当てバツの悪そうな表情に変わります。しかし、こう切り返してきた。
「そうかい、けしからん話だと思って聞いていたら、俺たちの事か。道理で喧嘩ばかりして、とかく夫婦仲が円満にいかないわけがわかった」
そう話すと、私が口を挟む暇さえ与えず、目じりを下げ高笑いし始めました。物事すべてを小馬鹿にするような笑い声に私はあきれ、開いた口が塞がりませんでした。
客人も無く、慌ただしい結婚式は淡々と終わりした。これまで育ててもらった両親の思い出に暮れる暇さえありません。つつがなくと言うよりやっつけで結婚式は終わったのです。またとどめは、新婚早々一つの忠告まで貰う有様。みなさん夫はこう言ったのですよ。
「俺は学者で勉強をしなければならない。だからおまえなんかに構ってはいられない。それは承知してもらいたい」
私は心臓を鷲づかみされ息をするのも忘れるほどでした。まさに吾輩は猫であるの場面で、令嬢から吾輩の顔の前に鏡を押し付けられた時ように、「はっと仰天して屋敷の周りを三度駆け回りたい」そんな気分でした。そんな夫と初めて出会ったのは、前の年の暮れに行われた見合いの席でした。
「ねえ、ねえ、時子。この写真人どう思う」
私は母から受け取った見合い写真を自慢げに妹の時子に見せます。
「うんん。髭はなかなか男らしいわね。でも、目元はなんだか気難しそうで神経質な顔立ちをしているわよ。お姉さんのおっとりした性格に会うかしら」
そういわれて見れば写真全体から受ける印象は神経質で気難しいそうです。自分で言うのもなんですが、お嬢様育ちでのんびり者の私とは相性が悪そうです。しかし、今まで貰った見合い写真の中では一番男前です。不安な気持ちを振り払い、私も嫁に嫁いだらチャキチャキ働き、しっかり者のお嫁さんになる、そう心の中でつぶやきます
「お姉さま。大丈夫」
急に不安な表情に変わった私に気を遣い、声をかけて来ました。
「あぁ、大丈夫よ。写真じゃ性格も解らないしね。でも今まで貰ったお見合い写真の中では一番男前だわ」
すると妹は思わせぶりな顔をしながら話しかけて来ます。
「でも姉さん、この方の鼻の頭にはあばたがあるとお父様がおっしゃっていたわよ。写真を持って来た仲人さんがわざわざそう断っていかれたとお父様が話していたわよ」
確かにそのことは私も小耳に挟んだ。しかしこの写真には、あばたどころか、ゆで卵のようなつるんとした鼻の頭しか写っていない。多分小さなあばたが鼻の頭にちょこんと乗っている程度だろう。
「気難しそうな顔に可愛いあばたが有る方が楽しそうでいいじゃない」
苦し紛れに話す私に妹は底意地の悪い薄ら笑いを浮かべます。
「そうかもしれないわね。夏目さんに嫌な事を言われても、あばたを見れば少し気が晴れるかもしれないしね」
私は口元に手を当てクスリと笑いました。この写真の鼻の頭にちょこんと乗ったあばたを想像したからです。そんな私の様子を妹が眺めています。すると笑いが伝染したのか、彼女は白い歯を見せ笑い始めました。しばらくの間、リビングにはカナリヤのように華やかなさえずりが響き渡りました。
見合い当日、夏目様はひょっこり一人でやって来ました。フロックコートを玄関で脱ぐと濃紺のスーツ姿で玄関を上がります。すると母は彼を父の書斎のある二階へ案内します。私はこっそり二人の後を付け、彼が書斎に消えると扉に耳を近づけ二人の会話を盗み聞きするのです。
「夏目君、よく来てくれたね。学校での君の評判がすこぶる良いので一度ゆっくり話がしたいと思っていたよ」
父は上機嫌で彼を迎え入れます。
「こちらこそ。それにしても虎ノ門の官舎は立派なものですね。廊下を歩いていると電話まで備えてありました。さすが貴族院の書記官長のお宅だと感心しました」
彼の話声からは別段緊張した様子も無く、かと言って落ち着き払った様子でもないようです。なぜなら彼の話し声が少し早口に聞こえたからです。私は扉の前で彼の話し声を一言一句聞き漏らすまいと聞き耳を立てます。すると、彼の声と一緒に私の心臓の音が妙に耳に着き始めました。知らぬ間に手に汗もかいています。
一通りの挨拶を済ませると父は私を呼んでくるよう母に声をかけました。母親の足音が扉に近づいて来ます。私はすり足で後ろに下がります。ドアが開くと母と目が合います。母は私を見るとはしたないと言わんばかりに眉間に皺を寄せます。私は思わず口元から小さく舌を出し、人差し指を一本立て口の前に当てます。母は苦笑いしながら私の腕を絡ませ、犬の散歩のごとく私を引っ張ります。私は観念しその場から立ち去る事にしました。
私は一階の廊下にある鏡で改めて着物を直すと母と二人で夏目様が居る書斎に向かいました。見合い写真でその様相は解っていても、実際目にする殿方の様子が気になります。この先、これから逢う人と一生一緒に暮らすかもしれない。そう思うと二階に上る足が急に長く感じます。もしかするとこの階段、空に浮かぶ雲まで続いているのではとさえ感じます。一段一段登る私の面構えは、幽霊でも見たかのように顔は強張り、能面のごとくなっています。口からは心臓のみならず様々な臓器が飛び出してきそうです。階段を登り終わると父の書斎のドアが見えて来ました。今度は目と鼻の先にあるそのドアが途方もなく遠く感じられます。彼に早く会いたい気持ちと、会って私の事を気に入られずこの縁談が断られるかもしれないと言う不安が、海辺の波のように交互に打ち寄せます。すでに前を歩く母は書斎の前までたどり着いています。歩みの遅い私を見ると目で急げと合図します。私の想いなど、どこ吹く風のその顔からは、早く済ませ買い物にでも出かけたいと言いたげです。全くデリカシーのない母親である。しかし、そんな母を見ていると今まで波打っていた私の心が静かに凪いできました。廊下を歩く足も急に軽くなり、つい先ほどまで何を悩んでいたのかさえ忘れてしまっています。扉の先には未来の夫が私の到着を、首を長くして待ちわびているはず。そう思うと急に鏡で自分の姿を確かめたくなりました。二階の廊下にもある鏡の前で再び立ち止まります。最後に鏡の前で結った髪がほどけてないか確かめます。少し落ち着きを取りも出した私はドアの前までたどり着くと、母は私に向かい微笑みます。母はドアをノックしノブを回します。部屋の中からは上機嫌な父の声が響いています。母がドアを開くと中から白銀の光が降り注ぎ、私の目は束の間その光に包まれ視界が奪わます。徐々に目が慣れてくると、正面に父が自分の椅子にどっかと座りあごひげを撫でながら夏目様に話しかけています。一体何を話しているのか、私が耳を澄まして聞いているとどうやら私の朝寝坊の事を面白おかしく話しているようです。私は父の話にわが耳を疑いました。なぜいま朝寝坊の話をしないといけないのか。私の顔は逆立ちをしたように血が逆流し真っ赤になっています。そんなわたしに気付かないのか、母はさっさと父の隣に座ります。両親の前のテーブルを挟み二人掛けのソファーの真ん中に夏目様が座っているようです。しかし私の朝寝坊の話を聞いていた夏目様の顔を見る勇気がありません。私は学校の授業中、隣のお友達と話しに夢中になり、先生に怒られ立たされている様に顔は赤らめ茫然とその場に立ちすくんでいます。そんな私に業を煮やした父は仁王様の様に眉を寄せ、しかめっ面で私に話します。
「いつまでそこに立っているのか。早くこちらに来ぬか」
私はその言葉に「はっ」と息を飲み我に返ります。すでに母は父の隣にある二人掛けの椅子に座っています。父の言葉にその場にいる全員の視線が私に集まります。夏目様はさらりと私の方を観るとすぐに視線を父に戻します。一瞬ですが彼と目が合うと急に心臓の音が耳に付き周りの音が聞こえません。息をするのも忘れ私は夏目様の横顔を見つめます。すると夏目様の鼻の頭にちょこんとあばたがくっ付いています。その様子はチョコレートケーキのクリームを鼻の頭に付けたようで、思わず笑いが込み上げて来ました。私は体の前に合わせていた手の甲を咄嗟につねって笑いをこらえます。するとそれまで固くなっていた体が急に軽くなり、ひとりでに母のいる椅子に向かい歩き始めました。母の座る椅子の隣まで来ると小さくお辞儀し、ゆっくり座ります。私が何事もなかったように椅子に座るとその場は再び和やかな雰囲気に包まれました。父は夏目様の学校での様子や休みの日の過ごし方など根掘り葉掘り聞いています。お見合い相手の私はそっちのけで父は彼に興味を抱いているようです。夏目様は父から繰り出される質問の荒しに、最小限の単語で受け答えしています。その姿は不器用だが誠実で好感が持てます。しかし今の私の興味は彼の鼻の頭にくっ付いているあばたに目を奪われています。なるほど仲人さんがわざわざ付け足して話しただけの事はある。鼻筋の頂上に小さなテントウムシがしばらくの間休憩している様にあばたが乗っています。触れたらポンと取れてしまいそうなあばた。その様子を食い入るように見つめる私。父と彼との話はほとんど耳に入ってきません。しばらくするとドアをノックする音と共に妹の時子がお茶とお菓子を運んできました。彼女は軽く会釈をするとお盆に乗せたお茶とお菓子をテーブルに並べていきます。時子はみんなの目を盗みながら彼の顔をちらっ、ちらっと覗き見ています。彼女も彼の鼻の頭に乗っているあばたが気になるとみえ、目線が彼の鼻に集中しているようです。私は自分の事は棚に上げ夏目様が気を悪くしないか冷や汗をかきながらその様子を見守ります。しかし夏目様は妹の視線を一向に気にする様子がありません。毅然とした態度に感心していると、時子がこちらを向きウインクしてきました。きっとあばたの事が言いたいのでしょう。私は彼に気付かれはしないかと寒い部屋の中で一人、額から汗を流しています。テーブルにお茶とお菓子を並べ終わると妹はそそくさと部屋を出て行きました。
見合いが始まり十分程が過ぎました。しかし私は一言も発する事なく父と彼の話を聞いているだけです。夏目様は私に興味が無いのだろうか。そう思うとなんだか世界中にたった一人置いてきぼりにされたように心細くなりました。私はうつむき加減に床に目を落とすと、その様子に気を遣い、夏目様は私に声をかけてくれました。
「鏡子さんは普段家で何をされているのですか」
