第3話 「契約契約って、助けを求めている人を見て見ぬフリするほど契約の方が大事なのですか?」
俺たちが送り込んだ派遣勇者が最後に向かった魔王城まであと1日というところ。
その頃にはあたりの風景はがらりと変わっていた。
おどろおどろしくうねった草木がうっそうと生え、昼間だというのに薄暗い。
こう不気味だと、さすがのリナリアも草木へのあいさつに勇気がいるらしい。
おっかなびっくり声をかけてみては、予想外の恨みや嘆きの言葉にいちいち飛び跳ねておどろき、俺の背中に身を隠す。なにを言われているか俺には分からないが、とにかくひどいらしい。
だったら話しかけなければいいだけなのだが、「そんなこと言うなんて、ついにニグルムさんは悪魔に魂を売ったのですかっ」と頬をふくらませて怒ってきた。お前、俺が悪魔だって忘れてないか?
ただ、リナリアが感じたのとは別のところから、俺もなんだかきな臭いものを感じていた。
魔王城に近ければ近くなるほど、悪意と憎悪と敵意に満ちてくる。魔王がそうしたものの象徴なのだから当然のことだ。
そして、それらの感情はどこの異世界であっても魔王とは反対の勢力にのみ向けられる。
だが、この異世界は違う。
いくら派遣勇者を手引きしたとはいえ、この異世界のことわりから除外されている俺たちにまで負の感情を向けてくるというのは普通ではない。
たいていの場合、勇者陣営、魔王陣営、どちらかもどうでもいい存在として扱われるのが常だからだ。
これは確かに「世界の混乱度が増している」というクレームのとおりかもしれない。
「暗いです、怖いです、寒いです。ニグルムさんの愛がたりないのです」
背中にしがみつくリナリアがうわずった声を出す。
どさくさにまぎれて余計な一言があった気もするが、コイツにとっては「こんにちはー」ぐらいの意味にすぎないと判断してスルーする。
リナリアは小さな身体をさらに小さくしてふるえているが、実は心配する必要はない。
どれだけ俺たちに殺気を向けてこようが、この異世界の万物は俺たちにはなにもできないからだ。
簡単にいってしまえば、お互いの存在する「世界」が異なるので物理的に干渉することができないのだ。
ただし、干渉できないのは「異世界側」だけだ。上位に位置する俺たち側は干渉できてしまう。
この非対称性こそがある意味、派遣勇者ビジネスを成り立たせているといえる。
こうした優位性があるからこそ、俺はあの男でも派遣勇者にすることを認めたのだが、当の本人はこの異世界で一体なにをやっているというのか。
※ ※ ※
『ニグルムさん、あの人にしましょう。ワタシのラブセンサーがビンビンに反応しまくりなのですっ』
今回の仕事を受けて人間界で勇者候補を探していたとき。
リナリアが見つけたのは一軒家で一人暮らしをする男――蒲染詩華だった。
【透視】の魔法でのぞき見れば、すべての窓は段ボールでふさがれ薄暗く、家の中はゴミの山、シンクもバスも汚物が干からび、お情け程度に人が通れるようにしている廊下には毛やら虫の死がいやらが散らばっている。
この魔法が匂いも感知できたのなら、さぞかしいすさまじい異臭を教えてくれていただろう。知りたくもないが。
そしてこの男、汚い布団の上にガリガリの身体を横たえ、いまにも息が絶えようとしている。
勇者候補者台帳をめくって確認すると「人間不信」「社会人経験なし」「30歳」「引きこもり」「勇者適性ランクD」とある。
つまりは、親がかいがいしく世話している間はよかったものの、親が逃げたか死別したかでコイツ一人になった途端、餓死寸前におちいっても自力で周りに助けを求めることすらできない社会不適合者ということなのだろう。
それでは勇者適性ランクも低いに決まっている。
自分すら助けられないヤツに世界を救う勇者など務まるわけがない。
だが、リナリアは首を横に振ってゆずらない。同情のしすぎか、目にはいっぱいの涙をためている。
『この人、このままだと本当に餓死して死んでしまうのです。それに、ここで見捨てたら絶対に後悔します。ニグルムさんのことだけを想って熟成させたラブパワーの半分を差し上げますので、どうかお願いします』
そんな得体の知れないもの受け取るつもりはないし、絶対に後悔などしない。
しかし、「勇者にしないのでしたら、ワタシはテコでも動きませんからっ」と座り込まれては意見を引っ込めざるをえない。
こんなところで言い争って自分の意見を押し通したところで、コイツがへそを曲げて仕事を放棄でもしようものなら契約不履行になってしまう。契約不履行はカマドウマだ。
そうであれば、コイツのご機嫌をうまく取って誘導しつつ、とっととこの案件を成功させた方が得策だ。その分、コイツとの縁も早く切れる。
俺の頭の中のそろばんが損得勘定をはじき出す。
コイツの勝手を許すことになるが、この人間を選んでこちらのいうことを聞くようになるならトータルではプラスだ。
それによく見ればあの男、なんとなく従順そうで弱気な顔をしている。どうにかなるかもしれない。
俺は腹の中では舌を出しつつ、表面上は渋々、リナリアが選んだ人間を勇者にすることを認めたのだったが――。
※ ※ ※
「ニグルムさん。あれ見てください!」
リナリアがスーツのすそを引っ張り指さす。
見れば、うねった木々の隙間から現れるたくさんの人型の影。
叫び声や泣き声などが続き、混乱の中逃げ惑っていることがすぐに分かった。
物陰に隠れながらさらに近づいてみてみると、その大勢の人影は、人間だけではなく、亜人、魔物などあらゆる種族が混じっていた。
この近辺のヤツらが何者かに追い立てられてる?
