第七章 ヴァサーム、再び
フェンはアイツヴェンから再びアソールへと向かった。
タイシとエミリー。
2人しか残っていないフェンの部下とそこで合流する。
「よう、すまねえな、2人とも。わざわざ出迎えてもらって」
「フェノア様が私たちに迎えに来いと言ったんじゃ――」
「あなたを迎えに来たのではないわ!私はあなたの頭の上のタルケと会うために来たの!」
「おぉ泣かすねぇ、エミリー。今時ツンデレは流行らねえと思うぞ」
「そうですか?」
「まあ俺はそう言うエミリーも好きだけどよ」
「あら、そんな照れることをこんな白昼堂々と……続きは今夜ベッドでお願いします」
「ああ、しょうがねえなぁ……ってタイシ、どうしたため息なんかついて」
肩を落とし長嘆するタイシ。
何で僕はこんな部隊に所属になったんでしょうか、と愚痴をこぼすも尚も漫才を続ける2人の耳には届かない。
フェンはタイシのその様子を見て苦笑を浮かべて、真面目な話を持ち出した。
「なぁ、タイシ。ところで俺がアイツヴェンに戻っている間に何か変わったことはあったか?」
「え、あ、はい。ええと、特にはないです」
エミリーが後を引き受ける。
「フレイヤ様はアソールについ先ほど戻られましたし、ニーヌ様も怪我が癒えて、任務に戻ったそうですよ」
「そうか。あいつも怪我が治ったのか、それは良かった。ああ、そうそう。俺らに新しい任務だ。しばらくヴァサームに行ってくれってよ」
「はぁ、また異動ですか!?」
「ああ。ヴァサームの復興が済むまではそっちの援護に迎えってよ」
「ですが、フェノア様。私たちの部隊は3人しかいないのでそこまでの戦力にならないのでは?」
「知らんよ。まぁ、行けって言うんだ、行くしかないだろ」
¶
ニーヌは街の復興作業にあたっていた。
見張り台や軍備の復旧。それと失われた兵力の補充と怪我人の介護。
中心に立ってあれこれと指示を飛ばしている。
「ニーヌ様!!」
「何よこの忙しい時に!」
「アイツヴェンのアイシャ女王からの直接通信です!防衛戦についての詳しい報告をしてくれとのことです」
「またぁ!?さっきもしたばかりじゃない。だいたいフェンがアイツヴェンにいるんじゃないの?それならフェンから聞けばいいのに……」
「わかりました!そう伝えます」
「いや、待って待って!女王様にそんなこと言えるわけ無いでしょ!」
「……?」
「はぁ……もういいわよ。あなたたち、しばらくここをお願いね」
ニーヌは諦めたようにその場を立ち去る。
これで通信兵を介して戦について報告するのは4度目だ。
もういい加減話すこともないというのに一体何を聞いてくると言うのだ。
そんな鬱々とした感情を抱きながらニーヌは通信室に入った。
通信室。
この大陸で通信に用いられているのは特殊な精霊だ。
ネレイデスと呼ばれる精霊。
ネレイデスとはそれぞれの精霊に与えられる固有の名称ではなく、テレパシー能を有する精霊たちに与えられる名称。
彼らは固有の名称を与えられては居ないが、その有する能力の特殊性から重宝されていた。
ネレイデスを従えている人間と同様に。
「お邪魔するわ、サエ。何回もゴメンね」
「……えと、すみません、私の顔を何回も見なきゃいけなくて」
「何言ってるの?」
「いえ、でも良いんです……私はニーヌ様のお顔を拝見できただけで満足なんですから」
「……いいから、テレパシーを始めてもらえる?」
通信兵は変わった性格の人間が多い。
ネレイデスを従える人間には職業選択の自由が無く、生まれながらにして通信兵への従事が義務づけられる。
通信兵に変わった性格の人間が多いのはそれによる人格の変化なのか、それともネレイデスによる人格変化なのか定かではない。
閑話休題。
サエ。ヴァサームの通信を担当する女性兵である。
彼女も少々変わった女性である。
引っ込み思案。思い込みが激しい。女性好き。
スレンダーでコケティッシュな見た目とは裏腹な彼女の性格故に、サエの居る通信室にはなかなか人が寄りつかなかった。
「……ああ、ニーヌ様は私としての私ではなく通信兵としての私をお求めなんですね」
「……わかったから。あなたは十分魅力的だから。でも今は任務を終わらせなければならないだけなんだから」
だから早くしてくれ。
