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アリシィ・デイズ  作者: フォルト
第一話 変わらぬように変わりながら
1/4

001

 日常とは、意味への反立である。


 僕たちが暮らす日常。当たり前のように過ごす日々。

 そこには意味なんてなく、価値なんてなく、ただあるのは時間の浪費。


 意味は非日常にこそ宿る。価値のある時間は、変化以外では得られない。

 そうして悩む日々も、彷徨う時間も、すべて無に消えて、そこに残るは無残な生き物。


 僕たちはこの世界に生きていて、現実という世界に生きていて、物理学という世界に生きていて、社会という世界に生きている。


 生きたように死んでいる。

 死んだように生きている。


 意味とは何か?


 日常とは何者か?


 昨日は、明日は、そして今日は、どんな意味を持っていて、どんな価値を紡ぐのだろう。

 日常に意味なんてなく、変化のない今日に価値なんてない。


 求めているのは、価値ある人間。

 疎まれるのは、無価値な人間。


 無価値な存在。


 今日も明日も昨日と同じ、無価値な日常。


   *


 ふっ、と重力が失われたような感覚とともに、僕は目を覚ました。


 そこは青白い蛍光灯で照らされた、半径二メートルほどの狭い空間。

 身体の感覚を取り戻すように伸びをしていると、間もなく正面の白い壁が開いていく。エアコンの強制的な冷気が、汗ばんだ全身に染み渡る。

 ガコン、と四肢を固定していた器具から体を抜いて、ようやく自由になった足で床に降り立った。


「おかえりなさいませ」


 顔を上げると、ごちゃごちゃした機材の詰まったカートを引いたお姉さんが、会釈しながら目の前を通り過ぎていった。

 お疲れさまです、と軽く返事をして、自分が今までこもっていた機械を振り返る。


「コクーン」。

 大きな白い繭の形をした装置は、僕たちをつまらない日常から解き放ち、果てのない冒険へと旅立たせてくれる異世界への門だ。


「……ふぅ」


 スポーツドリンクをあおって一息つき、ウエストポーチを引っ掛けて、僕は機械の繭が立ち並ぶ施設を後にした。


   *


 二〇三〇年、六月。


 夏至も近くなると暑さは本格的になり、建物から出ると冷房に慣れた肌は一気に茹だる。

 ガヤガヤと混み合う人をかいくぐり、近くの軒差しに避難しただけで一苦労。蚊柱のように密集する人々の先には、僕がさっきまでいた施設――コクーンセンターが佇んでいる。

 バーチャルリアリティ、VRと呼ばれる技術は、二〇一六年に市場に登場して以来爆発的に進化を遂げた。

 コクーン……もとい「スパイダー」と呼ばれる製品もその一つ。脳への信号入力によって視覚、聴覚、触覚といった五感を再現し、さらに「体全体を宙吊りにする」ことで制限のない運動を実現。

 外殻であるコクーンはスパイダー機構を支える骨組みの役割を持っており、スパイダー式のVRシステムは新たなゲーム体験の形として世界中へ広まっていた。


(コンビニ寄って帰るか)


 コクーンセンターのある都市部を離れ、自宅のある隣町へ歩く。歩いて三十分、電車も通っているが、なんとなく徒歩で帰るのが常だった。

 科学技術が進歩しても、街の暑さは変わらない。道路を走る車のガス臭さこそなくなったが、未だに自転車が街を走っている。

 立ち寄ったコンビニでコーヒー牛乳とピリピリ君を買い、レジ袋を提げて帰路についた。


 橋を渡る。

 隣町に巨大コクーンセンターが開業してから、もう三年になるか。

 VR体験は日々進化していても、現実世界の日常は昨日と同じ今日、去年と同じ今年を刻んでいた。


(バーチャルリアリティ、実質的に現実と等しい、ねえ……)


 刺激を求めて異世界へ足を運んでも、後に残るのは現実へ返った時の空虚。

 ゲームは所詮ゲームで、現実じゃない。そんなもの四六時中やり込んだ所で、現実で得るものは何もない。それなら将来の夢を膨らませて、学校の勉強や役立ちそうな資格を学んで、自らの社会的価値を高めるべきだ。

 そう思いながらそれでも毎日通ってしまうのは、現実からの逃避なのか、それとも……。

 いつものようにくだらない考え事をしていると、やがて畑が目に入る。ここからあと十分ほど、田舎ではないが開拓がさほど進んでいないベッドタウンが僕の地元だ。


 公園を横目に、入り組んだ路地を進んでいく。

 用水路に沿って歩いていると、向かいから自転車を押してふらふらと歩く女の子が来ていた。

 どこかぼーっと眠たげな目をして、大きなレジ袋が載ったカゴを揺らしている。

 倒れないよな……と思ったが運の尽きか。


「きゃっ!?」


 すれ違う間際、彼女は足をもつれさせたのか、大きく姿勢を崩して用水路へ倒れ込んだ。用水路、否――僕の方へ!


「あぶぅわぁっ!」


 避ける暇もなく、彼女は自転車ごと団子になって迫り来る。

 体が宙に浮き、地球が回転したような錯覚とともに、二人して川へと沈んだ。


「ぷはぁっ」


 なんとか息は確保し、覆い被さる少女を見やる。俯いているが、ぜえはあという息が聞こえる。

 大事には至らなかったようだ――と安心したのもつかの間、今度は跳ね上がった自転車が僕ら向かって落ちてきた!


(見切った!)


 ガシャーン!


 とっさに彼女ごと体を回転させ、ギリギリのところで直撃を免れる。普段運動はしていないけど、スパイダーVRをやっているからか思ったより早く体が動いた。

 体は無事……とはいえひっくり返ったレジ袋は中身が散らばり、卵はパックごと無残に潰れていた。


(って、僕のコーヒー牛乳も……)


 ピリピリ君は道中で平らげたが、牛乳パックは飲みかけだ。甘ったるいコーヒー色の牛乳は、泥水に紛れて流れ出していた。

 まあいいか、パックの一本くらい。

 一息ついていると、「もごもご」という声が水中から聞こえて、慌てて体を起こす。


「ぷはぁっ! はぁ、はぁ」

「ご、ごめん。大丈夫?」


 彼女は水から顔を離すと、濡れた手で前髪をかき上げる。

 しばらく肩で息をした後、顔を上げ、大丈夫と言わんばかりにえへへ、と微笑んでみせた。


 これが、僕と堀北浮世の出会いだった。

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