私の事を気にかけ声をかけてくれたことに心が弾み、笑顔を投げ掛けます。しかし質問が悪い。普段私は家でこれと言って何もしていなかったからです。お嬢様育ちの私は、料理や掃除、洗濯などはお手伝いさんがやってくれるためほとんどやることは有りません。やっている事と言えば、時子とお茶を飲みながら無駄話をしたり、お母様の愚痴を聞く程度です。たまに夕飯の買い物に行くことは有るが、毎日欠かさずやっていると言う事は有りません。彼に笑顔を投げたのは良いのですが返事に困りしだいに笑顔が消えて行きます。みんなの目が私に集まり、私の返事を待つ部屋は静寂が支配します。何か返事をしなくては。私は気が動転し口を開けますが声が出ません。いつもは機関銃のように話し続け父から怒られる私が、言葉を忘れたカナリヤの様に口をパクパクするだけで声が出ません。これ以上の沈黙には耐えられません。そんな私の口からやっとの思いで次の言葉が出ました。
「本を読んですごしています」
しまった。本は読んでいるが、読書好きと言うほど読んでいない。次の問いかけでどんな本を読んでいますかと聞かれたら、返す言葉が浮かばない。私は力なく笑いました。今回も彼は私の様子を察してくれたのか「私の部屋にも本はたくさんあります。気にいった本は自由に読んで構いませんよ」と話し、この会話を終わらせてくれた。私はほっと胸をなでおろし白い歯がこぼれます。
その後お見合いは和やかな雰囲気で過ぎていきました。夏目様の生真面目な受け答えに父も満足げに髭を撫でながら聞いています。三十分ほど過ぎ夏目様はそろそろお暇しますと言うとお見合いが終わりを告げた。彼の鼻の頭のあばたも見慣れて来ると気になりません。むしろあばたのない鼻は想像できないほど、夏目様といえば可愛いあばたが私の目に焼き付けられました。
父を先頭に、フロックコートを手にした彼が後に続き、その後に私たちが続きます。夏目様の後ろを歩いていると柑橘系の香りがしてきました。香水でも付けているのだろうか。彼が歩くたびにその香りは辺りの風景までも爽やかに変えていきます。清涼感があり爽やかな香りは夏目様にピッタリです。私はその香りを追いかけるように急ぎ足で彼の後ろを付いていきます。香りをかいでいるだけでなぜか心が落ち着き、この人とずっと一緒にいたいと思ってしまいます。私の心の中に恋心が芽生えたのでしょうか。
玄関で見送る際、時子も加わり家族全員で彼を見送ります。玄関で手にしていたフロックコートを着るとずっしりと重々し姿に変わり顔つきも凛々しくなりました。私はなぜか別れが切なくなります。彼は挨拶を済ませると玄関の扉を開きます。外からは肌寒い風が流れ込み私の頬をかすめていきます。その風に甘い夏みかんの香りがほんのわずか混じっています。それはまるで私を忘れないでくれと五感に訴え掛けているようです。私はその香りを全身で受け止めます。ゆっくり玄関の扉が閉まり夏目様の姿が消えて行きます。しかしほんのり香る夏ミカンの香りはいまだに私の身体にまとわりついて離れません。私は一瞬、外に出て追いかけたい衝動にかられました。しかし扉が閉まると時子がこの時を待ちわびていたとばかりに小声で話しかけてきます。
「姉さん、夏目様のあばた見た、見た。あれは大きかったわよね。鼻の頭に納豆を付けているみたいだったわよ」
「鼻の頭に納豆を付けている人など見たことないわよ」
私は彼女の話しに腹を立てむきになって言い返します。
「鼻の頭にチョコケーキのクリームを付けたようだったけど」
するとその場にいる全員の目が私に集まり一斉に笑い出します。
「姉さん、納豆とそんなに変わらないと思うけど」
「全然違うは。甘い香りが漂うチョコクリームと腐った匂いの納豆では大違いよ」
すると父が間に入って来ました。
「クリームでも納豆でもそんなもんどうでもよい。あばたと結婚するわけでもあるまいし。それにしても夏目君は噂の通り好青年だったな。鏡子には勿体ない」
今度は父の言葉に無性に腹が立ちます。彼と私がお似合いだと言うならまだしも、なんで私には勿体ないのか分かりません。全く子供を見る目が無い父親です。私はぷいっと踵を返しその場から立ち去りました。私が去ったその場からはクスクスと遠慮がちな笑い声が漏れていました。私は振り向きもせず二階の書斎に向かいます。先ほど見合いの際に食べそこなった香梅をかたどった和菓子を食べに向かったのです。決してちゃっかりしている訳ではありません。和菓子職人が心を込め作った和菓子を無駄にするわけにはいかないと言う使命感から足を運ぶのです。紅色が目に鮮やかで真ん中に黄色い花粉まで再現されています。食べるのが勿体ないくらいです。誰もいない書斎で私は椅子に座ると同時に香梅に手を伸ばし一口でその和菓子を口の中に放り込みます。自分の口の大きさを見誤っていたのか、口の中で顎が悪戦苦闘しながら菓子を食べています。口の中が少し落ち着くとお餅の中から粒あんが口いっぱいに広がってきます。私は今日一番の幸せな気持ちに包まれ粒あんの甘さに舌鼓を打ちます。食べ終わると冷めたお茶を頂き小さく息を吐きます。目線を上げると正面に、先ほどまで夏目様が座っていた椅子が目に留まりました。鼻の頭にチョコクリームを付けた彼を思い出し私は小さくクスリと笑います。一瞬、誰もいない父の書斎に甘い夏みかんの香りがしたような気がした。窓から差し込む日差しが私の足元まで届き板張りの床と私の足を温めてくれています。しばらくの間この部屋で、私はお見合いの余韻を一人で楽しんでいました。その余韻を壊しに来たのはやはり妹の時子でした。
十数年後、私はあの時の見合いについて夫に尋ねたことがありました。すると夫は私の第一印象をこう話したのです。
「歯並びが悪くてそうしてきたないのに、それをしいて隠そうともせず平気でいる所がたいへん気に入った」
一体全体褒めているのか、けなしているのかりません。鼻の頭を箸で摘ままれたように私は啞然としました。すると今度は妙に腹立たしくなり、私も夫に負けじと初めて会った印象を言い返してやりました。
「鼻の頭にあばたが乗って、それが気になり話が全く耳に届きませんでしたよ」
すると夫は鼻に手を当て「あばたなぞあったかの」と素知らぬ顔で答えます。まるで私が夢でも見ていたのではないかと言いたげなその表情に私はお手上げになり目を落とし小さく息を吐きます。全く自分の都合の良い事しか覚えていない人です。
結婚式の晴れの日はあっけなく終わりました。式が終わっても夫は相変わらず気難しい表情のまま、機嫌が良いのか悪いのかさえ分かりません。一体何を考えているのだか。この先この人と一緒に過ごすのだろうかと思うと先の見えない不安に襲われます。
式の行われた六畳の奥座敷に料理とお酒が運ばれてきました。父が最初に料理に手を付けると披露宴が始まりました。夫が塩焼の鯛を箸でほぐし食べる様子を私はぼんやり眺めています。背骨に沿う様に箸を入れ、切れ目から箸で鯛を掴むとゴロットした身と、パリッとした皮とが一緒に取れました。鯛の身はすまし顔の夫の口元に近づくと一気に口の中に放り込まれ、口の中でバリっと皮の弾ける音が聞こえて来そうです。口の中で咀嚼する夫の口元に、うっすら笑みがこぼれます。どこか遠くを見つめる瞳に鯛の味に満足しているのが分かります。東京から連れて来た婆やは料理の腕には自信があります。私も鯛に箸を付け皮ごと口に運びます。パリッと焼けた皮とホクホクの身、塩加減が絶妙で口の中に爽やかな風が吹くようです。まるで大海原を自由自在に旅した鯛が口の中で再び蘇ったようなそんな気さえします。夫の箸は一時も止まることなく口と鯛を往復しています。私も負けじと鯛に箸を伸ばします。やはり婆やの焼く鯛は焼き加減、塩加減が天下一品です。太陽に照らされ、日の光が揺らめく海の中を泳ぐ鯛の姿が目に浮かんできます。料理でこんなに幸せな気持ちになるなんて、今まで思いもしませんでした。東京にいる時、もっと婆やに料理を習っていれば良かった。あと数日熊本に残る彼女に料理を習おう。私はそう思いながら止まらなくなった箸をせわしなく動かします。すると今度は婆やが父と夫にお酌を始めました。父のお猪口はすぐ空になるのに夫のお酒はなかなか減りません。一杯目のお酒もお猪口に半分残っています。ところがすでに夫の頬は赤く染まっています。まるで雀が水を飲んでいる様にお酒が減っていないにもかかわらず。お酒はあまりいける口では無いようです。しかし口の方はだいぶん滑らかになり、熊本の学校の様子などを声張り上げ話し始めました。一杯目のお猪口が空になるころには首まで赤くなり、よく見ると着物の袖から出る腕まで赤く染まっています。まるで大釜で茹でた蛸のように、体中が真っ赤に茹で上がっているようです。しかしお酒の席は好きなようで、減りもしないお猪口は手の中で掴んだままです。先ほどまで凛々しかった表情は、目尻も下がり赤ら顔も手伝い今はいたずらっ子のような愛らしい表情に変わりました。これから先、夫の色んな表情を見るのだと思うと期待と不安が胸いっぱいに膨らみます。そんな私の様子を気にすることなく、父と夫は二人して顔を赤らめ楽し気に話をしています。そんな二人の様子を静かに眺めながら私は箸を進めました。
無事、披露宴も終わりました。私達二人を残し父と婆やは宿に戻ります。玄関先で見送りを済ませた夫は、いまだに真っ赤に茹で上り足取りもおぼつかない様子です。縁側を斜めに歩く様子に今日はいつもより酒が進んだのだろうと思いました。確か、お猪口に四杯ほど飲んだと思います。飲むペースもゆっくり味わって飲んでいるのか、口に付けたお猪口は舐める程度にしかお酒が減りません。まるで猫が水を飲んでいる様にお酒にちょこっと口付けては離し、また付けては離していました。婆やが度々お猪口の中を覗いていたが注ぐ様子はありませんでした。
足取りおぼつかない夫は寝室に向かい歩きます。私は夏物の着物から浴衣に着替えるため座敷に向かいました。
