第1話 「お前があんな男を勇者に選んだからこんなことになったのだろうがー!」
俺がいま、まな板の上の鯉だというならば。ものの見事に跳ね飛んでやろう。
そして、そのまま床に落ちてやり、包丁を突き刺そうとした料理人に「食えなくなって残念だったな」と言ってやったことだろう。
そのあと即ゴミ箱行きだろうが、俺が自分で選んだ結末なのだから悔いはない。
しかし残念なことに、俺は鯉でなく悪魔だ。しかも序列は下から2番目という下級悪魔。
魔界は本当に厳しい。
一度序列が決まればそれをひっくり返すことは絶対にできない。
与えられた序列がそのまま悪魔の能力に直結するからだ。
努力、根性、そんなもの、魔界の序列の前では無意味。
幸運、そんなもの天界にいる神様の、あくびが止まらないくらいにひまなときに人間界にふりかける気まぐれだ。悪魔の俺たちが思し召しにあずかれるはずもない。
つまり、どんなにあがこうが下級悪魔の俺が自分の意思で選べる未来などほとんどないのだ。
「ずいぶんと余裕だね、ニグルム・リリウム君?」
オレンジ色の巨大ワニにまたがった小太りのヒゲオヤジがふんぞり返ってにらんでくる。
ヤバい。ワニ大好きの変なオヤジだが、これでも俺の上司だ。
「魔界序列19番目って、本当はボスではなくワニの方なのだろ」と、顔に出てしまったのかもしれない。
だがそれは仕方がない。
ワニの環境にいいからと湿った洞窟を執務室にするなど、ワニをペットとしてかわいがるというより、ワニに操られていると考える方が自然なのだから。
「ニグルムさん。顔だけではなくて声にも出ているのですよっ」
俺と同じように洞窟の執務室に呼び出されたあげく、一緒に立たされている小さな白い少女――リナリアが気持ちのよい笑顔を向けてくる。
おい待て。そのなにも考えてなさそうな笑顔はどういうことだ? 上司に呼び出された原因はお前だろ? 俺は完全にとばっちりだろうが。
「なにか言ったかね?」
「いえ、なにも! 今回のクレーム発生の件、誠に申しわけございませんでしたっ!」
叫びたくなる気持ちをグッと抑え、リナリアの頭を押さえてお辞儀をさせる。
と同時に、俺は自分でも惚れ惚れするぐらいに立派な角度で頭を下げた。
上司の顔は見えないが、ワニが口を開けて音もなく笑っているのが視界の端から見える。
おのれ、は虫類の分際でバカにしやがって。
『ニグルム君。次は堕天使と組んで勇者を派遣したまえ。見事これを成功させれば、君を上級悪魔に上げてもいいと思ってるよ』
――上司にそう命令されて始まった今回の仕事。
勇者の派遣1つで上級悪魔への確約は、俺たち下級悪魔の仕事の中では破格といってよい。
普通、10年は下働きをさせられて、それで上司に顔を覚えてもらってからさらに数十年後に出会える仕事だ。
こんなチャンス、見逃す方がおかしい。
序列最下位の堕天使と組まされるのは面倒だが、この条件ならばよっぽど無能なヤツと組まない限り十分おつりが来る。
悪魔のいうことほど信用ならないものはない。だからこそ、契約を結べば悪魔はその内容を必ず履行する。
上司と業務契約を取り交わした瞬間、俺のバラ色の人生が開いたと、あの時はそう思ったのだが――。
上司に頭を上げるように言われた俺は、背筋を伸ばし、ネクタイが曲がっていないかを確認する。よし、大丈夫。
次に、セットした髪が乱れていないかをさりげなくなでて確かめたあと、メガネを押し上げ、できる悪魔を演出した。
「きゃっはー。スーツにネクタイ、メガネの三種の神器着用でワタシのラブメーター120%増し増しのところ、な・ん・で・す・か、そんなポーズまで決めてしまってっ。合計1200%アップなのですよっ――でもぉ、ニグルムさん。ワタシたちいま、怒られに来ていますので、いまさらそんなカッコつけましても、ねぇ」
「いいから、お前は黙ってろ!」
ためらうことなくリナリアの口先をつまんで黙らせる。
俺の手をつかんで何やら「愛が痛い」だの非難めいたことを言っている気もするが、口が開かないのだから聞こえようがない。
とにかくこれ以上、俺の評価を下げるようなまねはしてくれるなよ。
