第2話 代価と炎、抗う覚悟
私共のサイト用に、半年ほど前に執筆した作品です(サイトでは第3話になっています)
仲間への信頼と、チームプレイをテーマに執筆してみました。
ここはカフェである。小腹の空いた者たちが集う16時のカフェである。だがここで、ノブの口から発された料理が美味いのか不美味いのか、それを想像・検討した者は誰もいなかった。
「こんぺいとう醤油フライが、ですか?」
ある種グルメな聞き間違いを犯したバーテンダーのノブに、対面する3名が次々と言葉を返す。無論、料理の想像ではない。
「『コンペンセーション・フレイヤ』よ、いま食べ物の話なんてしてないでしょ!」と言ったのは、ウェイトレスのキー。
「悔しい! ノブ美味しい! ベルもボケたい!」と悔しがったのは、パティシエのベル。
「はい、通称『炎熱魔』。魔界の炎を纏った精霊のことです」
最後に返したのは、cafeアンタッチドアの常連客、森川洋太である。
キーとベルが驚き、ノブが美味しくトボけたのは、森川洋太がコンペンセーション・フレイヤに遭遇したと言ったからだ。
「すごくレアよぅ! 炎熱魔見たなんて。サインは? サインはもらった?」
炎熱魔のサインはベルでなくても見たいであろうが、
「重要なのはサインじゃなくて、見たということはつまり、契約したということかしら」
キーは生真面目にベルに挑みつつ会話を構成していく。
「契約したのは聖奈、恋人です。だから僕は、どうしても……」
「美しいベル様の奴隷になりたくて……」
言葉を奪われて困惑した顔の洋太と対照的に、満足気な顔のベル。
15時25分に森川洋太はcafeアンタッチドアにやって来た。普段は木曜に来店するのだが、今日は水曜であり、キー、ベル、ノブは珍しいと思った。さらに珍しいのは、洋太の好物である、ベル作の「ブルーベリーとレアチーズのムース」をすぐに手を付けなかったこと。そして極めつけは、普段大らかに微笑んでいる洋太が、木製のカウンターに鎮座する、ベル渾身の作品を見つめたまま難しい顔をしていたことだ。気になったキーが尋ねたところ、コンペンセーション・フレイヤという単語が登場した、という経緯である。
「美しいベル様少々よろしいですか? 情報の外に放られている私の為に、その珍精霊の説明を切望します。私は千のカクテルと万の男性を知っていますが、その醤油フライを存じておりませんので」
カウンターの内側から依頼するノブに、ベルは大きく頷く。
「わかったわ、ここはノブの為にサービスしちゃうわよ。じゃキー、説明お願いね」
「説明を振られるのは想定内よ。いいノブ、炎熱魔はね」振ったベルを見ることなくキーは説明を始めた。
コンペンセーション・フレイヤは炎の精霊。精霊だが魔界の炎を纏っており、また通称に「魔」が付いていることからもわかるように、気質は残虐で悪徳。高位の召喚師による召喚か、深い悩みを持った人間の思念を媒介にして実界に現れ、最大で5つの願い事を聞く。その願いを叶える代償として、炎熱魔は1つめの願いを叶えたとき、契約者の右腕を焼き尽くす。2つめの願いの代償は左腕、次に右脚、左脚、最後は頭部。
願いを叶えるのは契約から2日後。返答を聞きくために契約した場所に現れる。炎熱魔の「代価を払うのは誰か」の問いに「望むなら、私の五体を捧ぐ」と返答した者が焼かれる運命となる。5つの願いを望むことは、当然自らの死を招くことになるため、ほとんどの契約者は1つから4つまでの願いを提示する。しかし3、4つの願いであっても、多くの者はショックで絶命する。
「なるほど。キーさん、ありがとうございました。その炎熱魔と恋人の聖奈さんが契約したと」
