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青い恋

作者: 短小マン

 クラスメイトに真っ青な肌をした女の子がいた。

 緑川切子という名前の少女で、清楚な黒くて長い髪に切れ長の目、すじの通った鼻に青い肌をしている女の子だ。特に何かの病気をしている訳でもなく、異人の血が混ざっているわけでもない。彼女は純粋な日本人であるが、肌が青い。

 比喩などではなく真っ青だ。

 少し前まで、ペールオレンジのクレヨンには、肌色というラベルが貼られていた。そういう、肌の色を共通とする社会において、青い肌で生きるのは苦労が多い。

 彼女は化け物扱いされた事も少なくなかった。下級生の悪戯小僧どもが肝試しと称し、切子の体に触っていく。そういう遊びが一時期流行った。純粋な物珍しさに好奇心、本能的な排斥衝動によって起こった、とても純真な差別である。悪意がない故に、残酷だ。

 逆に言えばそれぐらい、緑川切子はあからさまな異物だった。子どもの目で一目見て理解出来るほど、彼女は我々と異なっている。肌の色が違う――いや、色が違うことが致命的だった。戦術シミュレーションだって色分けして敵味方を区別する。どんなに人権団体が叫んでも、本能的な分かりやすさは覆せない。

 けれど、彼女はそうした差別に直面しても、一切動じる事はなかった。とても堂々としていた。

「そういう事はしない方が良い。君らの品性が貶められる」

 緑川は悪戯してきた下級生をとっ捕まえて、適切に注意を促した。

 その凜とした姿を切っ掛けにして、僕は緑川切子という女の子が好きになった。


 ある日、教室の隅で、男子同士で好きな子の名前を言う事があった。

 僕は少し迷ってから『青子』と呟いた。青子とは緑川切子のあだ名である。理由は当然肌が青いからだ。本当に、子どもという生き物は情け知らずだ。

 僕の答えに皆は絶句した。それまでクラスでも可愛いと評判の赤松楓や仁川裕恵、大鳥ひらりといった正統派美少女の名前が出る中、いきなり緑川切子という色物が出てきたのだから、皆が絶句するのも仕方のない事だった。

「正気かよ、アイツは青いぜ」

 リーダー格の高梨穰治が呻くように言った。

「でも田沼が好きと言った奴に文句を言われたくないな。少なくとも青子は美人だし」

 高梨が好きと語った田沼咲恵は、顔は可愛いというよりも愛嬌のある方で、いつも近所の男子に混ざって山で遊んでいる女の子だ。とても気のいい奴で僕も好きだが、それは男子の友人に対する好きで、女子に対するものではない。見た目も男の子と変わりなく、赤いランドセルを背負ってなければ、誰も彼女を女の子と認識できない。

「んだとゴラァ! 縊り殺すぞ!」

 自分の事を棚に上げて、高梨は簡単に切れた。

 互いに好きな子を貶し合って、僕らは激しい喧嘩をした。殴り合いにはならなかったけれど、取っ組み合いには発展し、そこそこ大きな騒ぎになった。騒ぎを聞きつけた女子が先生を呼んで、僕と高梨は主犯として職員室に連行された。流石に本当の事は言えなくて、「感情の行き違いがありました」「主義主張のぶつかり合いでエキサイトしてしまいました」などと分かるような分からないような言い訳に終始し、その場で仲直りをさせられた。翌日には、本当に仲直りをした。


 その三日後。帰りの支度をしているとき、僕は緑川切子に声を掛けられた。話が出来るかと聞かれて、僕は「別の場所で」と短く答えた。教室で女子を話しているのを見かけられたら、どんな噂を立てられるかわからない。小学校というのはブロック化された社会で、男子文化圏と女子文化圏はきっちりと分かれている。どんな場所でも異文化コミュニケーションにはリスクが付きまとう。

 僕らは人気のない多目的室前に移動した。そこなら生徒が来る事は滅多にない。

「私の事が好きって本当か?」

 緑川切子は端的に、無駄なく本題に入った。

 なぜ知っているのかと聞こうと思ったが、少し考えれば明白だ。高梨との喧嘩によって、僕が緑川切子を好きなのはクラス中に広まっている。

 僕は好きな女の子に好きであるのかと問われて、顔を真っ赤にした。その顔色でだいたい伝わった筈だけれど、緑川切子はあくまでも僕の口から答えが聞きたいらしい。僕は子犬のような情けない声で告白した。

「…………す、好きだけど、なんか問題でも」

「私のどこが好きなんだ?」

「い、色々と」

「色々じゃ分からない。もし良ければ、君が私をどう好きなのか一個一個教えて欲しい」

 冷徹な科学者の視線をして、緑川切子は残酷な質問をした。顔色を見れば、僕がいっぱいいっぱいなのは解るだろうに、遠慮なく聞いてくる。憎いのは「もし良ければ」と前置きをしている事だ。嫌なら断っても良いのだよ。そう彼女は言っている。それはフェアに聞こえるが別に公平なわけではない。僕には惚れた弱みという奴がある。彼女のことが好きだからできるだけ要求に応えてあげたいという本能を、僕は持ってしまっている。

