捕まった魔女と牢番がただ話すだけのお話
「ふわぁ…」
やたら長い欠伸をした。
見上げるのは灰色の石で作られた天井。淡い眠気を抱いた俺を起こすように、天井から冷たい一粒の雫が鼻先を掠める。
寒い。
全身に鳥肌が立つのを感じる。
冬も終わり始め、そろそろ花が咲く季節だというのに今日はやたらとそれこそ真冬よりも寒い気がした。
「眠そうですね、牢番さん」
一人の魔女が檻越しの俺にそう言った。
ここは地下の牢屋だった。
魔女を捕らえるために作られた特別な地下の牢屋。
俺の目の前でその両手両足をきっちりと鎖で繋がれ囚われている彼女は魔女であり、そして俺は牢番。
魔女である彼女をここから逃さないための番人であった。
「…」
無視をする。それも顔すら合わせずただ冷たくあしらうように。べつに悪気があってやっているんじゃない、俺の仕事は彼女という魔女をこの地下の牢屋から出さないことであって、楽しく愉快軽快にお喋りをすることではなかったからだ。
「おーいおーい?あれ?もしもしー??
あっれぇー!絶対聞こえてますよね?
無視してます?もしかしてされてます?
私、嫌われてるんですかね?
んーアレれ?私がなにか君にしました?ね!ねー!」
陽気。悪く言い換えれば耳鳴りがするかと思うほどにうるさい女の声。
「…いや」
「おっ!?やっと反応しましたか!
ねぇー少し話しましょうよ!こっちは暇で暇で仕方ないんです、こーーんな暗くてじめじめとした場所で何日も一人囚われ、ロクなご飯はでない、ベッドも硬いし、髪はベタベタ、肌は荒れちゃうし、良い事一つもない。
ね?ね?いいでしょ?いいでしょ?誰に見られているわけでもなし、ここには私とキミの2人だけじゃない?」
よくもまあペラペラと喋る女だと思った。自分が捕まっているというのに。数日も経たないうちに火炙りにされて殺されてしまうのに、そんな悲惨な未来をまったく感じさせない余裕綽々といった態度。魔法使いとはどうも頭がおかしな奴らだとは聞いていた。
こんな人間ばかりなのか?
興味が湧いた。
俺は魔女のことを知らなかった。話や、噂、伝承にはよく聞くけれど俺は彼女らの実態を知らない。話の通りの極悪人なのか、それともそれは作り話で本当は良い人間なのか。魔女とはなんだ?魔法使いとはなんだ?魔法ってなんなんだ?
ただ、それだけを知りたかった。
目の前の女からなら少しくらいは知れるかも知れないと思った。だからほんの少しだけ、ちょっとだけ、先っちょくらいなら話してもいい気になっていた。
「ま、いいよ。話すくらいなら」
「おっ?牢番さんもしかして意外とノリ良し?」
「なに、俺も暇なだけだよ。
つーかさ声のボリューム高いよお前、ちょっとは自分の立場思い出しな」
分厚い鉄製の兜を脱ぎ、地面に音を立てて置く。鎧を脱ぐ事は業務中は禁止されているけれど彼女が言う通り誰が見てるってわけでもない。戦闘もせずにただボーッとしてるのに鎧なんてものはただ邪魔で肩が凝るだけで意味がない。
俺は壁にかかっているランタンを片手に、彼女の顔が見える位置まで歩いて座った。
歩みを進めるとボヤけた視野が晴れるように、俺の瞳に彼女の姿が映し出す。暗闇の中、闇を切り裂き灯す炎が映し出すのは自分と同じ人間の姿。
白いワンピースに身を包まれ、肩からほんの少しはみ出すほどの長い髪に、目を引く平均よりはやや大きめの胸。身長は150ほどであろうかあまり高い印象はなく、その風貌は愛らしくそして孤高に咲く白百合のようであった。しかし童顔というほどその顔は幼くはなく、だからといって大人びているわけでもない。いうなれば少女と女性の境目とも呼べるような場所で佇み、みつめる彼女の瞳には圧倒的なまでの威厳、尊厳、自信を感じさせる。
いや…長いな、一言でまとめよう。
生粋の美少女がそこにはいたのだ。
彼女の青に寄った澄んだ白い髪が揺れ、アメジストのように透き通る紫のその瞳がじっと俺をとらえると、すぐさま「はて?」と疑問符を浮かべるように首を傾げた。
「なんですか?
人の顔をそんなにじろじろとみて、ひょっとして私の顔に何かついてますか?」
「…い、いや、なんでもない」
理由もなくサッと彼女から目線を逸らすと、小さな水溜りに反射した自らの顔が偶然にも映る。長く目にかかるほど伸びくすんだ色の金茶の前髪に薄い碧眼。痩せ気味で不健康そうなクマが見え、目に映る者全てを睨み殺すかのような目付きの男。それは何年も体を共にする自身の顔であった。
うん、今日も恐ろしい顔をしてる。美しい華を見てからだといっそう思う。多分、歳は近いはずなのにこんなにも彼女とは違う。
良く勘違いされる事が多いが、別に怒っているわけでも嫌っているわけないのだ。ただ生まれつきのこの目は先祖代々伝わる家系的な目付きの悪さで、まぁ得をすることと言ったら喧嘩に絡まれづらいってことくらいで、基本良いことはない。
いや、てか俺の顔なんてものはどうだっていいのだ。
彼女のことだ。
その顔、その身体全てが、あと数日も経たずに炎に包まれてしまうという現実。
本当にこの世はうんざりするほど残酷だ。
「んで、なんだよ話って。
現在進行形で牢にぶち込まれてる魔女とする話題なんて思いつかない、悪いな、そこまで口先器用じゃなくて」
余計な思考を捨てる。鬱な気分になった時こそ切り替えが。
深く考えすぎないことが大事だと、まだ短い人生経験だが俺は知っていた。
「はー、女子から話題を出させるんですか?
