第5話 「当たり前だろ! 俺がそんな汚い手で我欲だけ満たす卑怯な悪魔に見えるか。やるなら正々堂々悪事を執行するわ!」
「ワタシは、ガマズミさんとこの異世界の人たち、両方を救うのです」
そう言って、リナリアは勇者と共に魔王城に行ってしまった。
――あれから何度も思い出す、不愉快な光景だ。
「なんだそれは。お前は堕天使だろ。勇者でも魔王でもないだろうに」
俺はそうつぶやくと安酒の入ったコップをあおった。
ついでに、テーブル上に散乱していたひとくちサイズのチョコをわしづかみにして口に放り込む。
正直、俺はこの組み合わせは苦手だ。でもやめられない、アイツのせいだ。
グルグルと回る視界で窓の外に目をやれば、魔界のどんよりした灰色の空の下、ひざを抱えた堕天使どもが地面を見ながら恨み言を唱えてるのが見える。
動いているのはそれぐらい。あとは枯れ木と岩だけがある、下級悪魔たちの居住地区。
もう少しでここから抜け出せるはずだった。しかし、その光はあと少しのところで消えてしまった。。
俺は上級悪魔に戻らなくてはならない。それができなければ生きている意味がない。
「ずいぶんとできあがっているようだな、ニグルム」
聞き覚えのある腐れ縁の声が聞こえる。
部屋の扉を見やると、黒いスーツに身を固めた妖艶の美女が立っていた。
「なるほど。いま見ているのが夢でなければ、幼なじみにして上級悪魔のプルサティラ様が、下級悪魔の私めに会いに来てくださったというわけだ。これはこれはどのようなご用件で」
「嫌味はよせ。祝い酒――ではないような感じだが、どういうことだ?」
「だましてなんぼの悪魔が依頼主に一杯食わされそうになったのを笑いに来ましたか? はっ、お前もずいぶん悪魔らしい悪魔になったな」
「らしくない。なにを荒れてる? 甘いもの苦手だろうに、チョコをつまみにお酒を飲んで悪酔いでもしたか」
「ほっといてくれ。俺だってチョコは苦手だよ」
そっぽを向く俺に小首をかしげつつ、プルサティラは銀色の髪をかき上げると1枚の羊皮紙を取り出した。
「それよりお前の昇格が決まった。二段階昇格の上級悪魔だ。実に悪魔らしい立ち回りで勝ち取ったようだな、悪友」
その言葉が耳から入って脳に到達した瞬間、グルグル回っていた視界が一気に正常に戻った。
上級悪魔に昇格? なんだそれは? 酔いで頭がおかしくなったか。
「お前があの堕天使――リナリアをガマズミ・シハルのもとに送って契約が完遂したからに決まっているだろ」
「なにを言っている、プル? 俺の業務契約はあの異世界を勇者に救わせることだ。リナリアは――あの堕天使は関係ないだろう」
「ん? お前、分かってて、あえて策に乗ったんじゃないのか?」
「策? なんだそれは? それに酔い覚ましにしても上級悪魔だなんて悪い冗談はよしてくれ。俺の業務契約書は異世界神の契約義務違反のせいで消えてしまったのだからな」
「契約義務違反じゃなくとも羊皮紙を燃やす方法なんていくらでもあるだろ……まさかお前、それで契約解除だと思ってリナリアを置いてきたのか?」
「あの堕天使が勝手に異世界に残っただけだ。それより教えてくれ。どうしてあの堕天使を勇者のもとに送ると俺の契約が完遂する?」
俺は上体を起こしてプルサティラをにらむ。
いつの間にかメガネが外れていたようで、プルサティラがどんな顔をしているかよく見えない。
「ガマズミ・シハルがリナリアを望んだために異世界神が一芝居打ったと聞いているが……お前も一枚かんでいるのかと思った」
どうやらプルサティラも話がかみ合わないことで、俺たちの考えが食い違っていることに気づいたらしい。
あの勇者にしてやられた!
勇者が望んだ願いとは、呪いをかけた者を呼びたかったのではなく、理由はよく分からないがリナリアを手に入れたかったということか。
異世界で会ったとき、そのようなそぶりなどみじんも見せなかったのでまんまとだまされた。
異世界神はその願いを叶えるために異世界を混乱させて俺たちを呼び出し、リナリアを勇者に与えることができたので異世界の混乱を収めた。
異世界に平和が戻れば俺の業務契約は完遂、おこぼれで上級悪魔に昇格というわけだ。
はっ、ずいぶんと手がこんでいることだ!
