第1話 コロナはどこですか
投稿日の約1年前に執筆したもので、自身の初執筆です。
今読むと反省点が目に付きますし、まだまだ要修行ですね。
それでも、楽しんで読んで頂けたらと思います。
右上、左上、左下、右下
20歩進んで
右上、左上、左下、右下
さらに20歩進んで
右上、左上、左下、右下
その後、後ろを振り返って、広尾大樹は思わず苦笑いした。
苦笑いの後には残念な気持ちが込み上がる、この習慣は今は意味が無い。後方はさっき見た道路と、さっき見た建物。
気持ちを切り替え、先程までの作業を再開することにする。
右上、左上、左下、右下
しかし再開後7回目のループで作業を中断した。左下に視線を向けたとき、華麗な書体を発見した為である。
「cafe アンタッチドア」
この書体が載った看板をアクセサリにしている建物は、新しくも豪奢でもないが、落ち着きと心地良さがある。
その建物から、微かにコーヒーと木の香り。香りも建物と同様に心地良さのあるものだった。
「木の香りか……」
そう呟き店の方へ歩みを変える。これによりループが終了すればこの上ない幸福だが、広尾はそこまで期待はしていなかった。
右手1本で扉を開けた瞬間、開放されたコーヒーと木の香りが周囲を包む。店内はそれほど大きくない。右に木製のカウンター、左には3台の木製テーブル。いずれも四半世紀程度の年代を感じるがとても手入れが届いている。
中央の奥には等身大の人形が佇んでいる。華奢な老人がタキシードを着た姿だ。広尾にはこの人形の仕事が「リムジンから出てくる有名女優が歩く赤絨毯を敷く」以外に想像できない。
しかしその人形が「いらっしゃいませ」と発したので、彼は予想と妄想から脱却し人形を人間に訂正した。
正直、この手の空間に足を運んだことは滅多にない。勝手がわからないまま、扉に最も近く元・人形から最も遠いカウンター右端の椅子に腰掛けた。
カウンターに煙草とライターを置き、老人に話しかけようと身体を左に向ける。しかし場の雰囲気に見事に合致した老人と、浮いていると感じた自分自身とに共通点が見出せず、思わず言葉を飲み込んだ。
間を置いて仕切り直そうと一度カウンターに正対すると、目の前には今しがた置いた煙草、ライター、そしてデザート。
突然出現したデザート?
その右には、微笑んでいる人物が佇む。魔法の主だろうか。
「あーらあら! お疲れの様子よ、ミスター生真面目」
魔法使いは外見・服装・立ち振る舞い、全てが派手だったので、そのよく通る澄んだ声は意外性があった。
「あの、僕はまだ何も頼んで……」
目に見えて戸惑っている広尾と、遠慮のない魔法使い。
「疲れたときの特効薬知ってる? 第2位は甘いもの、そして第1位は……」
「ベルの笑顔よっ!」
その第1位の笑顔でベルはメニューを差し出す、名前はベルというのか。
【MENU】
ベルの気まぐれスイーツ 時価
ベルのスマイル ¥0
メニューは見るまでもない。既にこのカフェの全メニューが揃ったのだから。
「今日の作品は林檎のタルト、アレンジド BYベルよ。副題はね、えーと、えーと『セピア色の……渚の……」
「もうベル! 順序が逆でしょ」
ベルではない女性が、水とメニューを持って近付いてきた。どうやら彼女が持つメニューが本物のようだ。いや、商品が実在しているのでベルのメニューも誤りではないのだが。
広尾はメニューに目をやると同時に、胸のネームプレートを一瞥する。ベルをたしなめた女性の名前は「キー」
「勝手なことをして申し訳ありませんお客様、お代は結構ですから。あと、苦手な食べ物ではありませんか?」
キーは非常に丁寧に、柔らかい物腰で言った。ベルの後なので、よりウェイトレス然として見える。
「苦手なものでもベルの手にかかれば、林檎だって、赤レンガだって、どんな物でも食べられますからね。そそ、お代は結構よ! 今は『いい男サービスタイム』なの!」
「いえ、僕は林檎は好きです。あ、あの、コーヒーを頂けますか」
「かしこまりました、ごゆっくりどうぞ」
やはりウェイトレス然としているキー。
「ごゆっくりどうぞ。泊っていってもいいわよ♪」