あーあ、不甲斐ないですねぇ、ホント最近の男子は」
ニヤニヤと笑みを浮かべ、俺を煽るように言う彼女。はてさて、コイツは捕まっている自らの現状を理解しているのだろうか?
「…業務に戻る」
「あー!あーー!すいません!分かった分かりましたって!そ、そんなすぐに怒んないで下さいよ…。ちょいとしたジョークですよ…!可愛いジョーダンじゃないですか!許して下さいよ!」
アハハと笑う彼女。なんだか、飄々とした奴だ。捉え所がないというか…テンションがウザイというか…。
「お前…名前…は?」
「あっ…んん??」
キョトンと首を傾げる彼女。
「名前を聞いてるんだ。
魔女にだって名前くらいはあるだろ?それともないのか?名前?」
「あ…あー!それ、もしかして…話題…!あはー…!あらあら!もしかするとさっきの効いちゃったんですか?
あーーんーでもそれにしてはちょっとありきたりというか。普通過ぎるというか、面白みに欠けるというか…うーん、どうでしょう…70点…かな?」
「うるせぇよ黙れよ!…いや、早く答えろよ!
名前だよ!名前!わっつゆーあーネーム!」
クスクスと声を立てて、笑う彼女。人をおちょくることが好きなのだろう。というよりもこの状況ですら楽しめるそのメンタルを是非とも見習いたいものである。
「はい、じゃあ。はじめまして、私はクルノア・マーガレット。です、私の名前です。じゃー次。貴方は?人に名乗らせたんだから、もちろん自分も名乗りますよね?
というより名乗ってください、はい、これ決定事項です」
クルノア・マーガレット。
マーガレット。それは花の名前。
彼女の髪の色と同じ白く美しい花。
なるほど、よく似ていた。
「ユーリーン…」
「ん…え?なに?ちょっとボソボソ言ってて聞こえなかった。ユっ…なに?なんですか?」
「ユーリーン・ドラグベルグ。
てか!絶対お前聞こえてただろ、ワザとだ!」
怒鳴るように名乗ったのは自分の名。それを聞くとクルノアはほんの少し目を大きめに開け、すぐさまなにもなかったかのように話を続ける。
「ふむ…なんかカッコいい名ですね。ドラグベルグ…口に出して言いたくなる名前です。ひょっとするとどこかの貴族様なんですか?ユウくんは?」
彼女のその言葉に俺は目を丸くした。
「…分かるのか?」
「そりゃ、ドラグベルグなんて名前そうは聞きませんからね、名前から高貴なオーラってやつが滲み出てますよ」
「…そうか。いや、こんなすぐ見破られたのは初めてだからびっくりした。
…うん。
本当の名はユーリーン・フォン・ドラグベルグ」
俺は流れるように本当の名を明かした。あまり本名を名乗るのは好きじゃなかったが、俺が貴族の産まれと見破ったご褒美としてなら明かしてもいいかなって思った。
「でもなんで貴族様がこんな場所に?」
「貴族だったのは昔だよ。色々嫌になってさ、逃げ出した。だから今はただのユーリーン。住む家もなく日銭を稼ぎながら国と国をブラブラ渡り歩きながら暮らしてる」
「ふむふむ、では、今は旅人ってことですか?」
クルノアはそう相槌を返す。
「まぁそういうことになるな、こうして一人で番をしてるのも、誰も魔女…。つまりはクルノア、アンタに近づきたがらなかったから雇いでやってるだけ。
俺はこの国リドルで育ったわけじゃないからな。他国の宗教感なんてものはよく分からない。だからアンタらの扱う魔法ってやつに対しての恐怖心も薄い。でもホント、嫌われ者の番は楽な割に時給が高くていいぜ。ただ減らず口でうるさいのが面倒だけどな」
宗教国家リドル。
今現在俺がいるこの国の名だが、この国では魔法というものは禁忌とされている。(禁止とされていない国の方が少ないが)まぁそれが何故なのかは宗教上の理由ってやつで詳しいことは頭の悪い俺では分からないが、どうも国民全員が魔法使いを見つけたら聖火で火炙りにして浄化しないと死ぬ病気に罹っているらしい。
「なるほど?…しかし舐められたものですね私も。まさか温床育ちの日雇いアマちゃんに番を任せられるとは…」
アマって…。たしかにアマチュアだけれども…。牢の番なんて、そんなプロ意識持ってやったことないけど。
「その鎖、魔法?とかを押さえ込むんだろ?深くは知らないがとにかく危険はないと聞いている。アマでもなんでも、鎖で繋がれた女一人くらいならなんなく捌けるさ。一応、これでも鍛えてはいるんでね」
今、クルノアが繋がれている鎖はリドルの誇る対魔法使い用の特別制らしい。それに触れている間魔術師は魔法を扱えなくなるとかなんとか。
つまるところ現在のクルノアは魔女なのに魔法を使えない、うるさいだけのただの女だということだ。
「んー。いやーそ、そうなんですよ!そうそう、その通り、それが問題、大問題。この忌々しい鎖のせいで私、魔法使えないんですよね。魔法使いなのに。これじゃあ魔法使えないになっちゃいますね。
あーいやーこりゃ、参った参った」
「とても参ったようには見えないけどな。魔法使えないさん」
ニコニコいや、ニヤニヤと笑うクルノアからはとても焦りの色が見えない。余裕の一言。なにかここから逃げ出す算段があるのか、それとも魔女とは死すら恐れないのか、クルノアのその狂気的にも思えるほど明るい様子に俺は少しの身震いを感じざるを得なかった。
「いや、ホント参ってますよ?内心冷やせドバドバ。ねぇどうしたらいいと思う?どうやってここから抜け出したらいいんですかね?私、まだ死にたくないんですけど」
「それを俺に聞くなよ。一応俺ここの牢番なんだけど?逃がさない方の立場だからね?」
「いやーもしかしたら、助けてくんないかなって…。ダメ…?可哀想じゃない私?殺されちゃうんですよ?」
「ああ、ダメだな」
「ダメかニャ?」
「可愛く言ってもダメだ」
「うん、ダメかぁ…。チぇっ」
クルノアは軽く舌打ちを鳴らす。
一瞬だけ、出してもいいかなと心が揺れたことは言わなかった。
「というよりも、俺にそういうのを求めても無駄だぞ。たしかに火炙りは可哀想だとは思うし、金次第では逃してやることも考えるが。自分で言うのもなんだけど俺は下っ端も下っ端、檻を開く鍵なんか持たされてるわけがない」
「そりゃそうですよねぇ…」
クルノアはがっくしといった感じて肩を落とす。
が、クルノアが頭を抱えたのは瞬き一度ほどの間だった。
「あ、お腹減ったのでパン貰っていいですか?」
「お前…もうちょっとは悩めよ…。自分の命かかってるんだろうが」
「いやぁーあはは!どうしようもないことで悩んでも仕方ないじゃないですか!疲れるだけでしょう?