着替えを済ませ寝室に戻ると夫はすでに自分の布団だけを敷き、掛布団をかぶり几帳面な寝姿で寝ています。時々息が詰まったようないびきをかくその姿に私はあきれ顔になります。初夜の晩にさっさと寝床に着く夫。一体何を考えているのかさっぱり分かりません。蛍光灯の明かりの下で私はしばらく夫の寝顔を眺めます。口元に生える髭は夫の自慢の髭です。しかしほんの少し目線を上げると鼻の頭にあばたが見えてきます。見た目は几帳面で堅苦しく近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのですが、あばたのおかげで生真面目な顔つきが、どこかお茶目で可愛らしく感じます。あばたもえくぼとは良く言ったもので、私はその言葉通りこのあばたが好きになりました。鼻の頭にちょこんと乗ったあばたを見ながら私は端正に並ぶ髭にそっと手を伸ばします。鼻の下に富士山の様に並ぶ髭を山頂から裾野に向け人差し指で撫でます。ニ、三度撫でていると指があばたに当たりました。その瞬間、夫は鼻がムズムズしたのか大きなくしゃみをしました。私は慌てて指を引っ込めます。束の間、夫の目は開いたのですがその目は再び閉じ今度は高いびきを掻き眠ってしまいました。私は諦め部屋の明かりを消します。障子を開けた部屋には月明りが注がれていました。部屋の外では時おりアマガエルの鳴き声が聞こえてきます。部屋の中からは夫のいびき、外からアマガエルの鳴き声が交互に聞こえています。その様子はまるでカエルと話しをしているかのようです。私はその声を聴きながら布団に横になりました。気の張りつめた一日がようやく終わりほっとしたのか、横になると私は直ぐに記憶を無くし眠ってしまいました。部屋にはカエルの鳴き声と夫のいびき、そして私の寝息が代わる代わる響き渡ります。漱石二十九歳、私十九歳。新しい生活の始まりです。
「お前はまるでオタンチンノパレオラガスだな」
夫は寝起きの私に向け呪文のような言葉を投げます。夫はすでに学校へ向かう準備を整え出かける前に私を起こしに来たのです。私は朝寝坊したのです。バタバタと布団をたたみ押し入れに投げ込む私。急いで寝巻を着替えると夫は学校へ出かけると言い残し玄関に向います。その表情はあきれ顔です。あちゃ。またやってしまった。心の中でつぶやく声が私の顔に現れていたのか、夫は玄関先で「ハハハハハ」と笑い声を挙げ、家を後にします。玄関に一人取り残された私。恥ずかしのあまり玄関に穴を掘って隠れたい気持ちになりまる。寝起きも手伝い、しばらく玄関先で茫然と立ちすくみます。下通を歩く学生や通勤の人の声がどこか遠くの声の様に聞こえて来ます。もし今、人が訪れ私の生気のない顔を見たら、お化けに出会ったようにギョッとして腰を抜かすでしょう。魂が抜け落ちた私はしばらくの間玄関に佇んでいました。
私は朝が苦手でたびたび朝寝坊をします。そのたびにあの呪文のような言葉を投げかけられるのです。「オタンチンノパレオラガス」一体なんのおまじないだろうと私は何度か夫に聞いてみました。するとそのつど夫は、「何でもない」と言って教えてくれません。彼が小説を書き始めるころにはあのおまじないも聞くことは無くなったのですが、当時若い頃、私が失敗すると必ず「お前はオタンチンノパレオラガスのようだな」と言われていました。夫が亡くなりとうとう最後まで聞きそびれてしまいました。今度夫の友達にでも聞いてみましょう。もちろん誉め言葉でないでいとは十分承知しているのですが気にはなります。そう思うと友達に聞くのも気が引けて来ました。
玄関で生気を失っていた私はしばらくするとお腹が鳴り正気を取り戻した。その後、一人分の朝食を作り食べました。
お嬢様育ちの私は料理、洗濯、掃除が苦手です。夫に一体何ができるのかと聞かれ、「女は愛嬌が一番大事ですよ」と答える。普段、生真面目であまり笑わない夫がその時は大口を開け笑いました。私もつられて歯並びの悪い歯をお構いなく大口を開け笑います。すると私の様子が夫の笑いの壺にはまったのか、今度は涙を流し笑い始めた。最後は必ず「困った奴だ」と言われ締めくくられていました。
愛嬌で思い出した事があります。私は東京にいる時、人付き合いが上手い方だと思っていました。東京に居る時、友達も多く私の周りにはいつも同年代の女の子が集まっていた程です。しかし熊本に来てからと言うもの、近所付き合いも一筋縄ではいかない始末。なぜかと言うと、熊本弁が解らなかったからです。こちらの人は早口で話す人が多く、「ガ」「ギ」から始まる擬音を多く使います。そのため口調が強く喧嘩腰で話しをしている様に聞こえ、話しかけるのにも勇気が居る次第です。方言では「バッテン」と「バイ」を使うとそれらしく聞こえるようです。私は買い物に出かけた時、試しに使ってみます。
「そちらのサンマを二匹、バッテン、いただけませんか、バイ」
店主は無理やり使う熊本弁を英語かフランス語を聞いたかのように、口をぽかんと開け私を見ます。しまった、使い方が間違っているらしい。近所の人には話の最後にバッテンとバイを付ければ良いと教わったのに。私は慌ててもう一度二つの言葉を使わず注文する。今度は店主も理解したらしく手際よくサンマを紙に包み渡してくれた。するとお金を払う際、店主が買い物の時使う熊本弁を教えてくれました。
「コンサンマバ、二匹ハイヨ」
今度は私が口を開けポカンとする番です。早口なのも手伝いサンマしか聞き取れません。一体何を言っているのかさっぱり解りませんでした。もしかすると、ここはオランダなの。私は江戸時代の出島を歩いている気分になります。
方言でもう一つ困ったことがありました。私は東京から越してきたため熊本の地名や場所がよく分かりません。待ち合わせの場所へたどり着くのも一苦労でした。通りがかりの人に道を尋ねるとこれまた出島を歩いている様な気持ちになります。
「すみません。坪井の仁王様がいる正福寺に行きたいのですが、どう行けばよいですか」
私は藍色のスーツを着て中折れハットをかぶった四十代くらいの男性に道を尋ねます。するとその男性は私を見ると目じりを下げ、迷い猫に道を教えるかのように答えます。
「こん道バ、ギャン行って、ギャン行ってギャン行くとよか」
先ほどまで優しそうにしていた紳士の言葉とは思えないほど険しい言葉です。私はいきなり怒られているのかと呆気にとられます。するとその紳士は私が判っていないにもにもかかわらず、ハットを軽く指でつまみ上げ、頭を下げるとにこやかに去って行きました。私はキツネに抓まれたようにその場に棒立ちになります。待ち合わせの場所が全く分かりません。困り果てた私は、次に目についた飛白の浴衣を着た三十代くらいの女性に道を尋ねます。今度は彼女の話しを一言一句聞き漏らさないよう、手に紙と鉛筆を握りしめ道を尋ねた。すると今度もその女性がこう答えたのです。
「ギャン行って、ギャン行ってギャン」
前の紳士同様、ギャンが三回出て来ました。私は再び口をぽかんと開けたまま彼女を見つめます。束の間呆けていた私は正気を取り戻し手にしていた紙を取り出し、女性に簡単な地図を描いてもらう事にしました。どうやらこの道から三か所角を曲がり仁王様まで行くらしいのです。ギャンというのはどうやら曲がる場所らしいのです。私は地図を書いてくれた女性にお礼を言い手に持った地図を頼りに歩き始めます。どうにか仁王様が向かい合う正福寺にたどり着きました。やっとの思いでたどり着いた私の表情はきっと仁王像の阿の像のように口を開き疲れていたことでしょう。それにしても、夫もこんな場所で待ち合わせなどしなくて良いものを。あとで解かるのですが、次の引っ越し先の場所を見せようとしてここで待ち合わせをしたようです。
毎日目が回るほど忙しい新婚生活。苦手な早起きも少しずつ慣れてはきました。料理は直ぐに上達するものでもないと自分に言い聞かせ、日々夕飯に何を作ろうかと悩みます。たまに出すおかずが味も素っ気も無いらしく、夫は「よくこんなものが出せるな」と文句を言うのです。
「嫌なら食べなくて良いのですよ」
そう私は話すと、「のど元過ぎればどんな料理の味も解らないものだ」と言いながら食べます。私もその野菜炒めを口に運びます。その様子を夫は箸を握ったままじっと見つめているのです。確かにこの野菜炒め味が無い。一体何を食べているのか分かりません。口の中には野菜本来の味がするのみで酸いも甘いもないのです。そう言えば味付けの際、塩や調味料を入れ忘れておりました。私が眉間に皺を寄せると夫は「毒は入っていないだろうな」となぜか愉快に笑います。私は自分が情けなくなり、顔を赤らめ無言で野菜を口の中に放り込みます。まだ芯の残る野菜が口の中でゴリゴリと音をたてます。ひと笑い済ませた夫も口の中に入れた野菜がゴリゴリと音を立てています。二人は顔を見合わせるといきなり転がるように笑い始めた。その様子は、まるで猫の小説で主人の膝の上にいた猫も驚くように。
『「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。膝が揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着なく笑う』
新婚当初、私の失敗は数えきれないほどありました。夫はその都度ご機嫌斜めになっていましたが、夜寝ると翌朝はケロッとしており、まるで前日起こったことなどすべて忘れてしまったような顔で朝を迎えます。私が逆の立場なら翌日も気持ちが晴れず、到底あのような顔ではいられません。夫の前向きな姿に感心するとともに、だいぶん助けられました。だって翌日にはすべて忘れてくれるのだから。
初めて熊本の地を訪れ、光琳寺での生活もだいぶん慣れて来たころ、私たちは引っ越しをすることになりました。なぜって。近所の人に聞いた話では、この住まいはもともと妾宅だったらしくその妾がここで不義を起こしお手打ちになったと聞きいたからです。ここで人が亡くなったと思うと怖がりの私は、部屋で物音がする度、心臓の音が高鳴り恐怖でとても気が休まりません。また、居間の障子を開けると目の前には墓地が広がり夜はお化けと鉢合わせしそうで、夏でも障子を開ける気がしません。結婚早々夫に相談すると、少しあきれ顔になりながらも、新しい家が見つかるまで我慢するようにと言われました。結局光琳寺の家は三か月で引っ越す事になりました。私はやっとお化けから解放されることになったのです。
引っ越し先は坪井の合羽町で下宿宿みたいに部屋数が多く家賃が高い所でした。九月にこの家に移ると夫は中秋の名月を見ながら「名月や十三円の家に住む」と詠んでいました。
何とも風情のない歌でしたが、あの家の家賃を思い出す私にとっては思い出深いものです。合羽町の家は私たち二人と女中の三人が住むには部屋が多く、使わない部屋の始末に困っていました。するとしばらくして五校の歴史を教える長谷川貞一郎さんが住むことになりました。その後、大学時代の友人で五校に赴任してきた山川信次郎さんも一緒に住むことになりました。
「今帰ったぞ」
玄関先から夫の声が聞こえ、台所でジャガイモの皮を剥いていた私は、手を止め慌てて玄関に向います。
「おかえりなさい。あら、みなさん今日は一緒に帰られたのですか」
玄関先には三人の姿がありました。すると山川さんが靴を脱ぎながら話します。
「夏目君が日も暮れ一人で帰るのが寂しいから一緒に帰ろうと言うのですよ」