やはりウェイトレス然としていないベル。
キーは広尾の煙草とライターを左へ動かし
「せっかくですからタルト、アレンジド以下略を頂いてくださいね、前を失礼します」
そして以下略のタルトを広尾の目の前に置き直した。ライターを右に置かなかったのは、間もなく来るコーヒーを右に置くためであろう。
「タルトには惚れ薬が入っておりまーす♪ なんてね。入ってないけど食べたらベルを大好きになるわよ☆」
広尾はベルの言葉に甘えて(ベル「スイーツだけに『甘えて』ね☆」)タルトの先端をフォークで切り取り口へ運ぶ。
「ああ、とても美味しいです、林檎の甘さがとてもよく出ています」
「アポー♪」
褒められて感激なのか、照れなのか、林檎なのか、小難しい返しをするベル。
「コロナにも、食べさせてあげたい」
「アポー! ハニーちゃんがいたのね、残念無念。それでもケーキはタダよ、ああ心の広いベル!」
「いや、コロナというのは猫なんです。僕の飼っている」
広尾は生真面目に返す。
「ニャンですと! キャッ♪ キャッ♪ キャットですと!」
驚いたのか、ご機嫌なのか、猫なのか……
キーはベルと絡むのを諦め、広尾の方を向いて微笑みながら言った。
「そのコロナが、店内にいると思ったのですね、広尾さん?」
「どうしてわかったのですか? その通りです! しかも、僕の名前まで!」
予想通り驚いた広尾にベルは嬉しそうに話す。
「キーはね、何でも知ってるの。当然ベルの正体もね(それは追い追いよ☆)ってことはニャンちゃんが行方不明なのね」
「はい、昨日の昼からずっと」
広尾はずっとコロナを探していたのだ。
「コロナさんは残念ながら居りませんが、コーヒーはあなたを待っておりますよ」
紳士的な台詞を従えて右手側に突然出現したコーヒー。その横で長身でスリムな男性が微笑んでいる。ケーキの回を役者を替えて再現したようだ。もっとも今回は話に夢中で気付かなかっただけだが。
「お客様のご注文にお応えしてコーヒーを用意致しましたが、私の専門は夜でございます。ぜひ一度お越しくださいませ」
「ノブ、下ネタ? キャーッ!」
「フフフ、とんでもございませんベルさん。下ネタですよ」
呆れるのも面倒なので、キーが真顔で紹介する。
「こちらはバーテンダーのノブ、夜っていうのはバーの意味よ」
「ベルさんが定義付けするのも納得です。お客様は、いい男ですね」
外見だけで言えばノブの方が遥かにいい男だ、と思いながら広尾はコーヒーを口にした。
「そうだ、どうして僕の名前とコロナのことがわかったんですか」
待ってましたとばかりにキーは説明する。
「ライターに触れたときです、コロナを心配する広尾さんが見えましたから」
「きゃぁぁぁ! サイコホラーよぅ!」はしゃぐベル。
「サイコメトリーですね、あたしの能力なんです」
広尾は動揺するとライターを弄る癖があることを自覚している。確かに、コロナがいなくなったときはライターをよく触っていた。
「はい。いなくなったのはこの近辺を歩いていたときです。いつものようにコロナは僕の後を付いてきてたのですが、振り向いたら突然いなくなっていました。こんなの……初めての事です。コロナは木製のテーブルの上にいつもいるので、木の香りのするここにいるのではないかと思って」
優しく温かく柔らかい表情でキーは広尾を見る。
「広尾さん、とてもコロナを大事にされてるのですね」
すると広尾の左腕に傷跡があるのに気付いた。そういえば彼はドアを開けるとき、タルトを食べるとき、いずれも右手しか使っていない。
「左腕……失礼しますね」
そっと傷に触れる。
「あらあら物だけじゃないのね、そんなこともできちゃうのね。キー選手、4ポイントアップ♪」
キーには見えた。広尾の左腕の傷は車からコロナを守って負ったものだ。今や指先を自由に動かすことはままならない状態である。
「ベル、ノブ。あなたたち人を見る目ある! 広尾さんはいい方です」
キーはそう言った瞬間、意思のスイッチを「強」に切り替えたようだ、それが表情にも表れる。
「おお!」
「よっ♪」
ノブとベルはそれを察し、何かを期待している。