そんなことよりもご飯!私のゴー飯!ありますよね?」
お、恐ろしいまでのポジティブシンキング!!
「あるよ、分かった用意しよう。
大人しく待ってろ、静かに待ってろ、いいな?」
「はーい!」
俺は立ち上がり、休息室へと急足を進めた。
ーーーーー
むしゃむしゃとパンをかじるクルノア。囚人が食べるような粗末なパンだ。硬く、味も良いものではないだろう。
「美味し〜!五臓六腑に染み渡りますね〜!」
幸せな奴だ。それでも旨そうに食う。
そんなクルノアを見ながらも、俺の片手に握るのはクルノアが食べているのよりはいくつか質の良い看守用のパン。
「ホラよ」
俺は檻の中のクルノアにそのパンを投げつけた。宙を舞うパンは檻を抜けグルグルと弧を描き、
「おっ…おっと!!」
クルノアは胸と両腕で挟み込むように見事にキャッチする。
「あ、危ない!もう少しで落とすところだった!
ちょっと!ちょっと!?食べ物を粗末に扱うのはナンセンスですよ!いい男のやる事じゃない!」
カランと鉄手錠の擦れる音とクルノアのプンプンとした表情、
「フッ…」
そんな情景がおかしく見え、ふと笑みが溢れる。
「…やるよ、それ。腹減ってんだろ」
「え…。…いいんですか?これ…あなたのご飯じゃないんですか?」
「なに、腹が減ってないだけだよ。せっかく用意されたのはいいが業務中は飯を腹に入れないのが流儀なんでね。腐らせて家畜に与えられるくらいなら、いいゴミ箱がそこにあると思っただけさ」
「なんですか?ご、ゴミ箱って…それ私のことですか?
ま、まぁ…いいです。返せって言われても…絶対返しませんよ?まぁ…私の胃液まみれでいいのなら別ですが」
「いいよ。朝焼けと共にお前が食いたくても食えない、いい肉を腹一杯食う。あと俺の胃液まみれでいいのなら食わしてやるよ肉」
自分でも、つくづく斜に構えてる野郎だなとは思う。もっと普通に言える筈なのに、こんな言い方しかできないから俺には友人の一つもできないのだろう。
クルノアはパァと笑うと、今さっき受け取ったパンを再びむしゃむしゃと食べ始める。まったく…美味しそうに食べる。
もっとあげたくなるが、あげれるようなものはもうなかった。
「なぁ…」
俺は胡座をかいて頬をつき、そうクルノアに呼びかける。
「ほひ?はんえひょう?(はい?なんでしょう?)」
頬いっぱいにパンを詰め込んだクルノアが答えた。
「あ、ごめん。飲み込んでからでいいや」
俺がそう言うとクルノアは水も飲まずに、口の中で滞留したそれらを一気に飲み込んだ。
「ちゃ、ちゃんと噛んで食えよ…」
喉詰まらせて死ぬぞ。
「はい、なんでしょう?なにか呼びました?」
クルノアはこほんと咳をついて俺を見る。
「お前、魔女なんだよな?」
「はいはい、正真正銘魔女さんですよ。
別の言い方をするならば悪魔使い?魔術師?えーっと、それがなにか?サインでも欲しいんですか?」
「いや…なんで捕まったのかなって。魔法使いなら、噂に聞くその魔法とやらがあればたかが人間になんて捕まるはずなんてないんじゃないか?」
魔法。それは人を超えた術。
そんな力を、神の力にも等しいその技を、神の許しなく人の身でありながら扱う者それが魔法使い。神の力なんてものは信じてはないが、もし仮に本当にそんなものがあるとするのなら、到底人間なんぞに捕まるはずはないだろう。
だって、神の技を使えたらそれはもう神なんだから。
神様を捕まえることなんて簡単にできるわけがない。
だからクルノアがどうやって捕まったのか、さっきから気になって仕方なかった。
「捕まった理由ですか。あー、聞きたいですか?」
クルノアはバツが悪そうに後ろ頭をぽりぽりとかく。
「嫌なら聞かない。ただの興味だよ」
「いやぁー、べつに言いたくないってわけじゃないんですけどね」
「それにしてはモゴモゴしてんな」
「そりゃあ、まぁ…。捕まった理由を話したがる人はなかなかに少ないんじゃないですかね?」
うん、確かにそうかもしれない。誰しも触れてほしくない過去ってのはあるものだ。俺にとっては些細な興味だったが彼女にとってはそうではないのだろう。まったく、人と話し慣れていないとこういうことがあってなかなか不便だ。もう少しコミュニケーションをとる練習をしようか?
