魔王テンプレートに支配されるナローという異世界の英雄譚
ナローと呼ばれる異世界がある。
今はすっかり荒廃してしまったナローだが、かつては彩り豊かな美しい世界であったという。
多様性に富む数多くの国々が争うことなくひしめき合い、国ごとの特色が強く現れた何れ劣らぬ様々な文化は、国民の生活をより良いものとしていた。
人々は活気に溢れ、世界は希望に満ちていた。
当時を知る数少ない老人達は、口を揃えてそう語る。
まさに地上に現れた第二の楽園。数多の文化を受け入れる混沌の天国。
しかし栄光の時代は唐突に終わりを迎えた。
どこからともなく現れた、一人の男の手によって。
魔王テンプレート。
後にそう呼ばれるその者は、暴虐の限りを尽くした。
気の向くままに国々を荒らして回り、その恵みを奪い取った。
あれほど強大で堅牢に思えた国々が、次々と陥落していった。
有力な豪族によって結成された抵抗組織も、ある者は甘言に乗せられて甘い罠に落ち、またある者は兵糧攻めの辛苦に耐え切れずに降伏した。
世界を蹂躙した魔王テンプレートであったが、どういう手腕か勝手気ままに暴れれば暴れるほどに、その仲間を増やしていった。
そして文化までをも自分好みに染め上げ、ナローの勢力図は最早テンプレート一色となった。
頑なにテンプレートに従わない事を選んだ村々は皆滅んだ。
かくしてナローはテンプレートの手に落ちた。
そこから始まったのは、魔王に傅く者のみを重用する独裁体制に、富める者にのみ富が転がり込む歪な社会構造。
人々からは笑顔が失われ、世界からは未来が奪われた。
「認めない! ぼくは断じてこんな世界を認めはしないぞ!」
誰もが絶望に咽ぶ中、高らかに声を上げる一人の青年がいた。
名をサクシャというこの青年は、何もかもをテンプレートに支配される窮屈なこの世界に、自由と公正を齎したいという篤い正義の心を持っていた。
行商を生業とする流浪の民ヨミセン族の出身であった彼は、幼少の頃より数多くの国を見て育った。
場所が変われど街に漂う淀んだ空気はどこも似通っている。老人達の昔話からはとても結びつかないその姿は、幼心にも奇妙に映った。
そしてある日、ナローに蔓延る魔王テンプレートの悪行を知り、激しく憤った。
彼は胸の内より湧き上がる、燃えるような義侠心の赴くままに、ヨミセンの一座を飛び出した。
テンプレートをこの世から消してやる。
彼は歯を食いしばり、巨悪との戦いに身を投じる決意を固めた。
しかし、そうなると自分のせいでヨミセンの皆に累が及ぶかもしれない。
「…………」
その日から彼はヨミセンの名を捨て、ただのサクシャになった。
サクシャは近くに位置していたエッセー国に駆け込み、感情の赴くまま群集に呼びかけた。
「人々よ、剣をとれ! みなでテンプレートに立ち向かうのだ! 一人ひとりの力は弱くても、多くの力を結集すれば、いかな魔王とて倒せぬ道理はない!」
演説を聴いていた住人の内の一人から、二枚の銅貨が投げられた。自らの主張に確かな同意を得たようで励みになった。
エッセー国に滞在して人々への呼びかけを継続していたサクシャは、ある日往来で一人の男と出会った。
尋常ではない様子で憔悴しきり、ひどく怯えた様子のその男は、名をボトムといった。聞けば遠く離れたハイファン国から、命からがら逃げ延びてきたという。
男の話によると、ハイファン国で細々と日銭を稼いでいたボトムの元に、魔王テンプレートの息の掛かった者が連れ立って訪ねてきたらしい。
商工会の使者を名乗るその集団はボトムにこう告げた。
「貴様がボトムか? 喜べ、貴様を我らが商工会の組合員にしてやる」