話の腰を折った侘びとばかりに、ノブが洋太に話を振る。
「浮気よ浮気! 森ボーイというダーリンがいながら、ワルに憧れちゃって!」
話の腰を折るベル。
「契約が浮気ならレンタルDVDショップに入会もできないわね。聖奈さんはなぜ契約を?」
折れた話を丁寧に治療するキー。
洋太の恋人、聖奈の両親は都内に小さな工場を経営していたが、借金を抱えたまま倒産、そのまま蒸発した。その支払いを聖奈が背負っているのだという。悩んでいる聖奈の前にコンペンセーション・フレイヤが現れ、負債の返済を目的に契約した。
「そのとき僕もいたのですが、恐怖で何もできなかった。だから僕は聖奈の身代わりになるつもりです、時間は今日の17時」
今日、洋太がcafeアンタッチドアを訪れたのは、腕を失う前に、自らの手でベル作の甘味を食するためだった。右腕にとっては最後の晩餐である。
「聖奈、セナさんですか。とても神々しい名前ですね。肌は陶器のように白く、栗色のロングヘアー、でしょうか?」美しい女性、または男性を想像するノブは常に楽しそうである。
「だからって、森川さんが犠牲になることはないでしょう」
洋太のグラスに水を注ぎながら、話のテーマを現実に還すキー。生真面目な彼女は常にこの作業に忙しい。
「いえ、これしか方法はないんです、これしか」
キーは洋太が見せた借用書に触れ、自身の能力であるサイコメトリーを使用した。キーが見たのは、聖奈に内緒で夜逃げの準備を進める両親である、洋太の話に嘘はない。
「さてさて、常連様のピンチですよ、キーさん」
ノブは微笑みながら言う。
「名は心を映す!森ボーイの広い心に乾杯ね」
ベルはワクワクしながら言う。
両者の言葉を聞くまでもない、という顔で洋太を見つめていたキーは、彼の鼻先に向けて右腕を伸ばす。人差し指が親指とL字型を形成している。洋太は責められると思い身構えるが、その後キーは微笑み、突き出した腕を90度右に捻り
「lock the request in solid-door!」
状況を把握できない洋太は身構えたままだ。
「フフフ……アイアイサーです」
微笑むノブと
「アイ! アイ! アイアイサーよぅ!」
喜ぶベル。
「あの……どういうことでしょう……」
置いてかれる洋太を見つめてキーは言う。
「あたし達が何とかする、あなた達を炎熱魔の犠牲にしませんからね」
「まーかせて、ベルたちに不可能はないんだから♪ じゃ行きましょ、そろそろ時間でしょ」
そう言いながらベルは洋太の背中を押す。他の者も店を出る支度を始める。その様子をマスターが、動くことなく見つめている。カウンター奥の柱と平行に直立している彼は、柱と同じ時期に、同じ業者に仕入れられたかのように同調している。歩みを止め、マスターを数秒見つめたキーは、表情が読み取れない老紳士に言った。
「大丈夫よマスター。全員……全員笑顔で帰ってきます」
マスターは何も言わない。キーが柱に言ったと勘違いをしているかもしれない。
時間は16時22分。マスターと、ムースが乗っていた濃紺色の皿を残し、彼らは戦地へ向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
16時50分、キー、ベル、ノブと森川洋太はコンペンセーション・フレイヤと契約した公園に到着した。公園に人気は無く、薄暗い街灯がジャングルジムを弱々しく照らしている。
「聖奈には来ないように伝えました、危険が及ばないように」洋太は皆に話した。
「森川さんもいらっしゃらなくてよかったのですよ、危険なのですから」とノブ。