キーは広尾の前に人指し指を突き出し、腕を右に90度捻ると
「lock the request in solid-door!」
「きゃあ!」
嬉々とするベル。
「これはこれは」
微笑むノブ。
そして無表情の店長。
広尾は状況を掴めない。
「それは……どういう意味でしょうか?」
「ベル達が見つけてあげるって意味よ」
「え! コロナを探してくれるのですか」
「探すんじゃないの、見つけるの。ベル達に不可能は無いんだから」
◆ ◆ ◆ ◆
「ではでは作戦開始よ! その名も『コロナちゃん大捜査線 ベイブリッジを……」
「広尾さん、コロナの特徴を教えてください。外見ではなくて、クセや習慣になっていること」
「はい……一番の習慣は、毎日決まった時間に鳴くことです」
「その時間は?」
「15時10分。回数は2回です」
「ほう、正確ですねえ。コロナさんからは気品と気高さを感じます」
「その時間に近隣のオフィスからチャイムが聴こえていて、休憩時間の終了なのでしょうか。コロナがそれに反応しているうちに習慣になったようです」
「都合が良いわ、その時間まであと1分少々ね。ベルお願い」
「ほーんと、ベルが頼りね。見ててねミスターラブキャット、ベルが今からスゴいことするから。でもいっちばんスゴいのは、あちらのお人形さん……じゃなくてマスターなんだけどね」
あの老人は店長だったのか。確かに只者ではなさそうだ。
「あたしがカウントする、15時9分50秒、51、52……」
「おいキーさんや、あんたは蕎麦を何杯食べたんだい?」
「余計なことしないのベル! 57、58、59……10分」
15時10分の前後5秒間、ベルは目を閉じ気持ちを集中するような仕草をした。そうする理由は知らないが、広尾は今までにないベルの一面を意外に思い、そして感心した。
「……聞こえた、ニャンちゃんの鳴き声!」
「え? 僕には何も」
「これがベルの能力。ベルは遠くの音を聞き取ることができるんですよ」
「あーん、でも聞えた鳴き声はね……4匹分なの。しかもバラバラの場所から」
「意地悪な偶然ね。でも、3匹には絞れるわね」
「キーさんの言う通りです。なぜなら1匹は私だからです」
「もうノブったら、紛らわしいことして」
「あノブ美味しい、ズルい! ベルも鳴けばよかった。ニャーン、ニャーン」
「聞く側が鳴いても意味ないでしょ」
「いやいや、ベルさんの時そばネタも見事でしたよ」
「そうだそうだ、1匹は鈴の音も聞こえた。ステキ男子さん、ニャンちゃんに鈴は?」
「いえ、付いていません」
「じゃ2匹に絞られたっと。場所は第2倉庫と、廃屋脇の路地よ。どっちかは赤の他猫ね、世間では赤い人や猫の方が貴重だけどねぇ」
「ではキーさん、手分けして2箇所に行きましょうか?」
「待ってノブ、先に全員で廃屋の方へ。急いだ方がいいわ、ちょっとあの場所、嫌な予感がするのよね」
キーの言葉を合図に、ベルとノブが店外へ駆け出す。2秒ほど遅れて広尾も慌てて外に駆け出す。最後に残ったキーは
「マスター、留守をお願いします。1時間後に戻るから」
「では冷えたダージリンティーを用意しておきましょう」
本日2度目に発した店長の声色は、1度目と全く同じであった。
◆ ◆ ◆ ◆
cafe アンタッチドアを出て5分近く走ったであろうか、小さな民家の脇にある目立たない路地を指して、キーは言った
「ここよ広尾さん! ここの角」
どうやらこの民家が廃屋のようだ。路地の正門に当たる電柱には中身の入ったゴミ袋が置かれている、路地の奥にもゴミが置かれているだろう。
ノブが一番乗りで路地に突入する、案の定多量のゴミ袋が置かれており、それを避けながら走る。ゴミを避けるのにも華麗さを忘れない。
「さあコロナさん! お待たせしました、ヒーローの登場ですよ」
台詞の前にゴミに躓いてしまい転びそうになったが、咄嗟のターンにより事無きを得た。それにより華麗さが4割アップ、怪我の功名とノブは思った。
ノブの視線の先である路地の奥は行き止まりになっており、突き当りに灰色のシャルトリューが寝転んでいる、コロナだろうか?