…いや、やめよう。
もともと俺にはそういうのは向いていないんだ。
「悪い、忘れ…」
「失敗したんですよ。おっきい失敗、やらかしってやつですね!」
「…やらかし?」
「ユウくんは、瞬間移動術って聞いたことありますか?」
テレポーテーション?
「ないな、聞いたこと。いったいなんなんだそれは?馬鹿でも分かるように三文字で説明してくれ」
「あは、三文字は無理です、てか3行でも説明するの結構難しいんですけどね…その、空間を飛ぶ魔術とでも言いますか」
…空間を飛ぶ魔術?
「例えば、ここから遠く離れた隣の大陸のある国に行きたいと思うじゃないですか。
そんな時にこの魔術を使えば、たったいま、はい!この瞬間にその国に自分の体が移動するっていう」
「そ、そんなことができるのか?魔法使いって…」
…す、すごいな、それは。
「できませんでした。いや、できたのはできたんですけど、制御ができませんでした。いやはや…流石に二体はキツかった。
本当はもっと近く、試しに家の裏庭辺りに飛ぼうとして試しに飛んでみたら、アラなんとびっくり別大陸の国の魔術師嫌いの聖王様の御前でしたと、ちゃんちゃん」
「せ、聖王…」
聖王っていったらこの国リドルの王、トップオブトップだ。
「運も悪かったんですよね。まさか、よりによって王様の目の前に飛んでしまうとは。で、後の事は説明しなくても想像つきますよね?見知らぬ魔術師が魔術師嫌いの国王の前に瞬間移動で現れるとどうなるか」
そりゃあ。
「捕まるよな」
「はい、ご名答。
ってことで私はここに囚われているということです!」
クルノアはえっへんと胸を張った。そんな胸を張れることでもないだろうに。
「そりゃ、災難だったな」
テレポーテーション…瞬間移動。
便利なものもあるものだ。でもこの場合、クルノアを囚われている原因をつくったのだから便利なのか不便なのかは怪しいとこか。
「でも、その瞬間移動ができるなら、もう一回それ使って元の場所に戻れば良かったんじゃないか?」
「それができてたら捕まってないんですよね、インターバルって言葉知ってます?」
出来なかったんだ…なんというか、ドンマイ。
「じゃあクルノアは元々どこにいたんだ?今の話を聞く限り、元々この国で暮らしていたわけではないんだろ?」
「そう…ですね…ユウくんはヴィザールという国をご存知ですか?」
ヴィザール…。はて、名はどこかで聞いたことがある気がするような…しないような…。
「確か…錬金術が盛んな……。
東の大陸の更に向こうの少しデカイ島国だったような…」
…違った…かもしれない。
し、仕方ないだろ。
世界地図なんて拡げたのは5年も前だ。
「はい!よくご存知で!博識ですね!」
あっ、良かったー、あってたわ。
「しかし、嬉しいものですね。
こんな遠く離れた地域でも故郷のことを知ってくれてる人がいるとは!」
「知ってるっていってもそれくらいしか知らないぞ、昔に家の書庫で少し読んだんだけだから。
でも…いやだからこそか…。
ヴィザールはいつか行ってみたいとは思っていた」
何千里も離れた遠い島国。
透き通るマリンブルーの海に、全てが黄金でできた都。春には美しいピンク色の花が咲く木があると聞いた。
旅人として興味がそそられないはずがない。
「おっ?ヴィザールに興味あります?
ヴィザールはですね、島国ってこともあって魚が美味しいんです!ユウくんはお魚を生で食べたことありますか?」
「生?…食うわけないだろ、焼かなきゃ危ない。寄生虫とかいたらどうすんだ」
「それがですね、ヴィザールは魚を生で食べれるんですよ!
島国だからってのもありますが、大体どこでも新鮮な魚が売っていて、いつでも美味しく食べれるんです」
生食…か。
ちょっと興味はあるけれど。
「それって、腹壊したりしないのか?
だって、生って…、最悪死ぬぞ」
「それが…大丈夫なんですよ!
海の魚は川と比べて凄く当たりづらいんです」
「そ、そうなのか?」
知らなかった。へぇー、海って大丈夫なんだ。海なんてものはなかなか見ないからな。
なるほど、これはまた一つ賢くなった。
これは馬鹿を脱出するのも近いかもしれない。
「はい、だから偶にしかお腹壊しません!」
「結局、壊すんじゃねぇか!!!」
「でもでも、本当にほとんど大丈夫なんですよ?もし当たったとしたら、そうですね…。それはドンマイ!運がなかった!」
「な、なんだか、食いたくなくなってきたぞ…」
「美味しいですよ〜ヴィザールの海鮮!ん〜思い出しただけでもお腹が空いてくる。
海老、蟹、貝、魚…。
いやぁー、ユウくんに是非とも味わって欲しい!」
「…ま、まぁ、機会があったらな…」
あまり気は進まないけど。
「ふっふふ…いいですよ、ヴィザールは本当にいい国です。
もしユウくんが来ることがあれば私が案内してあげましょう!」
「それまでお前が生きてたら、頼むかもしれないな」
「あ…そうでした、私、死刑囚でした!あはっ!あっはは!」
「あはは、言っとくが、笑い事じゃないぞ〜」
ーーーーーー
「ふぅ…」
ため息を吐いた…。
冷たい冷気に白い吐息が入り混じる。
外は雪でも降っているのだろうか。寒さで悴んだ手をグーパーと数回動かしてみた。
雪は好きだ。
身も空気も浮かれた心すらもギュッと引き締めて、白銀の景色は戻ることの出来ない幼年の記憶を思い出す。
「お疲れですか?」
ボーッと虚空を見る俺の様子が気にかかったのか、クルノアはそんなことを聞いてきた。
「うん。まぁ、久々にこんなに人と話したし、笑った。ちょっとだけ顎が疲れたかな」
「顎?顎が疲れるんですか?」
「お前は元気だな。まだまだ喋れそうですごいよ」
「はい!喋るの大好きです!私!」
クルノアの眩しいまでの笑顔。あまりに眩しいから、目を逸らす。
「ユウくんは、あまり人とは話さない方ですか?」
「どうだろう、そうかもしれない。一人で旅をしてるからかな。話すことがあっても大抵は仕事とかの硬い話ばかり。こんなに脈絡もない話はなかなか無い」
「そうなんですか…。へぇ〜。うふふっ!…どうです?どうです?ねえねえ!どうですか?私とのトークは、楽しんでいただけてます?」
嬉しそうに笑うクルノアの顔。
彼女には笑顔がよく似合ってて、ずっと見ていたくなる。
「うん、すごく楽しい。こんな感覚は久しぶりな気がする」
「こんな感覚とは?どんな感覚ですか?」
クルノアは広角をあげながらぐいぐいと聞いてくる。
「なんていうのかな。
その…暖かい感じだ。人との間の見えない壁みたいなものがないっていうか、それが心地がいいっていうか、ずっと側にいたいと思える…。
あーいや!な、なに言ってんだ…俺は!
