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不機嫌な彼女

作者: 山崎空


「もし、お嬢さん」



 そのクソ怪しい呼びかけに振り向いてしまったのには訳がある。


 時間帯は夜が首をもたげる頃。

 逢う魔が時とか大禍時とよばれる時間。沈んだ夕日と薄暗闇。

 普段から人通りが少ない田舎の道には人っ子一人おらず、薄暗いそこには家に帰ろうとしていた私と、街灯の真下に立っている奇妙な男の二人きり。


 ついさっき街灯の横を通った時にはいなかったのに、私が通り過ぎた途端忽然と姿を現した不可思議で怪しい存在。


「もし、お嬢さん」


 もう一度、男が言う。

 声をかけてきたのは、間違いなくそいつだった。



 いつもなら無視するか一目散に逃げるのだが、その日ばかりは声に反応して振り向いてしまった。

 ――あまりにもむしゃくしゃして何かに当り散らしてしまいたかったからだ。


 まあ、よく考えればいくらむしゃくしゃしていても、見るからに怪しそうな相手を標的にするのは間違っている。

 私もこの後つくづくそう思った。


 けれどその時は、本当に、何ていうか、何でもよかった。

 当り散らせるなら何でも、誰でも、何モノでも。


「何よ」


 しかめっ面のまま振り向けば、怪しい男と目が合った。

 なんというか、ぼんやりとしたと表現するのがふさわしい存在だった。

 目の前にいるのにいない。あべこべで不可思議、薄くて遠い、けれどすぐ近くにいるような。

 とにかく怪しい。

 その一言に尽きた。


「何やらとても怒ってる様子。よかったらどうして怒っているのか聞かせてくれないかい?」


 まったくの初対面の、しかも夕暮れ時に街灯の下にぼうっと立つような怪しい男に、そう言われたら普通の、正気な人間はどうするだろう?


 まあ大体逃げ出すだろう。

 薄気味悪い男だと思いながら、さっさと、自分の身のために。


 ところが正気じゃなかった私は、何故だか男の面白がるような口調にカチンときた。

 もともと当り散らしたいほどムカムカしていたので尚更だ。


 ああだったら聞いてもらおうじゃないかこの野郎!!――と喧嘩腰で胸のうちにぐるぐるとぐろを巻いていたイライラを怒声と共にぶちまけた。

 見ず知らずの怪しい男に、詰め寄る勢いで。






 このとき私が怒っていた原因は、ひとえに幼馴染の男にある。

 幼馴染にはさらに別に女の子の幼馴染がいて、この春めでたく付き合い始めたらしい。

 私はその子とは幼馴染ではないので、顔見知り程度の認識しかない。あくまで幼馴染と呼べるのはその子と付き合い始めた男の方だけだ。


 そもそも付き合い始めたことすら私にはどうでもいい事だった。

 幼馴染はあくまで幼馴染というだけで、それ以上も以下もない。私にとってはお隣のヒロ君。それだけだ。

 家族と呼べるほど自分の内側に入れた覚えはないし、せいぜいテスト前に分からないところを教えあうとか、その程度の付き合いだった。


 幼馴染の事なら好みや思考、行動パターンまでバッチリというほど濃い関係でもない。

 友達に毛が生えた程度の認識。

 ――という存在の幼馴染が、バレンタインも数週間過ぎ去ったある日、私をわざわざ駅前の喫茶店まで呼び出して「ミクちゃんと付き合うことにした」と報告したのがそもそもの発端だった。


 は?

 というのがまず最初の感想で。

 次に何でそんなことわざわざ言う必要があるんだろう、と思った。

 とりあえず「あ、そう。よかったね」とだけ言って喫茶店を出て、帰った。

 わざわざ人に報告するとか変な奴、と、その出来事は私の中ではあっさりと終わった。

 ……はずだった。


 ところがどっこい、私以外の人達の中では終わるどころか火がついて走り出したらしい。それに気がつかされたのは、三日ほどたったある日、幼馴染の彼女である茂木美紅に学校からの帰り道呼び止められたからだ。

 剣呑な表情で、嫌悪をまったく隠すことなく私を呼び止めた件の彼女は、開口一番こういった。


『ヒロ君からいい加減離れてください』


 は?