「そうもいきません、私が蒔いた種ですから」恋人の蒔いた種、と言わないのが洋太の聖奈への心遣いである。
17時ちょうど、空気の振動が徐々に活発になっていくのを感じる
「逢魔が刻とはまた粋ですね、そろそろご登場ですか」余裕のノブ。
5秒ほど経過し、公園内の北西に佇む物置小屋、その4mほど手前から間欠泉のように火柱が上がる。
炎はアメーバの粘性を持つかのように徐々に人型を形成していき、ノブの倍ほどの身長に進化したところで安定する。真紅の身体に時々黒紫の部位が見え、その汚れた熱が枯れ木を焼くかのように鋭利な音を立てる、これが魔界の炎か。
「炎熱魔、初めて見るわぁ! デジカメ持って来ればよかった」ベルもまだ余裕のようだ。
その隣で唯一余裕がない洋太が、炎と緊張で顔に汗玉を生産している。左右の外側にキーとノブ、横一列で対峙する4人の意識に言葉が割り込んでくる。
「代価を払うのは誰か」
洋太がcafeアンタッチドアを訪問するまでは、彼が返答する予定であった。しかしキー、ベル、ノブの優しい妨害により、洋太は答えることを許されない。もっとも今は、恐怖と緊張で脳内が満席のようだ。3名が彼と恋人を救うと言ったこと、あるいは自身がここにいることすら頭から消えているかもしれない。
「代価を払うのは誰か」
もう一度炎熱魔が4人の意識に割り込みを入れる。すると洋太を遮るようにキーが踊りだし、凛と炎を見つめる、ベルとノブはキーを瞬きせずに見つめる。
「代価を払うのは誰か」
3度目の問い、その問いにキーは返す。
「望むなら、あたしのごた……」
ノブはキーの右腕を押さえた。「五体」と言おうとしたキーの「た」「い」のちょうど間、1対1の中間地点であった。そしてベルは、キーの口を塞ぎ、さらにキーの胸を揉んでいる。表情はこの上なく真剣だ。
キーを押さえたのは、両者のどちらが先というわけではない、写真判定をしても同着だろう。
「やれやれ、危ない危ない。作戦不在のキーさんですねえ。まったく、こんなことだと思いましたよ」
呆れ顔でノブが言う。
「ホントよもう! ああ危ない子! 危ないウェイトレス! 胸ないウェイトレス!」
ベルはまだキーの胸を揉み続けている。
「ふふぇふぉふぉふぁふぁひふぇえええ(胸を揉まないでえええ)」
気を削いだことで、キーがもう契約に応じないと判断したのか、ベルは口の拘束を解いた。胸はまだ揉んでいる。
「炎熱魔の撃退は不可能よぉぉぉぉぉ! 他に方法があるのぉぉぉぉぉ!」
恥ずかしそうに叫ぶキーに、ノブは諭すように
「よいですかキーさん。生贄の代替なんて、手段はワーストですよ。『あたしが犠牲になれば解決する』とお思いですか? 優しい人間ほど犠牲になる・不幸になる。そんな理不尽な現代のシステムに、キーさん自身を組み込むのはお止めなさい、そうならないために私達がいるのですから」
そう言うとノブはキーの腕を解き、ベルももう飽きたのかキーを完全に開放する。
すっかり意気消沈し座り込むキー。それとは対照的な、いや普段からキーと対照的なベルが炎熱魔に向かい、正確にはその背後の物置小屋に向かい、叫んだ。
「ベルにはわかるわよ、出てきなさい! 炎熱魔が降臨するとき、呪文を詠唱する声が聞こえたわ。あなたが黒幕の召喚師よねっ!」
数秒して後、ベルにだけ聞こえる「チッ」という舌打ちをBGMにし、物置の陰から黒幕が姿を現した。炎熱魔を使役するほどの召喚師でも、ベルの聴力は誤算だったと見える。しかしそれ以上に誤算を感じたのは洋太である、その姿を見た洋太の汗がさらに増える。
「あ…………聖奈」
4人の前に立っているのは、白い肌に美しいほどに不機嫌な表情を乗せた女性である。