ボトムが訳も分からず目を白黒させているところに、商工会の男は続けてまくし立てた。
「我らの商工会には決まりがある。まずは我らの仲間として数々の恩恵を受けられる対価として、組合費を払ってもらおうか」
ボトムは見るからに身なりの良いその男にすっかり縮み上がってしまい、言われるがままに銅貨を差し出したという。
世界共通の通貨であるポイント銅貨。ボトムにとっては今出せる精一杯である十二枚。しかし銅貨を受け取った男は目つきを鋭くした。
「たった十二ポイントだと? 貴様、我らを舐めているのか?」
剣呑な空気を出し始めた男に肝を冷やしたボトムは、慌てて弁解を行った。
「め、滅相もねぇ! それがあっしの出せる限界でさ! どうか堪忍してくだせぇ!」
「フン、生意気な奴め。……そうだ、よい事を思いついたぞ。ボトムといったな? 貴様■■をして我らにポイントを献上せよ」
「ヒッ……!」
■■――。文字に起こすことすら躊躇われるほどの、ナローという異世界における絶対の禁忌。
この世界を産みたもうた造物主のご意思に背く重罪であり、これが明るみに出れば本人のみならず親類縁者までもが恐ろしい神罰に晒されるという。
「この方法を用いれば我らにポイントを貢ぐことも容易いであろう? ボトム、やってくれるな?」
「あ……、あ…………。そ、それだけはッ……、それだけはご容赦を!」
ボトムは持てる勇気を振り絞ってそれだけを口にすると、ハイファン国で築いた全てを投げ打ってエッセー国まで逃げてきたという。
全てを聞き、サクシャは血が滲むほど強く拳を握り締めた。
「そこまで腐りきっていたか! おのれテンプレート、おまえだけは決して許さん!」
サクシャはエッセー国を後にし、遠い遠いハイファン国を目指す旅を始めた。
エッセー国でしていたような民衆に呼びかけるだけの生ぬるい方法では、あれほどまでの腐敗には意味を成さないだろう。こうなれば本拠地に直接乗り込んでやると彼は意気込んだ。
旅にボトムを誘うことは出来なかった。彼は絶望と恐怖で心身共に傷を負い、とても戦える状態ではなかった。
おそらくは彼のような者は大勢いるのだろう。
サクシャは思う。
ならば彼らの希望となる為に、人々の翳る心を晴らす為に、自分がこの身を以って証明してやろう。
テンプレートは、打倒し得るということを――!
ハイファン国への道すがら、サクシャは数多くの国へと立ち寄った。そしてその全てで、妥協することなくテンプレートの手先と戦った。
戦いは熾烈を極めた。もともとサクシャは戦闘に秀でているわけではない。悪を許さぬ正義の心のみを武器として戦っていた彼は、幾度も幾度も手痛い思いをした。
テンプレートの手先に敗れ、集団で痛めつけられたことがあった。身銭が底をつき、腹が減っても食えぬ日があった。守ったはずの人々から酷い罵声を浴びせられたこともあったし、志を同じくする仲間の死も経験した。
しかし諦めたことは一度もなかった。
そんなサクシャの姿を、見る人は見ていた。
相も変わらずテンプレートに支配されるこの世界で、表向きは阿りながらも腹の内では不満を募らせ、テンプレートに染まらぬ輝きを切望していた人は大勢いたのだ。
そんな人々の目に、単身でテンプレートに抗うサクシャの姿は鮮烈に映った。
彼らは思った。自分もサクシャを応援しその活動を支える一助となりたい。
しかし自分には生活があり、守るべき家族がいる。自分はサクシャにはなれない。
悩み抜いた末に、彼らは結論を出した。
――自分達も、テンプレートに抗う。自分達にも出来る方法で。
彼らは陰ながらサクシャを支える後援組織を発足した。
その名も「ドクシャ」。
魔王に見つからぬよう、名簿も条文も存在しない。