との言葉をやっとの思いで飲み込む。
一方サエはニーヌの言葉に恍惚とした表情で喜びを噛み締めていた。
「……サエ、とにかくテレパシーをお願い」
「ええ、私を(・)愛しいニーヌ様、かしこまりました」
「……はぁ」
サエは目を閉じて大きく深呼吸をした。
そして、ネレイデスを呼び出す。
呼び出されたネレイデスはサエの身体の中に消えていった。
そして、ネレイデスをジャンクションする。
ネレイデスと融合した人物の発する声は遠く離れたところのネレイデスと融合する人物の近くで発する声と同じ声になる。
電話機。どこか遠くの世界で伝えられる文明機器と共通点が多い。
そのため、このネレイデスを従える人間は重宝されるのだ。
「すまないな、ニーヌ」
「兄様!?じゃなかったルード様!?」
「ハハッ、この交信は非公式なものだ。兄様で構わんぞ」
相手は兄のルードだった。アイシャ女王だと思っていたために驚いてしまった。
ルード・イド。
イド家の長男であり、現在はアイシャ女王の夫としてこの国を支えている。
ちなみに、イド家の家系は父のアラン・イドが大将軍。長男のルードは王配。フレイヤは将軍。ニーヌは中隊長とこの国を支える屋台骨である。
「……えと、アイシャ女王からの直接通信だと思ってたんだけど?」
「ああ、そのつもりだったんだが、アイシャには別件の通信が入ったのでな。ファンデル様が意識を取り戻したそうだ」
「え!?ちょっと兄様!?」
「ああ、それなら大丈夫だ。この通信には盗聴妨害用にアルセイデスの念波を送っている」
ニーヌが慌てたのには理由がある。
一つはその情報そのものに対しての驚き。
もう一つは、傍受の危険性があるこの通信でファンデルが負傷してたという事実を明らかにしたこと。
だが、ルードはあっさりとその焦りの必要性を否定した。
ネレイデスによる通信は完全ではない。
目的とする人物にテレパシーするだけでなく、他の人物がそのテレパシーを傍受することも可能なのだ。
その盗聴を防止するのが、アルセイデスと呼ばれる精霊。
ネレイデス同様にとある一群の精霊たちの名称だが彼らの有する能力はネレイデスによる通信の強靱にすること。
この能力故にアルセイデスを伴に用いた通信は傍受がきわめて困難となる。
「あ、そうなの……ってそんな念入りに何の話をするつもりなの?」
「ああ……ストリボーグとガッスルフニンに停戦協定と同盟の動きがある」
「え!?ウソでしょ!?」
「事実だ。今のところは極秘情報なのだが、お前のいるところは国境最前線だ。念のため伝えておくことになったのでな」
「そう……」
「どうなるかわからないが、用心するに超したことはない。しばらくはストリボーグとガッスルフニンの動きに気をつけてくれ」
「わかった……ありがとう。話はそれだけ?」
「それから、しばらくそっちにフェンが向かう」
「フェンが?」
「ああ、念のためだ。戦力は多い方が良い。とにかく、頼むぞ」
ルードのその言葉を合図にニーヌはサエの頭から手を下ろした。
そして、サエはうつろだった目の焦点がニーヌに合うと意識を覚醒させる。
「通信は、もう終わりですか?」
「ええ。ありがとう、サエ。また用があったら来るわ」
「……用がないと来ないんですか?」
「それじゃね、サエ」
サエの言葉を無視して出るニーヌ。
ニーヌは先ほどルードから伝えられた言葉を頭の中で反芻させていた。
¶
夜、ニーヌは今日の復興作業を終えて食事に向かっていた。
昼間にルードから伝えられた言葉が胸に引っかかる。
ルードの言葉が事実ならこの土地はますます戦争が激しくなるだろう。
果たして、自分は生きていられるのだろうか。
そんなくらい想像が頭をよぎってしまった。
「はぁ……いい加減疲れたわ……」
そう呟きながら静かな行きつけの店に向かう。
いつもは静かなその店が今日はやけに騒がしかった。
騒がしい一団の中心に見えるのは真っ赤な髪の毛。
3人しかいないその一味は数十人分の大声でどんちゃん騒ぎをしていた。
「……って、何であのバカがまたこんな所に……」
とても一緒に騒ぐ気分には慣れないニーヌはまわれ右をして帰ろうとしたのだが今度目に入ってきたのは見覚えのあるオレンジの髪の毛。
