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アリシィ・デイズ  作者: フォルト
第一話 変わらぬように変わりながら
2/4

002

「南條碧くんって言うのね。よろしく、あたしは堀北浮世」


 半ば強引に連れてこられたのは、歩いて数歩の距離にあった彼女の家だった。


(なぜこんなことに……)


 まあぶつかったのは彼女からだし、ずぶ濡れにはなったけど、僕もあと十分も歩けば家に辿り着いたわけで。わざわざ初対面の女の子の家に上げてもらうなんてそんな、好意を利用するような行為を、ねえ。

 あの後彼女は自身と僕の身に起こったことを数秒かけて理解し、すごい勢いで謝罪してきた。まあパック牛乳こそだめになったが、別に濡れた服くらい乾かせばいいし、お互い怪我をしていないのならそれでよかったと言うべきなのだ。


 彼女は僕を家まで連行すると、玄関に待たせてリビングへ引っ込んでしまった。

 何をしているのか……と思ったら、救急セットらしき箱を抱えて戻ってくる。


「え、怪我してないけど」

「いいからじっとして」


 そう言うなり彼女はガーゼと綿棒を取り出し、ぐいっとその整った顔を近づけてきた。


「ちょ、近」

「動かないの」


 何やら僕の額に綿布を押し当て、消毒液をかける堀北浮世。

 正直、素直に可愛かった。

 整った目鼻立ちにくりっとした目をしており、濡れそぼり額に張り付いた髪が得も言われぬ色っぽさを醸し出している。というか、いい匂いがする。ツンとせず自然ながら甘くそして痺れる、リンゴのような甘酸っぱい匂いだった。

 年は僕と同じ高校生くらいだろうか、しかしその雰囲気は僕より数段大人びていた。


「いてっ」


 ふと額に痛みを感じる。なるほど、頭に怪我をしていたのか。気づかなかった。


「……はい、おしまい」


 少しの間その距離に見惚れていると、やがて彼女は顔を離した。


「ほんとごめんね。シャワー使っていいから、とりあえず体流してきて」

「いやいやそんな、僕も家すぐそこだし、着替えもないから……」


 さすがに見ず知らずの女の子の家でシャワーを借りるなんて前代未聞な。

 しかし彼女は引かず、靴を脱いで上がるよう促してくる。


「そのままだと風邪引いちゃうし恥ずかしいでしょ。着替えはお父さんの貸してあげるから、とにかく上がって」


 でもせめてレディーファーストだろうと、未だ服が張り付いて目のやり場に困る彼女を促すが、問答無用で洗面所に叩き込まれてしまった。

 断れない自分が悪い、と渋々服を脱ぐ。

 残り一枚に手をかけた刹那、突然ガラッと引き戸が開かれた。


「はい、着替えここに置いと――きゃぁっ」


 僕が唖然としている間に、再びピシャッと扉が閉められた。

 いやいや、ラッキースケベなら逆なんじゃないの。 ……って、彼女にとってはアンラッキースケベか?


 その後シャワーで体を洗い流していると、もう入った? と声が聞こえてきた。

 入ってるよ、と答えるとガラガラと戸の開く音がし、すりガラスに人影が写る。


「ごめんごめん、あたしも体拭くから、ちょっと借りるね」


 そうくぐもった声が言うと、んっ、という息遣いと濡れた服の軋む音が、扉の向こうから聞こえてきた。

 シルエットはだんだんと肌色になり、やがてその魅力的な――


「あ、扉開けたりしないでね?」


 ――いかんいかん! 危うく理性だけ現世から飛び立ってしまうところだった。……っていうか、いくらすりガラス越しとは言え、さすがに無頓着過ぎじゃ……。


 その後なんとか振り向きたくなる衝動を堪え、タオルが肌を拭く衣擦れの音に脳みそを支配されながら、やっとのことでシャワーを浴び終えた。

 交代で彼女が入る時、お茶淹れといたからよかったらリビングで待ってる? と聞かれて、その笑顔に先ほどのシルエットがよぎりつつ静かに頷くことしかできなかったのは、どうか許して欲しい。


   *


 リビングで麦茶を舐めつつ待っていると、ドタドタと階段を駆け下りる足音がした。

 扉を勢い良く開いて飛び込んできたのは、小学生くらいの男の子二人。彼女の弟たちだろう。彼らは椅子に座ってくつろぐ僕を認めると、問いかけてくる。


「ねーちゃんの彼氏?」

「違う違う」


 事情を説明しようと思ったが、寝ぼけて転び川に落ちたなどという醜態を勝手に話すのもどうかと思い、開きかけた口を閉じる。

 すると「やっぱ彼氏だー」「彼氏彼氏ー」と楽しそうに叫びながら、二人は階段を上がっていった。

 入れ違いで、その姉である堀北浮世が入ってくる。


「堀北さん、さっき弟くんたちが来てさ、彼氏とかなんとか……」


 勘違いされたままなのもよくないし、訂正は姉に頼んでおこう。まったくいつも、と言うように嘆息し、彼女は向かいに腰掛けた。

 しかし、風呂上がりの彼女はやはり意識してしまう。そういえばもう用は済ませたのだから待つ必要はなかったのに、これからどうするのか考えてなかった。

 何とも言えない時間に心臓を高鳴らせていると、彼女が口を開いた。


「南條くんって、この辺に住んでるって言ってたよね。もしかして一中出身?」


 なんだかんだすぐ近くに住んでいることもあって、その後少し地元トークが弾む。小学校は別、中学は同じだったようだ。


「そうだ、結局買い物袋……」

「仕方ないよ、自分のせいだもん。それより南條くんの飲み物こぼしちゃって……」


 また謝られそうな雰囲気だったので、慌てて遮った。


「いいって。代わりに麦茶もらってるし、手当もしてもらってシャワーも服も借りて、むしろこっちがありがとう」


 口早にそう言うと、何かがおかしかったのか、彼女は口に手を当てて頬を緩めた。切りそろえた前髪と、肩にかかるきれいな黒髪が、嬉しさを表すように揺れる。


「面白いね、南條くんって」


 そんなことはない。むしろ面白くない部類だと思う。


「あーえと……とりあえず一息ついたし、そろそろお暇しようかな」


 そう伝えると、彼女もハッとしたように立ち上がる。


「あ、あたしも用事あるんだった」


 その後改めてお礼をし、堀北家を後にした。

 一応借りた服を返す時にもう一度会うけど、それが終わったらまた他人同士。そう考えると寂しいというか、何かもどかしい。

 共通の趣味とか、交流のきっかけでもあればなあ……と思うが、そんな簡単にはいかず、まして都合のいいような展開もなく、僕らはそれぞれの日常に戻るのだろう。


 小学校は楽しかった。六年間それぞれに思い出があって、六年間それぞれの出会いがあった。中学校も楽しかった。やったことのない部活に精を出し、見たことのない学問に触れて、行ったことのない街まで旅をして、毎日が発見ばかりだった。

 でも、一度見つけてしまったものはもう見知った世界だ。世界は有限で、やがて発見はなくなって、退屈な日常だけが残る。


 手持ち無沙汰に歩いていると、いつの間にか隣町に続く橋の前を通りかかった。帰ろうと思っていたのに、なぜか癖で足が向いてしまったようだ。

 どうせ帰ってもすることがないし、スパイダーは月払いで契約済みだ。そう言えば今日は知り合いが来れる日だったと思い出し、僕は再びコクーンセンターへと向かった。

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