サクシャに心動かされた者全てがドクシャであり、サクシャを応援したいと心の裡に思う事のみがその掟であった。
とあるドクシャの者は、困窮に喘ぐサクシャにそっとポイント銅貨を与えた。
またある者は、サクシャの行いの正しさに賛同しようと温かく声を掛けた。
サクシャが心ない者に詰られればそれとなく庇い、道を違えそうになった時はそれを正した。
一見するとささやかにも思えるこれらの行いは、サクシャの心を強く支えた。
「こんなぼくを応援してくれる人がいる。ぼくの行いを、良いと言ってくれる人がいる。これほど心強いことが他にあるだろうか」
サクシャが旅を続けるに連れ、ドクシャの規模は少しずつ大きくなっていった。
彼はドクシャの期待を裏切らぬようにと戦い続け、それが更にドクシャの数を伸ばした。
サクシャが救いたかった人達。魔王テンプレートに虐げられし数多の人々という形を持たぬ虚像が、ドクシャという確かな実体を得た。
それが彼に勇気を与えた。苛烈な敵や自らの弱さに打ち勝つ心の強さと、守るべきドクシャを手に入れたサクシャは、飛躍的に実力を伸ばしていった。
応援してくれる人のために、魔王の手先を次々と倒し、さらなる強さを得る。
サクシャの為のドクシャは、いつしかドクシャの為のサクシャになっていた。
旅を続けて国を巡り、最初は弱かった彼も確かな実力を身につけた。
この国を出れば、次はいよいよ目的地であるハイファン国だ。
これまで以上に厳しい戦いが待っているだろう。しかしサクシャの胸に恐れはなかった。
どれほど敵が強大でも、やるべきことは今までと何も変わらない。自分が良いと思った行いを成す。ただそれだけだ。
テンプレートに抗うサクシャの名は、既に広く知れ渡っている。ハイファン国の住人の中にもドクシャはいるだろう。ならば何も恐れることはない。
そしてハイファン国へ続く最後の道に足を踏み出した時、奇跡が起こった。
まるで彼を祝福するかのように辺り一帯が光り輝き、天からは一条の荘厳な光が降り注ぐ。
目を焼くような眩さを、きつく目を閉じてやり過ごす。光が収まった後、おそるおそる目を開けた彼が見たものは、この世ならざる美しさを持つ存在だった。
自然と跪き頭を垂れたサクシャに、威容と慈愛の篭った声が降り注いだ。
「サクシャよ。私はこの世の生を司る光の神、ヒンドです。其方の活躍は天上より覧じていました」
サクシャは顔を伏せたまま驚愕に目を見開いた。その存在が名乗った御名は、サクシャにとってあまりにも大きすぎるものだった。
この世で最も尊き神とされる一柱、光神ヒンド。
この神は、特にヨミセン族が篤い信奉を捧げることが広く知られている。サクシャもかつてヨミセン族にいた頃に、一族の皆と共に崇め奉っていた。
もしやヨミセン族を抜け出た自分を叱責しにおいでになったのだろうか。
サクシャは急ぎ平伏し、地面に頭を擦りつけた。
「頭を上げなさい、サクシャよ。人の世を案じて起こした其方の行動、何も恥じることなどありません」
「ははーっ!」
おそるおそる顔を上げたサクシャが目にしたのは、柔らかな慈愛を湛えた光神ヒンドの微笑みであった。
「よくぞここまで戦い抜きました。世を憂い、身を砕きながらも大義を曲げず、弱きを助け、決して驕らず、その身を以って道を示すその在り様。勇ある者と呼ぶに相応しい、まことに尊い行いです」
「勿体無き、お言葉……」
サクシャは気が付けば滂沱の涙を流していた。
「この者サクシャが勇者であると、光神ヒンドが認めます」
光神ヒンドが高らかにそう宣言した途端、サクシャの体が黄金色に光り輝いた。心が温かなもので満ち溢れ、胸が熱くなる。
やがて自分の内側から何かが溢れ出てきたのを感じた。