夫は少し顔をしかめ「そんなことは言っていない」と言うと長谷川さんも山川さんの言う通りだと話しをします。二人から責められ都合が悪くなった夫は今晩の夕飯を聞いてきました。
「いま肉じゃがを作っています」
この数カ月で私の料理の腕も上がり、今では夫から小言を貰う事も無くなりました。実を言うとお手伝いさんが最後の味付けを行っていたからなのですが。三人の顔が急に明るくなり社交的な長谷川さんの口も滑らかです。
「こちらの夕飯はいつも豪華でとても美味しく独り身の私達の唯一の楽しみです。願わくば、熱燗の方をもう少し多めにお願いできれば尚うれしいのですが」
私は夕食時にお猪口一杯のお酒を毎回出していました。長谷川さんと山川さんはいける口なのでどうやらその一杯では物足りないようです。特に長谷川さんは食事をしながら空いたお猪口をちょこちょこのぞき込み私に催促するのです。しかし私は素知らぬ顔で皆さんの給仕をするのです。あまり沢山お酒を出すとただでさえ長い夕飯がさらに長くなり、一人で後片付けをする私はたまったものでありません。それに引き換え夫はお猪口一杯のお酒を舐めるように飲み続けます。しかも半分も無くならないうちにお風呂上がりの様に顔を赤らめ、のぼせ顔になります。口調は変わらないのですがお酒は相変わらず体に合わないようです。三人が集まり食事が始まると食卓は急に賑やかになります。特に山川さんと夫は学生時代一緒に過ごしており、昔話に花が咲きます。
「夏目。今度、下江津湖で端艇競漕があるらしいな。そう言えばお前、学生時代端艇競技大会によく参加していたな」
「そうだな。夏になると毎日のように水泳所に通っていたよ。学生がみんな黒い帽子をかぶりブラッククラブなるものを作り、向島で風を切りボートを漕いでいたよ。あの頃は日焼けして全身真っ黒だったよ」
夫は昔を思い出したのか、自慢のひげを撫でながら口元を緩ませます。そんな夫を見ていたら、どうにも茶々を入れたくなりました。
「今では日陰で伸びた草のようにしていらっしゃるのに。一度たくましいそのお姿を見てみたいものですわ」
私がそう話すと夫は赤ら顔のまま少し顔をしかめ話します。
「私はそんなにスポーツと無縁のように見えるかね。これでも昔は向島のタフガイと呼ばれていたのだが」
夫の話に、隣でジャガイモを頬張る長谷川さんがむせます。慌ててお茶に手を伸ばし一気に流し込むと少し落ち着いたのか、夫に目を移しました。仏頂面に変わった夫にタフガイだった昔の姿を重ねたのか、長谷川さんはクスっと鼻で笑います。夫は益々渋い顔に変わると山川さんが夫をなだめてくれました。
「確かに夏目は学生時代、真っ黒になるまで向島でボートを漕いでいたな。しかし秋が近づいてくる頃には真っ黒だった顔が真っ白に戻っていたな」
「そうだったな。私の性格と同じように白黒はっきりしていたな」
夫の機嫌も少し直り、今度はいたずらっ子のような目をしながら話を続けます。
「二月十四日に教職員の部で端艇競技大会がある。そこで向島のタフガイを見せてやろうじゃないか」
お酒もまわり勇ましい姿の夫に長谷川さんは再び咽ながら相槌を打ちます。
「それではおにぎりを作って応援に行きます」
そう私が言うと夫は満足そうに頷いています。山川さんは大ぶりのジャガイモを箸で掴みながら声をかけました。
「そりゃあ楽しみだな。私はお酒を持って応援に行くことにしよう」
「昼間から酒は飲まんぞ」
素っ気なく答える夫に山川さんは聞き流したようすで話します。
「長谷川と二人で飲む分だ。夏目が昼から酒を飲むと家まで担いで帰らないといけなくなるかな。夏目、まだお猪口に酒が入っているぞ。飲まないのなら俺が頂くぞ」
夫は慌ててお猪口を握る。
「酒はゆっくり楽しむものだ」
夫は負け惜しみを口にし、お猪口に口を付けます。しかし舐める程度で全く減ってはいないようです。まだ猫が水を飲む方がよほど減っていす。夫の様子を三人で眺めていると、誰かの笑い声が漏れた。その笑い声は次々と染まり部屋の中は一度に花が咲いたように賑やかになったのです。その後、三人はしばらくの間、夫のタフガイぶりを聞かされる羽目になりました。
競技当日は良く晴れ寒さもひと段落したように落ち着いていました。夫は朝食を終えると一足先に出かけていきました。私は人数分のおにぎりと砂糖を多めに入れた甘い卵焼きを作りお弁当に詰めます。山川さんと長谷川さんが遅めの朝食を済ませると、三人で江津湖に向かいます。良く晴れ、日差しは温かいのですが時折吹く風は冷たく感じます。冷たい風が吹く度、私は亀の頭の様に着物の襟に首を縮ませます。
下江津湖に到着すると湖畔に大勢の学生が集まり、色とりどりの大きな旗をなびかせ応援していました。男性の野太い声と太鼓やドラの音がこだまし、まるでお祭りでも行われているようです。十時から始まったレースも午前中最後の五レースが始まろうとしています。夫の出る職員レースは午後一番の第六レースです。私たちは夫に弁当を渡すため、選手の集まるボート置き場へ向かいました。そこでは選手たちがボートやオールの手入れをしながらレースの作戦を立てています。あまりの人の多さに私は直ぐに夫を探す事が出来ません。山川さんが夫を見つけてくれ、三人で向かいました。オールを手にした夫の腕はたくましく、筋肉が盛り上がっています。その姿は正しく向島のタフガイを想せるほど普段と様子が違います。日の光を受けキリリと引き締まった顔に自慢のひげは相変わらずシャープに口元に乗っています。私にとっては他の職員の方とは明らかに違いひときわ目立って見えました。私はその姿をじっと見つめていると夫は私たちに気付きます。
「遅かったな。昼飯を食い損ねるかと思ったぞ」
「すみません。私の仕度が遅くなったので。それにしてもいつもと雰囲気が違い男前ですね」
私がそう話すと夫は少し目尻を下げ手に持っていたオールを空に突き上げポースを取っています。茶目っ気のあるその表情は夫が機嫌のよい時たまに見せてくれるものです。長谷川さんは夫の茶目っ気ある表情は見ることがないのか、不思議そうに夫を見ています。いつもは塩を噛んだような表情を見せている夫に、夏目さんもそんな表情をするのですかと言いたげです。私は夫のそんな所が大好きです。勿論口に出して言う事はありませんが。私はおにぎりと甘い卵焼きの入った弁当を渡し「頑張って下さいね」と声を掛けるます。すると夫は「風のように湖面を滑り行くので目を皿のようにしてしっかり見ているのだぞ」と自信たっぷりに話します。そのたくましい様子に私はポッと頬が赤くなります。
弁当を渡した後、私たちはゴールに近い場所で観戦するため湖畔を歩きます。午前中最後のレースが始まったようです。湖畔には多くの学生が詰めかけ出場する同僚の名前などを叫んでいます。その応援に私は気圧され、体を縮こまらせ湖畔を歩きます。レースが進むとその応援もますます熱を帯びてきました。しばらくするとどこからか太鼓の音に合わせ五校の校歌が聞こえて来ます。その声は湖畔に居る人々に次々に移り、湖畔で応援する学生はいつしか全員で校歌を歌い始めました。私はレースを横目で見ながら校歌を歌う男性の野太い声に鳥肌が立ちます。
レースは終盤に差し掛かり、青印を付けたボートが黄色いボートを半艘ほどリードしています。このままゴールするのかと思っていると黄色いボートの帆先が徐々に青色ボートの帆先に迫っています。私たちはその場で立ち止まりその様子を固唾を呑んで見守りました。ゴールは目と鼻の先に近づいています。とうとう黄色のボートが青色ボートを捕らえました。二艘のボートはそのままゴールを切ります。その時、会場で響き渡っていた応援が一瞬止み、全員の目がゴールの審判の持つ青と黄色の旗に集まります。審判の手は雷に撃たれたように動きません。私も息を吞みどちらの旗が上がるのか見守ります。前かがみだった審判の身体が元に戻ると左手に握る黄色の旗が頭上に上りました。湖畔の学生から割れんばかりの歓声が上がり、近くの学生は飛びあがり奇声を発しています。隣にいた長谷川さんが「いいレースだったな」と声を挙げると山川さんも「本当に僅差だったようだな」と話していました。
午前中の競技が終了すると学生たちは近くの公園で昼食を取り始めた。私たちはゴール近くの湖畔で弁当を広げました。風も無く日差しが心地よく降り注いでいます。下江津湖の水面も穏やかで波も立っていません。春が訪れたような陽気の中、三人でおにぎりと卵焼きを頬張りました。甘い卵焼きがおにぎりの塩気と合いおにぎりが進みます。あっという間にお重に入っていた八個のおにぎりが無くなってしまいました。私が一個食べ山川さんか長谷川さんのどちらかが四個おにぎりを食べたようです。お重の中には大根の沢庵が二切れ残っているだけです。その沢庵も二人で仲良く分け合い綺麗に無くなってしまいました。お腹を満たした二人はどちらが先とは言わず草むらに寝転がりました。横になると太陽が真上から照らし眩しいのか帽子を頭に乗せ、寝息をたて始めます。手持ち無沙汰の私は、湖面に目を向けます。穏やかな水面の上では水鳥が遊び、小さなさざ波を作りました。そのさざ波に陽の光が反射し湖面がきらめいています。私は目を細めしばらくの間、小春日和の湖を楽しみました。
午後の競技が始まろうとする頃には辺りも騒がしくなり、寝ていた二人も立ち上がりレースの予想を話しております。勿論夫の乗るボートが勝利する予想なのですが、どれくらい相手のボートを離しゴールするのか話しているようです。私たちはゴールがよく見える場所に移動するとすでにスタートラインには二艘のボートが並んでいます。午後の第六レースは職員の部です。ボートの先に赤色と黄色の印が付いた二艘の船。目を凝らし見ると黄色い印の競艇に夫が座っているようです。五人一組で乗る黄印のボートのメンバーを長谷川さんが教えてくれました。舵手が黒木さん、声調加藤さん、三番杉山さん、二番夏目君、一番大浦さんだそうです。夫は二番らしく競艇のちょうど真ん中に座っています。遠目でよく見えないのですが、何やらオールを最後まで磨いているようです。神経質な夫のいつも通りのせわしさが伝わってきます。
