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第六章 凶報

 ヴァサーム戦から数日が経過したある日。

 医療室独特の薬品の匂いが充満する部屋でニーヌは目を覚ました。

 辺り一面は真っ白。ニーヌは何度か瞬きをするがうまく思考は働かない。

 焦点の合っていない目でぼんやりとしている。

 ニーヌはヴァサームの市街の兵舎の医務室に運ばれていた。アナーヒタの王都アイツヴェン程の医療設備は整っていないが、一般市民の受ける治療よりは格段にレベルの高い治療を受けることが出来る。

 そこに見慣れた金髪の女性、フレイヤが部屋に入ってきた。


「ニーヌ、目を覚ましたのね。調子はどう?」


 調子?言っている言葉の意味がよくわからない。

 ニーヌは未だ覚醒しない頭でひとまず起き上がり状況を把握することにした。だが、起き上がると、体中に痛みが走る。腹部、背中。自分の身体を見てみると包帯でぐるぐる巻きになっていた。

 ニーヌはぼんやりと記憶を探ると朧気ながら記憶の輪郭が見えてきた。


 ストリボーグ軍、フレイヤ姉様とフェン

 そして見たこともないような巨大で海草をまとわりつかせた怪物が――


「ここはどこ!? 戦はどうなったの?」


 ニーヌはまだ痛む頭を振りきって慌ててフレイヤに状況を問いただす。


「落ち着いて。戦には勝ったし、ストリボーグ軍は撤退したわ。それよりも具合はどう?」

「ええ、大丈夫みたい」


 ニーヌはフレイヤの言葉にひとまず安堵すると、もう一度横になった。

 起き上がった姿勢を維持することすら体力的に辛かった。


「ドラウグは退治したわ。フェノアが何とか最後に頭を切り落としてくれたの」

「……そう」

「よく、それだけの怪我で済んだわね。ニーヌもフェノアもスゴイと思うわ」

「お世辞はやめてよ、姉様」


 姉様の方が私よりも軍功が優れていることも、実力があることも周知の事実だろうに。

 ニーヌは、沸々と嫉妬のような感情が広がっているのに気づいた。

 嫉妬のような感情というより完全な嫉妬心かもしれない。


 迷宮に入りそうな思考を振り払うためにニーヌは話題を変更した。


「姉様、フェンは大丈夫なの?」

「ええ。フェノアもしばらく意識を失ってここに収容してたんだけど、すぐに意識を取り戻したわ。目立った外傷もないみたいね」

「そうなんだ……」

「ニーヌによろしく伝えてくれって言ってたわ。それからあんまり無理するなよって」

「……?伝えてくれってもうヴァサームには居ないの?」

「ええ。今朝方にアイツヴェンに向かったわ」

「アイツヴェンに?」

「アイツヴェンから通信があったの。ファンデル様が任務で負傷して、療養中だからって至急戻って来いって」

「そう、ありがとう……」

「まぁ、ひとまず休んでいてちょうだい。あなたが完全に回復するまでは私もこの町に滞在することになったの。それじゃ、また後でね」

「ええ」



 フレイヤはそう言うと部屋を出て行った。


 ニーヌは、胸の辺りまでかけられていたシーツを頭の上まであげる。

 あふれてくる涙を抑えることもせず、ニーヌは流れる涙をそのままにした。その水滴は目尻から重力に従って、一滴、一滴流れ落ちる。

 ヴァサームを守れて良かった。

 出来れば他の人の力を借りたくなかった。

 自らの中の屈折した感情がうまく整理できなかった。




 ¶



 フェンやニーヌ達がヴァサームで交戦中であったとき、ファンデル・ニクスはある任務の最中であった。

 現女王アイシャ・ラクスによる極秘の任務。任務にはファンデルとラディックスの2人が赴いていた。

 ラディックスはかつてファンデルの部隊に所属していたファンデルの元部下だった。


「今じゃ君も大隊長、か」

「はい、いつのまにか人の上に立ち、多くの命を預かる立場です」


 大隊長、ラディックス。

 軍の中では出世頭として名を馳せていた。


「立場が変われば見えてくるものも変わる。見える物が変われば中身を変えたくなる。ヒトとはそう言うものだ。まぁ、ラディックスならば心配ないだろう。お前にはこの国を背負っていってもらわなければならない」