体から零れ出たそれは、目の前で形を成して二つの武具と一つの宝玉になった。困惑の表情を浮かべるサクシャに、光神ヒンドが声をかける。
「それらは勇者となった者が手にする三種の神器。その生き様によって培われた、其方の力の結晶。誇りなさい。其方の身より出でしそれらの神器は、与えられたものではなく築き上げたもの。其方が育んで手に入れた、其方の一部。使い方は、既に知っているはずです」
光神ヒンドはそう言い残し、徐々に姿を薄れさせてサクシャの前を去った。
サクシャは、残された三つの神器に触れた。
「これが旅を通して手に入れた、ぼくの力……」
手を触れると、神器は再びサクシャの身の内に戻った。
そして彼は血気盛んにハイファン国へと乗り込んだ。魔王テンプレートと繋がりの深い、悪名高きハイファン国。いつ、どこからどのような攻撃を受けるか分からない。そう身構えていたサクシャであったが、門をくぐった彼に浴びせられたのは住人からの喝采の声であった。
「ようこそ、ハイファン国へ!」
「アンタがここに来るのを、みんな首を長くして待ってたんだぜ!」
「ここではどんな活躍を見せてくれるんだ!?」
サクシャは混乱した。
これはどういうことか。魔王のお膝元と言われるこの場所で、打倒テンプレートを掲げる自分がなぜ歓迎されているのか。これではまるで……。
サクシャは混乱する頭を振って思考を切り替えた。
大丈夫。やるべきことは変わらない。今まで通りテンプレートの手先を倒し続けていれば、いずれ魔王へとたどり着けるだろう。
サクシャはこれまで通りに魔王の手先との戦いを繰り広げる毎日を送った。
戦いはやはり今までで最も過酷なものとなった。
ハイファン国は大きい。人口も今までの国の中で最大数を誇る。その分テンプレートに付き従う者も多く、来る日も来る日も戦いに明け暮れた。
しかしドクシャとなる者もこれまでで一番多く、数え切れないほどの励みを貰った。しばらくして、サクシャは気づいた。
「そうか、ハイファン国に来た時から感じていた違和感の正体が分かったぞ。ここはぼくが思っていたような魔王の根城ではなかったんだ。今までの国と変わらない、ただの大きな普通の国なんだ」
では、魔王テンプレートはどこにいるのだろう。ここにいないとするなら、サクシャにはもう当てがなかった。
途方にくれる彼に、何者かが声を掛けた。
「魔王テンプレートに会いたいかい?」
サクシャは自分の背後、すぐ近くから聞こえたその声に驚いて振り返った。百戦錬磨のサクシャをして、いつの間にここまで近づかれていたのか全く分からなかった。
「おまえは何者だ!」
「おっと、驚かせちまったかい? そいつは悪かった。こっそりと人に近づくのが癖になってるんだ」
只ならぬ異様な風貌をしているその男は、悪びれもせずにそう言って笑った。
サクシャは気を引き締めた。目の前の男からは、人の身からは決して発し得ない不吉な凄みを感じる。まさかこの男が魔王テンプレートなのだろうか。警戒を深めるサクシャとは対照的に、男は軽薄な口調で言葉を発した。
「俺は世界の死を司る闇の神。聞いたことくらいはあるだろう?」
「……!」
男は魔王テンプレートではなかった。しかしサクシャはそのことよりも男が名乗ったその肩書きに驚愕した。
闇の神。光神ヒンドと対を成す一柱。
ナローにおいて悪名高きこの神を知らない者など、生まれて間もない赤子くらいのものであろう。
「……暗黒神エタール……ッ!」
それは人々に滅びと絶望を齎すと伝えられる神。過去、数多くのヨミセン族を深い絶望に叩き落したとされる悪神。
ヨミセン族出身であるサクシャは怒りを堪えることができなかった。