スタートラインの桟橋に大ぶりの旗を手にした人が現れました。湖畔では学生達が旗を振り野太い声で選手の名前を叫んでいます。その中に夏目と呼ぶ声も聞こえます。私は少し鼻高な気分になりその応援を聞いています。私もいつの間にか「夏目さん頑張って」と声を挙げ応援していました。私に負けじと、隣で二人も猛々しい声で夫を応援してくれています。太鼓の音や歓声が湖畔に広がり辺りは緊張に包まれてきました。桟橋では大ぶりの旗を持った人が構えています。ボートの上ではオールを水面から上げ、前かがみで体を小さく折り畳んだ選手がスタートを待ちかねています。湖畔に集まる全員の目がスタートを知らせる旗に集中しています。ボートを見守る私の心臓の音が急に耳に付きます。頬がぴくぴく動き握りしめた手の中がじんわり汗ばんで来ました。何故だか夫より私の方が緊張しているようです。
観客の視線がスターターに集まり、束の間江津湖が静まり返ります。次の瞬間、旗は軽やかに振られました。夫は声調の声に合わせオールを水面に付けると素早く体重を乗せ漕ぎ始めました。二艘のボートは同じタイミングでオールを漕いでいます。二回、三回と漕いでいますがボートはあまり進みません。いまだ横一線です。私は息を呑み胸の前で両手を強く握り絞めています。辺りの歓声が一段と大きくなり、レース序盤は互角です。中盤に差し掛かると、夫の乗る黄色いボートが半艘ほど抜けてきました。しかしそのボートは進路が斜めに進んでいるようです。すると舵手の黒木さんがオールを器用に扱い進路を修正します。どうにかボートは軌道修正し、再び二艘は再び並んで走ります。こちらから見るとほんのわずか赤のボートが先を走っている様に見えます。レースは一進一退のまま終盤に差し掛かりました。私の心臓の音も早鐘の様に鳴り響き息苦しくさえ感じます。すると夫の乗るボートの声調が掛け声を少し早くしました。黄印のボートは、漕ぎ手と船の息がぴったり合い急に速度を上げていきます。まるで身体が機械の一部になったかのように息を合わせオールを漕いでいます。少しずつ赤印のボートとの距離を広げていきます。しばらくすると一艇長ほど離れました。私たちの目の前に黄色のボートがやってきました。後ろの船とはかなり離れていますが夫は気を緩めることなく一心に漕ぎ続けています。応援する私の目に夫の表情がはっきり見えるようになりました。その表情は険しく、かなり息も上がっているようです。体中の筋肉がギシギシ音を立てているようで、その音は私の耳にまで届きそうです。ボートの上では全員が一糸乱れずひたむきにオールを漕いでいます。ボートは風を切り湖面を滑るように走ります。応援しているこちらも一緒に乗っている様な気分になります。夫の乗るボートは二艘以上の大差をつけゴールに吸い込まれていきました。ゴールした夫はオールを水面から上げると、肩で息をしています。船は急激にスピードを落とし湖面の波もそれに合わせ小さくなっていきます。水面に反射した陽の光が徐々に小さくなるとボートは止まりました。私はほっとひと息つきます。何もしていない私の肩がなぜか強張っています。私は夫のボートに向け手を振りました。すると私に気付き、手を振り返してくれました。湖畔の歓声はより一層大きくなり、レースと関係ない私まで拍手を送られているようで鼻高々な気分になっていました。
夫は片付け終え、私たちの所へ戻って来ると山川さんが声を掛けます。
「快勝だったな」
「相手にならなかったよ。出来れば学生と一勝負してみたかった。まだまだ学生にも負けはしないよ」
夫はすまし顔で話します。相変わらず夫の負けず嫌いは健在です。午前中、最後の学生が乗るボートのスピードと夫の船とでは、勝負は明らかです。しかし二人は夫の話に、さもありなんと言う表情で頷いています。夫のいなし方も心得ているようです。
私たちはそろって合羽町の家に戻りました。夫は帰り道、上機嫌で目を細め、いつもに増し口が滑らかです。最後には帰ったら酒を飲もうと言い出します。その言葉にいける口の二人は頬を緩ませ、ほくそ笑むのです。家路に向かう足取りも軽く、急に足早になります。全く現金な人たちです。三人は学生に戻ったように声を張り上げ歩いています。私も三人に離されないよう額に汗し、ちょこちょこと小走りで後を追います。金峰山に太陽が隠れ始め、前を歩く三人は真っ赤に燃える夕焼けに照らされています。一人後ろから付いていく私は三人の長く伸びた影に包まれ歩いていました。
夕食時にはお酒も入り三人の話しはさらに弾み、若かりし頃の出来事に花を咲かせておりました。ひっきりなしに熱燗を運ぶ私は旅館の中居にでもなった気分です。二人のお猪口は渇く間もなくひっきりなしに酒が注がれ、空いた徳利があちこちに転がっています。しかし夫のお猪口の酒は一向に減る気配がありません。あれではせっかくの熱燗も台無しで、徳利の中は冷酒になっている事でしょう。結局いつもより一杯多い、二杯を飲み干すころには完全に出来上がり、座敷でそのまま寝てしまいました。しかし残る二人はほんのり赤く染まった顔で相変わらず飲み続けています。とうとう家に置いてあったお酒を全部飲み干してしまいました。お酒が無くなると二人はバツが悪そうな顔で、寝ている夫を連れ部屋に帰って行きました。やっと夕食も終わり私はそれから片付け始めます。片付けが終わる頃には夜も深まり辺りは静まり返っておりました。
翌朝、空が深い藍色からオレンジ色に変わる頃、夫は目を覚まし台所にやってきました。
「昨日はよく酒を飲んだ」
私はお猪口二杯しか飲んでいませんよと喉元まで出かけた言葉を飲み込み昨晩の様子を伝えた。
「皆さん楽しそうに飲んでいましたよ。特に山川さんは昔のあなたの事を面白おかしく話していらっしゃいましたよ」
「おう、そうか。私は途中で眠ってしまいあまり覚えていないな」
夫は眠そうな目をこすりながら答えます。確かに競技の疲れからか、早い時間からゴロンと寝転がっていたようです。
「家のお酒も空になりましたよ」
「そんなに飲んだのか。道理でそのまま寝てしまうわけだ」
夫が眠ってしまったのはお酒を飲みすぎたのだと勘違いしているようです。気の毒なので話を合わせておきましょう。
「寝てしまわれたのはお酒の飲みすぎと競艇艘の疲れが出たのですよ」
私がそう話すと夫は首を縦に振りながら台所を離れ玄関に新聞を取りに行きました。廊下を歩く足音がどこか楽し気で、私は夫の背中が消えるまで眺めておりました。
夫は二日後の新聞で端艇競争の記事を見つけ、自分の名前が載っている所をわざわざ台所まで見せに来ました。新聞には各競技の勝利した出場選手名が載っています。新聞には「夏目」の文字がくっきり載っています。夫は子供の様にほおを緩め、記事を見せてくれました。
「あら、本当に名前が載っていますね。あの時は猛々しい姿で男前が上がっていましたよ」
私がそう話すと夫はまんざらでもないと言わんばかりの表情を浮かべ新聞に載っている自分の名前に目を落としています。夫の真っすぐで子供の様にあどけない姿に私は気持ちが和みます。口から吐く息が白く、寒い朝のほっとする時間を二人で過ごしました。
熊本で過ごした四年三カ月の間に六回も引っ越しをしてまいりました。世間では夫が引っ越し好きだの落ち着きがないなど騒いでおりましたが、その時々色々な事情が重なり引っ越しをすることになったのです。たとえば三件目の大江村に移る際には夫の父が亡くなり、夏休みとも重なり東京に戻るため二カ月熊本を離れる事になりました。その頃には長谷川さんや山川さんも合羽町の家を離れ、合羽町の家は私達二人で住んでいました。この家は部屋数が多く家賃も高いため二カ月間も熊本を離れ家賃だけを払うのは馬鹿らしいと言う事になり引っ越すことになりました。新しく借りた大江村の家に荷物だけ移し二か月分の家賃を浮かしたのです。みなさんは驚くかもしれないが当時二カ月も家を空ける際、このように引っ越すことはそう珍しい事ではありませんでした。
大江村の家主は落合為誠さんという方で、宮内省に出仕し空き家になっていたのでお借りしました。家賃は七円五十銭と安く、見渡す限り桑畑が続くのんびりしたところでした。私たちのお気に入りの家の一つでした。
大江村の家に住み始めたころから書生さんが我が家に住むことになりました。特によく覚えている書生さんは股野義郎さんと寺田寅彦さんです。股野さんは「吾輩は猫である」に登場する多々良三平のモデルになった方です。確か大江村の家に移って間もなくして一緒に住まわれたと思います。
しかしこの家も東京から家主が戻ってくると言う事で、半年でまた引っ越すことになりました。
次の引っ越し先は白川沿いの井川淵町の家です。この家に引っ越しても股野さんは猫のようにそのまま我が家に住み着いておりました。井川淵町の家は部屋数も少なく、股野さんは座敷に寝泊まりしておりました。当時彼は傍若無人な野良猫のような振舞で、私や女中のテルの手を焼いていました。
ある日、股野さんは同じ法学部の土屋さんを連れて家に帰ってきました。彼は生活が苦しく座敷で一緒に寝泊まりさせてくれと夫に頼んでいます。夫は苦学生を見て見ぬふりなど出来ません。結局我が家に書生が一人増えることになりました。
土屋さんは、几帳面で礼儀正しく手のかからない方でした。それに比べ股野さんは、体も大きくがさつで、大飯ぐらいの大酒飲みで手に負えません。ご飯も味噌汁も同じ数だけ食べ、話し好きの彼は子供の様に口からご飯粒ひょいひょい飛ばしながら食べています。彼が食べ終わり席を離れると周りにご飯粒が点々と散らばっており、まるでアリが行進しているような有様です。机や畳に落ちたご飯粒を自分で拾って綺麗にすればまだ目をつぶりますが、食事を済ますとさっさと居間を離れます。私は毎日、誰に言うでもない小言を言い、そのご飯粒を一粒一粒拾い集めなければなりません。ついに我慢の限界を越え股野さんに注意すると彼は笑いながら何食わぬ顔で居間を立ち去ります。結局いつも通り私が一粒一粒拾い集めました。開いた口が塞がらないとはこのことです。またある時は、酔っ払い夜遅く帰って来ると火鉢にかけてある鉄瓶の湯を飲み干し空のまま火鉢に戻していました。翌日、何も知らない女中のテルはそのまま空の鉄瓶に火をかけ取っ手まで熱くなった鉄瓶で火傷し彼を烈火のごとく怒っていました。それでも一向に悪びれる様子も無く飄々としている股野さん。どれ程面の皮が厚いのでしょう。
ある日、土屋さんと股野さんは大酒を飲み夜遅く帰ってきました。翌日、土屋さんは朝早く出かけたのですが股野さんは九時を過ぎても起きてきません。座敷からは熊が寝ている様ないびきが聞こえて来ます。全くあの人は野良猫よりも自由奔放に生きています。まだ野良の方が熊のような股野さんよりずっと可愛げがあります。私は部屋の掃除が進まずだんだん腹が立ってきました。私はまたも我慢の限界を越え座敷を開けます。すると布団から足を付き出し、お地蔵さんの様にお腹に布団を乗せています。