どうかしてんな、恥ずかしい…」
深夜テンションってやつか。今すごく恥ずかしい話をしたような気がする。今日出会ったばかりの囚人に向けて話すことでもないだろうに。
「いやいや。なにも恥ずかしいことはないですよ?だって私たちもうすでに友達じゃありませんか!そんなの友達なら普通ですよ!普通!」
「と、友達…?」
「はいっ!友達!ベストのフレンド!」
トモダチ、か…。
それはなんだか懐かしい響きだった。昔は俺にもいたはずなのだ。仲間とか、家族とか、そういうあったかい関係が。そんな物を俺は捨ててきた、地位すらも過去も全てを捨ててここにいる。
俺は後悔…しているのだろうか?
いや、していない。生き方に後悔なんてしないと決めた。
何を甘えているんだ俺は。
恨まれることを選んだのは自分自身の筈だろうに。
「フッ…。
俺の友になろうだなんて10年早いな」
「ッ…なっ!なんでそうやって要らないところですぐまたカッコつけるんですか!
そこはうんそうだね!僕たち友達だね!アハハでいいじゃないですか!!」
「ははは!だったらまずそこから出て対等な立場で言うんだな!囚人!」
「ッ…ぐっぬぬ…!じゃあ!!出たらいいんですね!?
ここから出たら友達と認めるってことですね!?ヴィザールに来るってことですね!!」
ヴィザールに来るかどうかはそれはまた別の話だと思うが。まあいい。
「ああいいぜ、認めてやるよ。ここから出られたらヴィザールでもどこでも行ってやるさ!お前じゃ無理だろうがな!くっははは!」
「言質取りましたからね?」
クルノアとそんな話をしている最中だった。ふと、視界が二重にぼやけた気がした。
「なんだ…?」
ポタリ、再び雫が鼻先を掠める。
デジャヴというやつか、でも今度のそれは何か、そう、何かがおかしい。そうは思ってもそれが何なのかはつかめない。
俺はその水滴を手の甲で拭う。そして気づいた。
これは、汗だ。
天井の水滴なんかじゃなくて、俺自身の汗。
でもなぜ…?
こんなにも寒い夜だ、汗なんてかくことがあるのか…?
「いや?寒くない…?」
そう、寒い筈なのだ。
寒かった筈なのだ。今日は冬。それも夜。
寒くあるはずなのに、寒くなくてはならないはずなのに。
熱い。
太陽に照らされかのごとく皮膚が焼け、地面に敷き詰められた石たちは炎に炙られたかのように熱を帯び始める。
「なぜ熱い?」
コトン、カランと。得体の知れない何かが階段を降る足音が聞こえてくる。それは一本しかない地上と地下を繋ぐ一筋の通路。
鼓動がドクンドクンと早まり、汗が身体中から濁流のように滴り落ちる。
「やっと、見つけた…」
陽炎をかき消すよう、階段とここを区切る扉を勢い良く蹴破ったのは
長く黒い髪が特徴的な少女だった。
背丈はお世辞にも大きいとはいえず、腰につくまで伸び二つに結んだいわゆるツインテールと呼ばれるような髪型に彼女の小さな身体には似合わない翡翠色のぶかぶかなコート。
真っ赤なルビーを思わせる彼女のその切れた眼光は、この世のあらゆる宝石をその頭蓋に当てはめても勝ることはないような美しさを放っていた。歳はきっとクルノアや俺と大きくは変わらないだろう。
少し幼いくらいか?
「誰だ…お前…」
咄嗟にそんな言葉が口から飛び出した。俺はこんな女を知らないし、ここに誰かが来ることなんてことは聞いていない。
つまり、彼女は歓迎されない訪問者。
先程少女に蹴破られたドアを見ると、鋼鉄で作られたはずのそれはグニャグニャとまるで熱に溶かされたかのように変形し、転がっていた。
明らかに異常なその扉。
もう扉と言っていいのかも分からないけど…とにかく。人の力ではそれこそ目の前の少女がやったとは到底思えない。誰に話したとしても信じて貰えないだろう。
しかし、真実である。少女がこのドアを蹴破ったのは覆すことのない事実。だって、実際に見ているのだから。この目で見て、俺自身が体験したのだから。
(…ヤバイ奴が来た)
この汗の理由が分かった。
この熱さの正体が分かった。
それは、
コイツだ…。
黒髪の少女のその薄い唇が、グッと力むようにその歯に引き込まれると、
「ッ…この…!大馬鹿者がッ…!!!!!」
部屋中に響き渡るほどの怒号を発する。
一瞬ビクンと身体が跳ねたが、すぐに彼女その怒りの矛先が俺の後ろのクルノアに向いていると気づいた。
「い…いや…。
そんなに怒ることじゃないじゃないですか…。
あはは~こ、怖いですよー?