 と思った。聞き間違えかとも。そして、つい最近同じような反応をしたなと考えてから、三度私は「は?」と首を傾げた。

 彼女の言っていることの意味がまるで理解できない。まさに寝耳に水である。


 道行く人はすわ修羅場か?という好奇心いっぱいの視線だけ残して過ぎ去っていく。

 怪訝な顔する私の反応を一体相手がどう取ったのか。

 それから続くは続くは、【自分がいかに彼を大事に思っているか】と【私の存在がどれだけ邪魔か】

 全部真面目に聞くのも馬鹿らしかったのでかいつまんだところ、どうやら彼女の中では、私は幼馴染にべったりくっつくお邪魔虫と化してるようだ。


 酷い言いがかりだった。

 正直に言うとこの女ウゼェが感想だった。


 最初はその誤解をどうにかしようと口を開いてみたものの、全て空ぶったので最終的にはふーんへーへーはーほーそれで?はいはい。で流してしまった私は多分悪くない。

 なんつーか、本当他所でやれ。巻き込むな。


 それからまた絡まれてもウザいので、言われたとおり幼馴染の存在をさくっと無視してたら今度はその幼馴染に呼び止められ、剣呑な目つきで睨まれた。曰く「何で俺を無視するんだ」と。


 思わず目が点になった。

 えー、何それ?! 面倒くさい! と思った私は悪くない。

 あんた達何したいの本当。私関係ないから他所いけよ。


 今まで幼馴染の存在をそこまでウザいとは思わなかったが、その日から心底ウザくなった。おめーの彼女に聞けよっていったら今度はあれだ、その彼女が友達三人引き連れて呼び出してくるし、さらに幼馴染の友達まで出てきてえらい騒ぎになるし。

 幼馴染と彼女の仲は付き合い始めたばかりだというのに険悪になる一方、そして私の存在が悪役として定義されかかるしなんかもういい加減にしてほしい。


 私が一体何をしたって言うんだ?


 そんなこんなで最近常にイライラしていた私が、その日輪をかけてイライラしていたのは、その関連で大事にしていたお守りが川に落ちて流され、なくなってしまったからである。

 いつから持っていたのか覚えていないお守りは、とても大事だった。中に綺麗な瑠璃色の石が入っていてずっと大切に持っていた。

 両親からもらったわけでもなく、祖父母からでもないそれは、誰にもらったのかはたまた自分でどうにかしたのか。

 とにかく大事なことだけは覚えていた。

 なくしていけない、とても大事な――。


 それを、よりにもよってそれを。


 私が幼馴染からもらったもんだと勘違いした馬鹿女に私の携帯から引きちぎられ、川に投げ捨てられた。


 一瞬頭の中が真っ白になったあと、真っ赤になった。

 私は容赦なく相手を殴った。もちろんグーで。

 平手打ちなんかでこの時の私の怒りは収まらなかった。さらに言うならその顔をぼこぼこにして二目と見られないようにしてやっても、恐らく収まらなかった。


 私の大事な大事なっ、あんな馬鹿でウザい幼馴染なんかとは比べようもないほど大事な、お守りをっ、――から貰った、――をっ!!!!


 馬鹿女とその一味は鼻血を出して、泣き喚きながら逃げていった。

 泣きたいのは私の方だ!

 死んじまえ!とその背中に叫んだ。



 とにかく悲しくて悲しくて悔しくてむしゃくしゃしてたまらなかった。

 真っ黒な蛇が私の体の内側でぐるぐるととぐろをまくようだった。

 何かに当り散らさないと、正気に戻れそうになかった。



 ――そうして、そんな状態の私が、例の怪しい男に呼び止められ、話は巻き戻るのである。





 ****





 見ず知らずの男に向かってここしばらく自分の中でとぐろを巻いていた感情をぶちまけ終わると、ぼろり、涙が両目からこぼれた。


 私を巻き込んだ件の馬鹿連中に対する怒りを全て吐き終わると、後に残ったのはお守りがなくなってしまったという、悲しみだけで。


 どうしようもなく、哀しくて。

 大事に、大事にしていたのだ。

 もうあと少しだった。

 あと少しで――。


 ぼろぼろと涙をこぼしながら、私ははっとする。

 その感覚には覚えがあった。

 お守りの事を考えると幾度となく感じる、少しの違和感。


 まるで自分の中の記憶が、一部隠されてるような。


 あと少しでなんだというのだろう?