「まあ、なんて寝相が悪い事」
私は小さく息を吐き彼に声を掛けようとしました。その時枕元にそれまで着ていた洋服と一緒にパンツまで脱ぎ捨ててありました。そう言えば股野さんは寝る時、健康に良いと言われたとかで下着も着ず真っ裸で寝ていたのを思い出しました。私は急にいたずらっ子のような顔になり、脱ぎ捨てられた服に近づきます。熊か恐竜かと言うようないびきをかく彼の枕元から、そっと脱ぎ捨てられた服を持ち出し隣の部屋に隠しました。私はそのまま障子を閉め座敷を後にしました。すると主人がすぐに二階から降りてきます。廊下を歩き居間に入ろうとすると座敷から例のいびきが聞こえ夫はその場に立ち止まりました。夫の表情が険しくなり今にも雷が落ちそうです。そんな夫を見ながら私はスキップしたい気持ちを抑えながら見守ります。夫は障子を勢いよく開けるといつもの雷が落ちます。
「股野。いつまで寝ているのだ。さっさと起きろ」
股野さんは大地震でも起きたのかと言う表情で、お腹に乗っていた布団を投げ捨て飛び上がります。立ち上がった彼は素っ裸のまま布団の周りに脱ぎ捨てた服を探し出します。彼の服は先ほど私が隣の部屋に隠しています。股野さんは両手で前を隠し大きい体を縮こまらせています。その様子が、チンパンジーがエサを探している様で私は歯並びの悪い口を大きく開き笑い出しました。つられて夫も目尻を下げ笑い始めました。彼ひとり真剣な顔で布団の下までのぞき込み服を探しています。私は隣の部屋に隠した服が見えるように障子を開けました。すると股野さんはその服に気付き、それまで隠していた両手を離し一目散に服まで駆け寄ります。服に駆け寄ると大きな体を器用に扱い、パンツと着物を身に着けあっという間に着替えを済ましました。彼はバツの悪そうな顔をしながら未だ笑い続ける私たちに目を向けます。すると持ち前の人懐っこい顔に変わり大口を開け笑い始めました。三人の笑い声が座敷にこだまし辺りが賑やかになると、炊事場で片づけをしていたテルが様子を見に来ました。笑い続ける私に「何が有ったのですか」と問いかけるテル。事情を説明するとテルは真っ裸の股野さんを見損ねたと残念そうです。その言葉に私たちは再び火が付いたように笑い出しました。しばらくの間、我が家にげらげら、からから、けらけらと陽気な笑い声が広がっていました。股野さんを憎々しく思う事は多いのですが、我が家に笑いを提供してくれる楽しい書生さんでもありました。二人は卒業と共にこの家を去ると家の中は火を消したように静まり返りました。人間は不思議なもので、あまりに静かすぎると忙しかったそれまでの生活が急に恋しくなります。静かな生活が続くと家の中で手持無沙汰な私は一人部屋の中で考え込むことが多くなり体調を崩してしまいました。今思えばあれはうつ病だったのだと思います。私のうつ病に気付いた夫は環境を変えるため再び引っ越し先を探し始めました。一週間ほどで家を探してきました。夫の行動力と決断力にはいつも驚かされます。夫が次に探して来たのは内坪井の家でした。引っ越し先が決まると私は急に忙しくなり一人で落ち込む暇など無くなり、体調も徐々に良くなりました。引っ越し当日は多くの学生と同僚の先生方が手伝いに来てくれました。そこには山川さんの姿もあります。相変わらず口は滑らかに動いていますが、手はさほど動いていません。しかし山川さんがいるだけで大変な引っ越しをしていると言うより、お祭りにでも出かけるように賑やかにしてくれます。仏頂面で大八車に荷物を乗せる夫とは大違いです。私は手伝いに来ている学生さんに学校での様子を尋ねてみました。
「先生の授業は理詰め話され解りやすいです。ただいつもむすっと渋い顔で授業をするので声は掛けづらいです。しかし私たちの質問にも丁寧に答えてくれ、私にとっては尊敬する先生の一人です」
彼はそう話してくれました。生徒との関係は上手くいっているようです。そう言えば夫が熊本の学生について話していたのを思い出しました。
「松山では生徒が教師に少しも敬意を払わないので教員という者はこういうものかと思っていた。しかし熊本ではまず学生のお辞儀に感心した。あんなお辞儀をされたことはいまだかつてない。よほど礼儀に厚い所だとおもった。また、律儀で生活も質素で、東京あたりの書生のように軽薄で傲慢知己な所が無く誠によい気風である」
そう話をしていました。確かに九州の人は生真面目で誠実な方が多いように感じます。すこし頑固が過ぎるようですがそこは愛嬌と言う事で。熊本では頑固者を「もっこす」と言うそうです。いかにも自分の考えを梃子でも曲げないと言う様な言葉の響きです。
井川淵町の家から内坪井の家までは歩いて三十分程の道のりです。十時ごろから始めた引っ越しも午後二時頃には無事終わりました。多くの方が手伝っていただき早く終わりましたが、ここからの飲み会が大変でした。玄関を上がると六畳、四畳半、八畳の続きの間があり、その障子を全部取り外し八人の体格の良い男性が腰を下ろしています。一番端に夫が申し訳なさそうに座っており、料理と酒を早く持って来いと言わんばかりにむすっとしております。私とお手伝いさんは手を休めることなく引っ切り無しに料理を作ります。出来上がった料理は座敷にいる学生に声をかけ運んでもらいとにかく料理を作り続ける有様。お酒は学生がよく飲んでいる赤酒を一升瓶ごと二本テーブルに用意し、みなさん勝手に湯呑で飲んでもらいました。夫だけは手の平に隠れるほどのお猪口を用意し飲んでいるようです。しかし一升瓶からお猪口に注ぐのは難しいと見え、家にある一番小さな湯呑を取り出し赤酒を注ぎ始めました。座敷では山川さんの野太い声が台所まで聞こえその語り口調は軽やかです。まるで落語を聞いているかのように山川さんが話すと間髪入れず学生たちの笑い声が聞こえて来ます。一体何を話しているのかと目を向けると同僚の先生方の授業を手振り身振りを交え大袈裟にして真似ているようです。その姿を学生たちが手を叩いて喜んでみています。山川さんの顔もどこか抜けた表情で真似をし、学校で本当にこんな授業をしているのかとこちらが心配になるくらいです。座敷は山川さんの一人芝居で学生たちは大いに盛り上がっております。すると学生の一人が今度は夏目先生の真似をお願いしますと山川さんに頼みます。すると山川さんは待っていましたとばかりに目を輝かせおもむろに立ち上がりました。立ち上がると壁に体を向け黒板に見立て何か書く真似を始めました。学生の目が山川さんにあつまります。同じ英語教師の彼は壁に向かい少し変なイントネーションで英語を話し始めました。次の瞬間、山川さんが振り返ると学生の目は彼の顔にくぎ付けになります。なんと彼は梅干を食べ口の中がすっぱいと言うような難しい表情をしています。彼が振り返ると一呼吸おいて座敷は割れんばかりの笑いに包まれました。私もその様子を見ながら歯並びの悪い口を大きく開き笑いました。夫だけが不服そうにふて腐れています。とうとう我慢できず「私はそんな顔で授業はしていない」と言い出しました。すると学生たちは間髪入れず「こんな顔をされています」と返した。これには夫も苦笑いするしかありません。夫は山川さんをもう一度眺め、しかめっ面で話します。
「それにしてもひどいな。明日からは微笑みながら授業をしよう」
「それは無理でしょう。授業中に怒鳴られない日は一日も有りませんよ」
学生たちが揶揄します。
「怒鳴るのはお前たちが怒鳴られる事をするからだ。私も好んで怒鳴りなどしない」
すると学生の一人が口元を緩めながら返事をします。
「先生。怒られるような事をしているのは私たちが悪いのですが、その後の先生の説教が長すぎます。そちらの講釈は短めでお願いします」
これには夫も一本取られたと言う顔で力なく笑っていました。隣で山川さんも「夏目は理屈っぽく、しつこいからな」と話します。するとどこからか小声で「もっこすばい」と止めを刺す声が聞こえてきました。再びみんなの目が夫に集まります。夫の口元は緩んでいますが目元は笑おうか、怒ろうかと綱引きをしています。そんなちぐはぐな顔色を初めて見た学生の一人がクスリと音も無く笑いました。するとその笑いは座敷にいる全員に広がります。笑いの壺に入った学生は、とうとう畳に寝転がってお腹を押さえ笑う始末。座敷は今日一番の笑い声に包まれ、夫の苦笑いが可愛らしく思えました。しばらくの間、蝉の鳴き声を打ち消すほどの笑い声が新しい家にこだまします。
熊本で最も長く住んだのは、今回移った内坪井の家で、一年八カ月をここで過ごしました。この家から二百十日の舞台になる阿蘇山に山川さんと旅行に出かけました。また、書生の寺田さんたちが俳句を持ってよく遊びに来られていました。
この家で私にとって一番の思い出は、やはり長女の筆子の出産です。内坪井の家に移った年の秋には妊娠が分かりました。私はとにかく悪阻がひどく九月からの三カ月、食べ物はおろか水さえ喉を通らない有様でした。私はこれほど悪阻が苦しい物とは思いも寄らず、この三カ月はいっそこのまま死んでしまいたい、と思う毎日でした。寝床に横になる私に夫はそっと近づき腰を下ろします。
「気分はどうだ。今日も何も食べなかったようだな。何か食べたい物は無いのか。あまりやせ細るとお腹の子供にも悪いぞ」
夕方薄暗くなり始めた部屋で夫の声が響きます。
「今日は病院で滋養の浣腸をしてもらったので食べなくても大丈夫ですよ」
私の声は夫までやっと届く程度の小声です。彼は顔を近づけ私の話を聞き漏らすまいとしています。私は少し大きくなり始めたお腹に手を当て力なく息を吐きます。この子のためにも頑張って食事をしようと思うのですが、ご飯から立ち登る白い湯気を嗅いだだけで吐き気がします。もちろん胃の中は空っぽなので何も出ることはありません。気弱になった私はつい心の聲が口を付きます。
「私はこのまま死ぬのでしょうか」
「何馬鹿な事を言っているのだ。少し体力が落ち気弱になっているだけだ。もうすぐ悪阻も納まるだろう。生れてくる子供との楽しい生活がやって来るのだ。一時の辛抱だ、頑張れ」
励ましてくれる夫の言葉は温かく私の頬には自然に涙があふれていました。夫の言葉は乾いた心の中に染み渡り、まだ見ぬ子供のためにもここで死ぬわけにはいかないと言う力が湧いてきました。私は枕元に座る夫の手をそっと握ります。夫はその手を力強く両手で握り返してくれました。私の冷たかった手は直ぐに温められ、いつもは嫌いだったタバコのにおいでさえ心落ち着かせてくれる、そんな気持ちになりました。辺りは夜の静けさが増し火鉢からは赤々とした炭の明かりが二人を照らしています。私は繋いだ手の温もりを感じながら布団に横たわっていると、いつの間にか眠りについておりました。
