第2話 「無視しないできちんとワタシの愛を受けとめてくれれば、ワタシだってこんな手荒なまねはしないのです」
「お花さんたち、こんにちはー。今日もとってもいい天気なのですっ」
そうだなー、この異世界は今日もいい天気だなー。
「小鳥さんたち、どうしました? そうですか。それはとってもハッピーになりそうなのですっ」
そうだよなー、お前の頭の中はいつでもハッピー、能天気だよなー。
魔王城へと続く辺境の道。
メルヘンをまき散らしながら歩くこの小さな少女――リナリアは、花や木、鳥や昆虫など、とにかく目につくものすべてにあいさつして回らないと気がすまないらしい。
天使という種族はそういう頭の軽いヤツが多いことは理解しているが、堕天使に落とされてからもこんなに陽気で明るいヤツなど見たことがない。
魔界にいる堕天使たちは、それはもう無気力を絵に描いたようなげっそりした顔をしていて、地面を見ながらブツブツと神様や天界を呪う言葉を年中つぶやいている根暗なヤツばかりだ。
天使の象徴である光の輪こそ奪われないものの、羽をもがれ、生涯、空を飛ぶことを禁止された上で魔界へ追放なのだから、その気持ちは分からなくもない。
しかし、いま俺の前であちこち見ながら楽しげに歩いているリナリアのことはまったく理解できない。
背中まで伸びるプラチナブロンドの髪、透きとおるような白い肌とうるおったピンクの唇、頬は常に赤みをおびており、大きな青い瞳は長いまつげにおおわれている。
この容姿は間違いなく天使だ。天使の輪も頭上に乗せている。
そして、間違いなく堕天使だ。背中にはあの大きな翼がない。
堕天使として魔界に追いやられたら、普通、絶望しないのだろうか。もしかすると、絶望するほどの思考力がないのかもしれない。頭からっぽそうだし。
リナリアというこの小さな白い堕天使は特殊なのかもしれない。この場合の特殊というのは、関わってはいけないという方の意味だが。
こういうタイプに関わるとろくな目に合わない。すでにろくな目に合っているが、これ以上はごめんだ。一刻も早く縁を切らなければ。
「なんですか、ニグルムさん。急に立ち止まったりして」
リナリアが俺の顔をのぞき込んでくる。考えごとをして足が止まっていたらしい。
「いや。この異世界に来てから数日たつが、このままお前につき合ってずっと歩いていては、勇者が最後に向かったという魔王城にいつ着くのかと思ってな」
この能天気堕天使には多少の嫌味も必要だろう。異世界に来てからどれぐらいの時間を消費しているか少しは理解させねば。
俺は悪魔特有の、頬が裂けんばかりの邪悪な笑みを浮かべてみせた。
リナリアは顔を青くしてうろたえる――ことなどなく、それどころか丸い瞳を輝かせた。
「きゃー、うれしいですっ! 遠回しにワタシを誘ってるのですね。『歩いて行くのもいい加減疲れただろう? 俺の魔界一の翼なら魔王城までひとっ飛びだぜ』ですね、分かります。その場合、お姫様抱っこで移動ですと10分ごとにワタシのラブメーターは10%アップ、体力は1回復しますのでヨロシクなのですっ」
「なにがヨロシクだ。お前はなにを言っている」
「なにをって、ワタシはニグルムさんが好きですよーって言ってるのです」
俺を見上げながら無邪気に笑うリナリア。まさに天使の微笑み。
人間ならばこれだけで心を奪われるだろう。しかし、あいにく俺は悪魔なのでな。
無視して歩き始めると、リナリアが慌てて追いかけてくる。
「ニグルムさんはいつもソレです。アンテナの感度が低いと思います」
「なんだ、そのアンテナって」
「ニグルムさんに質問です。こんにちは、と言われたら、こんにちはって返しますよね。この意味分かりますか? あ、文句言わずに答えてください」
「ったく。あいさつというのは、自分の存在を相手に分からせるために発信するものだ」
「ぶー、それだと50点なのです。もう半分は――あ、ちゃんとアンテナの話になりますから置いていかないでください」
ウザいコイツ。
俺が速度を上げると、泣きそうな顔をしながら必死になってついてくる。