そうだとしても、敵対する人間と魔物が共に逃げてくるのはおかしい。
普通、魔物が人間を襲う、もしくはその反対だ。
その両者が共に逃げ出すとあっては、一体何者が暴れているというのか。
俺は【望遠視】の魔法でさらに先を見る。
逃げる人々を追いかけているもの――それも人間や魔物だった。
ただし、追ってくる方は普通ではない。
白目をむいてよだれを垂らし、不気味に身体をくねらせながら、ときに俊敏に、ときにのっそりと動くそいつらは、全員が神クラスの呪いのオーラをまとっていた。
その呪いによって操られたそいつらが、敵味方お構いなしに、剣で、牙で、魔法で、あらゆる攻撃方法で殺戮の限りをつくしているのだった。
襲われる者の泣き叫ぶ悲鳴と、襲う者の狂気の雄叫び。
男も女も、老人も子どもも関係ない。
あまりにも一方的なその光景に、正直、虫唾が走る。
だが、形はどうあれ、異世界人同士の争いということであれば俺たちには手は出せない。
今回の業務契約には「異世界人に直接干渉できるのは派遣勇者のみ」と盛り込まれているからだ。
この混乱がクレームの元凶だとすれば、俺たちがすべきは一刻も早く勇者を見つけ出し、勇者にこれをどうにかさせるしかない。
状況が分かった以上、身をひそめながら地上を行くより、空を飛んで魔王城に向かう方が安全だろう。
その場合、飛べないリナリアを担がなければならないのがいろいろ面倒だが、緊急避難措置だ、仕方ない。
「おい、堕天使。ここを離れるぞ」
後ろにいるはずのリナリアに声をかけたつもりだったが、ふり返ると本人がいない。
慌てて見回すと、腕をブンブン振りまわしながら混乱している人々の群れに向かっている。
あの堕天使、なにをするつもりだ。急いで走り寄って腕をつかむ。
「もちろん、この混乱をしずめるのです」
「バカ。しずめるってお前。直接手を出したら契約違反だろうが」
「だからといって、罪のない人たちが殺されるのを黙って見てられません」
「黙って見てるのが俺たち悪魔なんだよ。契約違反は即、契約不履行、損害賠償だぞ」
「契約契約って、助けを求めている人を見て見ぬフリするほど契約の方が大事なのですか?」
ふり返って俺をにらみつけるリナリア。
草花に語りかけていたメルヘン堕天使とは思えない鋭い眼光に、俺は一瞬だけ身体が硬直した。
そんなに俺の考えはおかしいのか? 契約内容がすべてなのは当たり前だろ?
おかしくない――俺の理性はそう理解しているが、コイツがはじめてする真剣な顔を見るとなぜか心が揺らぐ。
……いいや、やっぱり俺が責められるのはおかしい。
「ああ、大事だね。契約は超大事。俺は契約を履行して、お前とは縁を切って、上級悪魔に戻るんだよっ!」
イラついた俺は、心の中のモヤモヤをリナリアにぶつけるように叫ぶ。
リナリアは最初、おどろいたように目を見開いて青白い顔をしたが、それから視線をそらして顔を伏せた。
「――そんなニグルムさん、好きではありません」
俺の手を振り払い、ポツリとつぶやくリナリア。
その言葉に胸が締めつけられるように痛くなる。どうした、俺。
なにかをこらえるように、リナリアは身体を硬直させたまま動かない。
いつもなら「ひどいです、愛がたりないのです」とかいう場面ではないのか?
もしかして泣いているのか?
リナリアに話しかけようと口を開いた瞬間、俺たちは爆炎に襲われた。