病妻のねやに灯ともし暮る〻秋 漱石
翌日、庭から差し込む日の光が高くなり暖かな風が寝床に入る頃、夫が部屋に現れました。とっくに学校へ出かける時間は過ぎています。私は咄嗟に今日は日曜日かと思います。しかしよくよく考えてみたら今日は水曜日です。不思議に思い夫に尋ねます。
「今日、学校はいかがされたのですか。もうとっくに学校は始まっている時間じゃないですか」
すると富士山を模った自慢の髭を撫でながらどこか落ち着かない様子で答えました。
「昨日からお前があまりに気弱な事を言うので、今日一日学校を休むことにした。今日は枕元で話し相手になってやる」
熊本を訪れ学校を休んだことなど一度もありません。私が目を丸くして夫を見つめていますと、夫は咳払いをして慌てて庭に目を移しました。私の目には薄っすら涙が溜まり座っている夫の顔が滲んで見えます。庭から目を戻し涙目になる私に夫はそっとハンカチを渡してくれました。私はハンカチを顔に近づけるとかすかにタバコと夫の匂いがしてきました。涙を拭う私は一瞬夫に抱き寄せられている様なそんな気持ちになります。心が温かくなり光に満ち溢れた思いです。私の涙はしばらく留まることなくハンカチに沁みていきました。
私が少し落ち着き始めた頃、夫は痩せ細った私を見ながらぽつりぽつりと想いを紡ぎます。
「そう言えば久しぶりにゆっくり二人で過ごすな。私も五校に来てからは忙しく、お前とゆっくり過ごす事もなかったな」
「そうですね。でもあなたは結婚式の時に私にこう仰ったではないですか。俺は学者で勉強しなければならない。だから、お前になんか構っていられない、と」
そう言った本人は全く覚えていないらしく、「そんなことを言ったのか」と頭を抱えています。私にとっては結婚当日の衝撃的な出来事だったのですが、当の本人は覚えていません。夫はその後も何度か本当にそう言ったかと尋ねてきました。その都度私は「結婚式の時はっきりおっしゃいましたよ」と答える。夫は困った顔のまま愛想笑いを浮かべます。とうとう二人は顔を見合わせ笑い始めました。
「そう言えば最近、オタンチンノパレオラガスと言われなくなったな」
話を変えたかったのか例のおまじないのような言葉を言います。
「そのオタンチンノパレオ何とかとはどういう意味なのですか」
私は素に戻り聞きます。しかし夫はハハハと笑うばかりで何も答えてはくれません。きっとドジとか間抜けと言っているのでしょうが。そう言えば夫はあだ名をつけるのが好きでした。相手の顔の特徴だとか、話しぶり、雰囲気から良くあだ名をつけていました。小説「坊ちゃん」は題もあだ名から取っております。登場人物も校長がたぬき、教頭が赤シャツ、数学教師の堀田は山嵐とあだ名で物語が進んでいました。きっと夫にとって私はオタンチンノパレオラガスなのでしょう。どう意味かと何度訪ねても笑ってばかりで直ぐに話をはぐらかせます。しかし最近その言葉も聞かなくなったと言う事は、少しは夫の思う通りに過ごせているのだと勝手に思う事にしました。庭から入る風は冷たさを増し、冬の足音を感じます。しかし二人で過ごすこの部屋は紅葉を始めたもみじの葉の隙間から入る日差しに照らされ、あったかな時間が流れます。私は悪阻の事など忘れ、隣で子供の様に笑う夫を眺めていました。
その後、悪阻も納まり寝床を上げる日が多くなりました。出産を迎える五月までは大きな体調の変化も無く過ごすことが出来ました。五月三十一日。夫の見送りをするため玄関に向うと大きくなったお腹をみながら「もうすぐ生まれそうだな。それにしてもお腹にカボチャを入れている様に大きくなったな」と感心しています。
「カボチャどころじゃありませんよ。お腹にスイカを抱えている様に体が重たいですよ」
私がそう答えると頷きながらお腹に手を当てます。すると中にいる赤ちゃんも挨拶代わりに夫の手を中から蹴り上げました。
「おう、元気だ。きっと俺に似て元気な赤ちゃんが生まれてきそうだな」
「あらやだ。あなたに似たら胃腸が弱くなるじゃありませんか。私に似たら丈夫な子供になりますよ。私の取り柄は体が丈夫な所ですから」
そう冗談を言うと夫はお腹に手を当てたまま目尻を下げ満足げに笑みを漏らします。夫の手の温もりがお腹に伝わりその温もりを赤ちゃんも感じているようです。私は何とも言えない心地よい幸せな気持ちになりました。
「この子も早く出たがっているので早く出してやれ」
そんな私の気持ちを一瞬で冷めさせる一言。
「そんなニワトリでもあるまいし、ポンポン生まれる訳ないじゃありませんか」
私がムッとしながら話すと、夫は取りなす様に私の身体を気遣う言葉を残し出かけて行きました。
その日は午前中からお腹が張ったように感じいつもと様子が違います。初めての出産なので陣痛がどういう物か、いつ生まれて来るのかも分かりません。女中のテルに聞いてみるとお腹が張ってきたらそろそろ陣痛が始まりますよと教えてくれた。その後、お腹が張り出すと腰や背中の下の辺りが痛み、上から抑えられたように身体が重くなります。私は我慢できなくなり布団に横になる事にしました。テルに布団を敷いてもらい彼女の手を借りながらゆっくり横になります。横になるとお腹の痛みもすこし和らいでいきます。それまでの緊張がゆるむと体は水に浮かぶように軽くなり私は浅い眠りについていました。
「ねえねえ、お母さん。お父さんはどんな人」
私は声のする方に目を移すと、足元で着物の袖を引っ張りながら駄々をこねる小さな女の子がいます。三歳くらいの女の子はしきりに夫の事を聞いてきます。私は咄嗟にお腹に手を当てると、それまで風船を膨らませたようなお腹はしぼみ、体は元に戻っています。相変わらず裾を引っ張り、駄々をこねる女の子。私は足を折り曲げ目線を女の子に合わせます。長いまつ毛に切れ長の目が夫にそっくりで、団子鼻と尖った口元は私に似ています。この子はきっと二人の子供だと思うと同時に女の子が生まれるのだと思いました。無事出産も終え可愛い女の子が生まれて来たと思うと、急に肩の荷が下ります。私は最初の子が女の子であってほしいと密かに思っていました。目の前に現れた女の子の目は好奇心旺盛な眼差しで私に話しかけてきます。話に耳を傾けるとしきりに夫や私の事を聞いてきます。どんな仕事をしているのか、食べ物は何が好きなのか。怖い人、優しい人など。私はその質問に一つずつ答えていきます。その物見高さはまるで夫を見ているようです。「なんで、なんで」を連呼するこの子に私は将来夫と同じく学者になるだろうと思いました。最後に女の子は少し不安そうな表情を浮かべ、こう問いかけてきました。
「私は生まれて来て良かったの」
その声は消えるようにか細く、不安な眼差しです。私は思わずその子を抱きしめ「生れてくれてありがとう」と耳元でささやきます。女の子の紅葉のような小さな手の平が私の背中に吸い寄せられ、背中に温かさがゆっくり伝わってきます。しばらくの間、私は女の子の小さな手の温もりを独り占めにして楽しみました。
どこか遠くで夫の声がします。
「眠っていたのか。大丈夫か。まだ生まれんのか」
夫のまだ生まれんのかという言葉で私は目を覚ましました。今までの満ち足りた時間を一度に崩すその言葉に私は思わず「悪うございましたね。こんな意地悪なお父さんですよ」とお腹を摩りながら答えます。すると夫はバツの悪そうな顔になります。その時私のお腹が急に張り、身体が上から押さえつけられている様に重くなりました。私は苦しさに思わず声を漏らします。小声で「生れる」とつぶやくと今度は夫が慌て出しました。女中のテルを大声で呼び、部屋を出ようと振り向くと閉めていた障子に頭をぶつけニ三歩後ずさりしています。障子を開けながらなおテルを呼び続ける夫。どうやらテルは買い物に出かけ家を留守にしているようです。部屋中探し回った夫が再び枕元にやってきました。
「テルは出かけているようだ。今からどうすれば良い」
夫は額から汗が吹き出し、口は回らずしどろもどろになっています。今、その姿を思い出しても笑いが込み上げてきます。後日、その事を話しますと夫は気のせいだろうと取り合いません。その顔がまた面白く私は度々あの時の話を持ち出していました。
「通りの角に産婆さんが居るので呼んできて下さい」
「わかった」
そう言い残すと夫は風のごとく素早く部屋を立ち去ります。バタバタとせわしない足音が遠のいていったかと思ったら、またバタバタと言う足音が近づいてきます。障子から顔を出した夫は息を上げながら話します。
「通りの角とは玄関を出て右、左どちらだ。その家の名前は何だ」
「玄関を出て右の角で斎藤さんのお宅です。大きな栗の木が目印になり直ぐに判ります」
夫は私の話を最後まで聞かずに慌てて部屋を飛び出していきました。私はちゃんと伝わっているのか少し不安になります。今度の陣痛は今までとは違い痛みが体全体に伝わり布団を両手でしっかり握りしめていないと気が遠くなりそうです。どれくらいの時間が過ぎたのでしょうか。産婆さんを待つ私にはとても長く感じました。すると産婆さんがやってきました。部屋に入ると手際よくあたりを片付けお産の準備にかかります。後から戻ってきた夫は溢れんばかりの荷物を持っています。夫が荷物を置くと同時に産婆さんは風呂敷を開き「早く湯を沸かさんね」と夫を怒鳴りつけています。夫は小さく首をすくめると部屋をそそくさと出て行きました。湯が沸くころに女中のテルが買い物から帰ってきました。テルは家に戻ると早々に私の枕元に駆け付け声をかけてくれます。初めての出産で心細かった私は彼女の声を聴き少し気持ちが落ち着いてきました。お産が始まると部屋中に私の気張る声が響きます。すると夫は沸かしたお湯を桶に移し部屋の廊下に桶を並べ始めました。いつの間にか廊下は桶でいっぱいになり、それでもまだ湯を沸かしています。夫も初めての出産に立ち会いじっとしていられないようです。テルが廊下にずらっと並ぶ桶を不思議そうに眺めていると夫は小声で「あとは運んでくれ」と言い放ち台所へ戻っていきます。ただならぬ私の声に夫も部屋に近づきたくないようです。
