第6話 「ワタシがここで働いてる間、イチャイチャしていたあげく、今度はその美人さんを連れてワタシを笑いに来たのですか?」
来るたびに異なる景色を見せてくるこの異世界だが、いまはあの勇者の心境を反映してか、空は厚い雲におおわれ、至る所で雷光が走り、雷鳴がとどろいている。
そのうちのいくつかは、雲の下を飛ぶ俺とプルサティラを狙いすまして落ちてくる。
よほど俺たちを魔王城に近づけたくないらしい。
「や、やはり、私は自分で飛んだ方がいいんじゃないか?」
俺の腕の中でプルサティラが弱々しい声を出す。
先ほどから赤い顔をしてふるえているようだが、そんなに雷が苦手だったかな。
「お前が雷に打ち抜かれたら寝覚めが悪いからな。俺の翼なら難なく回避できるし、この方が魔王城まで早く着く」
「確かに私はお前ほど早くは飛べないが、だからといって……その、なんだ。このように抱えられては……困る、私が」
「翼が邪魔で背負えないのだから仕方がないだろう。なんならお前は戻ってもかまわんが」
「私がかまう! 分かった、我慢する!」
プルサティラはギュッと目とつぶって身体を硬くする。やはり雷が怖いらしい。
俺の暴走を止めるためについてくると言っていたが、そんなに怖いのなら無理してついてこなくてもよいと思うのだが。
プルサティラが教えてくれたこと。
それは、20年前に俺が助けた子どもは男と女の2人だったということ。
それを聞いて俺は、助けた子どものことを考えないようにしていたことに気づいた。
その子どもを助けたせいで家族全員下級悪魔に落ちてバラバラになったのだ。自分の気持ちも理解できる。
自分が無意識のうちに記憶を消去していたことに少しおどろいたが、さらにおどろいたのが昔なじみの次の言葉だった。
『助けた子どものうち、男はガマズミ・シハル、女はリナリアだ』
これは単なる偶然か?
いや、魔界に偶然なんて言葉はない。魔界にあるのは必然だけだ。
それなのにずいぶんとおめでたいヤツだ、俺は。
なにせ、あのメルヘン堕天使を見ても、あのクソ勇者を見ても、昔のことなどなにも思い出せなかったのだからな。これではプルサティラが心配するのも無理はない。
――ワタシたち運命の赤い糸で結ばれているのです。運命感じませんか? 前世でのワタシたちの記憶覚えてませんか?
初めて会ったときのリナリアの言葉を思い出す。
あのときには頭のおかしい堕天使としか思わなかったが、アイツは20年前のことを覚えていたのだろう。
それにしても、あれから20年も経っているというのにアイツが幼児体型なままなのはどういうことだ。天使や堕天使は成長スピードにこんなに個体差があるものだったか?
それはともかく、あのメルヘン堕天使が覚えていたのだ、あのクソ勇者が覚えていてもおかしくない。
だからこそ、あのクソ勇者はリナリアが欲しかったのだろう。
20年前、コイツとリナリアの間でなにがあったのかは知らないが。
……なんだか不愉快だ。やっぱりあのクソ勇者だけはぶん殴らないと気がすまない。
「なあ、ニグルム」
プルサティラの声が俺を現実に引き戻す。
気づけば魔王城は目と鼻の先。雷雲の下、おどろおどろしい形をした城塔が見えていた。
「ここまで来ればもう大丈夫だ。だからその、下ろしてくれないか。お前もいい加減、腕が疲れただろ」
「いや。お前、胸は大きいがぜんぜん重くないから心配するな――このまま一気に突入する。口を閉じてろ!」
俺は大きく翼を羽ばたかせると、滑空スタイルで急降下を開始する。
プルサティラが俺の顔の下でなにかを叫んでいたが、空気を切り裂く音でなにも聞こえない。
俺たちはこのまま魔王城に激突した。
※ ※ ※
魔王城の最上階に突入した俺とプルサティラは、向かってくる魔物たちをちぎっては投げちぎっては投げで先に進む。
「おいニグルム。現地生物に直接攻撃するのはやめろ。せっかくの昇格を棒に振る気か!」
「はぁ? 俺は早くあのクソ勇者に会いたいのだ、そんなこと知るか!」
プルサティラが俺を指さして非難するが、そんなこと知ったことではない。
俺を邪魔するヤツはすべて悪事の執行対象、それだけだ。
目の前に現れる魔物たちを壁や床にめり込ませながら、ついに俺たちは最深部の魔王の間までたどり着いた。
「ここにいるのだろうっ!」
重い扉を蹴り飛ばすと、魔王の間の玉座に勇者がふんぞり返っていた。
そのそばにはあのメルヘン堕天使もいる。
世界征服をもくろむ魔王とさらわれた姫様ごっこでもしてるのかコイツらは。
「も、もう来たのか、悪魔め。ぼ、僕の天使は、僕の女神は、渡さないんだからな」
この勇者、ガリガリにやせているせいかいつも声に力がない。
それでも、落ちくぼんだ目をこれでもかといわんばかりに血走らせているのを見れば、かなり腹を立てているのは分かる。