「相手のこんにちはにこんにちはで返すのは、あなたがいること分かりました、ここにいていいですよーって意味なんです。そうやってお互いを確認して認め合うがあいさつなのです。ニグルムさんは認め合って仲良くしましょうねという感度が低いのです」
リナリアがスーツのはしを引っ張る。
ふり返って文句を言う俺に、小さな堕天使は上目づかいで熱っぽい視線を向けてくる。
「ちなみに、好き、というのはあいさつの上位互換にあたりまして、それを体現するとこういうことになるのですが」
そして瞳をとじると、つややかなピンクの唇を突きだしてくる。
「ん~~~~!」
なんだ、お前はタコか? 確かにその間抜け顔は本物のタコといい勝負だが。
俺はメガネを指で押し上げると、口先をつまみ上げるべきか、無視して先に進むべきか、広いおでこにデコピンの1つでもおみまいするべきか0.5秒だけ悩んだが、そのどれでもない「空を飛んで距離を保つ」を選んだ。
静かに背中から翼を出し、音を立てずに宙へ舞う。
よし、タコ顔娘は目を閉じたまま気づいていない。
それにしてもこのメルヘン堕天使、どういうわけか俺になついてきて、正直うっとうしい。
上司に引き合わされたときからこのテンションで好き好き言ってくるわ、好きですか? と聞いてくるわで、仕事のことがまるで頭に入ってない。
俺が叱れば「ワタシたち運命の赤い糸で結ばれているのです。運命感じませんか? 前世でのワタシたちの記憶覚えてませんか?」などと気持ち悪いことを言いだす始末。
コイツの頭を振れば、梅干しより小さな脳みそがカランカランといい音をかなでるに違いない。
悪いがお前に運命など感じない。というか、悪魔に前世ってなんの冗談だ?
しまいには「ワタシは知ってます。ニグルムさんは本当は優しいのです」と言い放った。
ふざけるな、俺は人間の欲望の隙をつく悪魔だ。欲深い人間や自分を不幸だと思い込んでいる人間をそそのかして派遣勇者に仕立てるのが仕事だ。
優しいなんて言葉から最も対極に位置する存在だ。
「……あーっ、どうして勝手に飛んでるのですか、ニグルムさん!」
タコ顔娘が、今度は猿のように顔を真っ赤にしてキーキーわめいている。
しばらく空中で観察していたわけだが、まさかここまで待たされることになるとは思わなかった。
「ニグルムさんがそのような態度でしたら、こちらにも考えがあるのです。【心の扉】!」
リナリアの呪文に呼応して俺の胸から小さな扉が浮き出たかと思うと、瞬時にリナリアの手の中に移動した。
あの堕天使、また俺の心を開けやがった!
急降下した俺は、リナリアが扉を開くより先にすばやくそれを取り上げる。
「ワタシへの愛が足りないようでしたので、ワタシのとっておき秘蔵ナマ写真をニグルムさんの心の中に入れようと思ってましたのにー」
「うるさい! もう二度と【心の扉】は使うなと言ったろうが!」
プンプンと頬をふくらませるリナリアに背を向け、俺は奪った扉をすぐに胸に押しつけた。扉は俺の中に消えるように戻っていく。
【心の扉】――このメルヘン堕天使が天使時代から持っていたであろう特別な能力。
相手の心の扉を具現化し、それを強引にねじ開けて心の中をのぞき込む。
それだけならまだしも、この扉を経由して入れられた物、言われた言葉などを心に刻むことができるので、悪用したらとんでもない洗脳能力になる。
なにしろ以前、「孤独でかわいそう」と言いながらコイツが俺の心にチョコレートを入れたせいで、チョコレートだけは無性に食べたくなるときができてしまったのだからな。甘いものは苦手だというのに。
「無視しないできちんとワタシの愛を受けとめてくれれば、ワタシだってこんな手荒なまねはしないのです――それとも実は、こんな風に責められるのがお好みですか? それでしたらまたやりましょうね、【心の扉】」
語尾に笑いをにじませながら、リナリアがいたずらっぽい視線を送ってくる。
コイツ、堕天使になっても変わらない自分の美ぼうを熟知してやがる。
やめろ、これ以上俺の心をけがすな!
苦々しくこの堕天使をにらみながら、俺は自分の心に刻むようにもう一度固く決意した。
「こんな仕事、早く終わりにしてこの堕天使ともペア解消でさよならだ! そして俺は上級悪魔に戻る!」