「エタールッ! おまえの所為で一体何人の人々が……!」
「おいおい、それはお門違いってもんだぜ。俺は確かに滅びを与えるが、それは同時に休息でもある。多くの人が絶望するかもしれないが、それで救われる一人は確かに存在する。俺は誰にも望まれないことはしない。恨まれるとしたら俺を望んだ奴か、あるいは望まざるを得ないほどにそいつを追い詰めた何かであるべきだ」
「詭弁を……!」
この神に言いたいことはまだ沢山あったが、それは今追求してもどうにもならないことでもある。サクシャはなんとか怒りを抑えて暗黒神エタールに問いかけた。
「……それで、その暗黒神エタールがぼくに何の用だ」
「最初に言っただろう。魔王の元へ連れて行ってやろうか?」
「……何が狙いだッ!」
この神は信用ならない。どんな罠が待っているやら分かったものではない。
「さっきもチラッと言ったが、俺は一人で戦ってる奴の味方なのさ。お前も含めてな。だからその望みを叶えてやろうと思って来ただけさ。裏なんかないとも」
「……本当だろうな」
「あぁ、神は嘘を吐かない。尤もお前の望みを叶えた結果どうなるか、なんてのは俺の知ったことではないがな。俺は強制しない。全てはお前次第だ。自信が無いならやめとくのも手さ」
自信ならばあった。それにこれを断ったとしても他に手などは持っていない。
「いいだろう。ぼくを魔王の元に連れて行け」
「よしきた」
暗黒神エタールはそう言って軽く指を弾いた。サクシャの前の空間が歪み、大きな黒い穴が出現する。
「その穴を潜れば、そこはもう魔王の居城さ」
「分かった」
サクシャは迷いなくその穴に向かい、潜る直前にちらりとエタールに目を向けた。
気安くも妖しげな笑みを浮かべた暗黒神エタールは、正面から真直ぐにこちらを見据えていた。そしてこちらに呼びかける。
「なぁ、サクシャよ。一人で戦うのに疲れたらいつでも俺を呼べ。そうすれば安らぎと休息をすぐにでも与えてやるぞ」
サクシャがそれに言葉を返すことはなかった。
穴を潜って出た場所は、確かにどこかの城の一室と思える場所だった。
しかしあまりに殺風景だ。調度品はおろか家具の一つも置いていない。
そのため、一人で部屋に佇んでいた先客の姿はよく目立った。
この世界では珍しい黒髪黒目のその少年は、身に纏う外套までもが真っ黒だった。年の頃は十七歳前後といったところで、サクシャよりも若く見える。やや華奢な体つきをしており、顔は平凡で別段整っているというわけでもない。
どういう訳かサクシャはその姿を目にした瞬間に確信を得たが、敢えてこの少年に問いかけた。
「おまえが魔王テンプレートか?」
少年はため息を一つ吐いてからこの問いかけに応えた。
「やれやれ。人に名前を尋ねる時は自分から名乗る。そんな当然の事をお母さんから教わらなかったらしい」
その返答が何よりの証拠だった。間違いない。こいつが魔王テンプレートだ。
サクシャは胸に手を当てて三種の神器を呼び出し、少年を睨み付ける。
「ぼくはサクシャ。光神ヒンドの加護を受け、この世に自由と公正を齎すために魔王テンプレートを殺しに来た光の勇者だ!」
「あぁまた面倒そうな奴が来た……。はぁ、なんでおればっかりこんな目に……。魔王になったのだって、ただの成り行きだっていうのに」
「…………」
サクシャは静かな表情で徐に鞘から剣を引き抜き、ゆっくりと切先を魔王へと向けた。
「この短時間の間に、おまえを嫌う理由が新たに三つもできたぞ。
まず一つ、筋を通さないから。おまえの言に従いぼくは名乗った。ならば自分の言に従って、おまえもきちんと名乗るのが筋だ。