勇者は立ち上がって聖剣を抜くと、俺めがけてまっすぐ突進してくる。
ブツブツ言っているのは魔法詠唱か――【加速】【攻撃力増加】【防御力増加】【武具魔力付与】に【神聖加護付与】……他にもいろいろありそうだが数えるのが面倒だ。
「ぼ、僕とリナリアさんと一緒に生きるんだぉ。邪魔はヤツは、ゆ、許さないんだだからな。【神々の聖なる炎の剣】!」
勇者の呪文に呼応して、聖剣は赤い炎に、勇者自身は青い炎に包まれる。
床を蹴って宙を舞った勇者は、振り上げた聖剣を俺の頭をめがけて振り下ろす。
「そうかそうか、許さないか――だが俺は、その10万倍、貴様を許さん!」
俺は右手に魔力を集中させると、頭上にせまる勇者めがけてこぶしを振り上げた。
黒い波動が一気に放出され、勇者を突き上げ天上へとめり込ませる――前にプルサティラが空中でキャッチして激突を防いだ。
「なにいきなり本気になってる。せめて相手の言い分ぐらい聞いたらどうだ」
「この俺を手玉に取ったのだ。本当は殺してやりたい――が、俺もそこまでバカではない。ほんの少しだけ手加減した」
「あきれた。ほとんど本気だったということか」
降り立ったプルサティラが勇者を床に寝かせる。俺もスーツのホコリをはたきながらのぞき込む。
白目をむいて情けない顔をしてのびているが大丈夫、死んではない。
俺の渾身の一撃を食らっても気絶だけですんでいるのは、さすがは勇者といったところか。
しかし、よく考えれば20年前に俺が救った命らしい。
ならばその命は俺の所有物も同然。たかが一発で溜飲が下がったわけでもなく、なんならいまのうちにやってしまうのもありかもしれない。
俺はメガネを指で押し上げると、両方の口角を目一杯つり上げてほくそ笑む。
「ニグルム、お前、いやらしい悪魔顔になってるぞ。そっちのけがあるのか」
「やめろ。俺は色魔ではない」
プルサティラの紫の目がニヤリとするのを見て、俺は思わず顔をそむけた。
コイツにからかわれるとこそばゆい気持ちになるので困る。
「そんなところでなに2人でイチャついてるのですか、プンスカ」
この間まで四六時中ついて回っていた少し甘えた感じの声。
見れば、ここに来たもう1つの理由――リナリアがムスッとした顔で俺たちをにらみつけている。
それにしてもプンスカって自分で使う言葉か。
「帰るぞ、リナリア」
「イヤです」
「まだ怒っているのか? お前とこの勇者になにがあったかは知らないが、業務契約は完遂したんだ。もうここにいる理由はないだろう」
俺の言葉など聞いていないリナリアは、今度はプルサティラを指さしてふくれっ面をする。
「誰ですか、その美人さんは?」
「誰って。プルは幼なじみだ」
「ああー!」
急に大きな声を出したリナリアは、プルサティラに駆け寄ると肩についていた黒い羽根を手に取った。
「どうしてこの女性にニグルムさんの羽根がついてるのですかっ――もしかして、お姫様抱っこですかっ?」
すごい気迫でリナリアがプルサティラに詰め寄る。
あのプルサティラがたじろぐところを見るなんて久しぶりだ。
「さあどうなのですっ。はっきり答えてくださいっ」
「――あ、ああ。第三者から見るとそういう状態だったんじゃないか、と、思う」
コクコクとうなずくプルサティラを見て、リナリアはプルプルと肩をふるわせながら俺の方に向き直る。その姿はまるでチワワだ。
「ニグルムさん。ワタシがここで働いてる間、イチャイチャしていたあげく、今度はその美人さんを連れてワタシを笑いに来たのですか?」
「お前はなにを言っている」
「リナリア。ガマズミ・シハルを連れて一緒に魔界へ帰ろう。あなたがここで仕事に励んでいたことは私からきちんと説明する。ガマズミ・シハルが救われる方法を一緒に考えよう」
「プルのいうとおりだ。なににへそを曲げているのかは知らないが、この勇者を助ければそれで解決なのだろう。だから帰るぞ。な?」
「――もう。いいです」
リナリアの青い瞳に鋭い光が宿ったかと思うと、すさまじいオーラが全身から放出された。
その衝撃波によって、石柱に吊されていたたいまつが次々と消える。
リナリアが放つ金色の光だけが魔王の間を照らす。
あのバカ、天使だか堕天使だかの力でも解放したのか!
「やめろ、リナリア!」
「なにも解決などしていないのです、近寄らないでくださいっ!」
少しでも距離を縮めようとすると、リナリアからふきだす光の勢いが増して押し返される。
この俺がわざわざ迎えに来てやったのに、なにが気に入らないというのだ、このわがまま堕天使は。
「【心の扉】!」
金色の光の中でリナリアの声だけが響く。
破裂した光が拡散する。
その光の破片に射抜かれた瞬間、俺の視界は白色に埋めつくされたのだった。