上司がわざとらしくせき払いをしたところで、俺はリナリアの手、腰、背中をたたいて姿勢を整えた。コイツにジト目でにらまれようがしったことではない。
口元がゆるむ上司。よし、この選択は正解だ。
「ではもう一度確認するが、ニグルム君とリナリア君が派遣した勇者の件。派遣先の異世界神よりクレームが来ている。クレーム内容はこうだ。『勇者が魔王城に向かってから世界の混乱度合いが増している。まさか魔王側に寝返ったわけではあるまいな。派遣勇者の再教育し、異世界を救わせることを要求する』」
「意見具申よろしいでしょうか。今回のクレーム、まだリカバリー可能と考えます。なぜなら、クライアントである異世界神は派遣勇者の入替ではなく再教育を希望しているからです。それはつまり、我々が派遣した勇者を気に入っているということ。自分が責任を持って勇者を再教育し、あの世界を救わせます」
巨大ワニの上から目を細めて俺を見下ろす上司。それに負けじと俺もにらみ返す。
選択肢を誤るなよ、俺。
クレーム発生イコール契約不履行と判断されれば俺の人生は一瞬で終わりだ。
ゴクリ。つばを飲み込む自分の音が耳元で大きく聞こえる。
「よろしい。ならば君ら2人で勇者を再教育してきたまえ」
予想どおりの回答。ここは突っぱねる局面を選択。俺は指でメガネを押し上げる。
「非礼を承知であえて申し上げます。これ以上、異世界神の信用を失わないようにするには正確なクレーム処理が必要。これまでの自分のクレーム処理成功率は90%以上。それをわざわざ下げる要因をつける必要はないと判断します」
隣で小さいのがムスッとした顔で俺をにらんでいるようにも思えたが、そんなことかまっている場合ではない。
今回はお得意先のクレームだ。今後のことを考えればクレーム処理の失敗は避けたいところ。悪魔とは常に合理的な判断をするもの、乗ってこい。
「――あの勇者を選んだのは君ら2人なのだから、クレームも2人で処理するべきだ」
「お言葉ですが、今回のクレーム処理は成功率を重視するべきかと。そうであれば自分一人の方が完璧に処理できると考えます。それに業務契約書にはクレーム処理を2人でやるとは定められていない――」
「私は君と交渉したいわけではない。それともこの時点で契約不履行と判断し、損害賠償を請求する方がよいかね。その場合の代償は――」
上司の瞳が光る。悪魔がからめ取った人間を見る目そのものだ。
俺は上司の全身から放出された黒いオーラにあてられ、一瞬、気を失いそうになった。
これは【威圧】の魔法か。いや、魔法ですらない。これがどうあがいてもひっくり返せない魔界での序列の力というやつだ。
「約1億年、ニグルム君にはカマドウマになってもらうことになるが、どうするかね?」
ふところから羊皮紙の業務契約書を取り出し、上司が該当部分を指さす。
やはりダメなのか。なにを選択しても俺は自分では未来を選べないのか。
俺は全身から力が抜けていくのを感じた。
「……はい。2人でクレーム処理をさせていただきます」
「2人とは、君と誰かね?」
「……自分の隣にいる、この堕天使と、です」
「あーもー、ひどいですっ。愛する人の名前ぐらいちゃんと呼んでください。あ、分かりましたー。ボスの前だからって恥ずかしがらなくてもいいのですよ、ニグルムさん」
リナリアはそう言ってニコニコと笑いながら腕にからみつく。
俺が落ちこんでいるというのに、コイツときたらいつも能天気だ。
なんだか無性に腹が立つ。
「おい、堕天使。1つだけはっきりさせておきたい」
「なんですか、ニグルムさん。ワタシの呼び名でしたら『リナたん、はぁとマーク』一択ですよっ」
俺は口先をつまみ上げたい衝動を必死にこらえて、できるだけ冷静に言った。
「お前があんな男を勇者に選んだからこんなことになったのだろうがー!」
お読みいただきありがとうございます。
全9話、きちんと完結いたしますので
お楽しみいただければ幸いです。
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