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世界の秘密を教えてあげる  作者: 日暮リコ
ふたりの秘密
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こぼれる記憶・五


「随分と哲学的な事を聞くんだな」

「そう、かな」

 自分の前世の記憶を思い出し、ミルッカ自身はミルッカ自身でなくなってしまったような気がしてならなかった。

 前世は前世、今は今。個として別々の人生を歩んでいたのだからそう割りきれればいい。けれど、ふたつの人物のふたつの人生は別物のようで、その実は絡まり、混ざりあっているのだと思う。だから自負自身が分からなくなって来ている。

 ミルッカがそう言うと、カウコは「はぁ、成る程」と少しのあいだ瞼を伏せていたが、すぐに彼女に厳しい目を向ける。

「それで?」

「それで、って…それだけだよ」

 困惑したようなミルッカに、ゆっくりと首を振って見せる。

「違う、あんたはただ急に現れた自分の『前世という名の二面性』に気付いただけだ。いいか、今のあんたは鞄の中で謎の絡み方をしてるイヤホンのコードみたいなもんだ」

「あれホントに謎だよね。丁寧に纏めてても絡まるんだもん」

 勿論この世界には、前世の世界で普及していたような軽量・小型化されたイヤホンは無い。あるのは重くて無駄に大きい、耳の保護の事など考慮されていない、軍用の通信ヘッドホンくらいだ。たまに型落ちの中古品が裏ルートで流通するが、どういう訳だかえらく高価だ。

 カウコが例にそのイヤホンを出したのは、同じ世界の記憶にあった物を出すことで、より今生と前世の区別を付けるためだった。そしてその狙い通りに、ミルッカは「懐かしいなぁ」と目を細めながらふわふわの金の髪を指でくるくると巻いている。

「よく考えてみろ。前世を思い出したからって何か変わったか? 今までの思考や思想に変化はあるか?」

「……特にない。ただ後ろ向きになってるだけ」

 カウコは深く頷いた。

「そうだ。あんたがついさっき言ったように、ただ懐かしいだけだ。それを踏まえてイヤホンに話を戻す。絡まったイヤホンコードはほどけたとしても二本に別れている。右耳用が前世で左耳用が今生だ。だが別れていたコードは合流する。そこが丁度今のあんただ」

 ガリガリと雪の上に、Yを逆にしたように線を書いていく。二本の線が交わった部分に丸をつけて見せた。

「その先は一本道だが、普通では味わう事の出来ない面白い人生だ。今は唐突に現れた記憶に意識が向かってるかもしんないけど、いずれ夢の様にふわふわしたものになって忘れるか、氷が溶けて水に馴染むように、自分自身に馴染む。それは良い様にも悪い様にも作用する」

「そういうもの、なの? カウコもそうなの?」

 眉間にシワを寄せてカウコを見るが、彼はその問いには答えず、相変わらず厳しい目のままだ。焚き火に薪を追加し、ケトルに新しい水と少しの茶葉、それから捨てずに取っておいた林檎の皮を入れる。

「馴染ませる方が圧倒的に楽だ。始めはギャップに悩むかも知れねえが、前世の記憶を今生で活かせるかどうかを考えるのは割りと楽しい」

「ふーん……」

「まあ単純に、今から前世の名を名乗って生活を切り替えるなんてまず無理なんだから、その時点であんたは『ミルッカ』であることに間違いはない。いいか、あんたは前世の世界にはいない『人魚』で『ミルッカ』という個人だ。記憶はインプットされたメモリーに過ぎない。別物だと難しく考えるから余計に混乱すんだ。前世も含めて自分自身になれば良い」

「自分自身になるの……?」

 はっとした様にミルッカは呟いた。大きな瞳を瞬かせ、揺れる水面を見つめていた。

 二杯目の紅茶をカップにそそぐ。先程とは違う、甘やかで濃い香りが広がっていく。

「そんなこと、考えもしなかった。あたしに出来るかな……」

 ふぅ、と小さく溜め息をついて、まだ熱い紅茶に口をつけた。二杯目のアップルティーは少し渋かったけれど、自然に「美味しい」と口にしていた。とても、幸せな気持ちになれた気がした。

「出来る。記憶を思い出したって事は『この世界でもいらない子』じゃない。あんたは『この世界に必要な子』なんだ」

 その言葉は、ミルッカが一番欲しかった言葉だと思った。じんわりと目頭が熱くなるのを感じて「そっか」と嬉しそうに笑んだ。

「お兄ちゃんはあたしのことは邪魔だと思ってないかな」

「不安なら、帰ってひとつ謝って、それから甘えてみるんだな。何なら、兄貴の恋人との二人の前で一度泣きついてみればいい。一人にしないでってな。それくらいの我が儘なんて可愛いもんだ」

「やってみる。ちょっと反応が楽しみ」

 そうして二人は小さく笑いあった。

 

 遠くの北の空に飛行船が見える。トゥオネラの方角だ。ゆっくりと南西の方角へ船首を向けながら浮かんでいる。

「昼間の最後の定期便だ」

「もうそんな時間か」

 冬の始まりの今の時期は日が落ちるのが早い。これから日に日に、日照時間は短くなっていく。真冬になれば太陽が登らない日も十日程続くのだが、今からうんざりだ。

「冬ってやだなー。お客さん少ないし、寒いし、あんまりやることないんだもん。まだここは海が凍らないからいいけど、お義姉さん予定の家族が前にいた海は、冬の間ずっと海が凍ってたんだって。深海近くに引き篭るしかなかったってぼやいてたよ」

「人魚って南海にいるイメージだったけどな」

「それぇ。でも考えてみたら、人魚伝説ってどこにでもあったような気もするよ」

「日本にもあったしな」

「今なら、あれとあたしたちを一緒にしないでって言えるんだけどなぁ」

 ふう、と複雑な気持ちで溜め息をひとつ。そうして、カップに残る紅茶を飲み干した。

「それじゃ、あたし帰るね」

「ああ」

「紅茶ごちそうさま。あと、相談にのってくれてありがとう。嬉しかったよ」

 カップを手渡しで返した。分厚い手袋越しのカウコの指が少しだけ、ミルッカの指先に触れる。

「気を付けて帰れ」

「うん」

 額のゴーグルをはめて、前髪をささっと整えてから、とぷん、と飛沫をほぼ立てずに川へと潜る。流石、鮮やかなものだと感心していると、彼女は既に島の先端の方まで移動しており、水面から頭を出してカウコを見ていた。

 正直な気持ちを言うと、名残惜しかった。ミルッカにとっても、そしてカウコにとっても気兼ねなく、前世という不安定かつ漠然とした出来事(そう思えるようになったのは、ミルッカにとって大きな一歩であった)について話すということは、知らずに溜まっていたらしいストレスを解せるものだったから。

 だから。

 

「ねーっ」

 思いきって、ミルッカは声を張り上げた。

 

「また、来ても良い?」

 カウコは何も言わず、ただ軽く手を上げた。ミルッカにはそれで充分だった。ぶんぶんと何度か勢いよく手を振ると、それから再び水中へと姿を消し、もう浮上しては来なかった。



イヤホン専用の巾着を作る始末です(そしてその中でも絡まる)

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