 そもそもあれはどうして大事だった?

 どうしてなくしてはいけない?

 どうしてそれを知っている?

 あれは、一体、一体どうやって私のものになった?


 疑問は毎回のように次々と浮かんで、すぐに消える。大事だった、どうしようもなく大事にしなくてはいけなかったという、答えにならない答えを前面に押し出して。


 辺りは完全に日が落ち、薄暗闇がいよいよ青い闇に取って代わられていた。

 街灯の光はますます眩しく、その真下にいる男をさらに怪しく見せていた。


 ここは本当に私がよく知る帰り道だろうか。

 そう思うほど、そこは、その場所はどこか異質な感じがした。

 街灯と明かりと男と私。

 まるでそれ以外存在しないような、不自然な。


 私が怒鳴り散らしていた時も、そして涙をぼろぼろこぼしている今も、怪しい男の表情は能面のようにピクリとも変わらない。

 相変わらずぼんやりとした存在のまま、印象に残らない目はどこか面白そうに細められている。


 さっきから穴が開くほど見ているのに、男の顔は記憶に焼きつかない。

 多分このまま別れてしまえば、数秒で男の顔を忘れてしまうだろう。

 やっぱりつくづく怪しい男だった。

 不可解で、理解できなかった。


 そもそもどうして私に声をかけてきたのか、それすらわからない。


 ぼろぼろと涙が零れ落ちる。

 すぐ止まると思ったのに、止まるどころか溢れて次々流れ落ちる。


 哀しい、悲しいと私の心が叫ぶとおりに、血液を涙に変えてぼろぼろこぼす。

 我慢できなくて嗚咽をこぼすと、男の表情がはじめて変わった。


 それは場違いなほどはっきりとした、上機嫌な笑顔。


「馬鹿だねえ」


 怪しい男が言った。

 一体それは誰に対する言葉なのか。

 幼馴染か、勘違い女か、はたまた私か。


「馬鹿だねえ、八重は」


 今度ははっきりと対象を指定した言葉。

 八重。私の名前だ。男に言った覚えのない、私の。


「まあ、でもそうやってお前が泣くと思った、私も相当の馬鹿だけどね」


 ――男が、何を言っているのか理解できない。

 やっぱり目の前の存在は怪しいままで、いや、思った以上に怪しく不可解な存在で。私は、あらためて今すぐ逃げなければいけないと思った。


 けれど足が、動かない。

 伸びてくる男の指先からも逃れない。


 男の指が私の頬に触れて、涙をぬぐった。

 途端、体の底から何かが溢れるような、こみ上げるような何かを感じて全身が粟だった。恐怖とは違う。寒気でもない。もっと焦がれるような、何か。


 それは一体何?


 男の指はすぐに離れて、それを追うように一歩前に踏み出した足は、自分のものなのに自分のものではないようで。


「八重」


 男が私の名を呼ぶだびに、今まで記憶にかけらも印象を残さなかったその顔が、徐々に脳裏に焼きついていく。

 ――いや、違う。


 元々知っていたはずのその顔を、パズルを組み立てるように確かなものにしていく。


「お前の記憶を一つ返そう。さあ思い出してごらん。アレはお前が自分で捨てる以外、なくなりはしないモノだ。お前が望めばすぐに手元に戻ってくる」


 男が人差し指で描いた小さな円の中心から、花びらが一つ落ちて私のすぐ目の前で消えた。途端、男の声がこだまするように私の内側から聞こえてくる。


 ――それはお前のこの先を縛るもの。今ならまだ引き返せる。


 確かに昔聞いたその言葉。

 どうして今まで忘れていたのだろう。

 ああ、それの答えは先ほど男の言葉の中にあったかもしれない。


 願えば、私の未来を縛る。いくつもの道を無理矢理ふさいで、たった一つしか選べなくなる。

 それでもいいのかと昔私に問うたのは、紛れもない目の前の男。

 ああ、嗚呼、この男は、一体何だっただろう?