 弱々しい口振りで、僕は彼女の好きな点を上げていった。なんて羞恥プレイだ。

 まず、僕は彼女の凜々しさを上げた。彼女は肌を理由にからかわれる事がある。けれど、ちっともいじけたところがない。いつも堂々としている。図太いと批判されがちだが、繊細な人間が増えているご時世、神経の太さは美徳に入る。

「じゃあ、私を好きな理由は心の強さか」

「そ、それだけじゃないけど、最初に出るのは心というか性格で」

 次に、僕は緑川切子が綺麗であると客観的に指摘した。造形的に彼女はとても優れている。惚れ惚れするほどの美人である。

「色は、こんな青色だが」

「いや、別に、緑川は美人だし……」

「美人だから青くても良いって事かな」

「いやその、なんていうか」

 僕は注意深く言葉を選びながら、緑川の青い肌が好きだと語った。

「君の、肌は綺麗だと思うんだ」

 美人だから肌の色は気にしないとか、そういう後ろ向きではなくて、その肌の色も好きの理由に入っている。それを伝えると、彼女は少し呆れた顔をした。

「……そんな事を言われたのは、生まれて初めてだ。両親も私の肌を気にするなと言うことはあっても、私の肌を褒めた事なんてなかった」

「そう、なんだ」

「うちの両親は恋愛結婚で仲が良い。けど、父は『肌の色なんて気にならないぐらいお母さんは素晴らしい人だ』って言っているし、母も『肌の色が青くても素敵な人が現れる』と私に言った。二人にとって肌の色は障害で、ネガティブな意味を持っている。勿論、私はそれを批判したいわけじゃない。二人は深く愛し合っているし、私も自然と『大きくなれば肌の色なんて気にせずに私と結婚してくれる人が現れる』と信じていた。だから、君のように、この肌が良いと言ってくれる人なんて、想定していなかったんだ」

 それから僕は、緑川切子の足の速さや計算が得意なところ、それに熱い食べ物が苦手な所為で、給食で汁物が出る度にフーフーと大げさに息を吹きかける仕草など、事細かに好きになった理由を教えた。

 その度に、緑川は頷いた。


「君は、私の事をよく見ている」

 語り終えると、関心するような調子で彼女は言った。あるいは、少し呆れていたのかも知れない。僕は彼女の美点を事細かに語っていたので、すっかり日が暮れていた。児童の帰りを促す鐘が鳴る。

「その上で好きになってくれた。それはとても嬉しいけど、私の方は君の事を殆ど何も知らない。だから、君の好きに今はお返しをする事が出来ない。好きと言われたから好きを返す。私は、そういう当たり前の事が出来ない。だから、今はごめんなさい」

 僕の恥ずかしい告白を受けて、緑川切子は冷静に断った。

 そこには羞恥も焦りもなく、いつもの凜々しい緑川の姿がある。それを聞いて、僕はがっかりするのではなく、納得した。ここで僕の告白を受けて簡単に靡くようでは緑川切子らしくない。そんな思いが少しあった。だから素直に「うん」と頷いた。

「これから私は君の事をよく見るようにする。君がどんな考え方をするか。得意な科目はなにか。熱いものや冷たいものを食べる時、どんな風に食べるのか。色々な事を観察し、その上で私の心がどう変わっていくのか確かめる。そうやって、君の事を知っていって、好きになったら、君のお嫁さんになる。それで良いだろうか?」

 いつも通りの真っ直ぐな顔で、緑川切子は凄い事を言った。

 彼女は僕に譲歩するどころか、こちらの心臓を掴みに来ている。付き合うという段階を超えて、いきなりお嫁さんときたものだ。そんな簡単に人生を決めていいのかと思わなくもないが、これは僕にとっても都合がいい。

 僕は彼女が好きなのだから。

「じゃ、じゃあさ」

「なんだ?」

「もうみんな帰っているし、一緒に帰らないか」

 僕は、緑川切子の青い手を取った。

 すると彼女は「あ」と声を上げた。

 青ざめた空のような色をした綺麗な手は、とても熱かった。全身が紅潮してるからだと気が付いたのは、手を握って少ししてからだ。よく見ると、彼女の肌はいつもと少し色が違う。緑川切子は、全身を紅潮させていた。

「君に告白されてから、ずっとこんな調子だった」

 そっぽを向きながら、緑川は言い訳をするように言う。その、少し恥ずかしげにしている仕草を見て、僕は彼女がもっと好きになった。

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