生みの苦しみは一時間ほど続きました。赤ちゃんが取り出されると元気な鳴き声が部屋中に響きます。私はこれまでの苦しみなど一度に吹き飛び生まれた我が子を抱きかかえました。夢の告げ通り、玉の様なかわいい女の子です。私は思わず顔を近づけると赤ちゃんから何とも言えない甘い香りが漂ってきます。私はこの香りに包まれると不思議に心が落ち着き、この子がより愛おしく思えてきました。香りが私たち親子を強く結び付けている様なそんな気させするほどです。満ち足りた気分に浸っていると台所からドタドタと荒い足音が近づいてきます。夫は台所から走りくると開口一番「男の子か」と尋ねます。私は一瞬、塩を噛んだような苦い顔になり夫をにらみます。私は気を取り直し「かわいい女の子ですよ」と答えると夫はつかのま小さく息を吐いたように見えました。しかし私が抱いている赤ちゃんを見ると急に顔がほころび、すでに父親の顔に変わっていました。
「母子ともに無事でなによりだ。疲れただろう、ゆっくり休みなさい」
そう話すと夫はゆっくり私と赤ちゃんのもとに近づいてきました。
「先ほどまでお腹の中に隠れ、影も形も無かったのに。もう形だけは一人前の人間になっているな。不思議なものだ」
夫は感心しながら赤ちゃんに手を伸ばします。私はそっとこの子を手渡すとまだ首も座らぬ赤子を不器用に抱きかかえます。すると赤ちゃんは急に居心地が悪くなったのか泣き始めました。夫の様子見ていたテルはすごい剣幕で夫に嚙みつきます。
「そうじゃありませんよ。左腕で赤ちゃんを包むように抱きかかえ右手は優しく支えるようにするのです」
夫はテルの言うとりに抱き直します。するとそれまで泣いていた赤ちゃんが急に泣き止みます。夫はバツの悪そうな顔になり、テルはいつものお返しとばかりと誇らしげな表情を浮かべています。そんな様子を眺めていると私の目元には薄っすら涙が滲み三人の姿がかすみます。夫は子供を抱きかかえたままが枕元に座ると「目元は俺に似ているな。鼻と口はお前にそっくりだ」と笑みを浮かべ話します。私は涙をぬぐい「そうですね」とほほ笑みます。すると最後に夫の余計な一言。
「歯並びは悪くないと良いのだが」
そう話すと肩をゆすり笑い出しました。生まれたばかりでまだ歯も生えない赤子になんて不吉なことを言うのでしょう。私は目元は下げながらも頬は風船のように膨らませ笑う夫を睨みつけます。夫の腕の中では赤ちゃんが不思議そうに見上げていました。廊下には湯気の立ちあがる桶が並び、外は夕暮れが近づいています。部屋の中では夫の遠慮のない笑い声が響いています。私は満ち足りた時間を心の奥に刻み、二人の姿を眺めていました。
生れてきた女の子には筆(通称筆子)と夫が名付けました。名前の由来は私が悪筆なためせめてこの子は字が上手くなるようにと夫が願いを込め名付けたのです。私は気が進みませんが、替わりの名前は思いつきません。仕方なく夫の意見に従う事にしました。ところが筆子が大きくなると皮肉なことに私以上の悪筆になってしまいました。その頃当人は欲張った名前を付けたからこんなに字が下手になったと文句を言います。挙句の果てには字が下手になったのは名前のせいだと私たちに恨み言を言う始末。小さい頃は本当に可愛い子供でしたのに。今が可愛くないと言っているのではないのですが。
結婚して三年目に生れた長女。私も夫もずいぶんと可愛がりました。
「あなた。ちょっと買い物に出かけてきます。筆子をお願いします」
「おう、分かった。今晩はサンマを買ってきてくれ。脂ののった奴を買ってきてくれ」
夫の声に私は「ハイハイ」と返事をして家を出ました。秋も深まりサンマは今が旬です。旬の魚で脂がのっていいない物を探す方が難しいのです。しかし買い物に一緒に出かけない夫はそのことを知りません。二人で買い物している所を生徒に見られたくない様です。生徒に冷やかされるとでも思っているのでしょうか。買い物に出かけない夫は何が食べたい、これを買って来い、と何かと注文は多いのです。私はさっさと玄関を閉めると一人で買い物に出かけました。
魚屋では銀色に輝く大ぶりのサンマが並んでいます。脂がのり七輪で焼くと脂が炭に落ち美味しそうな煙がモクモクと上がりそうです。この魚を買って帰るときっと夫が焼き加減がどうのこうのと講釈を始め自分で焼くに違いありません。そんな姿を思うと笑いが込み上げてきました。うっすら笑みを浮かべる私を魚屋さんは不思議そうに見ます。私は慌てて奥歯を噛み笑みを堪えます。気を取り直し、何事も無かったようにサンマを三匹買いました。途中、八百屋で大根を買い付け合わせに大根おろしをすることにしました。買い物を終えると私は家に帰ります。
勝手口を開けると家の中から筆子の鳴き声が聞こえて来ます。筆子の事は夫に頼み買い物に出かけたのに、いったい何をしているのかしら。私は台所に荷物を置くとさっそく座敷に足を運びます。開かれた障子の先に筆子を抱きかかえあやしている夫の姿が目に入ります。筆子を抱くその姿は相変わらずぎこちなく一向に泣き止みません。私はいたずら心が芽生えしばらく夫の様子を障子の影から見守る事にしました。すると夫は不機嫌そうな顔をしながら筆子に話しかけています。
「おうおう、どうして泣いておる。何が不満じゃ。言ってみろ」
そう話しかけているようです。四カ月を過ぎた赤子がお腹空いたとか、おしっこをしたとか言うはずは有りません。私は笑いを必死でこらえます。すると筆子の鳴き声は先ほどに増して激しくなってきました。この鳴き方は恐らくおむつが濡れ気持ち悪く泣いているのだと私は思いました。家の中には女中のテルが居るのですが夫は普段、テルが子供を抱いていると嫌な顔をします。なぜなら彼女の顔が真っ黒に日焼けし、子供は抱く者に似ると言われているためテルに抱かせたくないようです。そのため筆子が泣いていても夫はテルに声を掛けずに自分であやしていたのです。どうにか泣き止ませようと夫は色んな顔を作り子供をあやしています。その様子を隠れてこっそり見る私は笑いを堪えお腹がヒクヒクするのを必死で堪えます。筆子の鳴き声が頂点に差し掛かる頃、テルが現れました。彼女は夫の腕の中でぐずつく筆子を取り上げました。筆子を抱きかかえた彼女はおむつに手を当てるとそのまま布団に寝かせます。やはりおむつが濡れているようです。テルは替えのおむつを用意すると手慣れた様子で取り換え始めました。その素早い動きに後ろで見守る夫は声も忘れ見入っています。彼女はおむつを替えると再び抱きかかえ、夫に渡します。筆子を抱く夫の様子は、いつもの威厳は影を潜め反対にテルは誇らしげな顔つきで座敷を後にします。二人の対照的な表情が可笑しく私はとうとう声を挙げ笑い出しました。すると夫が気付き帰ったのかと声を掛けてきました。私は咄嗟に今戻りましたと言いながら座敷に向かいます。近づくと夫の腕の中で筆子が福福しい顔で笑っています。
「機嫌が良さそうですね」
私がわざと言うと夫は苦い顔になりました。
「先ほどまで大泣きで手の施しようが無かった。テルがおむつを替えようやく泣き止んだ。言葉を話せないなら泣き方で思いを伝えてくれれば良いのだが」
「私にはなんとなく分かりますよ。泣き方でおむつが濡れているのか、お腹が空いたのかが」
「本当か。わたしにはさっぱりわからん。全部同じ泣き方にしか聞こえん。母親はすごいものだな。今度から注意して鳴き声を聞いてみよう」
夫は感心した様子で私を見ます。いつの間にか筆子は小さな寝息をたて眠っています。夫は筆子を布団の上にそっと寝かしつけ小声で話しかけてきました。
「赤ちゃんは可愛いものだな。一日中観ていてもそのしぐさや表情は見る者を楽しませてくれる。鳴き声一つとっても自分の想いを表現していると思うと、もう一人前の人間として自我が芽生えているのだな」
「そうですね。こんなに小さいのに愛される術を全て身に着け生れて来ているのですね」
二人の目は筆子を見つめています。彼女は寝ながらおっぱいを飲んでいる夢を見ているのか、口元を小刻みに動かし始めました。その後満足した様子で、今度は目を閉じたまま頬を緩ませ笑っています。刻一刻と表情を変えるこの子を見ながら私たちもつられてほおを緩ませます。徐々に日が傾き縁側に赤く染まった夕日が差し込んで来ました。カラスが泣きながら家に帰る声を聴きながら私達三人の時間を楽しみました。夫の目元がいつになく下がり、普段私には見せない表情をしています。赤く染まった夕日が緩やかに治まり、代りに部屋の中は薄暗くなり始めまた。夫はお腹が空いたと言いながら部屋の明かりを付け筆子の隣にどっかと座り込みました。私は直ぐサンマを焼きますと言い部屋を後にしました。どうやら今日のサンマは私が焼くようです。部屋を後にする際、振り返ると背中を丸め筆子の顔に息がかかるほど近づき優しく見つめる夫がいました。その様子は子供を温かく包み込み見守る父親の表情です。私は思わず口元に手を当てクスリと笑います。こんな生活がいつまでも続きますようにと祈りながら台所へ向かいました。
熊本での生活は本当に思い出深い物でした。夫は単身で熊本に訪れ、私は後を追う様にこの地に向かい、その後筆子が誕生。家族があっという間に増えていきました。結婚当初、何もできなかった私も今では日々悪戦苦闘しながらも妻と母親を務めております。夫は相変わらず頑固者で人の言うことなど聞く耳を持ちません。恐らく頑固者は一生続くのでしょう。そんな夫も筆子の事は本当に可愛がっておりました。当時舶来品で高価な乳母車を買ってくれ、私と筆子はゆっくり散歩に出かけることが出来ました。三人で散歩に出かけることは有りませんでした。しかし、秋の穏やかな日差しの中、乳母車の中で筆子が気持ちよさそうに眠っている姿を見ながら散歩をするのは私の楽しみの一つでした。何もかもが初めての事ばかり。それでも前を向いて進むしか道はありません。熊本での生活は私達家族にとって、夜明け前の時明かりのようなものでした。また日本の文学にとってもこの時期、まさに夜明け前の時代だったのでしょう。草枕、二百十日など熊本で過ごした日常が小説となり坊ちゃん、吾輩は猫であるの登場人物もこの時期に出会った人々が多く登場します。そう考えると熊本で過ごした日々の生活に小説となる材料がたくさんあったのでしょう。夫はその材料を上手に料理し一冊の本にまとめました。私にとって夫の作る小説は日々の生活を顧みる日記のようなものでした。事実は小説より奇なりと申しますが、まさに私にとって熊本での生活は、小説どころではなく目の回るほど忙しい日々でした。そんな時期を乗り越えた先にも様々な苦難が待ち受けていました。しかし、夜はすでに明け今日もお日様が私たちを見守ってくれています。私たち家族、日本の文学はすでに夜明けを迎えているのです。