「あーあ、余計なことしてさあ。まあいいか、はい腕、腕を出して」
栗色のロングヘアーをなびかせて、面倒臭そうに言う女性に向かい、言葉を失った洋太の代弁をするベル。
「あらあらこれは、魔界魔界詐欺ね。この人が森ボーイの恋人なの? 目的は何なのよ」
召喚師はやはり面倒臭さそうに答える。
「金よ金、金が欲しいの。今は強い者が欲しい物を得る世の中なんだからさ、私は彼の命を貰っていいの」
「それは法が許しません」割って入るノブ。
「私は法より強いもん」インタビュー慣れしている俳優のように平然と言ってのける聖奈。
「法を超越したと豪語する割に、システムの一環でしかない金が大事ですか。ではキーさんベルさん、ここは戦闘担当の私にお任せを」
もちろんキーもベルも、ノブが戦闘担当と認識してはいない。ノブ自身も今しがた、キーの『生贄担当』を否定したばかりであり、担当という制度に同意しているわけではない。なぜか? 彼らが身を投じるミッション、闘いは多種多様であるため、担当を固定せず各々が状況や命題に応じ最適な役割を演じるべき、と考えているからだ。ベルの能力が有効ならば前線に立つこともある。従って固定観念としての「戦闘担当」は彼らの間では誤った認識なのである。
従ってノブの台詞は
・キーを後方に下がらせ、心をクールダウンする猶予を与える。
・同時に勝利へ向けた状況分析と戦法の指示を任せる。
・そのための時間稼ぎと、分析要素の提供をノブが行う。
の3点を提案した意図があるのだ。
その思考と意気をキーは察していたので、何も言わずに下がり、戦術面でノブをサポートすることにした。犠牲となる覚悟からベストを模索する覚悟へスイッチを切り替えたのだ。
「やれやれ、人間は外見、内面、言葉遣い、全て揃ってこそ魅力的なのですけどね。あなたは外見だけ、1/3ですね。それと、名前負けしてます」本音を交えて挑発するノブ。
「人間っていうか、損得で動くだけの動物なんじゃない?」挑発に油を注ぐベル。
すると気だるい様子だった聖奈の表情が変わる。
「黙れお前ら! 殺すぞ!」
それは洋太が初めて聞く彼女の言葉だ。
◆ ◆ ◆ ◆
「それでは、1回の表から飛ばしていきますよ」
その例え通りにノブは炎熱魔に向かい腕をスローイングする。
「初耳と思いますが、私の能力は電撃です。ライトニングアローッ!」
ノブの指先が轟音と光を生み出し、その光は瞬時に炎熱魔の顔面に結ばれた。しかし炎熱魔は事象すら気付いてないとばかりに平然として、炎を揺るがせている。
「まあ、技の名を言わなくても電撃は出せるんですけどね。しかし効果なしですか、炎と電撃は悪くない相性なのですが」
そう言いながらノブは第2球を投じる、が炎熱魔に変化は現れず、炎が揺らぐのみである。
「ハイパーライトニングアローでも効果なしですか。それでは次はハイパーハイパーハイパーライトニング……」
台詞が終わる間もなく、炎熱魔の胸部から拳大の火球が飛び出す。ノブは顔面を捉えた火球を身を仰け反らして避ける。
「っとと、まだ1回の表は終わってませんよ」
上空の夕焼けを見ながらノブは言う。しかし野球を知らない炎熱魔は再び火球を発射する、今度は3発。
「3球! ボークボーク!」
これもかわすが、先ほどより余裕がない。
「実体が炎では直接攻撃は効果なし、ならばこれは如何でしょうか」
再びノブの電撃、瞬時に炎熱魔の腹部に達するがそのまま通り抜ける。そして電撃は、背後にいる術者の聖奈を捕らえた。
「ご安心を、パワーは抑えてありますから。術者の意識が途絶えたらどうなりますか?」