 私は、それをどうしようもなく思い出したかった。

 だから望んだ。何よりも。

 私は私の手の内に。


 あの大事なお守りが戻ってくるのを。


 私がいらないと思わない限り、それはどこへ消えても戻ってくる。


 そういわれた通り、川に流されてなくなったはずの瑠璃色の石が、忽然と私の手の内に現れた。

 ひんやり冷たいその石は、少し水に濡れていた。


 嗚呼、ああ、と私はまた嗚咽をこぼした。


 大事な大事なその存在に。

 もう頭の中には、幼馴染の事もその彼女の事も、ここ最近のごたごたもなかった。

 あるのは大事な石と、目の前の男。


「八重」


 また男が私を呼んだ。

 もう男の存在は、ぼんやりとしていなかった。

 確かに目の前にいて、今、私のすぐ傍に立っていた。

 私は片手で石を握り締めながら、差し出された男の手にすがるようにもう片方の手を重ねた。

 そのまま強く手を引かれて、私の体は男の両腕の中に飛び込んだ。


「もういいよ。わかったでしょう?」


 何がいいのだろう? 何が分かったのだろう?

 自分でも何を言っているのかよく分からない。

 でもそれは、記憶がないからだ。

 他ならぬ目の前の男に、記憶を預けてしまったからだ。

 石に関する記憶と一緒に思い出したそれに、私は泣き笑う。

 それが男の思惑通りでもかまわない。そう、かまわないととうの昔に私は決めたのだ。


「記憶を、全部返して。もうあなたを、忘れているのは嫌」


 私がそういうと男はますます鮮やかに笑う。

 そうして言う。


「馬鹿だねえ八重は」

「……あなたもね」


 言い返すと男は少し目を見開いて、笑顔のまま違いないとつぶやいた。


「私も、もう待つのは嫌だ」


 ぎゅうっと男の両手が私を抱きしめた途端、ひらり、ひらりと花びらが次々降っては私の傍で消えた。

 記憶が、次から次へと花が咲くように脳裏に広がっていく。


 初めて会った時の事。

 男が一体何であったのか。

 そして私が彼と交わした、綱渡りのような約束。


 小さな子供だったというのに、当時の私は本当に彼が大好きだった。その頃既に、それが家族や友達に対する好きという感情とは違うと気がついていた。

 なんということだ。マセガキにも程がある。


 そう彼が人間じゃなくても全然かまわないというほど、自分の人生をあげてもいいというほど好きだったのだから。


 選択肢をもらっても、結局私は一番最初に選んだ答え以外は選ばなかった。


 私は、手の内に握った瑠璃色の石を――何よりも大事な目の前の彼の命の欠片を、強く握り締めた。


 彼の事を忘れた私が、この石を捨ててしまったら、それで御終いだった。

 そうしたら食い殺してやると当時言われたけれど、多分優しい彼のことだ、私は忘れたまま普通に人間として生きて、死んだだろう。

 二十歳までこの石を捨てず、大事に持ち続けたら、私を迎えに来てくれる。そう約束した。


 目の前の男と――目の前の、私の大好きな、臆病で優しい『琥桜』と。


「もう、逃がしてやれない」

「うん」

「人ではなくなる」

「うん」

「だからずっと、一緒だ八重」

「うん、一緒」


 琥桜が言った。私が頷いた。

 彼は笑っているのに少し泣いてるみたいだった。優しい妖は私が人ではない存在になることを悲しんでくれる。それ以上に喜んでくれる。それが嬉しくて、私の血液はまた少し涙にかわる。


 私も泣き笑いだからお揃いねと言ったら、私を抱く力がきゅうっと強くなった。



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