「はぁ、だと良いんですが……」

「返事の切れが悪いな、どうかしたのか?」

「あ、そうでしょうか?今朝のウンコの切れが悪かったせいですかね」


 ラディックスの言葉に笑うファンデル。かつての隊長だったファンデルとの2人の任務にラディックスは懐かしさを感じていた。

 不意に、それまで笑顔だったファンデルの顔が真剣なものに変わった。ファンデルの様子の急変にラディックスもファンデルの視線の先を追う。


「それにしても、ひどい……」

「ああ。全くだ」


 現在、ファンデルとラディックスはアイツヴェンの北西の海岸の異常事態の調査に訪れていた。

 激減した漁獲量。

 激増した動物の死体。

 波打ち際には水鳥やラッコなどの死骸が多数打ち寄せられていた。


「なんでこんな事に……」


 この海岸はいつもは波も穏やかで、野鳥が飛び交いや時折海水浴に訪れる人もいた。

 海抜の低いアイツヴェンの町並みを流れる川が合流して注ぐこの海岸はアイツヴェンの市民達の癒しのスポットでもあったのだ。

 それが今現在目に入ってくるこの海岸の様子はそれとは大きく様子が違う。


「君は今回の任務について詳しくは聞いていないのだったな」

「ええ。詳しくはファンデル様から説明があるだろう、とアイシャ様から承っていましたので」


 現在のアナーヒタの王はアイシャ・ラクスである。

 王制を敷くアナーヒタではこのように女王が現れるのも希ではない。


「そうか……。ふむ、今回の任務は知っての通り、この海岸の異変に発端がある」


 淡々と説明を始めたファンデルにラディックスは黙って耳を寄せた。ラディックスはファンデルのように自然界に造詣が深くはない。いつになく真剣な様子のファンデルの言葉を一言も聞き漏らさないようにしっかりと耳を傾けた。


「動物の死体が打ち上げられるようになったのと同じ頃から目撃情報があがっているのだ。海の底の方で何か巨大な生物の影のようなものが見えた、と」

「影、ですか」


 ラディックスが何気なく漏らした言葉にファンデルは頷き、言葉を続ける。


「ああ、そうだ。その影は、おそらく海のクラーケンではないかと思うがな。実際にそれを確認するために視察に来たのだよ」

「ファンデル様、そのクラーケンというのは何でしょうか?」

「ああ、すまない。クラーケンというのは、そうだな巨大な蛸のような魔物だな。海蜘蛛とでも言うべきか、とにかくこの辺りの海の主といえる存在の魔物だ。漁船なんかはクラーケンにかかればひとたまりもないと言われている」

「はぁ……」


 ファンデルは言葉で説明しながら身体をうねうねと蛸のようにくねらしながら表現する。

 ラディックスはファンデルのそのおかしな動きに吹き出しつつも、頭の中で巨大な蜘蛛と巨大な蛸を合わせて2で割ったものを想像し、若干身震いする。

 ファンデルの部隊に所属していたときに様々な野生の生物を見たことは多いが、中には夢に出てきそうで対面を辟易とするような姿格好の生物も多かった。

 クラーケンがその類の姿格好でないことをラディックスは願った。


「それで、ファンデル様はその巨大な影がクラーケンである可能性が高い、と考えておられるのですね?」

「その通りだ。もう一つ、考えなくはない予想もあるのだが、こちらに関しては気にしなくて良いだろう」

「?」


 ファンデルの歯切れの悪い言い方に文字通り首を掲げるラディックス。


「ファンデル様にしては歯切れの悪い言い方ですね。ファンデル様も今朝のウンコのキレが悪かったので?」

「ああ、最近少し下痢気味でな」

「それは、ある意味切れが良いのではないですか?」

「そうか?でも、こう、キュッとこう力を入れたときに……と、こんな話をしている場合ではない。ラディックス、少し分担して調べよう。何か変なものを見つけたら私に教えてくれ」


 ファンデルのその言葉に従い、ラディックスとファンデルは2人で分担して海岸を調査し始めた。



 分担して調査を初めて1時間程度経った頃。


 ラディックスはふと空を見上げた。

 変わらずに輝く太陽。青い空を時折流れる雲がどこか清々しい。そんななか、ラディックスは見慣れない鳥が空を飛んでいることに気付いた。


 鮮やかな黄色の巨大な鳥。ラディックスは何気なくその鳥を目で追う。

 その鳥はゆっくりと高度を下げると、海の方へと向かい、そして水中へとその姿を消す。

 何の鳥だろう? ラディックスがそんな疑問を頭の中に浮かべていると、その鳥は再び水中から姿を現す。

 今度は一羽ではなく数羽。そして、その鳥たちは飛んでいき、そのスピードを上げていく。

 そして、向かう先には――


「ファンデル様!!」


 ラディックスは走った。ファンデルはしゃがんで何かを見つめており、背後に迫っている巨大な鳥には気づいていない。


 間に合わない――!!