か、かなり…最上級に?」
少女は俺の後方にいるクルノアへと向かい一直線にズカズカと歩き出す。
「リリナちゃん、ほ、ほら!
スマイル!スマイル…すまいる…っね?
にこー?」
初めて見る。
タジタジと引き攣ったクルノアの顔、
「ッ…なにが!!なにが!!なにがなにがなにがなにが!!
スマイルよ!!!!アンタ!!!自分が何したか分かって言ってんの!?」
それと対照的に、怒り心頭な黒髪の少女。
身をプルプルと震わせ、彼女たちを分かつその鋼鉄の柵がなければ今にでもクルノアのその胸倉に飛び込むことだろう様相。そしてその勢いのまま、少女は目の前の柵を握りしめるとその柵は氷のようにドロドロと溶け出した。
もちろん目の前のそれは氷ではなく鉄の塊である。
そう簡単に溶けることなどあるはずがない。
あってたまるか。
けれども赤く染まり、溶け出した鉄の雫は黒髪の彼女の柔らかいその手を滑るよう滴り落ち、最後には形を変え床に散布する。
これは…夢でも、ファンタジーでもない。
確かな現実だ。
それは、人を超えた力。
手を触れただけで鋼鉄をも溶かす、灼熱の力。
「ちょ、待てよ!」
気がつけば、柵には人一人がちょうど出入りできるほどの大きな穴が開いていた。俺はその穴を潜り抜けようとする、黒髪の少女の肩を叩き止める。番として不法侵入者をクルノアの房に入れるわけにはいかないからだ。
「じゃま」
それは、少女の非力な身体から出るとは思えないほどの強大な力。彼女は俺の腕を万力のような力でつかむと、60キロはあるだろうこの体はいとも簡単に吹っ飛ばされた。
「ッ…ぐはッ…!!」
三秒ほど空を飛び、壁に打ち付けられ、意識が低迷する。
ズキズキと後頭部が痛む感覚。
頭…打ったかもしれない。兜、脱がなきゃよかったとかるく後悔。
失いそうな意識を舌を噛みその痛みでなんとか引き留める。
「ちょちょっとっ!?
リリナちゃん…?乱暴はダメですよ!!?」
薄く、クルノアの声が聞こえる。
「黙れバカ、私が今、用があるのはアンタ。
名前のないエキストラには興味ない」
少女の声も。
俺は頭を抱えて立ち上がり。
再びその少女の元に向けて一歩ずつ歩きだす。
「…誰が…名前のないエキストラだよ…」
二つ結びの髪が見えるその背中にむけて語り掛ける。
「うるさいわね、部外者が首を突っ込っ…」
「確かに!うるさくて悪いな。
目障りでうるさくてホント申し訳なく思うよ、でもこれも仕事なんでね。
それに俺はユーリーンってちゃんとした名前がある…!
おまえが何しにここに来たのかはまだ定かじゃないけどな、俺は戦いじゃなく、話がしたい」
頭…はっきりしてきた。
ガンガンと響いていた頭痛も少しずつ引いてゆく。
「そ、そうだ!そうだ!
ぼ、暴力反対~平和的解決を提案する~」
後から押しするようにクルノアが言う。
小せえ声だ。
もっと腹から声出せよ。
俺に振り返る少女と目が合った。
視線がピタリ重なり、ジっーと見つめ合うこと10秒間。
この熱い思いが通じたのか、
「そっ…そうね…。…ええ…まぁ。いいでしょう」
繋がった目線は向こうからそっぽを向いて切ると、そういって彼女は胸の下で腕を組む。その小ぶりな頬が一瞬赤く染まった気がした。
ーーーー
「初めまして、私の名はリリナ。
ソロモン72柱の悪魔の1柱、序列23位 炎魔バステトエニムを宿し者。灼炎のリリナ・ガーネット。私がここに来た理由は、永遠のクルノア・マーガレット。クルノアを連れて帰る為に来た」
リリナは矢継ぎ早にペラペラとそう説明した。
ん〜なるほど。
なるほどね。
なにも分からん。
「お、おっけーリリナね、リリナはクルノアの仲間と、バッチリ分かった。あー俺はユーリーン、普通の雇われ牢番宜しく」
バッチリ分かってないけど分かった振りをした。腕を組んでうんうんと頷く。
「クルノアの仲間ってことはお前…いや君も魔女なんだよな?」
「君じゃなくて、リリナでいいわ。そうね魔女かそうじゃないかと聞かれたら答えはイエス。私は魔女。それで間違いないわ」
リリナ・ガーネット。
先程までの燃えるように熱い彼女はそこにはいない。
そこにいた彼女は冷水でもかけられたかのように冷静で、凛と静かな知性が見える。
「さっきは諸々ごめんなさい。私としたことが熱くなってしまった。謝罪するわ」
「おっ?謝れる子はえらいぞー!」
おちょくるようにクルノアが口を挟んだ。
「黙れ、誰のせいだ、あんぽんたん、ぶっとばすぞ」
なるほど、リリナはクルノアには少々厳しいようだ。
「いや、全然気にしてない。
身体は人より丈夫にできてる自負があるから。
それにエキストラにも悪い印象はない。
悪いのは俺の鍛えが足りなかったことくらいか?」
しかし、こんな小さな少女に投げ飛ばされるとは…。
筋トレ頑張ろ。体重増やそう。
「そ、そう?