しかし電撃を浴びた聖奈は意に介さず、ノブを見下し「ハン」と一蹴する。どんなに巨躯な男性でも気を失う強度の電撃であったはずだが。
不思議に思うノブに対し、聖奈は陶器のように白い手の甲を披露する。その指先には指輪、に付いているアーモンド状の石は時間を空けずに、絶えず色が変化している。キーはその石がもたらす不益を知っていた。
「以前、四大元素の効力を無効にする石の話を聞いたことあるの。それは色が絶えず変化しているという石。これのこと? ノブ、あの人に電撃は効かない!」
「知ってる人がいたんだ。そう、今回の獲物はね、お金と素敵なゆ・び・わ」
洋太は失望したであろう。しかし彼は既に放心状態であり、状況に変化は見られない。直後、火球がノブを襲う。今回もかわすことはできたがノブの体力は有限だ、いつまで耐えられるだろうか。
「これはなかなかどうして、人生5指に入るピンチではないでしょうか。どこかにホーリー属性の魔法使いが住んでるマンションはありませんかね?」
言葉とは裏腹に、ノブの表情から余裕は消えている。今までより少し、息が荒い。
ノブが炎熱魔と対峙している間、キーは30mほど後方の銀杏の樹を盾に戦況を伺っている。闘いの状況から撃退のヒントを模索しているのだ。
「厳しい闘い……でもベストを探すのよね、ノブ!」
キーが思考の中で立案と却下を繰り返している間、ベルはキーから15mほど離れた、象に似た遊具の背後にいた。集中している様子が伺える、攻略の糸口になる「音」を聴こうと、ベルも自身の能力でベストを模索している。ベルの隣にいる洋太はどことなく前方を、焦点を合わせずに見ている。まだ事実を受け入れられないようだ。彼はノブの電撃を初めて見たであろうが、それすら意識の外であるようだ。
火球をかわし続けるノブが肩で息をするようになった頃、ベルの中にキーの声が入り込んできた。
「ベル……聞いて、作戦を伝えます……」
それから2分ほど後、炎熱魔と聖奈の前にベルが飛び出してきた。
「さあ、主役の登場よ! ベルの前では炎熱魔もブルブルよ。炎なのにね、炎なのにね! さあ観念しなさい」
その後ベルは、隣にいるノブに小声で何かを囁き、再び炎に正対する。手には木製の、正確には木枝を加工した物体を持っていて、それを頭上に掲げた。
「ベルが使えるのは恋の魔法だけ、その魔法じゃ無理。だから今日はこれよ! これは精霊を浄化する『ロキエの樹』で作った十字架、これに触れたらアンタみたいな炎は、瞬時に消滅よ!」
炎熱魔は微動だにしない、しかし煩わしく思ったのか、火球をベルに向けて放つ。
「ベルのアスリート的身体能力をナメちゃダメよ。見よ、この絶妙なコントロールを」
火球をかわし、ベルは十字架を炎熱魔に向けて放る。
「とう!とう!とう!とう!とう! 2回目以降の『とう!』はエコーよ☆」
十字架はベルの絶妙なコントロールの肩書きに恥じるかのように、炎熱魔の頭上を、聖奈の頭上を越えていく。
「あらら!あらら!あらら!あらら! これもエコーよ☆」
「本当に、絶妙なコントロールですねえ」
最初から当てにしていないと言わんばかりに、直後ノブは電撃を乱発する。しかし相変わらず効果はない。
「そろそろ飽きた、つまんない。消えてよ」
召喚師の言葉をトリガに、炎熱魔は移動を始めた。脚に該当する部位を前後することなく移動する様子は、堂々としていて威圧感がある。
しかし移動は、ノブとベルではなく、聖奈に向かっていた。炎熱魔が後退していく、合体でもするのだろうか? しかしついには聖奈を通り抜け、彼女の後方にある魔法陣の中央に達した。そこから火柱が立ち昇る、パワーアップだろうか? 変身だろうか?