 すんでの所で気付いたファンデルは慌てて鳥の攻撃を避ける。

 一羽目の攻撃はそれで避けることが出来たのだが、続いて飛んでくる2羽目、3羽目の攻撃は避けることが出来なかった。


「ファンデル様!!大丈夫ですか!?」

「……あ、ああ」


 ファンデルは言葉を返すがその言葉に力はない。

 ラディックスがファンデルの傷を確認するが、その深さに眉をしかめる。出血も多い。


「ファンデル様、しっかりしてください!!」

「うろ……こを」

「喋らないでください!!」


 慌てて持っていた布を当てて止血するラディックス。

 ファンデルが何事か喋ろうとするのを制するが尚もファンデルはしゃべり続けた。


「うろ……こを……ヨルム……」


 うろこ?鱗?

 ラディックスはファンデルが必死の形相で自分に伝えてくる情報を何とか摘み取ろうと辺りを見回す。

 先ほどまでファンデルが見ていた辺りに落ちていたのは人の顔ほどはあろうかという巨大な鱗。


 ラディックスはひとまずそれを自分の荷物に入れるとファンデルの手当に集中した。





 ¶

 フェンはアイツヴェンに戻るとすぐにファンデルが収容されている施設へと向かった。

 王宮内の特別医療施設。

 陽もどっぷりと暮れて人気の薄いその施設にフェンが駆けつけると、そこで不安げな表情のティアに出会った。


 ティア・ニクス

 ファンデルの実の娘で、フェンとは義兄妹の間柄である。


「フェン兄!!」


 ティアはフェンの姿を認めると、フェンに駆け寄り抱きついてきた。

 フェンの胸の中で震えるティア。父親譲りの綺麗な銀髪を優しく撫でて落ち着かせる。

 ティアはフェンの胸の中で静かに泣き始めた。

 フェンは先ほどまでティアの座っていた長いすに座っているもう1人の人物に目配せすると、ティアを落ち着かせるためにいったん近くの部屋に入ることにした。


「……ティア、大丈夫か」


 座ったフェンだが尚も抱きついたまま離れないティア。

 ティアはフェンの言葉に頷くも、言葉は発さなかった。

 フェンは尚もティアに言葉をかける。


「大変だったな、ティア。でも俺が来たからもう大丈夫だ。父様は大丈夫。いつものように笑ってくれるさ」

「……ありがと、フェン兄」


 微かに言葉を返すティア。

 フェンはティアが落ち着くように背中をさすり続けた。



「ラディックス様、すみません」

「いや、大丈夫だ。それよりティアちゃんはもう大丈夫なのか?」

「安心したのか眠ってます。ティアも疲れてたんでしょう」


 フェンは眠ってしまったティアを開いている病室のベッドに寝かせると状況を聞きにラディックスの元へとやってきた。

 ラディックスは改めてフェンの姿を見て言う。


「……なぁ、フェン坊。頭の上にタルケがのっているのは何だ?」

「……気にしないでください」


 恒例化したフェンの頭の上のタルケについてのやりとり。

 フェンはこのやりとりにうんざりしながら話を本題に持って行った。


「それで、ファンデル様の状況はどうなんですか?」

「なんだ、ティアちゃんからは何も聞いてないのか?」

「ええ……。話を出来る状況ではなかったので」

「……それもそうか。まだ意識は戻らない。傷自体は致命傷じゃないんだが如何せん出血が多い。まだどうなるかわからんとよ」


 ラディックスはそう嘆く。椅子に座りながら、大きく天を(天井だが)を見上げた。


「すまねえな。俺がもう少し早く気付いてればこうはならなかった」

「……?」


 フェンはそれからラディックスに怪我をしたときの状況について詳しく尋ねた。

 アイシャ女王からの極秘任務。

 海岸沿いの異変調査。

 ファンデルが何かに気をとられている隙に野鳥から攻撃を受けたこと。


「うろこ……?ファンデル様が意識を失う直前にそんなことを?」

「ああ。これがその近くに落ちてた鱗だ」


 ラディックスは鞄から鱗を取り出すとフェンにそれを手渡す。

 巨大な鱗。半透明な黒い鱗で、かなり固い。


「これは……?」

「わからん。ただ、ファンデル様がそれに気をとられていたのは確かだ」

「魚の鱗にしては大きいですね……」

「ああ。フェン坊になにか心当たりはないのか?」


 黙り込むフェン。フェンにこれと言って思い当たるものはなかった。


「フェン坊でもわかんねえか……。アイシャ女王にも報告したんだが、特にこれと言って思い当たることはないそうだ」

「……アイシャ女王が?ですが、今回の任務はアイシャ女王が極秘任務って言ってたのでは?」


 その言葉に頭をかきむしるラディックス。

 ラディックスのしっくり来ない心情を如実に表していた。