でもそんなに気を落とすことはないわよ…?
私達は人とは違うから」
人とは違う。ああ、たしかに人とは違う。
あんなものを見せられたらいやがおうにも分かる。
彼女達は魔術を扱う魔女であり。
特別。
ただの人間とは違う。
そう、ただの人間とは。
「しかし、クルノアを…助けるね」
牢番としてはなかなか聞き捨てならない言葉だが、リリナから守り切れるかと言われると頷くことは出来ない。
さてと、これから俺はどうするべきか。
…ん?
でも、どうやって助けるんだ?クルノアの手錠は対魔術の特別製だ。さっきみたいに簡単には溶かせないだろう
それこそ鍵が必要だ。ドアを蹴破ったところをみると鍵なんて持ってるようには見えない。
どうする気だ、リリナは?
また、溶かすのか?溶かせるのか?
対魔術の特別制を?いやいや、まさか…な。
というより溶かせた方が困る。
人間の立つ背がないじゃないか。
頼むからそこだけは溶かせないでやってくれ…。
「…助ける?
助けるなんて一言も言っていないわ。
私の使命はクルノアを連れ戻すことだけよ」
「その当のクルノアは目の前で捕まってんだろ?
捕まってんのにどうやって連れ戻すんだよ」
「捕まっている?」
「え?」
イマイチ噛み合い会話。
同じ言語のはずだ。
「クルノアは捕まってなどいないわ。
それはいくらなんでもアイツを舐めすぎよ。
腐っても魔王ベルゼバアルですもの、捕まるはずがないわ」
「はい?」
序列とか魔王とか言われても、専門的なことはパンピーには正直分からない。
「ちょっとお話中、すいません失礼します」
ぽんぽんと誰かに肩を叩かれた。
「誰だ一体?今めちゃくちゃ忙しいんだ。用事なら後に?」
それはどこかで聞いたことのある声。
というより…聞いたことしかない声だった。
振り返るとそこにはクルノアがいた。
「ん?クルノア。
ああなんだ、クルノアか驚かせんなよ。
で、捕まる筈ないってどういう事?…コ、ト?」
いや。いやいやまてまてまて。
なぜクルノアがそこにいる!?
牢に繋がれているはずのクルノアがなんでそこにいる!?
牢を見るとそこには、先程まで笑っていたクルノアがぐったりと意識をなくしたかのように俯いていた。
今も、確かに繋がれている。
じゃあこの目の前のクルノアは誰だ?
なぜクルノアが二人いるんだ!?
頭がこんがらがってきた…。打ったからか?
幻覚でも見えてんのか?
「えーいや、あの…。騙してたわけじゃないんですよ?
ただなんていうか…。あーはい、すいません騙してましたあ!」
「はぁ!??ど、どういうことだよ。
なんで二人いんだよ!?え?は?」
クルノア二号はアハハといつものように手を振り笑う。
「種明かしをしますね。今の今までユウくんが話していたのは偽物。私が操っていたダミーなんです…。
私本体は透過魔術で最初からあのー。ずっと…ユウくんの横にいました」
「よ、横!?透過魔術だと!?」
「はい!」
「じゃ、じゃあパンは!?
あんなうまそうに食ってた、俺がやったパンは!?」
「ダミーちゃん凄くおいしそうでしたね」
「え?え?じゃ、じゃあ!出られないってのは…」
「元から出てますね…。捕まってすらないというか…。
はい、そういうことです」
う、噓だろ…。
「だって聖王の前にテレポートしたって…」
「そこで捕まったのがダミーちゃんなんですよ。私は透過して逃げたんですね。もちろん今まで話した内容はちゃんと私の意思ですから心配しないでくださいね、ホラ!」
クルノアの合図とともにぐったりと頭を下げていたクルノアダミーが起き上がる。
「私ダミー!」
「ね?」
「ね、じゃねえよ!!!え!?なに、じゃあずっと…そこにいたの!?
隣に!?いたの」
「はい。都市観光にも飽きてきてそろそろダミーちゃんを回収しにいこーかなって思って来てみたら、丁度歳が近そうな牢番さんが気だるそーに欠伸してんじゃないですか。
面白そうだなーって声掛けたら思ったよりも話が弾んでってカンジで…今に至ります」
え。
ええ…。
「で、でも。でもさ!リリナは!
リリナはその牢屋の中のクルノアに向かって話してたじゃないか!」
「透明人間の場所なんて分かるわけないじゃない。
クルノアの透過魔術ならなおさら。
だからその人形に向けて話してただけよ。
はーむかつくわねホント。
燃えろ」
リリナが牢に繋がれたクルノアダミーに触れると、そのクルノアダミーの身は激しく燃え出した。
「あー!ダミーちゃんッ!!
な、なにすんですかリリナちゃん!
ダミーちゃん結構作るのしんどいんですよ!?」
「あのねぇ…。
こんな遠く離れた国にまで一人で来た私の方が百万倍しんどかったわよ!」
「そ、そんなこと。別に頼んでないっすよ…。
一人で帰れましたし…」
「誰かが迎えに行かなきゃ、アンタ返ってこなかったでしょ」
「ソ、ソンナコトナイデスヨ?
ハイちゃんと帰りましたとも。
うん。
見て下さいこの澄み切った瞳、噓ついてるように見えますか?」
リリナの鋭く尖ったピースサインがクロノアの瞳を突く。
「ぎゃあ!痛った!痛い!なにすんですか!?