そしてもう一つ、無責任だから。なにが成り行きだ。おまえが世界を滅茶苦茶にしたからこその現状だろう。
そして最後の一つ、人と向き合わないから。言葉は目の前の人に向けるものだ。さっきからおまえは一体誰に喋ってるんだ」
鋭く睨み付けるサクシャに応じるように、テンプレートも腰に佩いた剣をゆっくり抜いた。刀身はやはり漆黒であり、弧を描くような反りがついた細身の剣。サクシャの見たことのない不思議な武器であった。
テンプレートはその武器を正眼に構えて口を開いた。
「いやいや、命を奪いに来た相手に何故礼を尽くさにゃならんのだ」
「そういう所が気に食わないんだよっ!!!」
サクシャは弾かれたように斬りかかった。力の限りに振り下ろされた剣を、テンプレートが受けとめる。
「はぁ、やれやれ。結局こうなるのか。おれはただ平穏無事に暮らしたいだけだというのに……」
「どの口が言うっ!」
勇者と魔王が剣戟を交わす。サクシャの中に避けるや退くといった選択肢は存在しない。テンプレートの方もそれは同じだったらしく、二人は足を止めて幾度も全力で剣をぶつけ合った。
初めは互角だった打ち合いも、一合重ねる毎に魔王が一歩退き、勇者がそれを追いすがるようになる。
「ちょっ、うおっ、なんだこの力は」
「旅の中で、おまえを倒すためだけに磨いた力だ!」
三種の神器の一つ、サクシャの首に掛けられた勾玉が光を放ち始めた。
明るい緑に輝くそれは、聖晶ヒツリョク。それが象徴するのは、サクシャの基礎能力。日々戦いに明け暮れる中で身につけた瞬発力や持久力、判断力に洞察力。
ヒツリョクはサクシャの基礎にして奥義。
ヒツリョクの高ぶりを得て、サクシャの能力が一段階上昇する。
「積み重ねた日々の重みこそが、ぼくの力だ!」
サクシャの叫びと共に振り切られた一撃が、魔王を大きく吹き飛ばした。
魔王の体が石造りの壁に激突してこれを崩し、砕けた破片に埋もれる。
やがてがらがらと音を立てながら立ち上がった魔王の頭からは、真っ赤な血が流れていた。
「……仕方ない、使うか。はぁ、あの技は疲れるから出来るだけ使いたくなかったんだけど」
そう言うと魔王は高々と剣を掲げ、小さく呟いた。
「最新化」
魔王の体から黒い蒸気のような力の本源が激しく吹き出て、その身を隠す。
溢れ出した黒い力は、魔王が掲げた剣に吸い込まれるようにしてその勢いを収めた。
再び姿を現した魔王テンプレートは、先ほどまでとは異なる雰囲気を纏っていた。
だらしなく曲がっていた背筋は真直ぐに伸び、眠そうだった半眼を見開いて爛々とした自信を宿している。あらゆるものを小馬鹿にしたような態度は消え失せ、今は人の好さそうな微笑みを浮かべている。
サクシャはいきなり雰囲気を変えた魔王と、その掲げる異様なまでに力の凝縮した剣に戸惑いを顕にして尋ねた。
「なんだこれは……? おまえ、一体何をした!」
魔王は驚いたように目を瞬かせ、こともなげに答えた。
「え? 進化だけど……。もしかしてこれって驚くようなことだった? ……皆普通にやってるのかと思ってた」
サクシャは目を細めた。理屈ではなく、本能で確信した。纏う雰囲気は変わっても、こいつはやはり魔王テンプレートに間違いない。
「おまえはいちいち癇に障らないと会話でき……っ」
魔王はサクシャの発言を遮るように剣の切先をこちらに向けると、弓を引き絞るように突きの構えをとった。
「壁にぶつけられたお返しだよ。せっかくだから新技を試させてもらおうかな」
言うと、魔王は途方も無い力が込められた剣を鋭く前へと押し込んだ。
「人格否定!!」
剣に込められた膨大な力が解き放たれ、凄まじい勢いでサクシャに襲い掛かる。