「そうなんだよなぁ。だが、アイシャ女王は何も言わなかったんだ。俺には何が何だかさっぱりわからん」


 フェンはもう一度黒い鱗をまじまじと眺める。

 この鱗が一体何だというのだろうか。

 歴戦の勇者であるはずのファンデルが簡単に隙を作る原因となったこの鱗がなんでもないとは到底思えなかった。


「明日、調べてみます」

「ん?」

「アイシャ女王が何もいってくれないんなら調べるしか無い。何でもないはずがないでしょう」

「……そうか。それなら俺も手伝おう。ファンデル様が怪我したのは俺のせいでもあるしな」



 翌日。

 フェンはファンデルの家に戻り、文献を探ってそれらしき記述がないか探した。

 ティアはファンデルの側に付いており、ラディックスは王宮の錬金術師に何か参考になる資料がないか確認しにいった。


「しっかし……この量の中から探すってのはしんどいな……」


 弱音を漏らすフェン。

 調べるものはファンデルの書斎に並ぶ大量の書籍やファンデルの残した大量の研究文献。

 頭の上のタルケがキュイーと返事をするように鳴き声をあげた。


「お前は楽だから良いかもしれないけどよ……まぁしょうがない、やるとするか」


 フェンは一番近くにあった本から手をつけた。


「黒い鱗……黒い鱗……固い……大きい……巨大……」


 そのキーワードを元に探すフェン。

 だが小一時間ほど経過しても何も手がかりになりそうな資料は見つからなかった。


「だーーー!見つかる訳ねーだろーが!」

「なぁにをぎゃあぎゃあやってんだよ」

「うっほい、びっくりしたぁ!」


 ラディックスがいつの間にか部屋に入ってきていた。


「勝手に家に入ってくるのは不法侵入っすよ!?」

「何回もお前を呼んだって―の!ドアもノックしたし!」


 そういって自らの手を見せてくるラディックス。

 赤くなったその手。ドアを見てみると何度も叩かれたのかやや凹んでる。


「……ドアを壊すのは器物損壊ですよ?」

「はぁ?フェン坊が気付かねえのが悪いんだろうが!?」


 どっちもどっちなのだが。

 しばし口論を続けた後に、フェンはラディックスに尋ねた。


「それで、何かわかったんですか?」

「いんや。この国トップの錬金術師さまに聞いても何もわからねえとよ。ガッスルフニンにでも聞きに行ったらどうかって言われたぜ」

「ガッスルフニンに?」

「ああ。あそこはここより錬金術の研究が進んでるらしい。ストリボーグ・アナーヒタ・ガッスルフニンの3国中ではで一番研究が進んでいるんだとよ」


 言いながらラディックスは近くにあった椅子に座り込んだ。

 そして、目の前のテーブルの菓子をボリボリと食べ始める。

 フェンはまた適当な本を読みながら、声をかけた。


「……それで、ガッスルフニンに聞きに行くんですか?」

「バカ言え。ガッスルフニンやストリボーグに知られたくないからアイシャ女王が隠しているんだろ。それを俺がむざむざ聞きに行ってどうする」

「それもそうですね。……ってそうかアイシャ女王が隠している……か」

「ん?どうかしたか?」


 フェンは手元の本を棚にしまい、ラディックスの向かいに腰掛けた。


「アイシャ女王が隠しているのって不自然だと思いませんか?」

「ん?どういう事だ?」


 ラディックスはフェンの方に身を乗り出して言葉を聞いてきた。

 フェンはゆっくりと考えながら言葉を発していく。


「ちょっと待ってください。俺もそんなにはっきりしたわけでは無くて……」

「?」

「んーと、最初から整理しましょう。始まりはファンデル様がアイシャ女王から極秘任務を命じられたこと。それで、ファンデル様はラディックス様に任務の同行を命じた」

「ああ、その時にファンデル様が仰っていたのは、海岸の異変の原因調査。思い当たる原因は2つあって、一つはクラーケン。もう一つははっきりと言わなかった」

「この鱗が、ファンデル様がはっきり仰らなかった事と関連があることは明らかですね」

「ああ。そして、その鱗をみることでファンデル様ははっきりと動揺していた」


 フェンは頭をかきむしり、思考をまとめていく。


「それから考えられるのは、何かとても良くない事態が起こっていると言うこと」

「……ただ、アイシャ女王は何も仰らない。これが不自然だな。何か良くない事態ならアイシャ女王が何らかの動きを見せても良いはずだ」

「……どういう事でしょうか」

「さあな。アイシャ女王もよくわからないんじゃないか。もしくはファンデル様が口止めしてた、とか」


 あの2人実はデキてたりしてな。イケナイ恋愛、良いねえ――などと空想の世界に飛び立つラディックス。

 だが、ラディックスがぼやき気味に漏らした言葉がフェンの頭に引っかかった。

 ――わからない?


