第8話 「誰かに話されるぐらいなら、私が直接話すから聞け!」
上司に呼ばれた俺は、ついにそのときが来たと覚悟した。
あがいてあがいてとことん逃げるか、と一瞬心をよぎったが、秩序でがんじがらめな魔界において下級悪魔の抵抗など無意味に等しい。秩序の力で俺のすべての能力は無となりすぐにつかまるのがオチだ。
それに、迎えに来たのがプルサティラだったというのも俺の覚悟に大きく影響した。さすがに昔なじみの前でカッコ悪い姿は見せられない。
ならば俺は、自分で決定できる数少ない選択肢の中から、自分の意思で未来につながる1つを選びそれを実行するのみだ。
俺は胸を張って、自ら望んで1億年カマドウマになりに行こう!
――そう覚悟してプルサティラとともに執務室に入った。
※ ※ ※
「――というわけで、すべては神様からの依頼だったというわけだ。分かったかね、ニグルム・リリウム君?」
いいえ、まったく理解が追いつきません。
相変わらずの高温多湿な洞窟執務室の中、オレンジ色の巨大ワニの上に乗る小太りヒゲオヤジ上司は、これまでのどんな契約完遂のときよりもホクホク顔をした。
俺はといえば、ずり落ちたメガネもそのままに、目の前でニタニタ笑うワニを呆然と見つめるしかなかった。
上司の話はこうだった。
今回のクライアントである異世界神はどんな派遣勇者が来ても魔界にクレームを入れて俺たちを異世界に呼ぶよう、裏で神様に頼まれていた。
そのため異世界神は勇者の願いにかこつけて自分の世界を混乱させクレームを入れたというわけだ。
いま考えれば、異世界神の動きは不自然だと分かる。
いくら異世界を救った勇者の願いだからとはいえ、救われた世界をわざわざ混乱させる必要はない。そんな願い叶えられないと突っぱねればよかったのだから。
異世界神がどうして神様の頼み事をきいたのかは分からないが、結果として俺たちはクレーム処理のために異世界入りすることになった。
しかしなぜ、神様はわざわざ俺たちを異世界に行かせようとしたのか?
それに勇者候補を探していたとき、20年前の男の子を見つけたというのも単なる偶然とは思えない。
頭の中が整理できたところでメガネのずれを直すと、プルサティラの姿が目に入った。
20年前、人間界に行こうとした俺を必死に止めてくれた無二の親友。
……ん? そういえばどうしてプルサティラは20年前に助けた子どもの詳細を知っていたのだ?
「プル。あの勇者が20年前に助けた子どもだなんて情報、どうしてお前が知っていた?」
「それは、お前の昇格と一緒にそのことを伝える業務契約を結んだからだ」
紫の瞳を動かした先には、ワニに乗った上司があごひげをしごいていた。
なるほど。その案件も上司のさらに先にいる神様がからんでいたということか。
「旧友の古傷をほじくり返す業務契約を結ぶなど、プルもなかなかの悪魔ぶりだな」
「嫌味はよせ。だからあのとき謝罪したろ。私も最初は断ったんだ。だが、20年前の情報をすべてもらえるならばと受けることにした。私にとっても20年前のあのことは胸の中にずっと残るしこりだったんだ」
「それだけではないな、プル。よっぽどおいしい報酬だったのだな」
「ほ、報酬? そ、それはだな――」
急にそわそわし始めるプルサティラ。下を向いたかと思うと、手と手を合わせてもじもじとする。クールビューティーのかけらもない。顔も赤くなってきているが大丈夫か?
「あ! そういえばガマズミ・シハルはどうになりましたか、ボス?」
よほど報酬のことを聞かれたくなかったのだろう。
プルサティラはいいことをひらめいたとばかりに手をたたくと、強引に上司へと話をふる。
上司の方は不意に話を渡され多少おどろいたそぶりを見せたが、もっともらしくせき払いをするといつもの貫禄を取り戻した。
「蒲染詩華君ね。誰かさんが一発KOしたときにはあせったが、君らの献身的な働きによって生きる意味を見いだしたようだ。そこに重きを置いた神様の計らいで、すべてを許され異世界に戻っているよ。人間界に未練はないそうだ」
「君ら」ではなく「リナリアひとり」だと思ったが、それを口にして契約不履行と言われてしまってはカマドウマだ。黙っておくことにしよう。
あの勇者は――異世界を救った英雄だ、そこで暮らす方が人間界に戻るよりましな人生を送れるだろう。言うべき言葉は、もう俺にはない。
そのかわり、メガネを押し上げ別の言葉を口にした。
「ところで、ボス。実に悪魔らしい成果を上げたプルの報酬とはなんでしょうか。その報酬のために身も心も痛めつけられた自分には、多少の知る権利はあるのかと」
「ほう、気になるのかね、ニグルム君」
「ええ、あの勇者のその後よりよっぽど」
「ふむ。プルサティラ君から話を回されたということは、ワシから話してほしいのだろうなあ。その報酬とは――」
「わ、わ、わ、わー!!」
急にプルサティラが俺の前に立ちはだかると、銀色の髪を振り乱しながら大きく手を振って会話に割りこんできた。
その場しのぎで上司に話題をトスしたが、ぺしりと上司に返された格好だ。上司の方が一枚上手だったというわけだ。
それに、理由はどうあれ後味悪い過去に触れられたのだ、チクリとできる材料があれば俺だって少しはお返ししたい。
「誰かに話されるぐらいなら、私が直接話すから聞け!」
「ほう、そんなに必死になって隠したかったほどばく大な報酬だったのか?」
「違う、そうじゃない」
「ではどう違うか話してもらおうか」
俺は両方の口角をつり上げてほくそ笑む。
プルサティラは一瞬だけ言葉に詰まったが、切れ長の目でキッと俺をにらむと勢いに任せて口を開いた。
「お前と仕事ができるように特例を出してもらったんだ、お前を助けられるようにな!」
上級悪魔はその強大な能力ゆえ他の悪魔と組んで仕事をすることができない。
他の悪魔と組んだ場合、お互いの能力が反発しあい、下手をすると自分の能力が弱体化してしまうからだ。そのため上級悪魔は単独行動が魔界のルールとなっていた。
そのルールから外れる特例を得るのにどれぐらいの成果が必要だろうか。派遣勇者を使っての魔王討伐が3ケタの数はいるだろう。
それだけの報酬を、プルサティラは俺との仕事のために願ってくれたというのか。
プルサティラ、お前、本当にいいヤツだな。こんな俺をまだ見捨てずに助けてくれるだなんて。それなのに俺ときたら小さな仕返しに躍起になっていて本当に申し訳ない。
俺はこの恩にどうやって報いればいいのだろう。
「プル、お前……」
「いや、いやいや。勘違いするなよニグルム。私は20年前の罪滅ぼしがしたいだけなんだ。そ、それに“お前が困ると私も困る”。うん、そう、それだ。それだけだ」
顔の半分で笑い、もう半分で困った顔をするプルサティラ。
「分かってる。昔なじみって本当にいいな」
家族と離ればなれとなったいまの俺にとって、プルサティラだけが家族と呼べる存在だ。
この20年を思うとたまらなく胸が熱くなる。
自然とプルサティラの方へ足が動く。俺はプルサティラに向かって大きく手を広げる。
プルサティラは先ほどからずっと俺をまっすぐに見つめたままだ。
2人の距離が縮まり、そして――。