なに人の両目に当たり前みたいに、指ぶっさしてくれちゃってるんですか!?」
「いいじゃない、アンタは両目くらいつぶれてもすぐ再生するんだから」
「それでも!痛いもんは痛いんですよぉ!」
あ…。
アハハ。
これはもう笑うしか無かった。
…上にどうやって報告すりゃあいいんだよ。捕まってた魔女は偽物でしたってか?溶けたドアに穴の空いた牢。これら全部新しい別の魔女がきてやりましたって?信じてもらえるわけねーだろそんなの。
お前何してたんだよって言われるに決まってる。というより、今度は俺が牢にぶち込まれる。
は…ははは。
逃げるか。
間違いなく指名手配だよな。
ほんとありがとうございました。
ははは。
はぁ…。
「あれ?どこいくんですか?ユウくん?」
とぼとぼと帰路を歩く俺はクルノアに呼び止められた。
「あの、帰ろうかな…って…。いや、もう、お疲れ様です。
皆さん解散していいですよ」
「あれユウくん、何か忘れてませんか?」
「忘れる?」
忘れたいことなら沢山できたが、忘れてることとなると。
「いや?特には」
「とぼけないで下さいよ。ここから出られたらヴィザールでもどこでも行ってやるって言いましたよね?」
あ…。
言った。
いやまあ、言ったけれども。
「いやいや、クルノア出てたじゃん。
お前、最初から出てたじゃん!捕まってすらなかったじゃん!そんなの無効だ無効!」
「ふっふふ。そういうと思いまして。
じゃあここに一粒の灰があります」
クルノアは偽クルノアの燃えかすを一粒握ると、ぴょんと先程リリナが開けた穴を通り牢柵を抜ける。
「はい!出ました!
私出ました!」
「はぁ?」
「確かに私本体は捕まってなかったですけど、
ダミーちゃんは捕まってましたよね?」
「それはちょっと厳しいんじゃないか?」
「でも、確かに出ましたよ?
一度言った約束は守りましょうよ、男の子でしょう?」
笑うクルノアの表情。なんだろう、嫌な予感がする。
さっきから変な汗が止まらない。
「あーあれー?そういえば。たまたまホント偶然ですが私達もヴィザールに向かうんでした。そうですよね?リリナちゃん?」
白々しいクルノアの演技。
「ええ、そうね」
冷たく返すリリナ。
「そしてここにヴィザール行きが決まった男の子」
「な、何が言いたいんだ」
ニタァと笑うクルノア。
「私達と一緒にヴィザールに行きましょう?」
「い、嫌だ!」
「な、なんでですか!?なにが嫌なんですか!?両手に華の、誰もが羨むハーレムパーティじゃないですか!?」
「お前らといたら命がいくつあっても足りねえよ!俺は人間だぞ!」
「あれれ?それに誰でしたっけ?ここから出られたらヴィザールでもどこでも行ってやると言った人は?
んー、最近物忘れが激しくて」
「そうだ!り、リリナは!リリナは迷惑じゃないか!?
俺がいたらさ!?
クルノアがつれてくことを決めても、リリナがそれを許すとは限らないんじゃないか?」
リリナはどうでもよさそうに答える。
「私は、どっちでもいいわよ。
クルノアに振り回されることは慣れてるもの。
あーでもそうね。
どっちかって言うなら、旅は賑やかな方がいいわね」
「はい!リーダーからのオッケー出ましたぁー!」
に、賑やかって…。
「賑やかなのは、そこのうるさい奴で充分足りてるだろ!」
「そこのうるさいのを、一人で聞き続けるのはキツイって言ってんのよ」
「ちょちょっとお。お二人さん?
うるさいって私のことじゃないですよね!?え?そうですよね?ね?
あの?なんで無視するんですか?なんで、顔晒すんですか?
…ねぇ?二人とも聞いてますよね、ねぇねぇ?
おーい!!おーい…!おーい…。あ…あれ?おかしいな…、涙が…」
「そうね、ユウくん…。
…ちょっと馴れ馴れしいか。
ユーリーンと呼ばせてもらうとするわ。
ねぇユーリーン、魔術には興味ない?」
リリナが俺に言う。
魔術に興味、ないわけではないが。むしろ興味心身というか。
「ま、まぁ。なくはないな」
「ついてくるならそうね。どういうものかくらいなら教えてあげても良いわよ」
「おっ?リリナちゃんもこっち側ですか?」
「ふふ、いいクルノア?こういうのはね、アメが大事なの。
美味しそうな飴玉で獲物を引き寄せ、そして一口で飲みこむの」
聞こえる。
聞こえるって。
てか、飲み込むって。
食うって言っちゃってますやん。
でも…くそ、畜生。引き寄せられる。
食うって聞いたのに。聞こえたのに、体が魔術という未知のロマンに引き寄せられていく…。
でも、食うって言われてるし。
一人旅が俺のポリシーだし。いやでもヴィザールまでだから…。それにいつかヴィザール行く気はあったし。それが早まっただけと思えば。
でもでも、絶対にめんどくさい旅になるよな。
コイツらと関わってたら命が幾つあっても足りない…。いや、でも、魔法…は正直気になるし。
階段を上がり通行路を真っ直ぐ歩いていくと何人もの看守がバタバタと倒れているのが見えた。恐らくこれら全てリリナがやったのだろう(一応死んではなさそうだが)。
つくづく超人的な奴だ。
看守だって鍛えている兵士だぞ…。
一歩違えば自分がこうなってたのかも知れないと思うと、ゾワゾワとした恐怖が背中を伝う。
逃さないように、俺の腕をガッチリと掴むクルノア。
その後ろからついてくるリリナ。
クルノアは俺から離れると、先頭に立って真っ直ぐ歩き出す。その先にあるのは外と地下をつなぐ巨大な扉だった。
これからどんな旅になるのだろうか。
まったくよめないが、少なくとも退屈はできなそうだ。
「いざ!ヴィザールへ!レッツゴー!」
クルノアが扉を開けると、
朝焼けの光とともに降る白い雪が頬に触れ、
雫となってポタリと落ちた。