その下の顔を見ればどこかで見たようなコケティッシュな顔。
この顔を見たのは昼間、通信室で――
「サエ!?何であんたもこんな所に!?」
「尾けてきました、ニーヌ様」
悪びれもせずに答えるサエ。
あまりにすがすがしく答えるものだから流してしまいそうだったが、サエの言葉の重大性は見逃すことが出来なかった。
「尾けてきましたって!?」
「ええ、わかりますわ、ニーヌ様。ニーヌ様は私を夕食に誘いたくて仕方がないのに、その奥ゆかしさ故に私に誘いの言葉をかけることも出来ずにいらっしゃったのでしょう?そのお心遣い、とても無駄には出来ませんわ」
「いや、ちょっとまって、サエ」
「今日の昼間の帰り際のニーヌ様。私の言葉を無視して帰りなさったニーヌ様。そのニーヌ様が目だけでくれたアイコンタクト、私だから気付くことが出来たのですよ?」
「……」
この女は常識を教わらなかったのか。
どうしてこんな思考回路が働くのか。
ニーヌがサエとすったもんだしていると今度は酔っぱらいが絡み出す。
「よーう!ニーヌじゃねえか!お前何突っ立ってるんだよ!さっさと飲めよ!」
「バカ、酒臭いのに近づかないでよ!」
「そりゃあ、酒臭いさ、酒飲んでるんだから!それともなんだ?お前は水飲んで酒臭くなるってのか!?」
「あーもう、うるっさい!良いから離してよ」
「そりゃあ、うるさいさ!大声出してるんだからよ!それともなんだ?お前は小さな声でもうるさく聞こえるほど――」
もういやだ。
私が一体何をしたというのだ。
目の前の赤髪の男は上機嫌で自分に絡んでくる。
その近くにいる女性――確かエミリーという名前だ――は我関せずといった感じでもう1人の男性兵に絡んでいる。
その男性兵は飲まされすぎたのか身体を左右に揺らしながらエミリーに謝り倒している。
後ろを向けば……サエが仲間になりたそうな目でこちらを見ている。
私は静かに飲もうと思っていたのに。そんな心の声は喧噪にかき消される。
「いいんですよ?私はニーヌ様と2人だけでなくても、この方達と一緒にいたとしてもニーヌ様の私への愛が薄れただなんて思いませんから!」
「あーもう!何なのよ、一体!わかったわよ、飲めば良いんでしょ、飲めば!」
「よ!ニーヌ様わかってるぅ!」
「うっさいわよ、タイシ!」
「キュイー」
フェンの頭上のタルケが大きな声で鳴き、乾杯の合図となった。
1時間後
「ニーヌ様、もう飲めません……」
「なぁにぃ?私のお酒が飲めないっていうのぉ?良いどきょおしてるわね、エミリー」
「ニーヌ様!それならニーヌ様のお酒は私がありがたく頂きます!ああ、これもニーヌ様の愛情……」
ニーヌもすっかり楽しく飲んでいた。
先ほどまでの鬱々とした感情はどこへやら。
エミリーやサエと伴にがやがやと飲んでいた。
ちなみにタイシは既に突っ伏して寝ており、フェンはすっかり酔っぱらった他の4人に少々引いていた
「タイシ、何寝てんのよぉ!」 小突くエミリー。
「うへ〜、もう無理らよお、エミリちゃあん」 椅子から転げ落ちたぞ、タイシ。
「何よなによぉ、もしかして2人はそう言う関係なのぉ?」 身を乗り出すニーヌ。
「ダメです、ニーヌ様。ニーヌ様は私のものなんですから?」 食らいつくサエ。
「キュイー」 ああ、お前だけが仲間だタルケ。
「フェノアも飲みなさいよぉ!」 攻撃対象が変わったエミリー
「うへ〜、もう無理らよお、アスカちゃあん」 アスカとは誰だ、タイシ。
「まったくよぉ、だいたいフェンはぁ、なぁに1人だけそんなしらふなのぉ」 絡み出すニーヌ
「ダメです、ニーヌ様。ニーヌ様は私のものなんですから?」 もう話の流れも関係ないサエ。
「キュイー」 ああ、どうして酒瓶にダイブするんだ、タルケ。
もういやだ。
一体俺が何をしたと――いや、確かに飲みには誘ったが、どうしてこうなった。
ニーヌもエミリーもサエもどうなっているのだ。
フェンの酔いはすっかりと醒め、事態の収拾を図る――わけでもなく再び飲んで現実逃避にはかった。
飲まなきゃやってられない。
こうして完成した5人の酔いどれたちは店の閉店を合図に店を出ることにした。
時間も時間だし、帰ろう――というごく常識的な判断がこの酔っぱらい達に期待できるわけもなく、彼らは適当な店で大量に酒を買い込むと近くの広場でがやがやと騒ぎ出す。