その次に広尾が到着し、猫を認識すると
「コロナ!」
正解だったようだ。コロナは広尾に気づき顔をあげる。
直後にキーが到着。コロナに駆け寄る広尾を制止する。
「広尾さん、それ以上進んではダメ! 危険なの」
なぜ危険かはわからないが、そういえばコロナの身体が大きい。広尾が毎日見ていたコロナより165%増しといったところか。よく見ると、コロナ周囲のゴミ袋や電柱も他のそれより大きい。
「ヒロイン、ベルも登じょブギュモガー!」
最後にベルが騒々しく到着、ポリバケツに躓き豪快に転んだ後は
「バフッ! 登場バフッ! ゴミ袋!」
ゴミ袋に顔を埋めること2回。
「あーん灰色ぉ、ぜったいミケだと思ったのにぃ」ベルは何の賭けをしていたのだろうか。
「ここ、やっぱり! 広尾さん、この先は空間が歪んでるの」
キーの言う「嫌な予感」とはこの事であったのだ。尤もキーは予感ではなく知識でこの場の危険性を察知したのだが。
「強力な磁場が発生してるせいね。コロナちゃんから見たベルは不細工に見えてるのかなあ?」
ベルには悪いがキーは突っ込まずに説明を続ける。
「広尾さんもコロナも境界に触れないでくださいね、消滅しちゃうの。ここの場所、揺らぎが激しいから、運が悪いと空間が閉じちゃうんだけど、まだ残ってた、ギリギリセーフ」
しかし広尾は気が気ではない。
「セーフというよりは、アウトじゃないという感じでは? これではコロナを救い出せないのですよね」
「全くです、これではお客様とコロナさんはロミオとジュリエットですね。しかしご安心を、私がこの歪みを何とかしてハッピーエンドです。では空間が閉じないうちに」
いよいよノブの出番らしい。
「そうね、ノブお願い」
キーも解決策を理解している。
「空間の歪みを……なぜノブさんなら……?」
「見ていてください、では今回のハイライトをお見せしましょう。お客様は運がいいですよ」
そう言うとノブは掌を境界面の前に差し出す。
「ノブスパァァァァァァクッ!!!!!!!」
大砲のような怒号と共に掌の周囲に強烈な電撃が発生した。その刹那、コロナの体長が広尾の知っているサイズに縮む。
「磁場を発生して空間の歪みを中和しました。さあコロナさん、今のうちです」
飼い主の下に駆け寄るコロナ。
「コロナ!」
広尾は左腕で力無く、そして右手で力強くコロナを抱きしめた。
「猫まっしぐらね、はいハッピーエンドゥ☆」
「お客様のお役に立てて光栄です。ちなみに技名を叫ばなくても電撃は出せるんですけどね」
「ではみんな、cafe アンタッチドアに帰りましょう」
歩き出す一行の中で、ベルだけ動きが不自然だ。肌に何か不快な物体がまとわり付いてるような歩き方である。
「本当にありがとうございました。それにしてもノブさんの電撃、すごい威力ですね」
「そうなの、でも1つだけ弱点があるのよぅ」
それは?
「ベルのセーターとスカートが静電気だらけになることよ。あーん歩きにくい!」
なるほど。
◆ ◆ ◆ ◆
「お帰りなさいませ」
いつも通りの声といつも通りの表情で店長が一行を出迎える。広尾が抱いているコロナを見ても動じていない、彼らが依頼をこなすのが当然だと言わんばかりである。
「じゃ、お祝いね。フランボワーズのケーキ、副題は『情熱の……」
そこにキーがダージリンティーを運んできたので、ベルも併せて皆にケーキを振舞うことにした。
「あ、そういえば」
ケーキの配置が終わると同時にベルが話を切り出した。
「ねえねえニャンコのパートナー様、どうして空間の歪みが危険かわかるかな?」
ベルの表情はいつも通りだが言葉には覚悟という方向への意思ベクトルが存在する。
「空間の歪みは……断裂でなければ、生物は通り抜けられるのですよ」ノブがベルの意思を察し説明を続ける。
「ええと……ということは別段歪みを中和する必要はなかったのではないでしょうか……?」
怪訝そうに言う広尾に、キーが2秒弱ほどためらってから答えた。それが自分の役目だと感じたのだろう。
「あなた達はね……霊体なの。コロナも、あなたも、もう死んでしまってるのよ」
広尾は驚かなかった。いやむしろ、覚悟した表情を見せ、反応した。キーの間よりも若干長く、話し始めまで3秒弱を要した。
「そうでしたか。僕も少々の違和感を感じていました。驚いたというか、胸の痞えが取れた気分です」
「あーらあら、やっぱり気付いてなかったのね。でも事故や事件に巻き込まれた自覚はある感じねえ」
「少しでも心当たりがあれば、あたしが念視できますよ」
キーは優しい働き者だ。
「いえ、もう終わったことです。いましばらくこの土地でコロナと暮らせればそれで不満はありません」
「気が向いて霊界に行くときは、いずれ行くベルのためにハーレムを用意しておいてね♪」
◆ ◆ ◆ ◆
しばらくの談笑の後、広尾はコロナを抱き、cafe アンタッチドアを出た。キー、ベル、ノブの笑顔と、入店時と変わらない店長の落ち着いた表情に見送られて。
カフェを出て20歩進んだ後、思わず右上と左上を見てしまった。
自身の胸元を確認する、コロナは確かにここにいる。コロナを確かに抱きしめている。
広尾大樹は声を出して笑った。