俺は酒やチョコをなぎ払うと力任せにテーブルをたたいた。
頭に回っていたアルコールも一瞬にして蒸発する。
ここまでこけにされて黙っていられるか。絶対に後悔させてやる。
「異世界神ではなく、あの勇者の思うつぼだったというわけだ。バカにするなよ人間ごときが!」
「リナリアを厄介払いして上級悪魔に戻る。お前のもくろみじゃないんだな、ニグルム?」
「当たり前だろ! 俺がそんな汚い手で我欲だけ満たす卑怯な悪魔に見えるか。やるなら正々堂々悪事を執行するわ!」
「――そうか。そうだよな。少し安心した」
刹那、プルサティラの表情がゆるんだように感じた。
一緒に遊んでいた小さな頃、よく見せていた笑顔と同じような雰囲気――そんな気もしたが、メガネがないのでよく分からない。
それにいまは、俺はいますぐあの勇者をぶん殴らなければ気がすまない。
立ち上がった俺を、プルサティラが止めた。
「待てニグルム。その前にどうしてもお前に話しておきたいことがある」
「あとにしてくれ。あのクソ勇者が先だ」
「いいや、いまのお前は絶対に先に聞いておくべきだ。“お前が困ると私も困る”」
プルサティラが大事なことを話す前の決まり文句を口にした。
ということは、左頬を引きつらせつつ顔の半分で笑って、もう半分が困った表情をしているに違いない。
普段はクールビューティーなくせに、俺にとって大事な話をするときはいつもその顔でその口癖からはじめる。
お前は本当にいいやつだ。俺が下級悪魔に落ちてひとりになっても見捨てずに友でいてくれたのだからな。
そのお前がいまでなくてはダメだというのなら、よっぽどのことなのだろう。
俺が向き直ると、プルサティラがいきなり頭を下げた。
「――本当にすまん、ニグルム」
なぜ唐突にお前が謝る?
「ニグルム。お前、リナリアのこと覚えてないんだよな?」
「俺にあんな頭のおかしい堕天使の親戚はいないな」
「ガマズミ・シハルのことは?」
「一度見ていれば忘れないな、あんな骸骨みたいな顔した人間」
さっきからなんなのだ。急に謝ったりわけの分からない質問をしてきたりして。
「リナリアとお前の関係を知って、昔のことを乗り越えることができたのだと私は少しだけうれしくなっていた。だが、逆だった。乗り越えるどころか心にフタをしてたんだな」
そう言いながら、プルサティラは拾っていたメガネを俺にかけた。
プルサティラの切れ長の紫の目がメガネ越しに見える。
なぜそんなあわれんだまなざしを俺に向けてくる?
「20年前のあのとき、私は死に物狂いでお前を止めるべきだった。いまのお前を見て心底そのことを後悔している。本当に申しわけない気持ちでいっぱいだ」
ズキン、と俺の胸が痛む。
いくら相手のトラウマをいじるのが悪魔の常套手段だからといっても限度というものがある。いくら昔なじみとはいえ、正直、その話は蒸し返してほしくない。
※ ※ ※
20年前、子どもだった俺はこっそりと人間界に入った。
もちろん、正式な業務契約を交わしていない悪魔が人間界に行くことは神様により禁止されていたし、プルサティラは必死になって止めてくれた。
しかし、幼心に芽生えた好奇心はそれを上回ってしまった。
大人たちの仕事――どういった人間をどのようにたきつけて派遣勇者にするのか、どうしても見てみたくなったのだ。
大人たちの仕事を少しだけ見てすぐに人間界を出るつもりだった。
ところが俺は、すぐに出ていくどころかこともあろうに人間のガキを助けてしまったのだ。
業務契約も交わしていないところに人間界で人間相手に力を使ってしまったのだから、当然、神様に罰せられる。
俺たち家族は全員下級悪魔に落とされたうえ、ちりぢりとなってひとりで生きていくよう呪いまでかけられていまに至るというわけだ。
※ ※ ※
悪魔にだって一族、家族のつながりはある。下手な人間よりそこそこの情だってある。
それを自業自得とはいえ、俺ひとりの身勝手な行動で壊してしまったのだ。
同族たちにさげすんだ目を向けられるたびに何度「くたばる呪いをかけられた方がましだ」と神様を恨んだことか。本当に、神様ほど悪趣味なヤツはいない――。
俺がよっぽどひどい顔をしていたのだろう。
いつの間にか険しい表情のプルサティラが俺の顔をのぞき込んでいた。
俺は胸の内を悟られないように陽気な声を上げた。
「で、お前は申しわけない気持ちでいっぱいになりながら俺をいたぶりたいわけか?」
「嫌味はよせ、ニグルム。思い出してほしいんだが、20年前、お前が助けた子どもは、男だったか? 女だったか?」
「そんなの決まって――」
俺はそう言いかけてあることに気づいた――あのとき助けたガキの顔が思い出せない。
それだけではない。
人間界に入ったことも、そこでどこに行ったかも覚えているのに、肝心のガキを助けたところだけがすっぽりと抜け落ちているのだ。
確かに助けたはずだ。そうでなければいま俺がこのような目にあっているはずがない。
だが、どうやって助けた? そのガキはどんなガキだった?
「……それはだな……ガキひとりなどサッと助けてそれで終わりだったからな。いちいち覚えてはいない」
動揺を声に乗せないように、俺は努めて冷静に返事をした――つもりだったが、竹馬の友にはやはり通じない。
プルサティラはゆっくりとまばたきしたあと、静かに言った。
「ニグルム。お前はあのとき、男と女、2人の子どもを助けたんだ。それが思い出せなくなるほどに、あの出来事は苦しい重荷だったんだな」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第5話より後半戦の開始となります。
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