だが、暖かくなってきたとはいえまだまだ寒いヴァサーム。
千鳥足で目的地に向かっている間にニーヌはだいぶ正気に戻り始めた。
遠くの方でがやがやとまだ飲み続けるフェン達を遠巻きに眺め、ゆっくりと地面に寝転んだ。
「はぁ……つかれた」
「よーう、ニーヌ。なーにしけたツラしてんだ?」
いつの間にかフェンが側に来ていた。
フェンはニーヌの隣に腰掛けて座る。
「この状況で笑ってられるあんたが凄いわよ」
実際少々気持ち悪い。変なスイッチが入ってしまったとはいえ少々飲み過ぎたと反省していたところだったのだ。
フェンは手元にあった酒をぐいっと飲むと大きくのびをする。
「だってよぉ、笑ってなきゃつまんねえだろ?」
「はい?」
「苦しかったら笑え。無理してでも笑え。バカみたいでも笑え。俺の好きな言葉だ」
「誰の言葉よ?」
「聞いて驚くな!なんとフェノア・ニクス様の言葉――」
「バーカ」
フェンが言い切る前に罵ったニーヌ。罵られたはずのフェンはそんなことを気にもとめずに意気揚々と酒を飲んでいた。
ニーヌがぼんやりと空を見上げていると、腹部の辺りに何かの重みを感じた。
下を見るとキュイーという鳴き声。フェンの頭の上にいつものっているタルケだった。
ニーヌはそれを両手で掲げる。
「ねえ、フェン。あんた何で最近このタルケをのせてんの?」
「そりゃあ――」
「バカじゃないの」
「まだ何も言ってねえわ!」
「じゃあ早く言いなさいよ」
いつものフェンなら怒り出しそうな扱いだが、酒の力か陽気に話していた。
「アソールで女の子から預かったんだよ」
「女の子から?タルケを?バカに預けたの?」
「最後の一個は余計だ。まぁ、説明すると長いんだがよ」
フェンはそう言うと軽く経緯を説明し始めた。
カメリアという少女との出会い。
その少女が立ち直るまでの一幕を。
「へ〜。そんなことがあったの」
「あぁ、だから」
「バカじゃないの」
「まだ何も言ってねえわ!てかボケるつもりもなかったわ!」
「うるさいわね〜。ぎゃあぎゃあと」
「なんだと〜てめえ、飲ませてやる!」
再びキュイーと鳴くタルケ。のそのそと定位置であるフェンの頭の上に登っていくその様がなんだか間抜けに見えた。
思わず笑い声を零すニーヌ。
ぎゃあぎゃあと騒いでいたフェンが不意に真剣な顔つきになった。
その急変に思わず息を呑むニーヌ。
「お?ようやく心から笑ったんじゃねえの?」
「は?」
「なーんか、おまえ最初に店に来たときは暗い顔してたからよ。まぁ、そうやって笑えんなら心配ねえか」
思わず顔をまじまじと眺めてしまう。
そんな様子には気付きもせずにまだ喋り続けるフェン。
「俺もストリボーグとガッスルフニンの話は聞いたさ。だから、お前が悩んでるんじゃねえかって思ってよ。まぁ、お前なら出来るさ、がんばれよ」
「き、急に何言い出すのよ」
「ふん、まぁ聞き流してくれてもいいけどよ。俺はお前の強さに憧れてるんだ。ストリボーグなんか蹴散らせよ」
ああ、そうだった。
この男はいつだってこうだ。いつもバカをやってばかり。
それでも、こうやって急に魂を揺さぶるような言葉を言うんだ。
あのときだってそうだった。
――強いしかっこよかったからな、ニーヌは。
あの言葉で私は救われたのだ。
礼を言おうと口を開きかけたが。
だが、その口に容赦なく液体が強行突破してくる。
「ダッハッハッ!うわ、お前酒まみれじゃねえか!」
見上げるとフェンが楽しそうにニーヌに向かって酒をぶっかけてきた。
よく見ればいつの間にか近くに来ていたエミリーやタイシも酒をかけてビールかけ状態となっている。
サエは全身ずぶ濡れで泣きべそをかいていた。
文句を言おうとしたが、馬鹿馬鹿しくなり復讐することにした。
「やったわね!あんたたち!覚悟しなさい!」
「ちょ、ニーヌ!剣は止めろ!」
「峰打ちよ!切捨て御免!」
「うぎゃーーー、フェノア様、何で僕を見殺しに!」
「許せ、タイシ。戦争には犠牲がつきものなんだ――ってサエ、止めろ!何をする!」
「ニーヌ様、傷つける人許さない。私、フェノア様許さない」
キュイーと鳴くタルケ。
まだまだこのどんちゃん騒ぎは終わりそうもなかった。