「そうか。そうですよ」

「ん!?ホントにあの2人できてんのか!?」

「じゃなくて!!よくわからない、って話ですよ」

「は?」


 一息入れてから話し出すフェン。

 頭の中を整理していきながらゆっくりと話していった。


「えーと、おそらくアイシャ女王も詳しくはわからないんです。海岸の異変は何らかの危険のシグナルと言うことは知っている。だから極秘任務で原因調査を命じた」

「……続けろ」

「命じられたファンデル様はその危険について詳しく知っていて、そしてその危険が迫っていることを知った。それをアイシャ女王に伝える前にファンデル様が意識を失った」

「……ファンデル様がその危険を知っていたとは限らないぞ?」

「いや、知っているでしょう。ファンデル様は嘗て先代王、ニヌルタ様から王家のみが見ることを許される書物を見たことがあるはずです。イルサックの花を探すときに」

「イルサック……そうか。そんなこともあったな」


 大きく息を吐くラディックス。

 イルサックの花とは、数年前にファンデルが命じられた任務である。

 その任務中にファンデルはフェンを拾ったのだ。


「俺には、いささか話がぶっ飛びすぎてると感じるが」


 ラディックスは少し冷め気味に言葉を発する。

 だが、フェンは冷静に対処した。


「いいんです。そのせんでもう一度調べてみて間違ってたらまた別の可能性を考えれば良いんです」

「またむちゃくちゃな事を……」



「なぁ、フェン坊。お前俺の部下になんねえか?」

「はい?」

「最近、そうやって考えて行動する兵が減ってきたんだよ。色んな面でな。だからお前みたいなヤツは貴重なんだ」

「……遠慮しますよ。俺にも減ってしまいましたが部下がいますんでね」

「減った?」

「ええ。ヴァサームの戦いの時に――!?」


 急にはじかれたように立ち上がるフェン。

 そして、書斎の本の山から何かを探していた。


「おい、フェン坊!?なんだってんだ!?」

「ヴァサーム防衛戦でドラウグという化け物が現れたんです!!」

「どらうぐ?」

「はい!そのドラウグの記述を本で読んだときに一緒に気になる記述があったんです。何で今まで忘れてたんだ……」


 フェンは山の中から目的の本を見つけると急いでそれをテーブルの上に広げた。

 ラディックスもそれを一緒に読む。


「ええと……これだ。ドラウグ。水死体を呼び覚ましたもの。身体には水草を纏わせて、首を焼かなければ死なない……」

「こんな化け物がヴァサームに現れたってのか!?」

「はい……。あった、これだ。ドラウグはヘルによって呼ばれる。ヘル――死霊魔術ネクロマンシーを使う精霊」

「ネクロマンシー!?死体を思いのままに操る魔術の事じゃねえかよ!?」

「ヘルについても記述があります……えーと、このページです」

「ヘル……神と対存在。ヘルを従えるものは自己を失う……?なんじゃこりゃ」


 ラディックスは眉を寄せるがフェンも首を振る。


「わかりません……。ええと、その次の段落は……ヘルの力はネクロマンシーだけではない。水に黒竜を、陸には黒狼を呼び寄せる」

「黒竜の名はヨルムンガンド。黒狼の名はフェンリル……。おい、もしかしてこれが……?」

「……」


 2人は言葉を失った。

 2人が見ている本には挿絵が載せられている。

 ドラウグの挿絵はフェンが見たものと相違ない挿絵。再現性は高そうだ。

 ヨルムンガンドとフェンリルの挿絵はその挿絵から考えるに大きさだけでも数10メートルは考えられるのだ。


「ホントにこんな怪物が現れたらまずいぞ……」


 思わず漏れた言葉が2人の心境を如実に表していた。




 ¶


 一方、その頃王宮では会議が開かれていた。

 出席者はアイシャ女王。その夫のルード王配やその他大将軍などのこの国の重鎮たちだった。

 会議の内容は今朝方傍受した敵国の通信内容。

 その通信内容とは、


「しかし、アイシャ女王。本当なのですか?ストリボーグとガッスルフニンに同盟の兆候というのは……」

「残念ながら信頼度は高いと考えます。ストリボーグ・ガッスルフニン両国の国内通信から別々に同じ動きを傍受しました」


 1人の将軍が尋ねる言葉に頷くアイシャ女王。

 その表情は固く険しかった。


「しかし、何故今になってこんな……?つい先月までガッスルフニンとストリボーグでは交戦が確認されていたのでは?」

「全くだ!やはり悪質な情報の操作では!?」

「しかし、信頼度は高いはずだぞ!」


 煮詰まらない議論。

 アイシャ女王が事態の収拾にはかろうと動いたが、その必要性はなかった。


「今はそんな議論をすべきではない。両国が同盟を結んだ背景など我々にはわかるはずもないのだ。問題は対応策ではないのか?」


 その重い声で場の空気は一気に冷え込んだ。

 アラン・イド。

 フレイヤやニーヌの父親であり、かつてはファンデルと伴にこの国で英雄視されていた。

 今は戦場の第一線を退いたものの、しばしばこのような会議には参加している。

 アイシャがアランにそっと目配せすると、アランは微かに頷き発言を続けた。


「両国が同盟を結ぶとすると、次に予測されるのは当然ながら我々アナーヒタへの攻撃だ」

「アラン大将軍の言うとおりです。今までこの大陸は3国間でのバランスが保たれてきました。同盟が結ばれたのならば必然的に大戦となるでしょう」


 アイシャがアランの言葉を続ける。


「現在、ファンデル大将軍は負傷し、我が国の戦力は格段に低下しております。このようなときに、都市を失いストリボーグやガッスルフニンの侵攻を許してしまうと、そのまま敵国は攻勢を強める可能性があります」