そして数秒後、火柱と炎熱魔は消滅した。
「え?」
聖奈は呆然として無垢な表情を見せた。その表情からは凶悪な召喚師であることが想像できないが、先程まで人を焼こうとしていた張本人である。消滅はどうやら意図した制御ではないようだ、彼女は状況を整理できていない。そのときキーが聖奈の眼前に現れて話し出した。
「炎熱魔を召喚する魔法陣の図形はね、門が3つ」
聖奈の耳に届いているかは定かではない、しかしーキーは説明を続ける。
「魔法陣は中央と前後に合計3つの門を描くという構成。召喚時は前部の門に×印を描き、帰還時には後部の門に×印を描くわよね。そして、中央の門に×印を描いたら……」
キーの説明にベルが割って入る
「さーてさて、魔法陣を見てちょんまげ。ホントにベルは絶妙なコントロールでしょ」
魔法陣の中央には、ベルがかつて持っていた「元・十字架」が落ちている
ノブの電撃で黒焦げになったそれは、中央の門に×印を描いていた。
「中央の門に×印を描いたら、それは契約の破棄。術者は2度と炎熱魔を召喚することはできない、そういうことなの。ちなみに『ロキエの樹』の十字架なんてものは存在しないから。それはご存知だったかもしれないけど、胡散臭く思える情報の方が、今回は効果があるでしょうから」
説明が終わると、キーは次の仕事に取り掛かろうとする。眼前の加害者に平手打ちをしようと右手を、ベルとノブの功績で失うことを逃れた右手を振り上げた。しかし些細な痛みは、洋太の想いの代償にはならない。平手を打たずに腕をゆっくりと下ろし、代わりに彼女の身体に触れ能力を使用した。
キーには見えた。聖奈を置いて逃げようとする両親が、娘の召喚した炎熱魔により焼かれる様子がである。母親は両腕と右脚、父親は両腕を焼かれたときに息絶えた。娘は父親の亡骸に向かい、母親よりも代価が安いとは何事かと叱責している。その後数多の男が右腕を焼かれるシーンが次々と映し出され、やがて映像が途切れた。
直後、キーは脱力して座り込んだ、今まで気を張っていたのだろう。聖奈は状況を把握したようだが、まだ動かない。公園に脱力がどんどん伝染していく。
「あとは警察の仕事、さあ戻りましょう」
そう言ってノブはキーを抱えた。ベルは洋太を起そうとするが、自力で立ち上がった、少しは自我を取り戻したようだ。洋太は名残惜しそうに聖奈を見ていたが、声をかけずノブ、ベルと共に歩みを進めた。
独り若い女性と、自身が描いた魔法陣が残された公園に、パトカーのサイレン音が近付いてきた。
◆ ◆ ◆ ◆
「私はもう、女性に騙されません。ベル様最高です。ベルサマサイコウデース」
「ホラホラ、キーも言って。森ボーイもこうして反省してるのだから♪」
「何で私まで言わされるのよ。嫌よ、『ベル様最高』なんて」
どうやらcafeアンタッチドアにてベル主催の反省会が催されているようだ。
「あのさ、どうしてわかったの? あたしが炎熱魔に右腕を捧げようとしてるって」
反省会のテーマ1、キーは抱いていた疑問を恩人たちに投げかける。
テーマ1の講師はノブ先生である。
「それはですね……マスターです。ここを出るときに、キーさんはマスターに声をかけたでしょう。大丈夫って念を押してましたよね、それで私たちはキーさんが不安を抱いてることを察したのですよ。あれはキーさん自身に言い聞かせていたのでしょう」
ベル副講師も講義したかったようで、
「そうよそうよ。マスターはベルとノブが止めるって信じてたから、不安になんて思ってなかったのにね」
皆はマスターを見たが、見られた側のマスターは相変わらず柱と平行を保ったまま黙っている。実はマスターは柱なのかもしれない。
キーはノブとベルの察しの良さに感心をしたが、それ以上に自身の浅はかさを反省した。
「そっか、そうね……ああ、あたしのバカ。ベル様ノブ様最高です」
キーは溜息のような言葉を残し、賄い料理を作るために奥の厨房へ向かう。
勿論皆はキーの功績で炎熱魔を撃退できたことを認識している。だがキーの謙虚な反省は彼女自身の成長と、結束の強化を生み出すため、周囲は愛情と敬意と意地の悪さを持って彼女を突き放すのだ。
その自覚無き当事者のキーは、厨房の流しにて水を勢いよく出し、葉の付いた赤蕪の束を抱えたまま佇んでいた。するとカウンターから談笑する声が聞こえたので、振り返った後、呟いた。
「……ありがとう」
その直後、ベルの大声が響く。
「どういたしまして! キーちゃま☆」
厨房からは勢いよく出る水の音と、キーの恥ずかしそうな叫び声が聞こえた。