サクシャは左腕に装着していた盾でこれを受け止めた。しかし威力は絶大であり、盾にはすぐに皹が入る。
「あっちゃぁー……。またやりすぎちゃったみたいだ。これじゃあまた皆に怒られちゃうな」
サクシャは魔王の発言を無視し、弾かれそうになる左腕を全力で支えた。
「この程度で、砕かれてたまるかっ!」
サクシャの盾が鏡面の輝きを帯び、光を発し始めた。
力強い光を放つこの盾こそが、サクシャの持つ二つ目の神器。
決して前向きなものではない、戦いに不慣れなサクシャが育まざるを得なかった、護身の力。傷を負いながら、しかし新たな戦いを恐れることのなかったサクシャが手に入れた、勇敢な力。
その名は聖盾メンタル。
荒れ狂うヘイト・ボーゲンに晒されながらも、強度を上げたメンタルは砕けはしなかった。やがて魔王の攻撃が止み、ボロボロになりながらもしっかりと地に足を踏みしめるサクシャが姿を現す。
「そんな、あれを耐え切るなんて……!?」
「おまえを排除して、ぼくは理想郷を取り戻すんだ」
もはや魔王の言葉はサクシャに届いていない。
サクシャは軋む体で剣を掲げた。
三種の神器の最後の一つ。
聖剣オリジナリティ。サクシャにとっての一番の武器。
オリジナリティはテンプレートの黒い姿をかき消すほどに強く輝いた。
「ぼくの、勝ちだ」
サクシャの人生そのものと言える程の美しい輝きを、魔王テンプレートは躱すことが出来なかった。
自身の胸の中心に深々と突き立った聖剣オリジナリティに目を落とし、魔王テンプレートは血と共に言葉を吐き出した。
「……おれの、負けだ。知らなかった。こんな強さがあったなんて。……なぁ、サクシャよ、答えてくれ。おれはおれなりにナローを良くしようとしていたと言ったら、おまえは笑うか? おまえから見たおれは、最初から最後まで間違え続けていたのか?」
サクシャは黙って吐き出される言葉を聞いた。テンプレートは憑き物が落ちたかのような顔で朗らかに笑った。
「でも安心してくれ。次はもっとうまくやろう」
「……なに?」
魔王は胸から生える聖剣を掴んではっきりと呟いた。
「最新化」
突如、瀕死だったはずのテンプレートの全身から黒い力の奔流が湧き出し、聖剣へと流れ込む。
一片のくすみも無い白銀の輝きを誇っていたオリジナリティは、見る見るうちにテンプレートの黒に染まっていった。
「どういうことだ!? なにが起こっている!」
黒の奔流が収まったあと、胸に刺さっていた剣が徐に引き抜かれた。その動きに誘導されるように目線を上げたサクシャが目にしたものは――。
「……ぼく?」
――サクシャの顔で小さく微笑む、魔王テンプレートだった。
「そうだよ。おめでとう。きみの行いは世界を変えた。これからはぼくが新しいテンプレートだ」
「う、うわぁあああああああああああああ!!!」
◇
「サクシャ」という青年の英雄譚はここで終わっている。彼の冒険は結果的にテンプレートに更なる強さを与えるだけに終わってしまったが、その行動が無駄だったわけでは決してない。
彼はその冒険の中で沢山の人の心を動かし、道を示して勇気を与えた。
彼の意思を継いだ第二第三の勇者は、いずれ必ず現れるだろう。
魔王テンプレートとは、進化を重ねる概念。鍛え上げた剣で倒しても、その剣を我が物として永遠に復活を果たす、呪われた存在。
これからも数々の勇者を吸収し続け、より強く、より多様になってゆくだろう。
しかし魔王も決して無限に成長を続けるわけではない。
あらゆる勇者を取り込んで、複雑性を増しすぎたテンプレートという概念が、或いは汎用性を増しすぎたテンプレートという概念が、意味を成さなくなる日は必ず来る。
跡に続く勇者が途絶えない限り。
この英雄譚は続いてゆく。