 アイシャ女王がそう言葉を続けていると、会議室のドアが開いた。

 一斉に視線が集まる。

 入ってきたのはアイシャ女王の側近の秘書だった。

 その秘書はアイシャとルードに何事か耳打ちすると、2人は顔色を変えた。


「すみませんが、しばし私は失礼します。会議の方は続けてください」


 それまで黙っていたルードはそう発言すると、退室した。

 いったんざわめきかけた、会議室内だったが、アイシャ女王が何事もなく対応策の検討について話を始めたことで、再び会議は厳粛な雰囲気となった。






「何だと言うんだ、ラディック――と、フェンも居たのか」

「すみません、ルード様」

「ほーう。偉くなったなぁ、ルードも。『何だと言うんだ』だってよ、ククク」


 頭を下げるフェンと茶々を入れるラディックス。

 ぞんざいな物言いに顔をしかめるルードだが、すぐにその顔をゆるめた。


「フェン坊何をきょとんとしてやがるんだ?」

「……え?あ、いや、随分と2人が親しいので……」


 きょとんとするフェンを見てラディックスとルードはお互いの顔を見合わせる。

 ルードは笑いながら言う。


「ああ、フェン。私とラディックスは昔からの知り合いなのだよ」

「そうなのだ」

「だから、ラディックスは私が王配となった今もこのような口の利き方なのだ」

「なのだ」

「前から、私が王配になったというのだから立場上口調は改めろと言っているのだがな。相変わらずこいつは口調を変えないのだ」

「のだ」

「のだのだ、うるさいな!!」

「ククク……いや、お前がこうやって王配の立場として喋るときは〜のだと必ず言うからよ」


 嘆息するルード。一方ラディックスはこらえきれないといった様子で笑顔を見せていた。


「はぁ……良いから用件を話せ。今大変なことになってるんだよ」

「大変なこと?」

「なんでもない。時間がないんだ、さっさと話せ」

「わぁったよ。ファンデル様に命じた極秘任務はヨルムンガンドの件を疑ってと言うことで良いんだよな?」

「……何故それを?」


 ルードが狼狽を隠さずに聞き返す。

 その姿にフェンは笑いの衝動がこみ上げたが何とかこらえた。


「ラディックス様と一緒にファンデル様の書斎を調べてきたんです。これがそれで見つけた史料とこっちがファンデル様が任務中に見つけた鱗です」


 ルードはフェンから本を受け取ると眉間に皺を寄せて目を通していく。


「そこに書いてあるドラウグはさきのヴァサーム防衛戦で私が直に相対しました。信憑性は高いと考えられます」

「なぁ、ルード。これが本当だとしたら、アナーヒタの危機だぞ。一刻も早くアイシャ女王に伝えて――」

「これは良い情報だ。確かに、あの極秘任務はヨルムンガンドの件を疑ってのものだった」


 その言葉にお互いの顔を見るフェンとラディックス。

 ここまで早くルードが本音を漏らすとは思わなかった。


「……ずいぶんと簡単に漏らすんだな」

「隠してほしかったのか?今更お前達に隠したところでもう意味はないだろ」

「まぁ、そりゃそうだけどよ……」

