鬻影石(ひさかげいし)
これは私が中学2年生の頃、実際に体験した話だ。正直言って思い出したくもない話だし、だいぶ昔の事だから事実とは少し違っているかもしれない。なので多少記憶が曖昧な部分があるかもしれないが、アイツを見た時のことだけは大学生になった今でも鮮明に覚えている。信じられないと耳を疑うかもしれないが、どうか聞いて欲しい。
私の通っている中学にはいつからか、ある噂があった。
「学校裏の林には、お札の貼られた岩があって、それを動かすと呪われる」という物だ。
先日、クラスの男子達が10人ほどで林に入り、実際にその岩を見たという。最初は面白半分で竹林に入り、岩を見つけたはいいがあまりの異様な存在感に近付くまでもなく全員が逃げ帰ったそうだ。そんな話を聞いて私の友達の直美が
「じゃあ、アタシたちが行ってくる!」
と言い出した。この時に適当な言い訳を繕って断ってしまえばよかったのに、直美が小鳥の突っつくような勢いで
「鈴音も一緒に来るよね?」
と迫るので、気圧された私は反射的に
「……うん」
と頷いてしまったのだ。
放課後に直美と私はクラスの女子数人を連れて、鬱蒼と茂る竹林の中へと入っていった。重なり合った葉と葉が木漏れ日を遮ってしまうせいで林の中は薄暗く、肌寒かった。林の中は湿った竹の匂いに満ちていて、私たちが落ち葉を踏み鳴らす音以外は鳥の囀りはおろか、風の音すらも聞こえなかった。不気味な静寂と、見通しの悪い濁った空気が包む、道なき道をさまようこと数分。思いのほか簡単に目的の岩に辿り着くことができた。しかし、それを目にした瞬間、私の背筋にゾッと悪寒が走った。他の皆も思わず息を飲んでいるのが聞こえた。林の少し開けた空間に重々しく佇立している岩は、女子中学生と大して変わらない高さだが、見るからに奇怪な装飾が施されていた。所々苔むした青黒い岩肌には、しめ縄が巻かれており、雨風を受けてボロボロになったお札が、まるで岩の中に何かを封じ込めているかのように何枚も貼られていた。遠目に見ているだけでも心臓をチクチクと針で刺されるようで、私はすぐにここから立ち去りたかった。だが、直美はそんな私の胸中を知ってか知らずか
「さぁ、動かすわよ。手伝って
」と岩に近寄って手をかける。他の女子達も恐る恐る直美の傍に駆け寄っていく。私もそれに加わって一緒に岩を一生懸命に押す。すると岩は最初ズズズ動いたかと思うと、音を立てて倒れた。強い振動の後、何が起こるかと身構えていた私だが暫くしても何もないと悟るとホッと肩をなで下ろした。横で直美は
「やっぱり何も起こらないじゃない!こんなのただの迷信よ!」
と得意げに胸を張っていた。
その夜、風呂から上がってドライヤーで髪を乾かしている時に直美から電話があった。と言ってもとても不可解な電話だ。林の中を歩くような足音がスピーカー越しに聞こえた。そして直美の呟くような囁くような声
「ひ……さ……げ……。ひさかげ……、ひ……かげ……」
数秒ほどで電話は切れてしまい、何度も掛け返したが不在メッセージが流れるだけでつながることはなかった。不安を抱えたまま布団に入り、眠りについた私だったがこのあと永遠に脳裏から離れないであろうモノを目の当たりにする。
小さな物音で目が覚めた。時計は2時を回っていた。気のせいだろうと思い私は再び眠りについた。暫くしてまた目が覚めた。時計は2時半を回っていた。押し入れの中からカリカリ……と引っ掻くような音がする。私は布団を頭まで被って寝ようと必死に努めた。しかし、押し入れのふすまを爪で引っ掻くような音は次第に大きくなっていった。暑苦しい布団の中で息を潜めていると、時々
「ゲッ、ゲッ……ゲタゲタ」
と、人が蛙の鳴き真似をしているような声が聞こえた。そして、ふすまが外れる音と共に、四畳半の上を何かが転げまわる音。そのまま何かは布団の周りをぐるぐると回っているようだった。
「ゲテッ!……ゲテッ!」
と奇妙な声を上げながら周りをドタドタ踏み鳴らしている。これだけうるさいとお父さんかお母さんが起きてきそうなものだが一向にその気配は無い。一体どれだけたっただろうか。30分にも思えるし、1時間にも2時間にも思える。いつの間にか騒いでいた何かの声も物音も消えてしまっていた。やっといなくなったと思って、固く閉じていた目をゆっくりと開いた。そこには目があった。ガラス玉のような真っ黒い目が、僅かに持ち上げた布団の隙間から覗き込んでいた。その眼球には私が映りこんでいた。呼吸もせず、まばたきもせずにただジッと私を見つめていた。私と目が合うとそいつは、口元をぐにゃりと歪ませて笑った。長く真っ黒な髪がバサバサと流れる。
「ゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタゲタ」
私は意識を失った。
次の日、学校に行ってすぐ耳に飛び込んできたのは、直美がいなくなったという話だった。家にもいないし学校にも来ていないらしい。警察や町の人たちが大勢で捜索したが結局、直美の消息は掴めずに捜査は打ち切られた。私は直美の失踪を聞いてすぐに近くのお寺に行った。すると住職は、私が口を開く前に私を一目見て堂の奥へと連れて行き、お経を唱えた。そして塩を渡され肌身離さず持っていろと告げられた。最後に一つ話を聞かせてもらった。あの林は元々は鎮守の森だったらしい。森を切り崩して私たちの学校が建てられたというのだ。そして、そこで祀られていたのは「鬻影様」といい、この町を古くから守ってきたと言い伝えられている神様なのだそうだ。最も、今ではそれも忘れられてしまっていて、50年ほど前に町の神主に鎮められて以来、あの岩はずっと放置されたままだったという。
これで私の話は終わりだ。これを読んで信じるか信じないかはあなた次第だ。でも、どうかあの岩にだけは絶対に近付かないで欲しい。
初投稿の2ch系で拙い民話ホラーですが、楽しんで頂けたら幸いです。