「ルード様、この話は一刻も早く各都市の防衛にあたる中隊長に伝えた方が良いと思うのですが」

「いや、この話はまだ誰にも話すな」


 ルードの言葉にくってかかるラディックス。


「はぁ!?何でだ!?」

「この国の存亡を揺るがす大ニュースだからだ」

「ですが、少なくとも軍の上層部や隊長クラスには話を伝えても構わないと思うのですが……」

「ああ、フェンの言うとおりだ。少なくとも危険性くらいは伝えても構わないだろ?」


 2人の言葉に表情をしかめるルード。

 そしてゆっくりと首を振った。


「話すな。それが命令だ。こちらにも事情がある――」

「それじゃあ、こいつは渡せねえな」


 ラディックスがルードの手元から本を奪う。

 ルードは一瞬目を丸くしたがすぐに、ラディックスを睨み付ける。


「おい、自分が何を言っているかわかっているのか?お前とは確かに友人だが、今は立場が違うんだぞ」

「……なぁ、何隠してるんだ?さっきからお前の、いや、お前とアイシャ女王の動きは正直言って変だぞ。ファンデル様に極秘任務を命じて、その極秘任務で負傷したファンデル様に何も言葉をかけない」


 ルードもフェンも何も言わない。


「それどころか、俺たちが情報を提供しても礼の一言もよこさない。なぁ、一体この国で何が起こってるんだよ?」

「俺たちは仲間なはずだろ。信頼して情報ぐらい――ってフェン?」


 フェンはラディックスの手元から本を奪うとそれをルードの方へと放り投げた。

 慌ててルードはそれをキャッチする。


「ラディックス様、もう良いでしょう。ルード様の立場じゃ言いたくても言えないこともある。それだけで十分だと思いますよ」

「おい、何を言うんだよ?」


 フェンとルードはお互いに目を合わせる。

 頭の上のタルケがキュイーと鳴いた。


「立場が変われば見えてくるものも変わる。父・ファンデルの言葉です。ルード様や軍の上層部の話は私にはわかりません。ルード様が言えないと言うなら俺は無理に聞こうとは思いません」


 フェンは言葉を残すとルードに一礼し立ち去ろうとする。

 だが、その背中にルードが声をかけた。


「わかった、言うよ。言やあいいんだろ?」

「そう来なくっちゃ!」


 笑顔で振り向くフェン。

 カマをかけられていたことを悟るルードだったが、先ほど言った言葉はもう取り消せなかった。

 ラディックスが笑いながら言う。


「フェン坊も人が悪いな」

「ラディックス様ほどじゃないですよ。それで、ルード様一体何が起こっているんですか?」

「……はぁ。まだ内密に頼むぞ?」


 途端に頷く2人。

 挙げ句の果てには目をきらきらと輝かせている。

 自分がとんでもないミスをしたような気がしたが、やむを得ない。


「……ガッスルフニンとストリボーグに同盟の兆しがある」


 直後、大声を出した2人のせいでルードが大焦りする羽目になったのは言うまでもない。

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